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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖界編
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悲しみの一撃



 樹流徒とラファエルによる協力攻撃は、無敵を誇る神の肉体を前に虚しい結果に終わった。神が神たる所以(ゆえん)をまざまざと見せ付けられる格好となった。


 その後も樹流徒は懸命に戦い続けた。毒による攻撃、石化攻撃、電撃、冷気、今まで未使用だった能力。ありとあらゆる能力を試した。知恵と勇気を振り絞り、精神力と集中力を削って、己が持てる力を総動員した。ラファエルも同じだっただろう。二人とも死に物狂いで攻め続けた。考え得る限りの手段を講じて、詩織を救出し宇宙創造を阻止しようと挑み続けた。


 しかし貴重な残り時間を無駄にしただけだった。神の守りは恐ろしく堅い。その守りを突破するだけでも容易ではないのに、尋常ではない再生能力を発揮され、すぐに傷を治されてしまう。はっきり言ってお手上げだった。樹流徒は絶望もせず諦めもしなかったが、現実としてもう打つ手がなかった。


 ウリエル、ガブリエルという戦力的に心強い二人の味方は合流が遅れている。ウリエルはまだサンダルフォンと交戦中。樹流徒は知らないがガブリエルもメタトロンと互角の勝負を繰り広げている最中だ。彼らが援護に加わってくれる展開は望めそうにもない。


 戦場の中に佇むミカエルはずっと拳を強く握り締めていた。樹流徒とラファエルの作戦が失敗に終わるたびに残念そうな、一方では神が死なず安堵したような、極めて複雑な表情を覗かせていた。またそれとは別に悔しそうな顔もしていた。おそらくその場にいながら何もできない自分が悔しいのだろう。しかし彼が神を攻撃することはついになかった。


 何一つ進展が無いまま時だけが過ぎ、遂に、恐れていた瞬間が訪れる。


 もう何度目になるか分からない同時攻撃を試みようとしたときだった。樹流徒とラファエルは攻撃を中断して棒立ちになる。

 神の背後で二十三枚の翼が輝いた。それは樹流徒とラファエルが事前に交わした約束のときであった。

「残念ながら時間切れだ。次の翼が光れば宇宙創造が始まってしまう。もう最後の手段に出るしかない」

 ラファエルは心の底から無念そうに眉根を寄せる。


 樹流徒は頭の中が真っ白になりそうだった。それほどに受け入れがたい現実だった。

 目を閉じて、頭を素早く左右に振り、何とか正気を保つ。神を見上げながらぐっと奥歯を強く噛んだ。

 これから自分が何をしなければいけないのかは分かっていた。もうすでに決心したことだし、先ほどラファエルに対して決意は伝えてある。

 この手で、詩織の命を奪うしかない。神の肉体は高速再生するが、詩織の体はどうか分からない。つまり彼女に対しては攻撃が効くかもしれない。そして詩織は神の動力源になっている。彼女の命を奪えば神を機能停止させられるはずだ。他の方法で宇宙創造を止めるのは現状不可能だった。試せることはすでに全て試し終えた後である。


 選択の余地は無かった。もう迷っている時間すらも残されていない。戸惑っている内に全てが終わってしまうのだから。現世も、魔界も、聖界も滅びてしまう。


 樹流徒は無言で詩織の顔を仰いだ。安らかな永眠に就いたかの如く穏やかな表情をしているが、彼女はまだ生きている。

 これから命を奪わなければいけない彼女に対して何と言えば良いのか。樹流徒には分からなかった。「すまない」「皆の命を救うために仕方がない」「恨んでくれても構わない」どんな言葉もこれから自分がすることを正当化するための言い訳に聞こえた。だから樹流徒は何も言わない。言えなかった。


「キルト……もし君に躊躇(ためら)いがあるならば、私が代わろう」

 ラファエルがそう申し出る。

 樹流徒は拒否した。詩織を殺す罪をラファエルに押し付けるつもりはない。彼女が誰かの手によって殺されるところを見たくないという理由もあった。詩織の命を奪うならばせめて自分の手で。その決意は揺らがなかった。

「神の防御を破るのに協力して欲しい。そして俺が彼女を……」

 それ以上は言葉に出来なかった。でもラファエルには十分伝わった。

「すまない。君には辛い思いをさせる」

 そう言ってラファエルはやや伏し目がちになった。


 樹流徒の体に濃い赤の光が走り、手の先に漆黒の球体を作り出す。

 ラファエルは虚空に光と雷の螺旋を描いた。二つの螺旋が重なって一つの巨大な渦となる。

 最後の攻撃の準備が整った。


 十二の目玉と異形の手から火柱や(ひょう)が次々と降ってくる。それらをかいくぐって、樹流徒は手に黒い光の球体を浮かべたまま前進した。神の至近距離から攻撃を放つことで、少しでも攻撃力と命中率を高めるためだ。残り時間や樹流徒の精神状態を考慮すれば、確実に一撃で詩織を仕留めなければいけなかった。

 ラファエルは神からある程度離れた場所に留まり、目線よりもずっと高い位置に手をかざす。その延長線上には未だ安らかに眠り続ける少女の顔があった。


 最低だと思った。宇宙を守るために仲間の命を犠牲にしなければいけない。詩織を殺せば、樹流徒は一生自分を許せないような気がした。無念だけが残る気がした。

 もし自分ひとりの命と引き換えならば、たぶん樹流徒は詩織の救出を優先していた。だが今回は樹流徒だけではなく人間、悪魔、天使、そして星々に住む全ての者の命がかかっている。樹流徒はそちらを選ばざるを得なかった。


 神の懐に滑り込む。樹流徒は詩織の眼下で立ち止まり、彼女を見上げた。

 振り返ってみれば、この少女とはじめて出会ったのは樹流徒がまだ小学生の時だった。もう少し細かく言えば小学校低学年のときだった。それから魔都生誕があったあの日までの約十年間、樹流徒は詩織の存在を意識したことはほとんど無かった。せいぜNBW事件に巻き込まれたとき、自分と同じ被害者という認識を持った程度だ。そんな彼女が、今では樹流徒にとって最も大切な仲間になっている。


 詩織の顔を正視するのが辛かった。樹流徒はいたたまれない気持ちになった。いっそまぶたを閉じてしまいたかった。

 そうした衝動を何とか押さえつけて、樹流徒は詩織を見つめる。己の目にしっかりと焼き付けなければいけない。伊佐木詩織の最期と、相馬樹流徒がこれから犯す仲間殺しの罪を。


「キルト」

 背中からラファエルの呼び声が聞こえた。最後の攻撃を始めても大丈夫か? という確認だろう。

「頼む」

 樹流徒はあえて冷静を装って答えた。辛いのは自分だけではない。ラファエルも詩織を攻撃するのは辛いはずだ。彼は本気で詩織を助けようとしてくれた。それは今までの戦いで十分に分かっている。分かっているから樹流徒はラファエルの手前、敢えて気丈に振舞った。


 もう後戻りはできない。

 ラファエルの手から巨大な光の渦が解き放たれた。それは詩織を守る光の膜に衝突する。

 心の中で樹流徒は獣の如く咆哮した。本当は喉が潰れそうなほど叫びたかったが、それを堪えて自分の内側で雄叫びを上げた。

 歯を食いしばって跳躍する。詩織めがけて飛翔しながら、彼女に漆黒の球体を向けた。


 罪と悲しみの一撃が、樹流徒の手から放たれる。漆黒の球体は激しい閃光と化して宙を切り裂いた。それはラファエルが放った光の渦と重なり、詩織を包む光の膜を揺らす。

 光の揺れは次第に大きくなった。動きを同期させるように樹流徒の腕も震える。詩織を殺すことへの恐怖と罪悪感で手の揺れが止まらない。

 この苦しい瞬間が早く終わって欲しいと思ったし、永遠に終わらないで欲しいとも思った。終わらない内は、詩織はまだ生きているのだから。


 そんな個人の思いや都合などお構いなしに、時はただ進み続ける。光の揺れは最大となり、遂に樹流徒の攻撃が神の防御を貫いた。

 詩織の長い髪がふわりと揺れる。漆黒の閃光が迫っても、彼女は安らかな寝顔のままだった。


 全てが終わった、と樹流徒は直感的に思った。この手で仲間を殺してしまった、と。

 一方で、彼の瞳は自分の直感とは全く異なる現実を映し出していた。


 にわかに信じがたいことが起こっていた。

 樹流徒の攻撃が光の膜を破壊して詩織を飲み込もうとした刹那、キラキラと黄金色に輝く光が戦場を駆け抜けたのだ。その光は樹流徒たちの攻撃をかき消し、詩織の体を優しく包み込んで彼女を守った。


 樹流徒とラファエルの攻撃が止む。

 黄金の光に守られた詩織は全くの無傷だった。それだけでも一驚に値するが、樹流徒たちはもっと信じられないものを目の当たりにする。


 神の動きが止まっていた。二十三枚の翼は滅びの光を帯びたままだが、最後の翼が光る気配は無い。神の瞳や手が樹流徒たちに攻撃を仕掛けてくる事もなかった。


 一体何が起きたのか。詩織を包んだ謎の光が飛んできた方を樹流徒は振り返る。

 そこには美しき悪魔の王が立っていた。金色の髪と十二枚の翼を輝かせ、神にかざした手から黄金の光を放ち続けている。

「ルシファー……」

 ミカエルが悪魔の名を呼んだ。

「久しいな、ミカエル。それにラファエル」

 ルシファーは二人の天使に微笑みかけてから

「よくここまでたどり着いた、キルトよ」

 真剣な眼差しを樹流徒に向ける。


 詩織は未だルシファーの手が放つ黄金の光に包まれたままだった。神も停止したまま微動だにしない。

「私の力で光の者の動きを封じた」

 とルシファー。

「しかしあくまで一時的な効果しかない。今の内にシオリを救うが良い」

 彼の言葉で、樹流徒は状況を理解した。

 どうやらこの土壇場で再び微かな希望が舞い込んだらしい。

 ルシファーが詩織を助け一時的に神の動きを抑えてくれたのだ。それにより神を攻撃可能な時間が延長された。詩織を救出できる時間はまだ残されている。


 即刻、樹流徒は詩織に接近した。彼女を縛り付ける神の肉体に爪を振り下ろす。

 光の膜が発生しなかった。ルシファーの力が神の挙動だけでなく防御能力をも押さえ込んでくれたのだろう。樹流徒の爪がいともたやすく神の体内に食い込む。

 これならばいける。伊佐木さんを救える。樹流徒は内心で歓喜した。全身が震える。恐怖や罪悪感ではなく、感動で震えた。

 ラファエルの口元には安堵と希望が入り混じった微かな笑みが浮かぶ。ミカエルも今までよりどこか穏やかな目をしていた。


 しかし――


 しかし運命とはかくも残酷なものなのか。樹流徒の希望は一瞬にして絶望に塗り潰された。


 体の動きや防御能力を封じられても、神の力全てが封じられたわけではなかった。

 肝心の再生能力が停止していない。樹流徒がいくら爪で神の皮膚を引き裂いても、神の肉体は瞬時に再生してしまう。ラファエルが神の翼を攻撃しても同じことだった。

 ならば、と樹流徒は神の皮膚を切り裂くと同時に詩織の腕を引っ張り出そうと試みる。しかし彼女の腕が外に出るよりも早く傷の再生が完了してしまい、傷が治ると途中まで引っ張り出された詩織の体は元の位置まで沈んでしまった。

「なんということだ……」

 ラファエルが渋面を作った。

 折角ルシファーの助けを借りて希望が見えたかと思ったのに、これでは詩織を救出できない。単に神の守りが弱体化して詩織を殺しやすくなったというだけだ。


「む……」

 ルシファーの口から小さな声が漏れる。いかに悪魔の王でも神の動きを封じ続けるのは相当厳しいのだろう。再び神が動き出すまで、それほど時間は余ってないようだ。


 正真正銘、今度という今度こそもう打つ手が無かった。結局神の再生能力を封じられなければどうしようもない。

 ここまできて、やはり最後は伊佐木さんを殺すしかないのか。樹流徒は、高い場所まで持ち上げられて、一気に叩き落とされたような気分だった。こんなに苦しい事が世の中にあるのかとさえ思った。生き地獄とはこういう状態をいうのかもしれない。でも樹流徒は地獄(魔界)を冒険しているあいだもここまで辛い思いをしたことは無かった。


 もう一度詩織を殺すために攻撃しなければいけない。最初の一撃では平静を装っていた樹流徒だが、さすがに表情を険しくさせた。

「結果論だがルシファーの行為は無意味だったか……」

 ミカエルは奥歯を噛む。


 だがルシファーの行為は無意味などでは無かった。


 不意の出来事に樹流徒はぎょっとする。

 今まで死人のように白かった詩織の肌に若干血が上っている。

 俯いていた彼女の頭がゆっくりと持ち上がりはじめた。


 樹流徒は急いで詩織の顔を覗き込む。

 丁度その時、少女の目が静かに開いた。




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