家電量販店へ
“ヌマハシ電機”は家電量販業界の大手。電気器具だけでなく日用雑貨やカー用品も取り扱っている。国内に二百五十の店舗を展開し、龍城寺市内にも七階建て(地上五階、地下ニ階)の店を構えていた。外壁の色は電気を連想させるオレンジを基調とし、そこに赤と黒の細いラインが加えられている。色のみに注目すればドイツやベルギーの国旗と似ていた。遠目にも良く目立つ建物である。
神社を後にした樹流徒は、たった今、その派手な建物の前に到着した。
彼がここを訪れた理由は当然ひとつしかない。アンドラスにホラー映画を見せるために必要な道具を入手することである。もう少し具体的に言うと、映画のDVD、それを再生する電池式ポータブルプレーヤー、そしてプレーヤーを動かすための電池、これら三点を揃える。全てヌマハシ電機の中で事足りるのだった。
樹流徒がこの店に来るのは今回が初めてではない。以前から主にゲーム機やゲームソフトを売買する目的で何度か来店していた。何年か前には家族揃って新しいテレビを買いに来たこともある。それなりに馴染みのある店だ。
駐車場は屋内外合わせて約七百台の車を停めることができ、一階の駐車場は満杯になっていた。魔都生誕が起きたのは平日の夕方だったが、当時結構な数の買い物客が存在していたことが分かる。
そう……間違いなくここには多くの市民がいたはずなのである。
ところが、今、樹流徒の目には奇妙かつ見覚えのある光景が映っていた。
駐車場の中に死体が存在しないのである。地面に倒れている人もいなければ車の中に残っている人もいない。ここが元々無人の場であったかのように、皆、忽然と姿を消していた。
間違いない。例の死体失踪現象である。樹流徒が知る限り、今回で二例目だ。
市内から消失する亡骸たち。一体誰が何の目的でこのような真似をするのか、樹流徒は言いようのない不安を感じた。現象を引き起こしている原因や犯人が分かればすぐにでも対策を打つところだが、生憎それらに関する情報はひとつも知らない。
それだけに、樹流徒がここで立ち止まっていても意味はなかった。消えた遺体の行方は気になるし、犯人への怒りはあったが、気持ちを切り替え本来の目的を優先させなければいけなかった。
樹流徒は駐車場を横断して店の入り口へと向かう。
自動ドアは僅かに開いた状態で停止していた。ドア越しに店内の様子を窺うと、そちらも完全に人の姿が消えていた。
樹流徒は驚かない。駐車場の様子を見た時から薄々この展開は予測していた。
ドアの隙間に両手の指をかけ、力で無理矢理こじ開ける。
店内に踏み込むと、やや灰がかった白い床が樹流徒を出迎えた。それなりに見慣れた店とはいえ、無人だと全然別の場所のように感じる。
天井には凄い数の蛍光灯が整列していた。それらが並行を保ったまま伸び進んで、圧倒的な奥行きを作っている。天井が高いこともあって圧迫感を感じさせない空間だ。それでも少しごちゃごちゃして見えるのは、商品や買い物客たちの荷物が床に散乱しているせいに違いなかった。
樹流徒は物が散らばった店の中を進む。床に反響する自分の足音だけが聞こえた。
死体失踪現象の発生現場に留まるのは気持ちの良いことではない。この場所に長居することで何か事件の手がかりがつかめるならば話は別だが、その期待は薄そうだ。そのため、樹流徒は目的のものを回収してさっさとここから出ることにした。まずはDVDプレーヤーが売られているコーナーへと足を向ける。記憶では確か三階にあるはずだった。
ところが、樹流徒の足がエスカレーターに向かって歩き始めてすぐ。
樹流徒の背後から、突然ガツンと音が鳴る。何か固いもの同士がぶつかったような音だ。
反射的に振り返ると、先ほどこじ開けたはずの入り口が閉まっていた。今の音はドアが閉じた衝撃で鳴ったものだったらしい。
しかし何故、ドアがひとりでに動いたのか? 自動ドアなので本来勝手に閉まるのが当然なのだが、市内に電気が通っていない今は違う。手も触れずに動くはずがない。心霊現象でも起きたというのか。
わけもわからず、樹流徒がドアを見つめていると……
――お兄ちゃん。ボクと一緒に遊ぼうよ。
どこからか声が聞こえてきた。無邪気で悪戯っぽい子供の声だ。
樹流徒は警戒心を叩き起こして、四方を見回す。素早く動き回る瞳が天井、商品棚の奥、レジを順番に映したあと、エスカレーターの中段でぴたりと止まった。
視線の先には一人の少年が立っていた。年は十歳前後。ブラウンの瞳と髪を持ち、白いシャツに蝶タイ、シングル裾の黒いハーフパンツにサスペンダーという格好をしている。外見は人間そのものだ。
少年は手すりに片手を預け、樹流徒を直視していた。
樹流徒は薄気味悪さを覚えながら、エスカレーターの下まで進んで足を止める。突如現れた子供を見上げた。
「お兄ちゃん遊ぼうよ」
少年は、先ほど樹流徒の耳に聞こえた無邪気な声で話しかける。非常に屈託のない笑顔をしていた。
「悪魔なのか?」
樹流徒は問う。状況的に考れば眼前の子供は普通の人間ではなかった。
すると少年は目を細め
「へぇ。すごいや。良く分かったね」
自分が悪魔であると簡単に認めた。「ならばもう人間を装う必要はない」とでも言うみたく、虹彩から赤い輝きを放つ。
「何が目的で現世に来た?」
樹流徒は努めて落ち着いた態度で接する。
少年の姿をした悪魔はふふっと、軽く噴き出すような笑い声を漏らした。
「目的? ボクはただ遊びに来ただけだよ。現世と魔界を繋ぐ扉が開いたって噂を聞いてね」
「……」
「そしたらニンゲンみんな死んじゃってるんだもん。つまんないよ。移動したくても結界のせいで外には出れないしさ」
悪魔は軽い愚痴をこぼす。どこかで聞いたような話だった。樹流徒が過去の記憶を遡ってみると、すぐにバルバトスの顔が思い浮かんだ。
この少年も市内に結界が出現したことを知らなかったらしい。それどころか市民が一斉に命を落としたことすら意外だったような物言いだ。
そんな悪魔に魔都生誕を発生させた犯人の正体が分かるとも思えないが……。この場所に現われたことを考えると、死体失踪現象については何か知っているかも知れない。樹流徒は少年に話を聞いてみることにした。
「お前は現世と魔界を繋いだのが誰の仕業か知らないか?」
「さあね。そんなコトどうでもいいし」
少年の悪魔はおおむね樹流徒が思っていた通りの答えを返す。「どうでもいい」という言い方には樹流徒も憮然としかけたが、気を取り直して次の質問をする。
「じゃあ、ここには何故人の死体が無いんだ? 市民はどこに消えた?」
「知らな~い。でもニンゲンの死体なら色々使い道あるからね。誰かが持ってったんでしょ」
「誰かって?」
「だから知らないってば」
悪魔は面倒臭そうに返事をする。どうやら死体失踪現象についても何も知らないようだ。
これ以上話をしても余り意味は無いかも知れない。
樹流徒がそう判断すると同時、少年は元の無邪気な笑顔に戻る。
「ね。そんなつまんない質問ばかりしてないでさ……お兄ちゃん、ボクとゲームしない?」
そして唐突なことを言い出した。