メイジ
図書室で詩織との会話を終え、樹流徒は荷物を取りに教室へ戻ってきた。半分くらい残っていたクラスメートたちの姿はもうほとんど消えている。先に図書室を出た詩織の姿も無かった。彼女は帰ってしまったのかも知れない。
ただ、その代わりではないが一人の男子生徒がいた。樹流徒の机に尻を預けて突っ立っている。このクラスの生徒ではない。
黒い髪が毬栗の如く天を突き、明らかに何かしらの手段でカチコチに固めている事が分かる。肩をダラリと下げポケットに両手を突っ込み、なにやらぶつぶつと独り言を唱えていた。傍目には少しばかり近寄り難そうな青年だった。
その男子を樹流徒はよく知っていた。恐らく学校中の誰よりも良く知っている。
彼の名は“メイジ”。樹流徒の親友である。
メイジというのは彼の愛称で、本名は明治。それを音読みにするとメイジになるというわけだ。メイジと近しい者の大半が彼を本名ではなく愛称で呼んでいる。樹流徒もその内の一人だった。
メイジは樹流徒の接近に気付くと、独り言を止めてニヤリとした。机から尻を離しポケットから手を出す。両腕を肩と同じようにダラリと下げた。気合の入った頭髪とは裏腹に疲れたような動きをしているが、決して体調が悪いのではない。これが普段の彼なのである。
現在の姿からは余り想像できないが、メイジは元々無駄に明るくて活発な少年だった。春が来れば新しいクラスメートたちに笑いを振り撒き、夏には蜂の巣を棒で突付いて大怪我をし、秋は誰よりも運動会を楽しみにし、冬でも毎日短パンを穿いて外を駆け回る、元気・やんちゃという言葉に服を着せたような少年だった。昔からメイジと友達だった樹流徒はいつも良いように振り回されていた。
だが、中学卒業を目前に控えた頃、メイジの様子は徐々に変わり始めた。少しずつ口数が減り、笑顔を見せる回数も少なくなった。
一体メイジに何かあったのか、樹流徒はそれとなく尋ねてみたが、特別な出来事があった訳ではないと本人は語った。だから樹流徒もそれ以上の追求はしなかった。十代半ばの青少年が性格や雰囲気を一変させることは特段珍しいことではない。メイジもその一例に過ぎないと考えるようにした。
「よう樹流徒。随分長いトイレだったな」
メイジは片手を上げて挨拶をする。その腕は完全に伸びきる前に、重力に負けて下がった。
「トイレじゃない」
「まあどうでもいいや。それより今日は一緒に下校な。拒否権とかねーから」
「別に拒否なんてしない。何せ二人で歩くのも今日で最後になるかも知れないからな」
「あ? 最後ってなんだよ? 遠まわしな絶交宣言? それともオマエ転校すんの?」
「違う。もし今日世界が滅んだらそうなるって話だ」
「何だそれ? オマエが冗談言うの珍しいよな。特に面白くもねェのが残念だが」
メイジは頭を傾倒させ中指で首筋を掻く。
「うるさいな。早く帰ろう」
二人は揃って教室から出ていった。