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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖界編
344/359

さよならの代わりに



 第六天――


 この世界は地表の大半がもやで白く染まっている。

 だがその中に一ヶ所だけ、緑の広い丘があった。周囲の地形と比べて標高が高いわけでもなければ、もやを遮るような物が置かれているわけでもないのに、何故かその丘だけは年中緑に染まっているのだという。

 その場所をガブリエルから教えてもらった樹流徒と詩織は、そこを話し合いの場所に決めた。


 周りには誰もいない。緑一色の大地に二人並んで腰を下ろした。

 空には青空と白い雲と白銀の太陽が浮かんでいる。

「綺麗なところね」

「そうだな。内乱や戦争の影響を全く受けてない、今の聖界にとっては貴重な場所だ」

「本来、第六天はごく限られた者しか立ち入れないらしいけれど、戦争で心が疲弊した天使たちのために憩いの空間として一時的に解放されるかもしれないわね。ミカエルとメタトロンがそんな話をしていたから……」

 優しい風が吹いて詩織の長い黒髪を揺らした。


 その後も二人は少しのあいだ取りとめもない話をしていたが、元々口数の少ない両者だからそれほど長続きせず、話は本題に入っていった。


 第七天からこの場所まで移動してくる最中、樹流徒はずっと詩織に伝えるべき言葉を考えていた。そして、こう言おうと結論を出した。

 “伊佐木さん。君は現世に戻ってくれ。”

 詩織には現世へ戻ってもらい、樹流徒が一人で聖界に残るつもりだった。黒幕容疑者の天使サマエルを探さすため一時的に現世へ戻る許可を貰わなければいけないが、全てに決着が付いたら聖界に戻ってくるつもりだったのである。


 しかし、その決意を樹流徒が口にするよりも一足早く、詩織が言う。

「私が聖界に残るわ」

 自分が言おうとしていたことを先に言われて、樹流徒は一瞬言葉を失った。


 彼はすぐ我に返って

「どうして? 現世に戻りたくないのか?」

「もちろん、戻りたい気持ちはあるわ。無事だった現世の様子をこの目で見たいし、組織の人たちにも会いたい。できれば友達のサキュバスにも……」

「だったらなぜ……」

「必要とされることが嬉しかったのと、必要とされるように頑張りたいと思ったから」

「え」

 不可解な答えに樹流徒は思わず聞き返す。今、彼女が言った言葉の真意が上手く汲み取れなかった。

 詩織は少し遠くの空を見た。

「相馬君、私が残したメッセージ見てくれたのよね。あのメッセージに書いてあった通り、私は昔から家族と呼べる人も友達もいなくて、誰からも必要とされない人間だった」

「……」

「でも、この世界は私を必要としてくれている。たとえそれがただの監視目的だっとしても。本当に必要とされているのは私自身じゃなくて、私に宿っている神の力だったとしても。ミカエルたちが私を必要としてくれることが嬉しかった」

「……」

 樹流徒は少し眉を曇らせる。昔の詩織はともかく、今の彼女には彼女を必要としている仲間や友達がいる。それは神との戦闘中に樹流徒が詩織へ訴えたことだし、彼女もそれを聞いていたはずだ。なのに、なぜ。

 詩織は少し困ったように微笑した。

「お願い、そんな顔しないで。神と戦っている最中アナタが私に言ってくれた言葉はちゃんと聞いていたし、今は自分を孤独で寂しい人間なんて思ってないわ」

「……」

「それに魔都生誕から今まで色々と経験したおかげで、私、少しは変われた気がするの。だからこそ、この世界に一人で残って頑張ってみたいって思えたのよ」

「……」

「今はまだこの世界に私自身は必要とされていないのかもしれない。でも、いつか必要とされるように頑張る。この世界で、聖界で、そうできるように努力してみたい。本気でそう思ったの」

「……」

「だから相馬君……アナタは現世に戻って」

 彼女の前向きで強い決意を感じて、樹流徒は頷くしかなかった。ここまで言っている彼女を現世に連れ帰るのは、むしろ悪いことのようにさえ思われた。


「本当に伊佐木さんは変わったな。以前より明るくなった気がする」

「ありがとう。もし本当に少しでも変われたのだとしたら、それは私自身の経験だけじゃなくて、きっと他の人の影響もあったと思う。特に……」

 詩織は横目でちらと、樹流徒の顔を見る。

「特に?」

 樹流徒が見返すと

「いえ、なんでもないわ」

 少女は小さく首を振って前を向いて、続きの言葉を喉の奥にしまい込んだ。


 二人の前を(つがい)の蝶が通り過ぎてゆく。小さくて可愛らしい黄色の蝶だ。

「伊佐木さん」

「なに?」

「もし、万が一の話だけど」

「うん」

「もし、この世界で誰も君を必要としなかったら、その時は俺もここに来るよ」

「……」

「そして俺が君を必要とする」

 詩織は少し意外そうな顔で数秒のあいだ樹流徒と見つめ合った。

 そのあと彼女は前を向いて無言で頷いた。長い髪に隠れて彼女どのような顔をしていたのか樹流徒には見えなかった。



 二人が第七天に戻り、詩織が聖界に残るという決定がミカエルに伝えられると、問題なく受諾された。

 そして二人はミカエルに感謝された。

「シオリは定期的に現世へ帰すようにする。また彼女が聖界にいるあいだは最大限、彼女の身の安全と自由を守ろう」

 その場にいた天使全員がそれを約束してくれた。


 ルシファーはすでに魔界へ向けて出発したあとだった。樹流徒と詩織が第六天へ向かうと、後を追うように聖界を去って行ったという。

「汝のお陰で光の者の復活は止められた。感謝する」

 ルシファーが樹流徒宛てに残したメッセージを、ウリエルが伝えてくれた。そのメッセージがウリエル自身の言葉であるようにも聞こえたのは、多分樹流徒だけではないだろう。


 また、神の復活の失敗に落胆していたメタトロンとサンダルフォンだが、二人は早くも前向きになりつつあるようだ。

「主は我々の存在意義そのものだった。だが、あの方はもうおられない。だから我々はこれから探さなければならないのだ。自分が何者なのかを。これから何のために生きてゆくのかを」

 メタトロンがそう言っていた。


 そして、樹流徒が現世に帰る時がきた。

 詩織とは第六天で別れることになった。二人に気を遣ってか、天使たちはついてこなかった。

「それじゃあ、俺は行くよ」

「ええ。現世に戻ったら組織の人たちによろしく。あとサキュバスにも」

「分かった。必ず君の無事を伝えておく」

 それだけ言葉を交わして、樹流徒は踵を返し、台座に向かって歩き出す。


「相馬君。さようなら……」

 詩織は微笑を浮かべた。

 彼女の声が聞こえて、樹流徒はふと足を止めた。

 彼は振り返り、やや足早に詩織の前まで歩く。どうしても彼女に言いたい事があった。


「伊佐木さん。これは俺のわがままだけど、今度はさようなら以外の言葉が聞きたい」

「え」

 一体何の話か分からなかったのだろう。詩織は目をパチパチさせる。

「君は覚えてないかもしれないけど、学校の図書室で別れたときも、龍城寺タワーで別れた時も、君は俺に向かって“さようなら”と言ったんだ。だけど今回はもっと違う言葉が聞きたい」

「……」

「……」

 二人は無言で見つめ合った。心なしか詩織は緊張しているように見えたが、樹流徒の気のせいかもしれない。いや、多分気のせいなのだろう。


「そうね。それじゃあ……」

 詩織は考え込む仕草を見せ

「いつかまた会いましょう、相馬君」

 表情を変える。それは彼女が今まで一度も見せたことが無かった、屈託の無い笑顔だった。


「ああ! また会おう」

 樹流徒も普段は決して見せない最高の笑顔で、詩織と約束の握手を交わす。

 一瞬だけ詩織の笑顔に見とれてしまったのは、樹流徒だけの秘密だった。




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