希望の寿命
ようやく本当の戦いが始められる状態になった。もはや神への攻撃を躊躇う必要は無い。
それをミカエルが教えてくれた。詩織はまだ生きている。彼女を神の肉体から力尽くで引き離しても問題ない。樹流徒たちにとって喉から手が出るほど欲しい情報だった。
詩織の救出はそのまま宇宙を救うことにも繋がる。全てが解決する道だ。
神を相手にそれを実行するのは決して楽ではないだろう。でも可能性がゼロでないことが重要だった。無限に続く闇と、たとえ広大でもどこかに果てがある闇とでは、全く別物なのである。
一縷の望みが見付かって樹流徒は俄然やる気が湧いた。魂が燃える。全身に活力が漲った。今まではラファエルに詩織の記憶を読み取ってもらうしか打開策が無かったが、自力で現状を打破できる可能性が得られたのも彼の心を前向きにさせた。
もう傷の痛みも忘れていた。矢も盾もたまらず樹流徒は走り出す。頭上から降り注ぐ雷や竜巻の中を突っ切って難なく神に接近。全力で地面を蹴りつけ、詩織が捕らわれている神の胸先まで跳躍した。
伊佐木さん、いますぐ助ける。
強い思いを込めて炎の爪を振り上げる。詩織の体を掴んでいる神の胴体に狙いを定めて渾身の力で腕を振り下ろした。
攻撃に反応して神の全身を七色の輝きが包む。ガラス細工よりも脆そうな薄い光の膜だ。しかし見かけとは裏腹にとても硬い。炎の爪は弾かれ、光の膜には傷一つ無かった。さすがに易々と神の守りは突破できない。
天に吐いた唾が己に返ってくるかの如く、神に逆らった者には裁きが与えられる。光の膜が消滅すると同時、神の体から強烈な衝撃波が発生した。
それは樹流徒が密かに狙っていた瞬間だった。もしかすると衝撃波を放っている最中は光の膜が発生しないのではないか。その間は神に攻撃を加えるチャンスかもしれない。そう根拠の無い憶測を抱いていたのである。
鋼の肉体により衝撃波を受け止めた樹流徒は腕をドリルに変形させた。赤い稲妻を放ちながら高速回転するドリルは、炎の爪と寸分違わず同じ場所を突き刺す。
どうやら樹流徒は見当違いをしていたらしかった。衝撃波が発生している最中でも光の膜は発生する。そしてドリルの威力を以ってしても七色の光は突き破れなかった。
樹流徒の変身時間が終わる。無敵の防御力を失った肉体は衝撃波を受けて吹き飛ばされた。
入れ代わって今度はラファエルが攻撃を試みる。彼にも彼なりの、樹流徒とは全く別の思いがあるだろう。たとえば神がこれ以上暴走する姿を見たくないという、神を愛していた者ゆえの思いである。
「主よ。どうか安らかにお眠りください」
ラファエルは宙から取り出した杖を握り締めた。
杖の先端がカッと眩い白光を放ったのを合図に、天から激しい雷が降り注ぎ神の翼を打つ。滅びの光を纏った神の翼を破壊できれば宇宙創造を止められる。そうラファエルは踏んだのだろう。
狙いは正しかったかもしれない。が、どんな狙いも実現できなければ無意味だった。
ラファエルが放った雷も光の膜が遮断してしまう。続いて待っているのはやはり衝撃波だった。
神の衝撃波は遠くへ行くほど弱くなり、ある一定の距離を境に急激な弱体化をする性質がある。その距離以上に神と間合いを取っていたラファエルは、衝撃波を全身に浴びながらも大地に踏みとどまった。
樹流徒はすでに体勢を立て直して神に再接近しようとしている。
それを制止してラファエルが一つ提案した。
「キルト。同時攻撃をしてみないか? 二人で同じ場所を狙い撃つんだ」
「分かった」
単純だが良い考えだと思った。二人の攻撃を合わせれば強固な神の守りに風穴を開けられるかも知れない。ラファエルの案に樹流徒は迷わず乗った。
「一番上の翼を狙おう」
ラファエルは杖の先端を神の白い翼に向ける。樹流徒もそちらへ顔を向けた。
三、二、一の合図で同時に攻撃が行なわれる。
樹流徒の腹が上下に割れ、体内から黒い雷を纏った炎の渦を吐き出した。ラファエルの杖は緑色に輝く光の渦を放つ。空中で重なった二つの渦は、力の向きが同じためか相殺することなく、逆に威力を倍増させた。炎と雷と光の輝きが交じり合って一つの巨大な渦が生まれる。それは樹流徒たちが狙った通りの場所に命中した。
光の膜と巨大な渦がぶつかり合い、互いの力を打ち消そうとせめぎ合う。
樹流徒ははっとした。
いま、光の膜が揺れた。神の防御が崩れかけたのか。それは瞬きすれば見落とすほど短い現象だったが、確かに起きた変化だった。
結局二人の合体攻撃は神の防御を打ち崩すに至らなかったが、樹流徒の顔に落胆の色はなかった。
ほんの一瞬だが見えた光の揺れ。より強い力が加わっていれば、防壁を突破できたかも知れない。神に一撃与えるのは決して不可能ではなさそうだった。
「惜しかったね。でも次はいけるかもしれない」
ラファエルも光の揺れを確認したのか、手応えを感じた様子だ。
光の膜が自然消滅して衝撃波が通り過ぎると、異形の顔に散らばった十二の瞳が動き回る。
「来るぞ」
ラファエルが警告したのとほぼ一緒のタイミングだった。
神の目玉が一つ残らず夕陽よりも濃い赤に染まり、そこから火柱が放たれる。人間の体を丸ごと飲み込めるほど大きな炎が三人の頭上から降ってきた。
樹流徒とラファエルは素早く左右に分かれる。彼らの間を何本もの火柱が通り過ぎていった。
二人の後ろにいるミカエルも今まで倒れていたのが嘘のように華麗な動きで苦もなく身をかわす。もう樹流徒が彼を守る必要はなさそうだった。
ただ、ミカエルは神に対して物理的な攻撃するのは抵抗があるだろう。ゆえに彼からは神に対する争気や殺気が欠片も感じられなかった。樹流徒たちに助言を送り、自分の身は自分で守ることが、ミカエルにできる精一杯の努力であり妥協なのだ。それ以上は彼の力をあてにはできない。何とか樹流徒とラファエルの二人だけで神の堅固な守りを崩さなければいけなかった。
神が今までと違う動きを見せる。六つの手が同時に動き、掌に開いた口が一斉に樹流徒たちを睨んだ。
喉の奥に小さな星が瞬き、光線となって口から射出される。それらは単に直進するのではなく鏡で反射したように空中で跳ね返り、不規則な動きで樹流徒たちに迫ってきた。
前もって樹流徒は集中力を高めていた。彼の視界に映るもの全ての動きが緩慢になる。光の動きさえも捉えられた。頭上や足下、それに左右と多方向から飛んでくる光線を全てかいくぐる。
ラファエルとミカエルも回避ないしは防御で被弾を免れた。
神の背後で二十枚目の翼が輝く。残る翼は四枚。いよいよ時間が残り少ない。
力の出し惜しみをする理由も無かった。
「ラファエル。もう一度同時攻撃を試したい。今度はお互いに最高威力の一撃をぶつけよう」
「奇遇だね。私も同じことを提案しようと思っていた」
これが最後の賭けと言って良いかもしれない。
二人が全力の同時攻撃をする。もしその威力が神の守備力を上回れなければ、単純に考えて神にダメージを与える方法は無くなってしまう。
期待と不安が交錯する中、二人は決して尻込みしなかった。
樹流徒の体に走る光の線が濃い赤に変わる。手に黒い光の粒が集まって固まり、最終的に大きな球体を作り出した。この球体は攻撃時に絶大な破壊力を持つ閃光と化す。
かたやラファエルは杖を消して神に両手をかざした。片手には緑色の光が、反対の片手には青い雷光がそれぞれ出現し、大きな螺旋を描く。ラファエルが両手を重ねると二つの螺旋も空中で重なり合って激しい反応を起こし、飛躍的にエネルギーを高めた。その力を感知した樹流徒がゾッとしたほどである。
この攻撃力ならばいける。樹流徒の中に確信が生まれた。無論、そこには願望も多分に含まれていた。
狙いは再び神の翼。運命を左右する一撃が、両者の手から撃ち出された。
樹流徒が放った漆黒の閃光と、ラファエルが放った光と雷の渦は、先の同時攻撃を遥かに超える相乗効果を発揮して想像以上の破壊力を持つ禍々しい光となった。
その禍々しい輝きが神の翼を飲み込む。
七色の光が揺れているのが分かった。しかも今度は刹那の出来事ではなく、現象が持続している。
光の揺れ幅が次第に大きくなった。神の翼が大口を広げて悲鳴を上げているかのように見える。
樹流徒は祈った。一体誰に祈れば良いのか分からないが、祈らずにはいられなかった。この一撃にありったけの願いと希望を込めたのだ。どうか上手くいってくれ、と心の中で叫んだ。
ミカエルが目を丸くする。ラファエルが「オオ」と驚きの吐息を漏らした。
まだ樹流徒たちの攻撃は途切れていないにもかかわらず、光の膜が消滅してゆく。成功だ。二人の攻撃が初めて神の防御を打ち破った瞬間だった。
禍々しい光の直撃を浴びて神の翼が徐々に崩れはじめる。樹流徒は閃光を放ちながら固唾を飲んで成り行きを見守った。ラファエルとミカエルの瞳も同じ場所に釘付けになっている。
宇宙創造を止められるか否か。
「頼む。止まってくれ」
ほとんど無意識に樹流徒は祈りの言葉を呟いた。
最後の賭けの結末……。それは絶望だった。
樹流徒たちの攻撃は紛れも無く相手の防御を突き破った。神の翼を一部崩壊させた。
だが、傷付いた翼が再生している。樹流徒たちがダメージを与えるよりも速いスピードで、消滅した肉体組織が元通りになってゆく。しかも宇宙創造に必要な真空エネルギーは全て翼に蓄えたまま少しも減衰していなかった。
希望の寿命はあまりにも短い。
樹流徒たちの攻撃が終わった。色々な意味で終わってしまった。正直に言えば信じたくない結果だ。しかし認めなければいけない。最後の望みを賭けた一撃は、神の驚異的な再生能力により、いともあっけなく阻まれた。最高威力の攻撃をぶつけても、神は無傷も同然。それは神の体内から詩織を取り出すのが至難の業であることを残酷に物語っていた。
樹流徒もラファエルも互いにかける言葉がない。少なくとも樹流徒は言うべき言葉が見付からなかった。あるのは失望だけだった。
神の肉体が自己修復機能を持っていたことは、さほど意外でもない。今まで多くの戦闘経験を積んできた樹流徒は、再生能力を持つ敵と何度か戦っている。樹流徒自身もメイジの力を得たことで多少はその力を持っていた。意外だったのは再生能力の有無ではなく、神の自己修復機能が想像を遥かに超えて高性能だったことと、神の翼を一部破壊しただけだは真空エネルギーを減衰させられないことだった。傷付けばたちどころに回復し、破壊された部位に蓄積していたエネルギーも失わない肉体。それはいかなる攻撃も効かない無敵の体と同義だった。
だがやるしかない。折角望みを見つけたのだ。たとえ悪あがきでも最後まで諦めない。
もはや希望は悲壮な決意に変わりつつあったが、樹流徒は迷わず突っ込んだ。
ラファエルも諦めず再度攻撃の態勢に入る。
そんな二人の背中を、ミカエルはどこか歯がゆそうな顔で見続けていた。