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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
聖界編
325/359

ヒトを愛する者



 巨大試験管の向こうにいたのは、金色の髪を背中の辺りまで垂らした美しい女だった。外見年齢は樹流徒よりも二つか三つ上くらい。白と青が入り混じった衣に身を包み、背中から六枚の翼が生えている。その姿はミカエルと良く似ており、外見の雰囲気だけでも上級の天使と分かった。

 他の天使と同様、彼女も安らかな表情で目を閉じている。唇は真っ直ぐに閉じられ、笑みを浮かべているわけでもない。なのに他の天使よりもずっと慈愛に満ちた、優しい顔に見えた。


「お前がガブリエルか?」

 樹流徒が問うと

『はい。はじめまして……と言うべきでしょうか』

 試験管の中で眠る女は、表情を一ミリも動かさずにテレパシーで答える。

『改めて名乗ります。私はガブリエル。セラフィムの一人であり、アナタ方ニンゲンからは四大天使の一人と称されることもあります』

 セラフィムというのは天使の階級の名称だ。パワーやドミニオンと同じである。

「相馬樹流徒。人間だ」

 樹流徒も改めて名乗った。


『では早速ですが、私を檻から出して頂いてもよろしいですか? 早くアナタと直接お話したいですし、正直に申し上げれば多少時間が惜しいのです』

「分かった。ただ、最後に一つだけ質問させてくれ」

『はい。なんでしょう?』

「なぜお前は伊佐木さんのためにそこまでしてくれるんだ?」

 町の中を移動している最中、樹流徒は一度だけ考えた。

 神の復活というミカエルの計画は、その計画を知る天使たちにとって必ず成功させなければいけない使命のはずだ。事実、ガブリエルも最初はミカエルの計画に賛成したと言っていた。にもかかわらず彼女が計画よりも詩織の救出を優先してくれる理由は何なのか?

『その答えは至って単純です』

 とガブリエル。

『私がアナタたちに味方するのは、ニンゲンを愛してるからです。私たちの主がそうだったように』

「……」

『かつて私はニンゲンという生き物に対して否定的な考えを持っていました。人類はいつか必ずこの世に災いをもたらす存在になると予感したからです』

「人間が災い……」

『しかし遥か長い時をかけてニンゲンを見守り続けている内に、私はアナタたちの存在に強く惹かれるようになりました。ニンゲンはときに邪悪で醜い一面を覗かせますが、それ以上の美しさと強さを秘めた生き物です。そして本来はこの世の何よりも自由な生き物です。私はそんなニンゲンを愛していますし、アナタたち一人一人が持つ素晴らしい可能性を信じています』

「お前のような天使もいるんだな」

 天使、悪魔、そして根の国、下手をすれば人間自身も全てひっくるめて、ここまで人類を想ってくれる者が、果たしてこの世にどれだけ存在するだろうか? アンドラスや、魔動機関車の発明家クロセルなど、人間に対して好意や興味を持ってくれる悪魔たちは、これまでにも何名かいた。しかしガブリエルは彼らとは異なる。さしずめアンドラスたちが人類の友人だとすれば、ガブリエルは人類を優しく見守る姉のような存在とでも言うべきだろうか。先ほども思ったが、樹流徒はこの天使の言葉を全て信じたかった。


『牢獄に閉じ込められているあいだ、私は自分が取った行動を振り返りました。ミカエルの計画に反対したのは果たして正しかったのか? 主の復活を妨害しようとした私の行為は大きな罪だったのではないか? ずっと考えていました』

「……」

『そして熟考に熟考を重ね、自分なりに答えを出したのです』

「その答えというのは?」

『私はこう思ったのです。おそらく主は復活など望んではおられないのではないか。あの方がお望みになっているのは、永遠の安らかな眠りではないか……と。そしてきっと主は御自身の復活にニンゲンの少女が犠牲になることを望んでいないはずです。ですから、私は自分の行いを過ちだったとは思いません。今でも……いえ、以前にも増して、ミカエルの計画を止めなければいけないと思っています』

 それだけ聞ければ十分だった。ガブリエルに対する疑いの気持ちはもう微塵も残っていない。樹流徒は彼女を牢から出すことにした。


「この牢はどうすれば開けられる?」

 見たところ、ガブリエルを閉じ込めている檻には出入り口が無く、スイッチやボタンなどの仕掛けも見当たらない。先ほどのエレベーターみたく呪文を唱えれば何か起こるかもしれない、と樹流徒は考えた。

 予想は当たっていた。

『檻に手を当ててください』

 ガブリエルが言う。

 樹流徒は言われた通り、檻に掌を触れた。

 途端、ガラスのように透き通っていた檻の表面が一瞬にして真っ黒になり、全体に青い光の文字が浮かび上がる。

『そのままの状態で、これから私が言う呪文を唱えて下さい』

「分かった」

 樹流徒はガブリエルが唱えた十文字前後の短い合言葉(エレベーター起動の時とは別の合言葉)を復唱した。

 呪文に反応して、真っ黒なガラスに映った文字列が高速でスクロールする。下から次々と新らしい文字が現われては上に消えていった。それが数秒後にはピタリと停止して、檻の表面に敷き詰められた文字列の、最後の一行が点滅する。


 次の瞬間には全ての文字がぱっと消え、黒く染まっていた試験管の表面が透明に戻った。

 ガブリエルの全身を拘束していた光の鎖が音も無く粉々に砕け散って消える。檻が幻のように上から下に向かってスーッと消滅していった。


 宙に浮いていたガブリエルの足がそっと着地する。閉じられていた(まぶた)が持ち上がり、コーンフラワーのように紫がかった青い瞳が樹流徒を見つめた。

「助けて下さりありがとうございます」

 先ほどまで樹流徒の脳内に響いていた声でガブリエルは礼を言う。

「いや……。それより頼む。俺を伊佐木さんの元まで案内してくれ」

「もちろんです。そのためにアナタを呼んだ、と申し上げたはずですよ」

 薄暗い牢獄の中でも瑞々しい唇が微笑を(たた)えた。


 二人は出口に向かって歩きながら言葉を交わす。

「もうご存知かも知れませんが、聖界は七つの階層に分かれています。ほぼ間違いなくシオリは最上階の第七天にいます。復活の儀式が完了する前に彼女を救出しなければいけません」

「もし儀式が成功してしまったら、伊佐木さんはどうなる?」

「おそらく彼女は主の一部になります。その結果、彼女自身の肉体や意識、そして命がどうなるかは分かりません。あまり悪い方向には考えたくありませんが、現実としてシオリが元の状態でいられる可能性は極めて低いです」

 ガブリエルの答えに樹流徒は眉根を寄せる。ルシファーが示唆していた最悪の事態がいよいよ現実味を帯びてきた。


「ところで話は変わるが、ここに眠っている天使たちは?」

 歩きながら樹流徒は周囲を見回す。この地下牢獄にはガブリエルの他にも大勢の天使たちが捕まっている。彼らは一体何をしたのだろうか。

「ここに閉じ込められている者の大半は、ウリエルの仲間です」

「反乱を起こした天使たちか……」

 檻に入っている天使は全部で数千体だろうか。万に届いているようにも見える。いずれにしてもかなりの大人数だ。しかし彼らはウリエルの仲間の一部に違いない。牢獄に閉じ込められている天使よりも、内戦で命を落とした者の方が圧倒的に多いはずだ。相当な数の天使がウリエルと共に戦ったのだと分かる。


「なぜウリエルは反乱を起こしたんだ?」

 話のついでに樹流徒はそれを尋ねてみた。

「ウリエルは、主に対して怒りを禁じ得なかったのです」

「神に対する怒り?」

「はい。キルトは真の創世記についてご存知ですか?」

「それもルシファーから教えてもらった。元は一人だった神が二つの存在に分かれたのが全ての始まりだったらしいな。ルシファーはその二人を光の者と闇の者と呼んでいた」

「そうですか……。本当にルシファーは当時の記憶を持っているのですね」

 わずか寸秒、ガブリエルの表情は憂いを帯びた。


「実は、私やウリエルを含めたごく一部の天使も、過去の真実を知っているのです。あの石版を見てしまったがために……」

「石版というのは?」

「主は永遠の眠りに就かれる前、この世に一枚の石版を遺されたのです。その石版には真の創世記について、およそ全てが記されていました」

「それをウリエルも見てしまったんだな」

「はい。石版により過去の真実を知った彼は、今まで天使を欺いてきた主を許せませんでした。ウリエルは誰よりも主を愛していたからこそ、余計に裏切られたという気持ちが強かったのでしょう。それが主に対する彼の怒りなのです」

「だからウリエルは反乱を起こしたのか」

 樹流徒の言葉に、ガブリエルは首肯した。

「ウリエルは自分の仲間や配下に全ての真実を明かし、挙兵しました。そして主の遺骸を消し去るために第七天を目指して進軍を開始したのです。遺骸さえ無くなれば復活の儀式はできませんから」

「そういう経緯(いきさつ)があったのか……」

「結果的に彼らの進軍は第五天で食い止められましたが、内戦の影響は甚大で、聖界に未曾有の被害をもたらしました」

「そうらしいな。俺はまだ聖界の一部しか知らないが、ここに来るまで荒廃した景色を何度も見た。町も自然も酷い有様だった」

「ええ。たしかに聖界は物理的に大きな被害を受けました。しかしもっと別の部分に、より深刻な被害を受けたのです」

「というと?」

「ウリエルの反乱によって聖界中の者が主の不在を疑うこととなりました。主は私たちの心の支えであり、全てです。あの方が消えたと知れば、多くの天使が自分たちの存在意義を見失い、信じてきた正義も意味を無くし、聖界の秩序は崩壊するでしょう。事実、内戦直後の私たちは酷く混乱していました。言葉では伝えきれないほど強い焦りに皆が襲われていたのです」

「精神的被害のひと言では片付けられないな……」

 この場合は“存在的被害”とでも称すれば良いだろうか。神を失えば、天使という種族の存在そのものが、不確かで危ういモノになってしまうのだ。


「そこでミカエルは苦肉の策として虚言を流布しました。“主は生きておられる。ウリエルの言葉は偽りであり、反乱が起きた原因は彼の増長によるものだ”という偽りの情報を聖界に広めることで、ひとまず混乱を収めたのです」

「天使たちはその嘘を信じたのか?」

「信じました。逆に、誰もがウリエルの言葉を信じたくなかったのでしょう。自分たちが主に欺かれていたことも、主が永遠の眠りに就かれたことも、多くの天使が認めるわけにはいかなかったのです」

 言われてみればそうかもしれない。天使は何十億、何百億、もしかするともっと昔から、光の者を自分たちの創造主と信じ、崇めてきたのだ。その存在を疑いたくないのは当然だろう。

「今も彼らはミカエルの嘘を信じて悪魔と戦っています。ですが本心では主の存在に疑念を兆している者もいるでしょう」

 ガブリエルは確信の目をしていた。

 そういえば、天使の中には明らかに悪魔と交戦する気の無い者たちがいた。彼らはミカエルの嘘を不審に感じて戦意を失った者たちだったのだろうか。


 樹流徒はもう一つ尋ねる。

「そもそも神は何が原因でこの世を去ったんだ?」

 神の死はNBW事件(樹流徒たちが神の力を得るきっかけとなった事件)と直結している。イコールで結んでも良いくらいだ。それだけに樹流徒は神が不在となった理由を知りたかった。

 光の者は闇の者に勝利して全知全能の神になった。その神が、どうのような理由で死に至ったのか? 樹流徒にはほとんど想像もつかない。まさか神が自らの手で自分をこの世から消した、などという事はあり得ないだろう。

「分かりません。その点に関しては石版にも記されていませんでしたから」

 と、ガブリエル。むしろ彼女の方が真相を知りたそうな顔をしていた。

 残念ながら全ては闇の中。神が死んだ理由については、永遠の謎になってしまったと言うしかないだろう。


 青白い光が点滅しながら床を流れてゆく。その流れに逆らって歩く二人は、階段の手前までやって来きた。階段を上った先には何も無いが、合言葉を唱えれば頭上からエレベーターが降りてくるのだろう。


 ここで、ふと思い出したようにガブリエルが足を止めた。

 合わせて樹流徒も立ち止まる。

 外に一歩出れば、落ち着いて言葉を交わしている余裕は無いかもしれない。その前に、ガブリエルは話しておきたことがあるようだ。


 彼女はおもむろに口を開く。

「私は……反乱を起こしたウリエルの心境を少なからず理解できるつもりです。私は彼と違って主に対する憤りは覚えませんでしたが、天使の出自を知りかつてない衝撃を受けたのは同じです。ウリエルが半ば衝動的に反乱を起こしても無理はありません」

「かもしれないな……」

 もし自分がウリエルやガブリエルの立場だったら、何を考え、どういう行動を起こしていただろうか? 樹流徒は想像する。

 結論は「不可能」だった。遥か(いにしえ)の時代からずっと信じ続けてきた神に騙された天使の気持ちを、人間が想像するのは難しい。何となく理解できた気になるのが精一杯である。


 ガブリエルは少し遠慮がちに話を続ける。

「キルトには申し訳ないのですが、私はウリエルの気持ちが分かる一方で、ミカエルの気持ちも良く分かります」

「たしか、ガブリエルもはじめはミカエルの計画に賛成していたんだったな」

「はい。たとえ過去の真実を知っても、主は私たちにとってかけがえのない存在でしたから……。当時は主を復活させる計画に異論はありませんでした」

「だからミカエルの気持ちも理解できるというわけか……」

 樹流徒も、ガブリエルも、心なしか複雑な表情になる。

「ミカエルは主から天使の統率を任されている者。つまり天使の代表です。主がご不在の今、聖界の舵取りは彼に委ねられています。ウリエルの反乱を鎮圧したあとも、ミカエルは私たちの先頭に立って聖界の混乱を収拾するために尽力しました」

「……」

「しかし先ほどお話しした通り、内戦の影響は大きく、今や天使の中には主の存在に懐疑的な者たちが大勢います。彼らの疑念を完全に払拭し、聖界の秩序を取り戻すため、ミカエルは主の復活を決断したのです。ミカエルは決して独善的な思惑で計画を進めているのではありません。聖界と全天使の未来を案じて彼は動いているのです」

「ミカエルにも複雑な事情があるんだな……」

 ガブリエルの話を、樹流徒はある点では納得した。しかし別の点では納得できない。

「でも俺は、たとえ彼にどういう事情があろうと神の復活を止める」

「分かっています。何としてもシオリを救い出しましょう」

 ガブリエルの言葉に、樹流徒は頷いた。


 異変が起きたのは、直後。

 二人がエレベーターへ続く階段に向かって再び歩き始めようとした時である。


 ――ニンゲンよ。


 不意に、樹流徒の脳内に、誰かの声が聞こえた。




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