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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖界編
333/359

目覚める神



 宇宙に浮かぶ門は転送装置の一種らしかった。ただし同じ転送装置でも別の場所へ瞬時に移動できる台座とは様子が違う。どちらかといえば転送元と転送先を通路で繋ぐ魔界血管に近かった。

 門を通り抜けた樹流徒とラファエルを待っていたのは、見ためこそ通路と呼べるものではないが転送先まで続く空間だった。何もかも全てが黄金の煌きで埋め尽くされた光の世界が広がっている。天も地も無い。風も水も無い。世界の果てや出口らしきものも無い。道しるべも無く、一度でも目を閉じれば平衡感覚が麻痺してしまいそうな空間だった。しかしこの空間には何か目に見えない力でも働いているのか。樹流徒たちは誰かの意思に導かれるように、迷わず光の中を泳いでゆく。


 少しすると何の前触れも無く周囲の景色が明るさを増した。世界を照らす穏やかな光が一転真夏の太陽みたいに力強く輝く。あまりの眩しさに樹流徒は瞳を閉じた。

 その状態が続いたのはわずか数秒。光が急速に弱くなったのを(まぶた)越しに感じて、樹流徒はそっと目を開く。


 いつのまにか光の世界は消え、樹流徒の視界には今までと全く違う景色が広がっていた。

 黄金色の次は白。平坦な地面も、空も、およそ全てが白一色に染まった世界だ。頭上と地平の彼方には黄緑色や淡いピンクに光る惑星が浮かんでおり、お陰でかろうじて大地と空の境界を視認できた。また樹流徒たちの背後には先ほど潜り抜けた門と同じものがそびえ立ち、巨大な口の内側に七色の光を閉じ込めている。門の後ろにも白い平坦な地面と空が延々と続いていた。


 そして、聖界の果てと思しきこの世界に、彼は佇んでいた。

 金色の髪と青い瞳、そして六枚の白い翼を持つ聖界の貴公子――ミカエルである。龍城寺タワーに現われ詩織を連れ去った天使。彼の姿や気配を樹流徒は今まで一瞬たりとも忘れたことは無かった。


 ミカエルは樹流徒たちに背を向けて立っていた。二人の存在に気付いていないのか、それとも気付きながら無視しているのか。無防備な背中を晒したまま、熱心な眼差しを頭上の一点に注いでいる。

 彼が見上げる先には高さ十メートルはあろうかという物体が鎮座していた。その正体を目の当たりにしたとき樹流徒の瞳孔は散大する。 


 ミカエルの奥に立っていたのは一体の異形だった。鳥と獣と人間を混ぜたような形容しがたい形の顔を持ち、十二の瞳がついている。上半身は人間に近いが六本の腕を持っており、それぞれの掌に一つずつ口がついていた。背中には十二枚の白い翼と十二枚の黒い羽の、計二十四枚が広がっている。下半身は虹色に輝く鱗を持つ大蛇になっていた。


 聖界の果てに存在し、ミカエルが仰ぎ見る者。それだけで異形の正体は明らかだった。

 この生物こそが光の者――神に違いない。樹流徒が漠然とイメージしていた神の姿は人型だったが、それとは相当かけ離れた外見をしていた。聖なる獣と邪神な巨人を混成したような、神秘性と禍々しさを兼ね備えた存在である。


 ただし樹流徒が本当に驚いたのは神自身の姿よりももっと別のものだった。

 神の胴体に一人の少女が埋まっているのだ。長い黒髪の、白いドレスを着た少女が、両腕と下半身を神の皮膚下に飲み込まれていた。その様はベルゼブブと同化していたもう一人のベルゼブブ――バアル・ゼブルを髣髴とさせる。


 近寄って確かめるまでも無く、神と一体化したその少女が詩織であることは明白だった。

 詩織は顔を浅く俯いて瞳を閉じていた。胸が上下しておらず呼吸が止まっているように見える。元々色白だった肌がさらに白さを増して、まるでこの白一色の世界から侵食を受けているようだった。


 彼女の姿を確認した樹流徒は、急いでミカエルの元へ駆け出す。ラファエルもあとに続いた。


 二人がすぐ近くまで近寄って立ち止まると、ミカエルはゆっくりと振り返った。

「ミカエル……。シオリを使って主を復活させたのか」

 ラファエルの問いに、ミカエルは冷たい目で答える。

「儀式は無事完了した。主はもう間もなくお目覚めになるだろう。我々天使は救われたのだ」

「何を言っている……」

 樹流徒はミカエルに一歩詰め寄った。

「ならば伊佐木さんはどうなる?」

「シオリは儀式の生贄になってもらった。彼女が目覚めることはもう二度と無い」

 あまりにも淡々と、ミカエルの口から絶望的な言葉が告げられる。

「伊佐木さんが二度と目覚めない……」

 では、詩織はもう助からないのか? 救出が間に合わなかったというのか?

 樹流徒は、戦争が始まって二度目となる、めまいを起こしそうな気分に駆られた。しかも一度目よりも遥かに強烈なめまいだ。遠くに浮かぶ惑星が歪んで見えた。

「落ち着こう。まだシオリを救出できないと決まったわけじゃない」

 ラファエルの穏やかな声が、樹流徒の冷静さを保たせる。


 樹流徒はミカエルを睨んだ。神の復活に仲間を利用した天使の顔を、鋭い視線で射抜く。

 しかしミカエルはまるで動じない。逆に憎らしいほど堂々とした態度で私論を展開する。

「シオリはニンゲンでありながら主と一体になれたのだ。この世に生を受けた全ての者にとってこれほど光栄なことは無い」

「光栄かどうかは伊佐木さん自身が決めることだ。それにたとえどんな目的や理由があっても、彼女を無理矢理生贄に捧げて良いはずがない」

「何とでも言うが良い。だが今さら汝が何を喚こうと、こぼれた水は元に戻らないのだ」

「それは、シオリを主から分離するのは決して不可能という意味かい?」

 ラファエルが問う。

「答える必要はない。仮にシオリを元に戻す方法があったとしても、そのような真似は私がさせないのだから。それに彼女を主から引き剥がすことは、主から命を奪うに等しい行為だ。そのような真似が汝にできるのか?」

「……」

 ラファエルは反論しなかった。一方、樹流徒には反意しかない。彼は言い切る。

「例え神の命を奪うことになっても、俺は伊佐木さんを救い出す」

 その言葉に心を突き動かされたのか、ラファエルは覚悟を決めた顔になった。

「ミカエル。たしかに君の言う通り、私は主から命を奪う事など出来ない。だがそれはあくまで主が復活を望んでおられる場合の話だ」

「何が言いたい?」

「主ご自身は復活など望んでいない。むしろ永遠の安らかな眠りを望んでおられる。私はそう信じている。つまり私にとって君がした行為は、安らかな眠りに就かれた主を無理矢理叩き起こしたのと同じだ。ならば主を再び安らかな眠りに誘うのが私たち天使の役目だろう」

「なるほど。物は言いようだ」

「お互いにね」

「では汝に一つ言わせて欲しい。もし主の存在が消えれば我々天使はどうなる? 主は我々の正義であり、我々の道しるべであり、我々の未来。我々の全てなのだ。その存在が失われれば天使たちの存在意義もまた失われる。私にはそれを阻止する義務があるのだ」

「君が個人の欲望で動いているわけじゃないのは理解している。でも私たち天使はそんなに脆弱な存在ではないよ。もっと自分たちを信じるべきではないか?」

「楽観的だな。認識が甘すぎる」

「お前も真の創世記は知っているんだろう?」

 ここで樹流徒が口を挟むと、ミカエルはやや渋い顔をした。

「知っている。我々と悪魔の関係も、天使がどのような経緯で生まれたのかも、全て承知済みだ。だがそれでも我々は主を父とし、絶対の正義として、幾星霜を経てきたのだ。汝らニンゲンが生まれるよりも、地球が誕生するよりも遥か昔から、我々は主こそが天使を含めた万物の創造主だと信じてきた。その価値観を今さら事実を知ったところで捨てられない。我々にはどうしても主が必要なのだ。我々だけのためではない。全ての宇宙と世界の秩序を保つためにも、主は永遠でなければならないのだ」

 ミカエルが心情を吐露する。ラファエルは幾分複雑そうな表情を覗かせた。


 “ミカエルは全ての天使の未来を案じて神を蘇らせようとしている。”という類の発言をガブリエルもラファエルもしていた。だが実際には、ミカエルはもっと大きなモノのため、聖界を含めた全宇宙の未来ために、ある意味誰よりも広い視野で物事を判断して動いていたのかもしれない。


 もっとも、たとえそうだとしても樹流徒はミカエルの行為を容認できなかった。「全宇宙の未来のため」と言われても規模が大きすぎてピンとこないせいもある。だが何よりミカエルがどんな大義名分を掲げても、樹流徒には仲間の救出の方が大事だった。

「伊佐木さんを助ける方法は無いのか?」

 問うと、ラファエルは首を振る。

「分からない。何しろ前例が無いことだからね。ミカエルがどのような儀式で主を復活させたのかも不明だ。確実に彼女を救う方法があるとしたら、それはミカエルしか知らないだろう。第一シオリを救出できるか以前に……」

 そこまで言ってラファエルは止めた。たぶん彼はこう言おうとしたのだろう。

 第一シオリを救出できるか以前に彼女が生きているかどうかさえ不明だ……と。


 樹流徒はラファエルの言葉の続きを察したが、意識的にそれを頭の外へ追いやった。詩織がすでに死んでいるかもしれないなど、考えたくもない。

「伊佐木さんを助ける方法を教えてくれ」

 一層鋭い目付きでミカエルを睨んだ。

「先ほども言ったはずだ。それを答える必要はない、と」

 ミカエルは即答する。断固として口を割らない構えだった。仮に詩織が生きていて彼女を救う方法があったとしても、それはミカエルしか知らないというのに。彼は何があっても白状しないつもりだろう。


 ならば詩織が生きていようといまいと、彼女の体を神から分離させるのは実質不可能なのか?

 それが分かった途端、樹流徒はミカエルに対する憤りよりも虚脱感を覚えた。詩織が死んでいるかもしれないという憶測は意識から排除できても、彼女を救えないという現実からは目を背けられない。詩織を救えないならば、自分は一体何のためにここまで来たのか? 絶望感に目の前が真っ暗になる。

 そんな樹流徒に対してもミカエルは容赦なかった。

「ソーマキルト……という名らしいな。汝が悪魔たちと共に聖界まで乗り込んできたのは少々意外だった。しかし好都合でもある。シオリと同様、汝も主の一部となるが良い」

 そう言って虚空から銀色の剣と、楕円形の盾を取り出す。

 すかさずラファエルが樹流徒の前に立った。

「私はシオリを取り戻すことはできなくても、君からキルトを守ることはできる」

 ミカエルの透き通った瞳が微かな陰を帯びた。

「汝はどうあっても主の完全なる復活を邪魔する気なのだな?」

「君こそ主の安らかな眠りを妨げようとしている」

 負けじと言い返してラファエルは虚空から一本の杖を取り出す。木製の、先端に緑色の水晶がはめ込まれた杖だ。


 同じ天使であり、同じ神を愛する者でありながら、かたや神の完全なる復活を望む者。かたや神の安らかな眠りを望む者。相容れない二人の間で一触即発の雰囲気が漂った。

 ミカエルは剣を握る手と、重心が乗った後ろ足に力を込める。ラファエルは杖を前に突き出して身構えた。セラフィム同士の対決が始まる……


 そう思われたとき。ミカエルの背後で異変が起こり、状況は一変した。


 樹流徒にとっては何よりも恐れていた瞬間。ミカエルにとっては何よりも待ちわびていた瞬間だっただろう。

 未だかつて感じたことの無い異質な気配が樹流徒の全身を襲った。熱風と嵐と雷が同時に襲ってきたような、名状しがたい衝撃が肌を突き刺す。


 ミカエルの背後に佇むモノが動いた。異形の顔に並ぶ十二の瞳が一斉に開き、それぞれの目から黄金色の光が放たれる。六つの手がゆっくりと開閉し、蛇の下半身が穏やかな水面のように波打った。


 それはかつて創世神の半身だった者。神の座を賭けた争いに勝利し第二の神となった者。歴史の改ざん者。そして人類を生み出した存在。

 光の者が、とうとう復活したのである。


 ミカエルは手にしていた武具を即座に消すと、動き出した神を振り返った。地面に膝を着き、深々と頭を垂れる。ラファエルも同じ行動を取った。樹流徒だけがその場で棒立ちになって神の覚醒をただ眺めている。

「偉大なる主よ。勝手に第七天へ足を踏み入れたこと、どうかお許し下さい。これは主に目覚めて頂くため必要な行為だったのです」

 ミカエルが真っ先に謝罪をするが、神は何も答えず三人を見下ろした。

 依然として詩織は目を覚まさない。神の胴体に癒着した彼女は浅く俯いたまま、やはり呼吸も停止しているように見える。わずかにも変化があるとすれば、彼女と神の接点に電気回路のような線が走り、その中を黄金色の光が駆け巡っていることだけだった。


 ミカエルの顔は安堵に包まれている。彼からすれば、果たして詩織が宿す力だけで神を目覚めさせることができるか、多かれ少なかれ不安はあっただろう。何しろラファエルが先に述べた通り前例が無い事だ。

 それでも儀式は見事に成功し、ミカエルの思惑通り神の復活は果たされた。あとは全知全能の神の思うがままに事は運ぶのだろうか。この時点で何もかも全ての運命に決着が付いたかに思われた。


 しかし異変はまだ続いていたのである。


「よくお目覚めになられました。やはり我々と全ての世界にはアナタの存在が必要――」

 ミカエルが全て言い終える前だった。

 ギチギチと硬い音を立てて、神の掌についた口が開く。作り物のように白く綺麗に整列した歯の奥で不吉な闇が覗いていた。

「危ない!」

 ラファエルの声が無ければ、詩織に気を取られていた樹流徒も、神に頭を垂れていたミカエルも、次の刹那に起きた出来事に対応できなかっただろう。


 三名はそれぞれ別々の方向へ跳んだ。

 直後、彼らが立っていた場所は天まで燃える煉獄の炎の包まれていた。天まで燃えるという表現はあながち誇張ではなく、本当に炎が空高くまで届き白い空を夕焼け空に変えてしまったのである。

 桁外れに強烈な炎は、回避した樹流徒の肌にまで刺すような熱を伝えてきた。普通の人間であれば熱風に焼かれて命は無かっただろう。


 たが驚くべきは炎の威力ではなく、それを放った者だ。

 三人に向かって攻撃をしてきたのは、紛れも無く神だった。神は樹流徒だけでなくラファエルも、ミカエルさえも同時にまとめて焼き払おうとしたのである。


 ミカエルは驚きの表情で神の顔を仰いだ。

「主よ。何をなさるのですか?」

 神は答えない。それぞれ別方向を向いた瞳の一つだけが眼下の天使を見つめているだけだった。

「まさか無断でアナタを目覚めさせたことをお怒りになっているのですか?」

 ミカエルは恐縮しきった様子で尋ねる。神から返事はこない。

「ですがそれ以外、我々にはどうする手立ても無かったのです。全ての真実を知った今も、私は主を愛しています。私だけではありません。およそ全ての天使がアナタの存在を必要としています。どうかこれからも我々を……全宇宙に住む全ての命をお導き下さい」

 ミカエルは神に懇願する。彼の言葉にあらん限りの情意がこもっている事は、樹流徒にも良く伝わってきた。必死の願いであり、神の復活を望む側の立場からすれば真摯な願いでもある。


 だがそれすらもまるで意に介さぬ様子で、神は六つある手の一本をミカエルに向けた。何の躊躇(ためら)いも無く、掌に開いた口から激しい雷光が放たれる。

 初めは一筋に見えた雷は瞬時に幾重にも広がってミカエルの周囲に落ちた。そして包囲した獲物を閉じ込めるように全ての雷光が内側に向かって集まってゆく。


「主よ!」

 ミカエルは悲しみと驚愕の眼差しで神を仰ぎながら、魔法壁を張って身を守った。

 対する神の力は余りにも絶大である。四方八方から迫る雷光はいとも簡単に魔法壁を破壊し、ミカエルの全身を飲みこんだ。




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