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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
33/359

褐色ネズミ



 ――シャアアッ


 獣じみた掛け声を発して、ビフロンスが胸の高さで構えていた鉈を振り上げる。

 鋭い刃は、先刻樹流徒の額を裂いた時と似た直線を引いた。今度は樹流徒の両目を襲う。相手の視力を奪うことに何の躊躇(ためら)いも感じさせない一撃だった。


 樹流徒は咄嗟に前屈姿勢を取る。敵の攻撃が低い位置から飛んできたため余計深く頭を下げた。

 凶器が、頭上数センチを通過してゆく。不意に風切り音が耳に届いて、背筋が凍りついた。死を強烈に予感させる耳慣れない音に体が硬直する。反撃に転じるタイミングが瞬刻遅れた。


 ビフロンスはそこを的確に突いてゆく。樹流徒が前屈姿勢のまま反攻を開始した時には既に跳躍していた。片足を振り上げ、樹流徒の顔面を跳ね上げる。芸術的ともいえるほど完璧なタイミングで放たれたカウンターの跳び膝蹴りだった。


 一体何が起こったのか、樹流徒には理解できない。がら空きになった敵の腹めがけ右ストレートを放り込んだはずだったのに、何故か火花の飛び散る音がして、気が付けば真っ暗になった視界で星がチカチカ点滅していた。


 樹流徒は状況が掴めないまま一歩後退する。足裏が地に着いてない感覚を覚えた。下半身の踏ん張りがきかない。膝がくの字(・・・)に折れ曲がって体のバランスを大きく崩した。そのときようやく、自分が何らかのカウンターアタックを受けたことを理解した。


 ビフロンスにとってまたとない好機が訪れる。樹流徒は膝蹴りにより脳を揺らされた影響で足下がおぼつかない。加えて己の置かれた状況を完全に把握できず軽い混乱状態の中にいた。


 悪魔は間髪入れず次の動作に入る。後ろ足で大地を蹴り、腰を力強く回転させ、相手の喉元狙って鉈を振った。

 窓一枚隔てた場所から戦いの様子を見守っていた詩織があっと声を上げる。


 しかしビフロンスの繰り出した攻撃は相当な大振りになった。トドメを意識して力んだ結果に違いない。腕は完全に伸びきって、鉈が目標に到達するまでの時間がわずかに長くなる。


 それが樹流徒にとって救いとなった。彼は脊髄反射で頭を垂れ、地に片膝を着く。足はまだいう事を聞かないが膝を折ることはできた。

 大きな弧を描いた鉈が再び樹流徒の頭上を通過してゆく。先程よりも一段強い風切り音が聞こえた。切断された髪の端が気流に乗って宙を乱舞する。


 一方、渾身の一打を空振ったビフロンスの体は大きく泳いだ。樹流徒の前に死に体を晒す。

 無論、樹流徒はこの起死回生のチャンスをむざむざ見送ったりはしない。地面に膝を着いた姿勢はそのまま、反撃に移る。


 樹流徒はすうっと息を吸い込むと、肺の中に溜まった空気を一気に吐き出した。

 息と一緒に真っ赤な炎が飛び出す。盛る火はゴウゴウと音を鳴らして空気を伝わり、悪魔の頭部を瞬時に包み込んだ。マモンの右首が使った火柱の能力である。


 顔面を焼かれたビフロンスはギャッと短い声をあげ、たまらずといった風に飛び退いた。バッタの如き身軽な跳躍を三回、四回と連続して樹流徒との距離を開ける。

 十分な間合いを確保すると、悪魔は両手の武器を投げ捨てた。そして慌てた様子で己の顔や頭を叩き始める。引火した炎を必死に消そうとしているようだ。


 今度は樹流徒が追い討ちをかける番だった。悪魔は鎮火に夢中でほぼ棒立ち状態になっている。今ならば格好の的だ。互いの位置は三十メートル以上離れている。この距離を届かせる武器は火炎弾しかない。急いで攻撃を放った。


 それは、ただでさえ不安定な姿勢での一撃だった。樹流徒が慌てて撃った火炎弾は、低空を飛び徐々に高度を下げ、目標に到達する手前あたりで地面に着弾する。樹流徒もビフロンスと同様、勝利を焦った結果、折角の好機を棒に振ってしまった。


 樹流徒は渋い表情を抑えながら立ち上がる。カウンター攻撃を受けたことで一時的に麻痺していた足の機能は、既に回復している。舌の上に血の味が広がった。膝蹴りを受けた時ついでに口内も切っていたらしい。


 ビフロンスに飛び移った火種が全て消える。焦げ臭い煙が立ち昇り、その中から現れたのは灰褐色(はいかっしょく)に染まったネズミの顔だった。毛を焼かれたことにより首から上がすっかり変色している。一部露出した肌は赤く(ただ)れていた。


 まとわりつく炎から解放された()赤茶色の褐色ネズミは、特に怒りを露にする事も無く素早い動きで鉈と蜀台を拾い上げる。つぶらな瞳で樹流徒を見据えるとすぐに走り出した。


 互いの距離が詰まると、ビフロンスは燭台を前方に向かってかざす。ロウソクの先で揺れる炎が膨張し、三方向に分裂して飛んだ。内一発が、再び樹流徒に襲い掛かる。


 樹流徒は同じ手を二度食うつもりは無かった。その場で打点の高いバック宙をして火の玉を避ける。ついでに空中で反撃の火炎弾を放った。


 ビフロンスは攻撃を避けない。上空より飛来する炎の塊を鉈で受け止めた。

 ガリッという短い摩擦音の後、火炎弾は宙で()ぜる。四方八方に飛び散る巨大な火の粉が悪魔の顔や体にも降り注いだ。火傷の跡を上塗りする熱の痛みに褐色ネズミは悲鳴を上げる。


 樹流徒が着地して仕切り直しの形となる。

 ここまでの形成は五分。客観的に見てもどちらが有利とは言えない、全くの五分。


 次、先に仕掛けたのはまたもビフロンスだった。悪魔は徹底的に先手を取ってゆく。今度は姿勢を低くして鉈を地に擦りながら、樹流徒めがけて突進した。


 ガリ、ガリ、ガリと、無機質な不快音が響く。鉈が地面との接点より(だいだい)色の火花を飛び散らせた。


 樹流徒は飛び道具で迎撃しようとして、即座に思い留まる。攻撃を放つより先に敵が懐へ潜り込んでくるかも知れないからだ。判断に迷う、微妙なタイミングだった。

 また、仮に先手を打てたとしてもそれを回避された場合、痛恨の反撃を貰う事は必至だ。攻撃を当てたとしても相打ちを食らう恐れだってある。

 かと言って距離を稼ぐことも叶わなかった。機動力はビフロンスの方が上だし、退けば勢いで押し切られる。


 ならば、ここは敵の動きを予想し、また見極めて接近戦を制するしかない。

 樹流徒は瞬間的かつ直感的にそう判断した。腹を決め、目の神経に力を注ぐ。


 ビフロンスは低い姿勢を保ったまま、樹流徒の懐一歩手前まで接近した。その状態から更に姿勢を低くして腕をいっぱいに伸ばす。鉈を地面スレスレに滑らせて樹流徒の足首を切断しにかかった。


 果たしてその動きは樹流徒が予測していた“次に敵が取るであろう動き”と、ある程度重なる。足下を狙われたのは予想外だったが、ビフロンスが遠目から鉈を振ってくるという点は、樹流徒の読みと見事に一致した。


 樹流徒は敵の動きに合わせて跳躍する。後ろに飛んだのではない。真上でも横でもなく、前宙でビフロンスの頭上を飛び越えた。さらに空中で捻りを加え着地をした時には敵の後頭部を眼前に見据えていた。


 虚を突かれたであろうビフロンスは、頭上を仰いだまま半瞬のあいだ固まっていた。樹流徒の姿を完全に見失っているようだ。そこにわずかな隙が生まれた。

 その隙をモノにできるかどうかが、今回の勝負の分かれ目となる。悪魔が振り返った時にはもう樹流徒の爪がネズミの首に食い込んでいた。


 指先に伝わる嫌な感触に、樹流徒は思わず表情を歪める。それでも目を逸らさず、腕を振りぬいた。


 ビフロンスの頭部が地面を転がる。切断面から青い血をほとばしらせた。

 残された胴体は関節を失ったかのように四肢を真っ直ぐ伸ばしたまま硬直し、背中から倒れて大の字になる。はずみで両手の武器が宙に放り出された。鉈と燭台は揃ってアスファルトに落下し、カランと虚しい音を鳴らす。


 樹流徒は荒く短い呼吸を数回繰り返し、頭だけになった悪魔を見下ろした。


「おやおや。やられちゃった」

 ビフロンスは死の間際にも呑気な声でおどけてみせる。

 間もなく赤黒い光の粒と化し樹流徒の中へと消えた。




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