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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
新創世記編
351/359

集結



 樹流徒の体が癒えてゆく。致命傷にも見えた深い傷が、皮膚や衣類に染み付いた血痕と共にすっかり消えてしまった。

 虹色の光が彼の傷を癒したのか。

 しかも驚くべき事に、樹流徒から放たれた幻想的な光は、彼本人だけでなく、他の者たちに対しても別の不思議な効果をもたらしていた。


「これは……相馬の記憶か?」

 令司が額を押さえながら呟く。

「え。令司にも見えたの?」

 早雪が言うと、ガルダが続いた。

「私にも見えた。キルトから放たれた光に触れた瞬間、彼の記憶が私の頭に流れ込んできた」

「おそらくこれは魔界と現世が繋がってから今までのキルトの記憶だろう」

 とアスタロト。

「それだけじゃねェ。当時のキルトの思考まで頭の中に入ってきやがった」

 ベリアルは苦い薬をあおったような顔をしている。

 どうやらこの場にいる皆に、樹流徒のこれまでの旅の記憶と、旅の中で樹流徒が感じた思いが伝わったらしい。超能力のテレパシーに近い能力が発動したのかもしれない。


 能力の範囲は狭い範囲に留まらなかった。虹色の光がもたらした不思議な効果は、遠く離れた者たちにも伝播(でんぱ)する。

 その証拠とも言える光景が、やがて樹流徒たちの前に現れた。


「誰か来るぞ」

 アスモデウスが上空を仰ぐ。

 彼の視線の先に複数の影が浮かんでいた。いずれも六枚の翼を持つ有翼人である。

「あれはミカエルか」

「メタトロンもいるぞ」

 アスタロトとサルガタナスがやや表情を固くする。

 彼らの言う通り、空の彼方から現われたのは天使の集団だった。ミカエル、ウリエル、ガブリエル、メタトロン、そしてサンダルフォン。聖界の大物ばかりが集まっている。

 天使たちは樹流徒の前に降り立った。

 一斉に身構える悪魔たち。

 いきなり現われた上級天使の集団を前に八坂兄妹は多少動揺した様子だった。令司は全身を硬くし、彼の背中に早雪は体半分を隠した。


「よう天使ども。揃いも揃ってこんな場所に何の用だ?」

 ベリアルが殺気立つ。

 鋭い彼の視線をミカエルは冷静に受け流した。

「汝に用があって来たのではない。我々はキルトに会いに来たのだ」

「ほう。それは一体どういう思惑で?」

「思惑とは随分な言い草だな。我々は初めからキルトに会うつもりで現世に来たのではない」

 ウリエルは少し不愉快そうだ。

「じゃあどうして現世に来た? どうしてここに現われた?」

「実は先ほど大勢の天使が無断で聖界から飛び立ったのです。不審に思った私たちは事実を調査するため彼らの後を追って現世に来ました」

 ガブリエルが説明する。聖界から飛び立った大勢の天使というのは、きっとレミエルに洗脳された天使たちだ。彼らは今頃サマエルの元に集まっているのだろう。

「そして現世に到着して間もなく、私たちは突如現れた虹色の光に触れたのです。私たちの脳内に、キルトの過去の記憶と思考が流れ込んできました」

「俺の記憶と思考が……」

「そう。魔都生誕と呼ばれる現象から今まで、汝がどのような道を辿ってきたか、どのような思いで戦ってきたか、我々は全てを知った」

 メタトロンが言う。その口調は以前よりも心なしか優しい。樹流徒に向ける眼差しも聖魔戦争直後に比べてずっと穏やかだった。

「ではオマエたち天使も、我々と同じ体験をしたのだな?」

 ガルダが問いただすと

「天使と言っても、たぶん我々だけだ」

 ウリエルが答えた。彼によると、他の天使たちは虹色の光に触れても何も起きなかったという。全ての者が樹流徒の記憶と思いを受け取ったわけではないらしい。もしかすると虹色の光に触れることができたのは、樹流徒を知っている者だけだったのかもしれない。


「しかし何にしても不思議な体験だった」

 サンダルフォンは虹色の光に包まれた樹流徒を見つめる。

「あの光は主の御力だ。サマエルの野望を阻止するため皆が協力しなければいけない、というキルトの強い思いが、彼の内に秘められた主の御力の一部を覚醒させたのだろう」

 ミカエルは確信めいた調子で言った。

「くだらねェ。何が強い思いだ。そんなものオレには関係ねェ」

 ベリアルは吐き捨てるように言葉を返す。憎き天使が、現聖界のトップたちが、目の前にいるのだ。彼らに対する殺意や闘争心を抑えきれないのだろう。

「おい、ミカエルとその他天使ども。今すぐ戦争の続きをしようぜ。オレはあの戦いの結果に納得したワケじゃねェんだ」

 ベリアルの全身が黒い炎を噴き出す。

 ミカエルたちは誰一人動じなかった。

「今は我々が争っている場合ではない。汝もアレを見たはずだ」

 半ばたしなめるようにメタトロンが言う。

 アレとは無論、樹流徒の記憶だ。より厳密に言えば樹流徒の中にあるサマエルの記憶だ。

 それを受け取ったことでミカエルたちは気付いたのだろう。サマエルという脅威が目前に迫っているのに天使と悪魔がいがみ合っている場合ではない、と。

「これ以上我々が衝突すれば、それこそサマエルの思う壺だとは思わんか?」

「たしかにそうだな」

 ウリエルの言葉にガルダが理解を示した。


 天使たちに交戦の意思は欠片も無い。そうと分かるとベリアルは苛立たしげに虚空を蹴り上げた。戦意無き者と戦っても彼の心は満たされない。行き場を失った怒りによって彼の赤い全身は今にも爆発しそうだった。

 そんなベリアルをアスタロトが諭す。

「サマエルは我々悪魔を利用した。聖界の戦力を削るためにベルゼブブをそそのかし魔界に戦争を起こさせたのだ。いま我々が敵と見なすべきは天使ではなくサマエルではないのか?」

「うるせェな……」

 ベリアルは不機嫌そうに顔を背けたが反論はしなかった。

「たとえサマエルの正体が闇の者であり悪魔の創造主だったとしても、我々を騙し利用する資格など無いはずだ」

 アスモデウスが熱弁をふるう。

「おそらく闇の者は我々の命など何とも思っていないだろう。私欲のために我々と天使の間に戦争を起こさせたくらいだからな」

 サルガタナスは憤慨していた。

 樹流徒の記憶を共有したことでサマエルの脅威を正確に把握できたのは、悪魔たちも同じだった。先ほどまで天使との協力に消極的あるいは否定的だった彼らが心境の変化を起こしている。


「どうやら我々は小事にこだわって危うく大事を見失うところだったようだ。もはや戦争を引きずっている場合ではない。ここは天使と手を組んで共通の敵を止めなければいけないのだ」

 ガルダが言うと、サンダルフォンが賛同する。

「その通りだ。互いに不本意ではあるだろうが、今は共に戦おう」

「アナタが力を貸して下さればとても頼もしいのですが……。どうですか? ベリアル」

「クソ。仕方ねェな……」

 ガブリエルが下手に出たのでベリアルも渋々承知した。これ以上わがままを言って周りを混乱させるほど彼も分別がつかない悪魔ではなかった。


 樹流徒の胸に温かいものが広がる。わずか数名とはいえ、天使と悪魔が手を組んでくれた。小さな希望が見えた気がした。


「さて。話がまとまったのは良いが、これからどうする?」

 早速アスタロトが他の悪魔に意見を求める。打倒サマエルに向けて次に取るべき行動を決めなければいけない。

「手分けして戦力をかき集めるか」

「いや。まずはサマエルを探して奴の動向を探るべきだ」

「ルシファーに現状を報告するのが最優先だろう」

「私も同意見だ」

「言われてみればそうかもしれん」

「決まりだな。ではすぐにあの方を探しに行くか」

 慌ただしくそのようなことを論じ合っていると、一人興味無さそうに皆の会話を聞いていたベリアルが頭上を仰いだ。

「おい。どうやらルシファーを探しに行く必要は無さそうだぞ」

 向こうから来てくれた、と彼は空の一点を見つめ続ける。


 皆の瞳がベリアルの視線を追うと、頃合を計ったように光り輝く十二枚の翼が天空から舞い降りてきた。一目見ただけでルシファーだと分かった。


 魔界の王は静かに地上へ降り立つ。彼が偶然この場を通りかかったとは考え難かった。もしかすると天使たちと同じように、ルシファーも虹色の光に導かれてここへやって来たのかもしれない。

「もしやアナタもキルトの記憶をご覧になったのか?」

 アスモデウスが真っ先にそれを尋ねると。

「では、汝らもそうなのだな」

 ルシファーは肯定と受け取れる返事をした。やはり彼もミカエルたちと同様、虹色の光に触れてこの場に現われたのだ。

「随分と早い再会になってしまったな」

 ルシファーの合流にミカエルは幾分嬉しそうだった。

 それはルシファーも同じだ。

「次に会うのは聖界の情勢が安定した後だと思っていた」

 彼は微笑する。

 聖界と魔界の間に大きな禍根を残したであろう聖魔戦争。それは一方で両世界の代表者であるミカエルとルシファーの関係を良い方向へと近付けたようだ。一種の皮肉ではあるが、悲劇の中から生まれた救いとも言える。


 ミカエルと微笑み合った後、ルシファーは真剣な表情に変わって樹流徒に向き直る。

「キルトよ。汝のお陰で私は真実を知った。サマエルの正体が闇の者だったこと。彼が一連の出来事の元凶だったこと。我々は皆、彼の掌で踊らされていたのだな……」

「……」

「しかしこれ以上サマエルの思い通りにはさせない。彼の暴挙を食い止めるために私も力を貸そう」

 ミカエルたちに続きルシファーも仲間に加わってくれた。

 頼もしい味方が増えて樹流徒の胸に広がった温もりは次第に熱くなってきた。


 “不幸は単独では来ない”という外国の諺がある。

 きっと逆もあるに違いない。

 希望はさらなる希望を呼び込む。

「この調子だと他にも光に触れた者がいるかもしれないな」

 サルガタナスが前向きな憶測を述べると、ルシファーが道の先を指差した。

「その者たちならば、すぐそこまで来ている」

 彼が指し示す方角から、四つの人影がこちらに向かって走って来るところだった。

「アレは、ニンゲンか?」

 アスタロトが独り言を呟く。

「来たか……」

 令司の目の奥が輝いた。薄く開いた口から安堵したような吐息が漏れる。


 道の先から走って来たのは砂原、ベル、仁万といった組織の面々だった。先ほどベルを呼びにいった渡会の姿もある。

 早雪の表情がぱっと明るくなった。

 樹流徒の眉も明るくなる。これでメンバー全員の安否を直接自分の目で確認できた。喜びと安心、そして多少の懐かしさも相まって心が軽くなった。


 組織の者たちは脇目も振らず樹流徒の元まで駆けてきた。

「久しぶりだな、相馬君」

 野性的な顔立ちの砂原が白い歯を覗かせて笑う。

「さっきオマエの記憶が俺たちの中に流れ込んできたんだ」

 と渡会。樹流徒が放った虹色の光は彼らにも届いていた。

「まさかあの南方が全ての黒幕だったとはな……未だに信じられん」

 笑顔をすぐに消して砂原は神妙な面持ちで腕組みをする。

 その横を通り過ぎて、ハードパーマの女ベルが前に出た。

「よう相馬。アンタと会うのはこれで二度目だな。何だか妙な気分だよ」

 彼女は長い間リリスに体を乗っ取られていた。そのため、こうしてベル本人が樹流徒と会うのは初対面の時以来である。

 またベルはリリスに操られていた当時の自分を樹流徒の記憶の中に見たに違いない。妙な気分がするのは当然だった。

「それにしても南方のヤツ、ずっと私たちを騙してたんだな。ふざけやがって」

 ベルはどこかから調達してきた特殊警棒を腰のホルスターから取り出して何度も素振りする。

 組織のメンバーは樹流徒よりも南方との付き合いが長い。色々と思うところはあるだろう。


 ただ中には南方どろこではなくなっている者もいる。

 眼鏡をかけた知的な顔立ちの男、仁万がそうだった。彼はいま激しく震えていた。歓喜の震えか、畏れか、それとも感動か。ミカエルやメタトロンといった天使の代表格がすぐ目の前にいるのだ。誰よりも組織と天使への愛が深い仁万が興奮状態に陥るのは無理もなかった。


 今にも卒倒しそうな仁万を通り過ぎて、今度は八坂兄妹と渡会が樹流徒のすぐ傍に立つ。

「相馬。少し遅れてしまったがオマエに礼を言わせてくれ」

 令司の口調に以前のような刺々しさは無かった。

「お前が魔界でアムリタを入手してくれたお陰で早雪は元気なった。俺は長い悪夢からようやく抜け出せたような気がする」

「……」 

「ありがとう」

 令司のほうから握手を求めてくる。

 樹流徒はそれに応じた。

「相馬さん。ありがとうございました」

 早雪は行儀良くお辞儀をする。

「良かったな」

 樹流徒は笑顔を返した。

「俺からも礼を言わせてくれ。お前のおかげで俺はやっと自分の過去を令司と早雪に伝えられた。本当に感謝してる」

 ありがとうと言って、渡会も樹流徒と握手を交わした。

 その光景を見て早雪は最初嬉しそうな顔をしたが、ふと真剣な目になる。

 彼女の変化に気付いた樹流徒がどうしたのか尋ねると、早雪は少し迷ったあと答えた。

「実は、渡会さんが私の呪いを解くために儀式で自分の寿命を半分失ってしまったんです」

「寿命を?」

「はい。だから私も令司も、渡会さんの寿命を元に戻す方法を探すつもりです」

「俺は探すなんて約束してない。それはあくまで気が向いたらの話だ」

 そっけなく令司が言うと、渡会は微苦笑する。

「こんなこと言ってますけど、令司はもう渡会さんを助ける気十分ですから」

 早雪の言葉に、令司はどこかむず痒そうな顔をした。

 これ以上自分の話には触れて欲しくないのか、渡会が話題を変える。

「それより令司たちがアムリタを持ってきたときは驚いたぜ」

「驚いたのは俺も同じだ。まさか現世に来た悪魔がアムリタを所持しているとは思わなかったからな」

 話を逸らしたかったのは令司も同じだったのだろう。彼は渡会の話に飛びつく。

「そういえばあの悪魔さんたち、今頃どうしてるかな……」

 と早雪。


 そのとき、空から「おーい」と明るい声が聞こえた。

 噂をすれば何とやらである。

 声が降ってきた方を見れば、そこにはカラス頭のアンドラスと、五芒星の姿を持つデカラビアがいた。

 丁度良いタイミングで現われた二体の悪魔は、樹流徒たちの前に降り立つ。

「ようキルト。報告が遅くなったけど約束通りアムリタは届けたぜ」

 アンドラスが親指を立てる。彼は反対の手に一振りの刀を握り締めていた。以前まで仙道渚が所持していた刀だ。

「ありがとうアンドラス。それとデカラビアも」

 樹流徒はアムリタを無事届けてくれた二人に礼を言う。同時に彼らが無傷で聖魔戦争を生き延びてくれたことと、彼らがこの場に駆けつけてくれたことを喜んだ。

「実は先ほど不思議な光に触れてキルトの記憶を見たのです。今回ばかりはニンゲン風情という生き物をちょっとだけ見直しましたよ」

 デカラビアはいつに無く好意的な目で樹流徒を見上げている。


 ミカエルたちが現われ、続いてルシファーが、組織のメンバーが、そしてアンドラスとデカラビアが合流した。虹色の光が広がってからまだ少しの時間しか経っていないのに、気付けば樹流徒の周りには二十名近くの仲間たちがいる。

 人間、天使、悪魔……。種族の垣根を越えて、これまでに樹流徒が出会った者たちが集結しようとしていた。運命が唸りを上げている。絶望一色に染まっていた未来が大きく変わろうとしていた。


「間もなくラファエルが聖界に残された戦力を連れてこちらに合流する。戦力と言っても全ての天使を集めるのは不可能だし、戦争で傷付いた兵たちがどれだけ本来の力を発揮できるが不安ではある。が、それでも我々は死力を尽くして真の敵に挑もう」

 ミカエルが決意を述べる。

「魔界の戦力も可能な限り動員する。すでに伝令の悪魔や使い魔を放って上級悪魔に招集をかけてある。彼らは配下を引き連れてこの場に駆けつけるはずだ。無論、今回の呼びかけに応じない者も少なからずいるだろうが、彼らを責めることはできない」

 ルシファーもサマエルとの戦いに備えて出来る限りの支援をしてくれようとしている。


 聖界と魔界のトップである二人の協力をもってしても、全ての天使と悪魔がこの場に集まってくれるわけではないようだ。虹色の光に触れなかった者たちはサマエルの脅威を正確に把握できない。彼らが天使と悪魔の共闘を拒むのは仕方がなかった。また光に触れたにもかかわらず参戦を拒否する者もいるだろう。

 それでも樹流徒は構わなかった。むしろ参戦を拒否する者がいて安心した。皆が個々の意思で戦うか否かを決めるからこそ意味があると思ったからだ。神の力によって天使と悪魔の心を無理矢理一つにまとめても、それは天使を洗脳したサマエルのやり方と大差ない。有志のみが集まって協力し合うことが重要だった。


 そして時間が経つにつれ、樹流徒が予想していた以上に多くの天使と悪魔が集まった。

 ラファエルが数え切れないほど大勢の天使と共にやって来た。

 ルシファーの呼びかけに応じて何名もの上級悪魔が配下を引き連れて参戦した。

 そして樹流徒がかつて出会った悪魔たちも続々と集まってくる。

 少年の悪魔マルティム。憤怒地獄で出会ったアライグマの悪魔グシオン。海上都市ムウの町長カイム。降世祭で戦った巨人の悪魔ラーヴァナ。妖精族の王オベロンと女王ティターニア。そしてバルバトスもいる。

「本音を言えばもうオマエとは会えない予感がしていた。よくぞ今まで生き延びたな」

 そう言って樹流徒に微笑みかけたバルバトスは片目を失っていた。聖魔戦争の最中、天使の剣に顔を斬られたのだという。出血は止まっているが彼の瞳を縦断する傷跡は鮮明に残っていた。治癒能力を有する悪魔に依頼すればその傷跡も完全に消せるが、バルバトスはそうしないのだという。戦争を忘れないためだろうか。敢えて傷を残しておく理由を彼は言わなかったし、樹流徒も聞こうとはしなかった。そんなことよりも樹流徒は単純にバルバトスが生き残っていたことが嬉しかった。


 その後も味方は次々と増えていった。人数の増加に比例して樹流徒の心には希望が満ちてゆく。皆で力を合わせればきっとサマエルを止められる。そう確信した。

「ありがとう、皆……」

 我知らず口から感謝の言葉が漏れる。


 するとそこへ猿人の姿を持つ悪魔グザファンが近付いてきた。グザファンは憤怒地獄にある鍛冶の町で樹流徒に指輪を売りつけた悪魔である。

 彼はキキッと独特な甲高い笑い声を発してから、樹流徒に一つ提案をした。

「よう旦那。礼を言うのも結構だが、皆の士気を鼓舞するために一つ演説でも打ってくれよ」

「演説? 俺が?」

「そうだよ。激励でも決意表明でもジョークでも、何でもいいからさ。クケケッ」

 唐突な提案に樹流徒は若干戸惑う。

 それは冷やかしにも近いグザファンの思い付きだったのかもしれないが

「良い考えかもしれませんね」

 ガブリエルが同意する。

「こうして私たちをまとめて下さったのはキルトです。先の戦で疲れた皆の心を癒し士気を高めることができるのは、アナタの言葉しかありませんよ」

 そう言って彼女は樹流徒の言葉を求める。

 気がつけば、人数が増えて騒がしくなっていた空間が急に静まり返っていた。皆の視線が樹流徒に集まっている。皆が樹流徒の言葉に耳を傾けようとしていた。


 僅かな逡巡のあと、樹流徒はグザファンとガブリエルに頷いた。自分でも意外なほどあっさりと首が縦に揺れた。もしかすると樹流徒自身、心の奥底では、この場に集まってくれた皆に直接言葉で何かを伝えたいと思っていたのかもしれない。


 樹流徒は表情を引き締め、口を開く。

「聞いてくれ皆」

 気の利いた台詞なんて一つも思い浮かばなかった。支離滅裂で拙い言葉しか出てこない。だけど精一杯心を込めて彼は言った。

「俺は人間だ。どれだけ背伸びをしても自分一人の力では世界の運命を変えることなんてできない無力な人間だ。今まで多くの人に救われてきたし、これからもきっと皆の助けを必要としながら生きてゆく。それは俺だけじゃない。人間も、悪魔も、天使も、きっと誰もが一人では生きていけないはずだ。だからこそ俺たちは一人一人違う生き物として存在する価値があると思う。違うからこそ助け合う事ができるんだ。残念ながら俺たちはその違いから、時に憎しみ合い、傷付け合い、命を奪い合うこともある。そのせいで時には世界が歪んで見えることもある。でも俺はこの世界が好きだ。一人の神に感情やルールを全て支配される世界より、自分が自分でいられる、皆が皆でいられる今の自由な世界が好きだ。ずっと続いて欲しいと思っている。だから個人の力で世の全てを支配しようとする闇の者を止めたい。自分以外の命は全て等しく無価値だと考えるような者が神になるのを阻止したい。そのために皆の力を貸してくれ。俺たちがこれからも俺たちであるために、一人一人の手で自分たちの未来を掴み取るために。皆の命を貸してくれ」

 樹流徒の力強い言葉に、ある者は無言頷き、ある者は「おう」と声を返し、ある者は雄たけびと共に手を突き上げた。その不揃いな反応は間もなく一体化し、温かな喝采となって樹流徒を包んだ。


「なかなか良い演説だったぜ、旦那。ケケケッ」

 それだけ言い残してグザファンは仲間の元に駆けて行く。

「アナタの真剣な思いが伝わってきました。理屈だけの言葉なら私の魂はここまで揺さぶられなかったでしょう。きっと私以外にも心を打たれた者たちが大勢いるはずです」

 優しく微笑してガブリエルもミカエルたちの元まで下がった。


 入れ替わるように一人の老騎士が樹流徒の隣に立つ。それは以前樹流徒にイカサマゲームを仕掛けてきた悪魔フルカスだった。

 フルカスはホ、ホ、と穏やかに笑い、立派な白髭を指で撫でた後、樹流徒に囁く。

「やはりおぬしには我々悪魔を惹きつける不思議な魅力がある。悪魔だけではなく天使をも惹きつける魅力だ。それは光の者の力ではなく、おぬし自身が生来持っているモノなのだ。自信を持つが良い」

「俺自身の力……」

 人間と天使と悪魔による連合軍の士気は、急造チームとは思えないほど高まっていた。

 異種族同士の共同戦線に、皆まんざらでもなさそうな顔をしている。

 神の力は皆を結びつけるきっかけに過ぎなかった。今の状況を作り出したのは紛れも無く樹流徒の過去の行動であり、彼の心だった。

「ありがとう……。皆、本当にありがとう」

 自分の耳にも届かないくらい小さな声で樹流徒は呟く。


 このとき彼は全身の感覚で理解していた。

 自分の体がもうそんなに長く持たないことを。

 神の力の反動か。サマエルから受けた傷の影響か。あるいはサマエルに神の力を奪われた事が関係しているのか。奇跡の光に包まれた肉体は確実に崩壊へと向かっていた。

 それが不思議と恐くなかった。逆に樹流徒はいま穏やかな心地に包まれていた。




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