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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
新創世記編
358/359

その後



 ――以上が私の知っている事実の全てです。


 そのような文章で締めくくられた一枚の書類を、砂原は封筒の中に滑り込ませていた。封筒の中には他にも沢山の書類が入っており、そこには魔都生誕からサマエルの死亡まで、全ての出来事が余すことなく記されている。


 バベルの塔が消滅してから早数ヶ月が経とうとしていた。

 今、砂原は組織の新しいアジトにいた。イブ・ジェセル龍城寺支部の新舎は市の外れにある小さな森の中に建っている。外観はただの大きな洋館で、内装も一見して変わったところは無い。一般市民が見ても誰かの別荘くらいにしか思わないだろう。もし彼らがこの建物の地下に武器庫や、儀式の生贄に使う素材の保管庫などが存在していることを知ったら驚くに違いない。


 もっとも龍城寺市に一般市民が住むようになるのは、たぶん数年後から十数年後の話だろう。現在この市内にいるのは事件の全容を解明するために結成された日本政府の調査チームと、国内外の研究者たち。物理学者、生物学者、地質学者、軍事学者、経済学者、医学者、人類学者、宗教学者など、実に幅広い層が集まっている。あとは各国のジャーナリストくらいである。

 ちなみにイブ・ジェセルのメンバーは表向き神話学者のチームとして、また龍城寺市の外から(・・・)来た者として、市内に滞在している。そのような嘘が平然とまかり通るほど組織の権力が強い証拠だった。


 砂原が今いる場所は巨大地下室の一角にある会議室だった。室内の中央に置かれた長方形の机を十二脚の椅子が囲んでいる。組織のメンバーは六名なので椅子の数が多いように思えるが、もしかすると新しいメンバーが派遣・補充されたのかもしれない。


 十二の椅子の内の一つに腰掛けていた砂原は静かに立ち上がった。彼は書類入りの封筒を手に廊下へ向かう。

 会議室の扉を開くと、丁度眼鏡をかけたスーツ姿の男と、私服姿のハードパーマの女と出くわした。

「あ、おはようございます隊長。今日は出張ですか?」

 眼鏡の男、仁万が落ち着きのある笑顔で挨拶をする。ハードパーマの女ベルも挨拶をしたが、彼女は少し眠たそうだった。

 砂原は二人におはようを返してから

「実は、龍城寺市で起きた一連の出来事をレポートにまとめて提出するよう言われてるんだ。ついでに口頭で色々と聞きたいらしい。言わば事情聴取だな」

「ん? 報告書なら前に提出しただろ? 私たちも提出したぞ」

「残念ながら俺だけ再提出だ」

「そんなことがあるんですか……。ではこれから本部へ出向するんですね」

「そう。我々の組織(・・・・・)の本部にな」

 砂原は野性的な笑みを浮かべて答えると、組織の新舎を出て行く。

 彼がこの場所に戻って来る事は二度と無かった。


 この世には悪魔召喚を悪用して人に犯罪を起こさせる組織が存在する。かつて仁万の父や渡会の友人をそそのかし、ベルの家族を殺した犯人が在籍する組織である。

 砂原がその組織の一員であり、魔都生誕の発生前から今までずっとイブ・ジェセルに潜り込んでスパイだったことが明らかになるのは、もう少し先の話だった。



 数時間後。龍城寺市ではないどこかの町――


 晴れ渡った空の下、辺りはしんと静まり返っている。

 場所が場所なだけに静かなのは当然だった。

 そこは墓地だった。名のありそうな立派な教会の横に広い緑の敷地が設けられており、四角い洋墓が三十基以上並んでいる。陽気な風が夏草の頭を優しく撫でていた。


 墓地の中央からほど近い位置に、三つの人影が並んでいる。

 渡会と八坂兄妹が墓に向かって黙祷を捧げていた。

 この日のためにそうしたのだろう。普段金髪に近い渡会の髪は黒く染められていた。また、墓参りで着る服は派手でなければ普段着でも全然構わないのだが、今日は三人とも礼服を着ていた。


 墓には八坂家三人の名前が刻まれている。きっと八坂兄妹の父、母、そして姉の名だろう。

 その足下には二種類の花束が備えられていた。片方は白いカーネーション。もう片方は白や薄紫や淡いピンクなど色彩とボリューム豊かな花々。白いカーネーションは亡くなった母に贈るものだと言われている。きっと八坂兄妹が用意したものだろう。


 墓に向かって黙祷を捧げた三人は、一人また一人と静かに目を開けた。

 最後に渡会が目を開けると、彼に向かって早雪が微笑んだ。

「あの。今年もお墓参りに来てくれてありがとうございます」

「今年()?」

「今さらとぼける必要は無い。俺たちの家族が死んだあと、お前は毎年ここに来ていたんだろう?」

 そう言って令司は墓の足下に置かれた色鮮やかな花束に視線を移す。

「お前が持ってきたこの花束と同じものが、去年も一昨年もこの墓に供えてあったからな」

 指摘すると、渡会は苦笑した。

「何だ。覚えてたのかよ……」

「当然だ」

「今にして思えば、渡会さんって私たちの家族の命日が近付くと旅行に出掛けてましたよね。あれって本当は墓参りをするためだったんですね」

「当時のオレにはそれしかできなかったからな。本当は命日に墓参りをしたかったんだが、お前たちに感付かれるのを恐れて敢えて二、三週間くらい日にちをずらしてここに来ていた」

「……」

 少しのあいだ三人は沈黙して墓を見つめる。


「でも渡会さんは私の呪いを解くために自分を犠牲にしてくれました。それ以前からも私たちを沢山気遣ってくれましたよね。私は渡会さんに感謝しています」

 早雪がおもむろに、優しく言った。

 令司が続く。

「俺たちの家族の死はもう過去のことだ。俺と早雪は前を向いて歩くと決めた。だからお前もいつまでも過去の出来事を引きずるな。他ならぬ俺たちがそう言ってるんだからな」

「……」

 渡会は無言で兄妹の顔を交互に見た後、再び墓と見つめ合って口を開く。

「お前たちはオレを許してくれた。でもそれでオレの犯した罪が消えるわけじゃない。オレはこれからも自分の罪を忘れずに生きてくつもりだ」

「……」

「だからお前たち兄妹に対してはこれからも勝手にお節介を焼かせてもらう。少なくともお前たちが一人前の大人になるまではな」

 それは渡会にとって贖罪(しょくざい)の印であると同時に、願望なのかもしれなかった。

「ならば早雪が大人になるまでにお前の寿命を元に戻す方法を見つけてやる。せいぜいその前にくたばらないよう生き延びるんだな」

 渡会から視線を外しながら令司が言う。

 その口ぶりに早雪はちょっとムッとして

「もう。どうしてそういう言い方しか出来ないの?」

 いかにも八坂兄妹らしい会話に、渡会はまた苦笑した。ただしさっきよりもずっと明るい苦笑だった。



 それからさらに数時間後。根の国の最下層にて――


 普段であればこの場所には夜子がいるのだが、今ここに彼女はいなかった。別の階層にいるのかもしれないし現世に出かけているのかもしれない。

 代わりに一人の少女がいた。明るい茶髪と真っ赤な着物姿が目を引く人間の少女……仙道渚だ。

 渚は今、巨大空間の最奥にそびえる台座の横に立ち、ある装置を操っていた。それは台座を動かし、棺の中で眠る黄泉津大神(ヨモツオオカミ)の姿を露わにする、秘密の装置であった。


 渚が手馴れた様子で装置を操っていると、何者かが足音を消して近付いてくる。

 紫色の衣に全身を包んだ不気味な人物、火雷(ほのいかずち)だった。

 火雷は八鬼の中で唯一、台座の秘密と真の黄泉津大神を知っている。

 黒い鳥居の下をくぐって台座の前にやって来た彼(女)は、装置を操る渚の背後で立ち止まる。

「こんなところで何をしている?」

 そして冷たい声で尋ねた。


 特に驚きもせず渚はゆっくりと振り返る。場の雰囲気に似合わず彼女は明るい表情をしていた。

 火雷はフードを脱ぐ。中から現われた中性的な顔は微かに眉を曇らせていた。

「近頃君の様子がおかしいと思って監視していた。これはどういうことか説明してもらおうか。我々の目を盗んで何をしようとしていた?」

「別に目を盗んだつもりはないですよ。監視されてたのは気付いてましたし」

「屁理屈はいい。答えろ。ここで何をしている?」

「……」

「……」

 薄闇の中、二人は無言で見つめ合った。


 やがて渚が口を開く。

「黄泉津大神様を私の配下にするんです。そして私が根の国を裏から操るんですよ。素敵な考えだと思いませんか?」

 彼女は平然とそのような台詞を口にした。

「いま自分が何を言ったか分かっているのか? 黄泉津大神様を侮辱した罪は余りにも重いぞ」

「へえ……。じゃあどうします? 私を始末しますか?」

 渚は明るい笑顔の中にも挑発的な色を浮かべる。

 火雷はどこか怪訝そうに目元を暗くした。

「あれだけ我々に忠実だった君をそこまで変えた原因は何だ? 月雷(つきいかずち)の一件か?」

「もちろんそれが最大の理由ですけど、もう一つの理由は私が強くなったからです」

「強く?」

「現世で毒を受けて生死の境をさまよったとき、私は幾つもの新しい力に目覚めました。かつて光の者が悪魔を天使に変え自分の手駒にした力もその一つです。その力を使って私は黄泉津大神様を支配下に置きます。だから、もう私がアナタたちに従う必要は無いんですよ」

「君が何を言っているのか良く理解できないが……要するに力を得たから我々を裏切るというのか?」

「まあ、有り体に言えばそうです。ついでに言えば私、千里眼も完全に使いこなせるようになったんですよ。今なら誰にも負ける気がしないです」

「思い上がりも甚だしいな。一体どれだけの力を手に入れたか知らないが、君のような者が黄泉津大神様に太刀打ちできると思っているのか?」

「はい、思ってます。だからこうしてたった一人で反乱を起こしたんですから」

「正気ではないな。君は黄泉津大神様の力を侮りすぎだ」

「たしかに黄泉津大神様の力は絶大ですね。本来であれば、たとえ今の私でも敵う相手じゃないと思います。でも、黄泉津大神様が完全復活していない今ならば話は別ですよ」

「君はいま冷静さを欠いている。同じ目的を持つ我々がこの場で潰しあっても何一つ得られるものはないぞ」

「同じ目的?」

「分かっているはずだ。我々には陰人(かげびと)計画という共通の目的がある。億が一にもあり得ない話だが、もし君が根の国を裏から操り私たちを主導したとしても、計画は成功しない。たとえ力を得ても君は計画について知らないことが多すぎるからだ。それを君は失念しているのではないか?」

「……」

「陰人計画が消滅すれば、君は千里眼で永遠に人間の蛮行を見続けることになる。それでもいいのか? 良く考えることだ」

 渚はくすくすと笑い出す。

「何がおかしい?」

「だって、さっき言ったじゃないですか。私は千里眼を完全に使いこなせるようになった、って。今や私は千里眼の力を完璧に制御できる。もうこの力に悩まされる心配も無くなったんですよ」

「なるほど……。そういうことか。だからもう渚にとって陰人計画は不要と言うわけか。つまり、争いや悲しみが無い世界を作りたいという君の願いは偽りだったのだな。君は千里眼の力から逃れられればそれで良かったのだ。結局君も他の人間たちと同じ。たとえ口でどのような綺麗事を並べても、自分さえ良ければそれで良いのだ」

「勘違いして貰ったら困りますよ」

 渚は即座に否定した。 

「たしかに私は千里眼の力から逃れました。でも私は私のやり方で、世界から全ての争いと悲しみを取り除いてみせます。陰人計画は、従来とは全く違う内容で私が引き継ぎます。たとえ成功しないと言われても私が計画を主導します」

 言い終えると同時、渚の体が変質する。髪は薄い銀色に染まり、瞳には黄金の輪が走ってその内側で青い光が明滅した。

 彼女の豹変に驚いたか。火雷が一歩あとずさる。

「人間め……。やはり前回帰還したときに処分しておくべきだったか」

 微かに震える両手から炎が燃え上がった。火雷の心境を具現化したような荒々しい炎だ。

 対照的に渚は涼しげで余裕のある雰囲気を漂わせている。

「やめておいたほうが良いですよ。私と戦えばアナタは命を落とすことになりますから」

「何を言う……」

「完全な千里眼を得た今の私に見えないものはないんです。アナタの思考、アナタの弱点、全て見えてますよ」

「どうせ嘘をつくならば、もう少しマシな嘘をつくのだな」

「アナタがそう言うのも私には読めた。アナタが今、右手から炎を放ち私を攻撃しようとしていることも」

 火雷の右腕がピクリと微動した。

「アナタの秘密と弱点を言いましょう。火雷様の体には急所が一つしか存在しない。しかもそれが常に体内を高速移動しているから普通の攻撃を受けてもまず死なない。そして急所以外の部分に攻撃を受けてもアナタは何も痛みを感じない。だからアナタはあたかも不死身のように見えるんです。でも本当は不死身でも何でもない。移動している急所を正確に射抜けばアナタは死にます」

 火雷の顔が見る間に険しくなる。

 渚は向日葵のような笑顔を咲かせた。

「“どういうことだ? なぜ渚が私の秘密を知っている? まさか本当に渚には私の思考が見えているとでもいうのか?” 今、アナタはそう考えましたよね?」

「やめろ……」

「アナタは動揺している。そして恐怖している。私の力に。もしかすると本当に黄泉津大神様が私の支配下に置かれるかもしれないという可能性に」

「やめろと言っている!」

 火雷は叫んだ。初めて見せた感情の爆発だった。

「月雷がどうなっても良いのか? 私の意向次第でアレの命はどうにでもなるのだぞ」

「ダメですよ。私に嘘は通じません。アナタに夜子様の命を自由にできるほどの裁量は無いんです。それは黄泉津大神が決めることだから」

「渚、これ以上口を開くな」

「渚、これ以上口を開くな」

 渚は火雷と完璧に同じタイミングで同じ台詞を口にした。


 彼女は魔法陣を展開すると中から槍を取り出す。先端が三又になっている長い槍だ。

「どうです? この槍も神の力の一つで……」

 彼女がまだ喋っている途中だった。

 火雷の両手が激しい炎を飛ばす。渚が立っていた場所は一瞬にして紅蓮の波に埋め尽くされた。

 だがもうそこに渚はいない。

 火雷の眼球が上を向く。

 渚は身軽に宙を舞っていた。火雷めがけて踊りかかった彼女の手から槍が伸びる。

 三又の穂先が火雷の肩口に向かった。今、そこに火雷の急所は存在しないのだろう。証拠に火雷は回避も防御しなかった。たとえ肩を貫かれても急所さえ守れば火雷にとっては痛くも痒くもないのだ。

 

 おそらく火雷は、敢えて攻撃を受けて反撃しようと考えたのだろう。

 ただ、その狙いはきっと渚に読まれていた。

 渚が突き出した槍の穂先は、光が窓ガラスを透過するように火雷の衣類と体の皮膚をすり抜け、静かに体内へと侵入した。そしてある場所を突き刺す。

 そこが火雷の急所らしかった。大量の鮮血が口から溢れて端正な唇と下顎を真っ赤に染める。


 火雷は床に膝を着いた。驚愕に目が見開かれている。「急所への攻撃は避けたはずなのに何故?」という顔をしていた。

「この槍、相手に命中すれば穂先が伸びて百発百中で急所を貫いてくれる優れモノなんです。折角説明してあげようと思ったのに、火雷様が途中で攻撃してくるからいけないんですよ」

 そう言って渚は火雷の体から槍を引き抜く。槍は勝手に忽然と消えた。


 火雷の全身から青い炎が上がる。炎に包まれた体は溶けて泥のようになった。

 渚は乾いた目で液状の死体を見つめる。

「できればもう、誰かの命を奪うのはこれで最後にしたいな。残念ながら無理だろうけど……」

 彼女は下唇をきゅっと噛んだ後、再び台座に向かって装置を動かし始めた。


 これから渚は、台座の下に眠る黄泉津大神を、自分の手駒に変えようとしている。

 果たしてそれは成功するのか、それとも……

「相馬君。それに伊佐木さん。次、会ったときは二人とも敵になるのかな。と言っても相馬君がまだ生きていればの話だけど」

 渚は少し寂しげな微笑を浮かべた。


 その後、仙道渚の行方を知る者はいない。影から根の国を治めているという説もあれば、死亡したという説もある。全ては憶測の域を出なかった。




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