新ルール
「新しいルール?」
少年は瞳をぱちくりさせる。樹流徒から持ちかけられた話に興味を持ったのか、彼に歩み寄った。それでも互いの距離は少なく見積もってまだ5メートルは離れている。少年はそれ以上前に出ようとしなかった。
かやた、樹流徒としては相手が話に食いついてくれただけで十分だった。万が一少年が不用意に近付いてきたとしても、捕まえるつもりは無い。
「そう。ひとつだけルールを作らせて欲しい」
少年に向かってもう一度言った。
「要するに、ボクに新しいハンディを背負って欲しいってワケだね? で、どんなルールがいいの? ボクの体に重りでも巻きつける? それともボクだけ逆立ちで走ればいいの?」
少年は勝手に得心した様子で話を進める。
「早合点するな」
「え」
「僕が追加して貰いたいルールの内容は“今から十五分間、僕がお前に触れても捕まえたことにはならない”。ただそれだけだ」
「ん? それ本気なの?」
少年は意外そうに尋ねた。
たった今、樹流徒が提案した新ルールは、彼にとって何の得も無い、むしろ残された貴重な時間をいたずらに浪費するだけのものだった。少年が自ら瞬間移動を封じたのと同様、樹流徒も敢えて己を不利に導くルールを申し出たのである。少年が意外に思ったとしても当然だった。
それでも樹流徒は「ああ」と答えて首肯する。新ルールの内容が決して間違いではないことを認めた。
「でも、そんなルール作ってソッチになんの得があるの?」
少年は当然の疑問を口にする。
「鬼ごっこをする上では何の得も無い。ただ、このルールが成立すればお前は十五分のあいだ絶対に安全だろう? たとえ僕のすぐ隣にいても平気なはずだ。捕まっても大丈夫なんだから」
「あのね。だからそんなことしてお兄ちゃんにどんな得があるのかって聞いてるんだけど」
「今から話す」
樹流徒は答えて、手に持っているゲーム機を顔の前まで持ち上げる。
「実は、僕はこっちのゲーム機でお前と勝負したいんだ。一刻も早くな」
“一刻も早く”という部分を強調して、それを伝えた。
「そのキカイでボクと勝負したいの? なんで急に? 鬼ごっこが終わってからじゃダメなの?」
「自分で言うのも何だが、僕は負けず嫌いだからな。このまま鬼ごっこを続けても、お前には勝てないのは分かっている。だったらその時間内に別の方法で一矢報いたいんだ。そうしないと、気が済まない」
「え~と……。ソレってつまり、お兄ちゃんはこのまま鬼ごっこでボクに完敗するのが悔しいから、せめてそのげーむ機で最後っ屁を放ちたいってコト?」
「有り体に言えばそうなる」
樹流徒は相槌を打つ。随分と情けない提案をしている立場にもかかわらず淡々と答えた。
「でも、何でそんな意地を見せたいのか、ボクには分からないんだけど」
「知らないのか? 僕の国では古くから、強敵に一矢報いることは互角の相手に勝利することよりも断然素晴らしいとされている。美学というやつだ」
樹流徒はすかさず理由を語る。
勿論これは彼の嘘である。悪魔相手だからこそ通じる方便だった。
「ふーん。ニンゲンって変なコト考えるんだね」
少年はかなり怪訝そうに返事をする。
「だが、お前としてもこのまま退屈な時間が続くよりはいいんじゃないか?」
「まあね。ボクって何事においても楽しければそれでイイと思ってるから」
少年は樹流徒の問いを肯定した。
「でもチョット考える時間ちょうだい。取りあえずボクたちがこうして話し合っている間は鬼ごっこの時間は経過してないことにするからさ」
続いてそう言うと、なにやら思考を始めた。新ルールの中に別の意図が隠されているのではないか、と疑っているのだろう。樹流徒は少年を騙そうとした前科があるだけに、妥当な反応だった。
少年は腕組みをしてああでもないこうでもないと独り呟く。樹流徒の腹積もりを暴いてやろうと長考しているようだ。その結果、少年が再び口を開いたのは数分も後のことだった。
「それじゃホントにいいんだね? 新ルールを加えちゃうよ?」
少年は樹流徒に確認を取る。今回の提案を飲むようだった。なにしろ少年にとって不利な要素がひとつも無いルールである。拒否する理由も見つからなかったのだろう。
「ああ。頼む」
間髪入れず、樹流徒は答えた。
「それじゃあ追加ルールの確認をしようか。“今から15分間、お兄ちゃんがボクに触れても捕まえたことにはならない”……でいいんだよね?」
「そうだ」
「“触らないで蹴る”とかいうのはナシだよ?」
「ああ。僕の体のどの部分がお前に触れても捕まえた事にはならない。靴で触れても無効だ」
「言っとくけど、げーむ機でボクに触れても無効だよ。道具を使っても捕まえたことにはならないからね」
「分かっている」
「ボクを拘束しといて十五分経ったら捕まえるってのも無しだよ?」
「大丈夫。十五分後にはお前を心身共に一切拘束してない状態にする。ついでに互いの距離が十分に離れた状態にすることも約束する。全部ルールに加えるといい」
「う~ん……」
少年は考え込む。まだ何か裏があるのではないかと疑っているようだ。
「警戒しすぎだ。何も企んでないから早く来い」
樹流徒は変わらず落ち着いた声色で誘う。
「なんか怪しいんだよなあ」
少年はまだ納得しきれていない様子で、しかし一歩踏み出した。
が、その足はすぐに止まる。少年はふと何かに気付いたらしく悪戯な笑みを浮かべ
「あ。そうだ。じゃあさ……いっそ十五分じゃなくて二十分にしようよ」
と、新たな提案を出した。ルール内容の変更を要求する。
ニ十分といえば、鬼ごっこの残り時間全てである。つまり、少年は“鬼ごっこが終了するまで、樹流徒が自分に触れても捕まった事にはならない”というルールを提案したのだ。十五分だけでは樹流徒が残り五分で何か仕掛けてくるかも知れないと踏んだのだろう。その可能性を潰しにかかった。
対する樹流徒は、先ほどから「鬼ごっこで勝つことは諦めた」と主張しているも同然の立場なので、少年の要求を断る理由が無い。仮に断れば、樹流徒は「残り五分で少年を捕まえるつもりだ」と白状しているようなものだった。少年はそこを突いてきたのである。
「ああいいよ」
樹流徒は簡単に相手の要求を呑んだ。
少年が「えっ」と少々間の抜けた声を発する。樹流徒が余りにあっけなく提案を受け入れたので、驚いたのだろう。樹流徒の魂胆を暴いてやろうという目論見を外されて肩透かしを食らったのかも知れない。
「へえ……そう。じゃあ決まりだね。これで鬼ごっこはボクの勝ちってわけだね」
少年は小さく頷く。
この時点で新たなルールの追加が成立した。
「よーし。じゃあソッチのげーむ機で勝負だ。返り討ちにしてやる」
追加された新ルールに守られた少年は、全くの無警戒で鬼に近付く。
樹流徒は相手にゲーム機を手渡し、椅子に腰掛けるよう促す。少年は素直に従った。
「今からゲーム機の操作法を教えるが、その時間も鬼ごっこの時間経過には含めないでくれ」
樹流徒が細かな要求をすると、安心しきったように緩んだ少年の頬が嘲笑気味に膨らんだ。
「お兄ちゃんホント負けず嫌いみたいだね。そこまでして時間内に仕返ししたいワケ?」
「仕返しじゃなくて一矢報いると言って欲しい」
本心は違った。樹流徒が狙っているのは仕返しでもなければ、一矢報いることでもない。あくまで勝つことだった。