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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
32/359

良い死体



 その悪魔はげっ歯類(・・・・)の頭部と人間の体を持っていた。二足歩行をするネズミである。

 背丈は樹流徒よりも少し低いくらい。赤茶色の毛皮に全身を覆われている。黒いマントを背負い、右手には大きな(なた)、左手には黄金に輝く三又燭台をそれぞれ所持していた。燭台に刺さった三本のロウソクは先端で黄緑色の不思議な火を灯している。


 ネズミの悪魔は、足下に寝かされた人間の死体を食い入るように見つめていた。その姿はさながら店内に陳列された商品を真剣に物色する買い物客のようだ。

 そこへ図書館の中から樹流徒が姿を現したため、悪魔は背中越しに彼を見たが、すぐに視線を足下へと戻した。生きている人間に対しては何の興味も無いというのだろうか。


 樹流徒は(いぶか)む。あの悪魔は一体何をしているのか? と不審に思った。市民の遺体が近くにあるため無視するわけにはいかない。もし、悪魔が人間の死体を食べようとすれば、当然、戦わなければいけなかった。

 

 樹流徒は脇に抱えていた死体をその場に下ろし、悪魔の元へ駆けてゆく。

「そこで何をしている」

 近付きながら声をかけた。


 赤茶色のネズミは樹流徒の呼びかけを無視する。それとも声が聞こえていないのか、真っ赤に輝く瞳に足元の死体を映したまま、右手の鉈を天にかざした。銀色の刃が妖しい輝きを放つ。


 樹流徒は「まさか」と口走った。そのときには、悪魔の腕が躊躇なく振り下ろされる。

 凶刃が勢い良く宙を滑った。そのまま放っておけば死体の腹は真っ二つに割かれていただろう。


 しかし、鉈はたった数センチ移動しただけで停止する。

 樹流徒が放った火炎弾が悪魔の鼻先をかすめていた。もし仮に悪魔があと少しでも腕を振り下ろしていたら、今頃炎の塊が頭に直撃していたはずである。


 悪魔はそっと両腕を垂れると、背筋を伸ばした。そして顔だけを樹流徒のほうに向け、目をぱちぱちと(しばた)かせる。人間が火炎弾を放ったことに少なからず驚いた様子だ。

 ただ、悪魔はそのことを追求しようとはしなかった。

「何するんだい? もうちょっとで私の頭が吹き飛ぶとこだったじゃないか」

 と、砕けた言葉遣いで樹流徒に話しかける。場違いなくらい陽気な口調だった。攻撃を向けられたにも(かか)わらず、怒っている様子はない。


 樹流徒は悪魔の近くで立ち止まる。

「お前は何者だ?」

 間髪入れず、問い詰めた。


 赤茶ネズミは即答しない。先ずはその場で体を捻った。マントを翻し、片足のつま先立ちで華麗な三回転ターンを決め、見事体の真正面を樹流徒に向けてピタリと止まる。

「私は“ビフロンス”。よろしく」

 そのあと名前を明かした。


「ビフロンスは悪魔だな? 今、手に持っている鉈で何をしようとした?」

 樹流徒は更に尋ねる。

「見れば分かるだろ? ニンゲンの良い死体があったから解体しようとしてたのさ」

 ビフロンスは引き続き陽気な口調で返事をした。「これから散歩に出かけるのさ」とでも言うみたく、軽いノリで恐ろしい事を口走る。


 これには樹流徒もどう反応したら良いか分からず、内心で首を捻った。

 眼前の悪魔が人間の死体を解体しようとする目的が分からない。そもそも「良い死体」とは一体何なのか? 死体に良いも悪いもあるのか、謎だった。


「なぜ死体を解体する?」

 尋ねると、ビフロンスは手の中で鉈を器用に操り、くるくると回す。

「そんなの、ロウソクの原材料集めに決まってるじゃない」

 答えて、回転する鉈をぴたりと止めた。

「材料だと?」

「ニンゲンの脂肪は良く燃えて良い香りを出すからね。ロウソクの材料としては非常に優れてるんだ。特に肥え太ったヤツの脂肪は最高さ」

 ビフロンスはそのように説明をして、また足下に目を向ける。

 その視線の先に寝ている死体は、この季節少し肌寒そうなオーバーオールを着たとても大柄な成人男性だった。体重は三桁を超えているかも知れない。

 彼のように大柄な人間は、ビフロンスに言わせると、ロウソクを作るための原材料として非常に良い死体(・・・・)らしい。


「そういうわけで私はこのニンゲンを解体しなきゃいけないから邪魔しないでよね」

 ビフロンスは再びペン回しのように軽々と鉈を回転させる。

 樹流徒は目つきを鋭くさせた。

「断る。悪魔にくれてやる死体は無い」

「別に君のモノでもないだろう?」

 鉈が停止する。

 両者の間に見えない火花が散った。(たちま)ち険悪な空気が充満して互いの肌を突き刺す。


「あ~あ……あ~あ。黙って大人しく見てれば君も死なずに済んだのにね」

 ビフロンスはそう漏らすと、全身の毛を逆立て、恐ろしい殺気を放った。

 それを察知した樹流徒は素早く身構える。


 悪魔が長く尖ったニ本の前歯を剥き出しにしてシャアアと鳴いた。これまでの陽気な態度を一変させ、獰猛な野生動物を彷彿とさせる迫力を身に纏う。

 そして眼の奥に殺気を(たぎ)らせ、鉈を振りかざし、問答無用で樹流徒に襲い掛かった。


 対する樹流徒も気迫で押されまいと後ろへは下がらない。むしろ敢えて前に飛び出した。武器を使う悪魔とやり合うのはこれが初めてではない。バルバトスとの戦いを経験したことが、精神的な面で役立った。


 樹流徒は目にも止まらぬ速さの前蹴りを繰り出し敵の腹に突き刺す。いきなり先制の一撃を奪った。


 ビフロンスはうっと息を吐いて数歩後退する。そのまま地に片膝を着いて苦しそうに俯いた。

 それを見て、樹流徒は直感的に好機を得たと踏む。追撃をかけるべく、悪魔の爪を発動して敵に迫った。


 しかし彼がビフロンスの攻撃範囲内に一歩踏み込んだ、その瞬間。

 悪魔が素早く鉈を振り上げながら立ち上がった。突然息を吹き返したかのように鋭い動きだ。恐らく、演技だったのだろう。ビフロンスはダメージを負ったフリをして、樹流徒の油断を誘っていたのだ。


 それが首尾よく功を奏する。銀色の刃先が樹流徒の額を薄く裂いた。数本の前髪がはらりと舞い、樹流徒の額に赤く短い線が浮かび上がる。

 傷は浅かった。樹流徒が敵の騙し討ちに素早く反応し、咄嗟に上体を仰け反っていたためだ。それがあと一歩遅かったら今頃どうなっていたか分からない。


 寸でのところで難を逃れた樹流徒だが、安心している暇は無かった。危機が去ったわけではない。命の取り合いは次の瞬間にも続いていた。


 樹流徒は仰け反った上体に引っ張られるように、後方へ下がる。

 するとビフロンスは何を思ったか、いきなり左手に携えた黄金の三又燭台を樹流徒に向けた。

 果たしてその動きが何を意図するものなのか、樹流徒が彼是(あれこれ)と予想する間もなく、三本のロウソクに揺らめく火がそれぞれ膨張を始める。あっという間に火の玉となった。


 ボウリング玉程度の大きさにまで膨らんだ火の玉は、三つ同時に解き放たれた。一発が正面へ、残り2発は斜め前方へ。ビフロンスの手元から三方向に分裂する。それらは火炎弾と同じかそれ以上の速度で宙を疾走した。


 正面に放たれた一発が樹流徒の左腕に触れる。かする程度の接触だったというのに、ジャージの袖は瞬時に焼失し大穴を開けた。

 少し遅れて樹流徒の腕にじわりと痛みが広がる。幸い小さな火傷程度で済んだものの、もし直撃を受けていたらどうなっていたか分からない。

 火の玉は直進を続け、数メートル先の空中で急速に萎み始め、勝手に消滅した。


「チチッ」

 悪魔は笑い声とも舌打ちとも取れる鳴き声を発する。

 かと思いきや即座に鉈を構えて駆け出し、互いの距離を詰めた。樹流徒に休む暇を与えない。


 その頃、詩織は図書館ニ階から戦いの成り行きを見守っていた。

 悪魔と戦う術を持たない彼女は、樹流徒に加勢をしたくでもできないのだろう。下手に飛び出せば逆に足手まといになってしまうことを、分かっているようだった。


 詩織は窓に掌を当て、歯がゆそうに眉を寄せる。寸秒表情の変化を見せたあと、眼下で踊るニつの影を冷静な態度で見つめていた。




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