表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
314/359

そして開く聖界への扉



 黒い炎を燃やす太陽が、遥か高みから東の地平を見下ろしている。

 樹流徒とベルゼブブの死闘に決着がついてから早くも六日が過ぎようとしていた。


 反乱軍とベルゼブブ軍の戦いは終息し、今や背信街は嵐が過ぎ去った後の風情である。戦火の残り香は冷たい風に乗ってどこか遠くへ運ばれ、大地を汚した血は四日前の豪雨ですべて洗い流された。瓦礫の山と散乱した武器も街の住人によりほとんど撤去されている。

 今回の戦いは、もう過去の出来事になろうとしていた。いや、すぐにでも過去にしなければいけないのだ。何しろ背信街で争い合っていた悪魔たちは間もなく戦友として肩を並べ、志を共にして聖界へ乗り込むのだから。サルガタナスが言っていた通り、今は悪魔同士で戦力を削り合っている場合ではないし、いがみ合っている場合でもないのである。


 まるでそれを理解しているかのように、ベルゼブブ派だった悪魔は、王の復活と皇帝の敗北を知るとあっさり鞍替えして、ルシファー派に寝返った。ただしベルゼブブと共にバベル計画を進めてきた悪魔たち――つまりベルゼブブ派の主要メンバーは、最後の最後まで激しい抵抗を見せ、全員が、命を散らすか反乱軍に捕まった。捕えられた者たちはイース・ガリアの地下に存在する牢獄に幽閉され、これから遥か長い時間を暗い世界で過ごす運命にある。これで樹流徒の復讐にも一つの区切りがついたと言えるだろう。もう彼が戦うべき相手はこの世界に存在しない。長かった魔界の冒険も、実質的に終わりを迎えたのである。あとは聖界へ乗り込む時を待つばかりだった。


 背信街の西側には、立派な聖堂が佇んでいる。イース・ガリアと同じ建材で造られた黒塗りの聖堂だ。見るからに禍々しいその雰囲気は、聖堂というより「魔堂」と呼んだ方が相応しいかもしれない。

 もっとも、その魔堂は禍々しさよりも先に異様な大きさが目に付く。おそらく背信街の中ではイース・ガリアに次いで大きな建物だった。底面積だけならイース・ガリアをゆうに超える。中に小さな町を収納できると言っても誇張にならない広さだ。それだけの規模を持ちながら周囲を何百もの高層建築物に囲まれているため、ある程度近付かないければ地上からは見えない。


 魔堂には“刻魔殿”というれっきとした正式名称があった。刻魔殿は数日前までルシファーが閉じ込められていた場所である。ルシファーはバベル計画の生け贄に捧げられる予定だった。その事実からも想像がつく通り、刻魔殿はバベル計画最後の儀式が行われる予定の場所でもあった。


 建物内部の様子を覗いてみると、黒塗りの壁や天井とは違って、床には石のタイルが敷き詰められている。中央には円形の広場があり、その同心円を描くように木製の長椅子が配置されていた。聖堂と似た外観を持つ割には一風変わった内部構造である。


 広場の中心には、このあと始まる儀式の生け贄となる悪魔が横たわっていた。本来ならばその悪魔はルシファーだったが、今はベルゼブブが代わりを務めている。

 光の鎖に捕らわれたベルゼブブの巨体は、樹流徒との戦いで受けたダメージが一向に回復していない。リリスの爪に貫かれた瞳も、サルガタナスに引きちぎられた羽も、再生が止まっていた。

 これはルシファーの力によるもので、今、ベルゼブブを捕縛している鎖が彼の身動きだけで無く回復能力や再生能力をも封じているのだという。傷を癒せないベルゼブブは、到底抵抗できる状態ではなかった。


 ベルゼブブの周囲には、儀式を執り行う六名の悪魔が立っている。その内の四名は、樹流徒も知っていた。ルキフゲ、リリス、サルガタナス、そしてルシファーである。


 ルキフゲは樹流徒と共にイース・ガリアへ侵入した獣人の悪魔だ。樹流徒を一刻も早くベルゼブブの元へ向かわせるため巨人の剣士スルトに一騎打ちの戦いを挑んだ悪魔、とも言える。

 ルキフゲ自身の話によると、あのあと彼はスルトと互角の勝負を繰り広げ、ついに決着は付かなかったという。そのためルキフゲと同様、スルトもまだ生きている。彼は今では真バベル計画の存在を知って、そちらに乗り換えたのだとか。スルトにとっては聖界に戻ることさえできればどちらの計画でも良かったのだろう。「そうと知っていれば最初から真バベル計画についてスルトに打ち明ければよかったかもしれない」とルキフゲは笑っていた。

 もっとも、今やバベル計画の目的は聖界への帰還ではない。神の復活を阻止するという新たな目的に取って代わっていた。その事実をルキフゲは既に承知しているが、スルトやその他大勢の悪魔たちはまだ何も知らない。というのも、ルキフゲを含めた儀式を行う悪魔は一種の特別扱いで、彼らは他の者たちよりも一足早く、過去の真相とバベル計画の新たな目的についてルシファーから話を聞く事ができたのである。悪魔全体への説明はまた後ほど行なわれるという。

 ちなみにルキフゲはルシファーから聞いた話を微塵も疑わずに信じたらしい。「だってルシファーが俺に嘘をつくはずがないから」と、彼は自信に満ちた目で断言していた。


 さて。これから最後の儀式を実行する六名の内、ルキフゲら四名は樹流徒も知っている悪魔だったが、残りの二名は顔も名前も知らない悪魔だった。

 彼らの素性についてはルサルカが教えてくれた。


 まず片方の悪魔は、名を“アスタロト”といった。灰色の髪と黄金色の瞳を持つ若い男の姿をしており、鍛え抜かれた肉体は青ずんだ肌に覆われている。上半身は裸で、天使のような二枚の白い翼を背中に生やしていた。腰に巻いた朽葉色(くちばいろ)の布を膝上まで垂らし、他には何も身に着けていない。竜と獣を混ぜたような生物に跨っており、その生物は深い緑色の鱗を全身に纏っていた。


 続いてもう片方の悪魔は“アスモデウス”という名だった。人間、牡牛、そして山羊と、三つの頭部を持つ異形の男で、瞳はそれぞれ赤く輝いている。王侯貴族のような衣装を身に纏い、背中には大きなコウモリの羽を生やしていた。この悪魔もアスタロトと同じく動物に騎乗しており、こちらは真っ赤な鱗を持つ竜だった。


 アスタロトとアスモデウスは、両者とも非常に強い力を持つ悪魔だという。

 まずアスタロトは魔界の第二階層・愛欲地獄の魔王である。魔王という称号を冠している時点で、彼の実力は保障されていると言って良いだろう。刻魔殿に結界を張っていた悪魔を操り、ルシファー救出に一役買ったのは、このアスタロトだという。

 かたやアスモデウスは魔王ではないものの、十分魔王級に匹敵する実力の持ち主らしい。彼もまた反乱軍の一員として先刻まで背信街で大暴れしていた。槍を手にベルゼブブ一派の主要メンバーを次々なぎ倒したとの噂もある。


 ベルゼブブを凌駕する力を持つであろうルシファー。魔王級の実力者であるアスタロトとアスモデウス。加えてルキフゲら強力な悪魔が三名。彼らが儀式を行うともなれば、負傷の有無に関係なくベルゼブブに抵抗の余地など無かったかもしれない。

 だからなのか、ベルゼブブは逃げるつもりなど毛頭無いらしかった。彼は暴れるでもなく喚き立てるでもなく、大人しく儀式の時が訪れるのを待っている。往生際が良い、皇帝の名に恥じぬ潔い態度だった。


 戦闘中、ベルゼブブは樹流徒が持つ力のことを「呪われた力」「穢れた力」と何度も罵っていた。あの口ぶりからしてベルゼブブは、樹流徒が宿す力の正体を知っていたのだろう。ならば神の死や、神を復活させようというミカエルの狙いも、彼は把握していた可能性が高い。偽りの創世記についても知っていた可能性がある。

 となれば、ベルゼブブが進めていたバベル計画の目的も、メイジの手紙に記されていた内容とは異なる。悪魔が聖界に戻り天使に復帰するのが計画の目的、とあの手紙には書いてあった。しかしベルゼブブが全ての真実を知った上で行動していたのならば、彼もまたルシファーと同じく神の復活を阻むために計画を実行するつもりだったのではないか。

 真相はベルゼブブ本人のみぞ知るところである。ただ一つだけ確かな事があるとすれば、たとえベルゼブブが何を望んでいたとしても、全ては胸算用に終わったという事実。彼の計画はあと一歩のところで(つい)えたのだ。計画に終止符を打ったのが光の者の力を宿した人間という点については、ベルゼブブからしてみれば「よりにもよって」という悔しさがあったに違いない。


 ルシファーはどこか憂いを帯びた目で、これから生贄に捧げられる皇帝を見つめている。

「許せ、ベルゼブブ……」

 彼が呟くと、ベルゼブブは仰向けになったまま微動だにせず、まっすぐ天井を見つめたまま答えた。

「偉大なる王サタンよ。私もアナタを生け贄に捧げようとしたのだ。立場が逆になったとろこで恨みなどあるはずがない」

「その言葉で私は救われる。せめて汝に代わり、この私が仲間と共に神の復活を止めてみせよう。それが汝のために私が出来る唯一の事だ」

 ルシファーはそう言ってから、相手に最後の言葉をかける。

「来世では汝と良き友でありたいものだ」

「……」

 ベルゼブブはもうひと言も発さなかった。


 そんな二人のやりとりを、樹流徒はやや遠巻きに眺めていた。

 彼の心中は複雑だった。自分の手でベルゼブブを倒したかったという未練は今でも残っている。たとえこれからベルゼブブが儀式の生け贄に捧げられても、溜飲は下がらないし、仇が討てたとも思えなかった。嬉しさも、悲しみも無い。強いて今の気持ちを言うならば、悔しさと虚しさが半々だった。


 あたりは水を打ったように静まり返っている。復活したサタンとやがて始まる儀式を遠目でも良いから拝見したいと、大勢の悪魔が刻魔殿の前に詰め掛けているが、彼らは建物内に立ち入る事も私語を交わす事も固く禁じられていた。それを命じたのはアスタロトやルキフゲら大物悪魔だったので、逆らう者はいない。無駄口を叩いた瞬間に命は無いといった面持ちで、異形の集団は外にジッと佇んでいた。

 ついでに言えば、刻魔殿への立ち入りを許されたのは、儀式を行なう六名の悪魔と、それ以外の大物悪魔十三名。そして樹流徒の、丁度二十名だけである。大物悪魔の中には樹流徒と共にイース・ガリアへ侵入した老人アガレスの姿もあった。


 生け贄のベルゼブブが刻魔殿に運ばれてから、そろそろ半日が経つ。

 刻魔殿の内でも外でも、皆が口を閉ざし、ひたすら佇むだけ。異様な時間が重い空気と共に流れ続けていた。


 が、雷光輝く暗雲の裏に太陽が隠れたとき、運命の瞬間が訪れる。

「はじめよう」

 出し抜けに飛び出したルシファーの言葉が儀式開始の合図となった。

「承知致しました」

 サルガタナスのジャッカル頭が縦に揺れる。

 新しい動きがあると察知したのか。かたく沈黙を守っていた外の悪魔たちが軽くざわめき出した。


 と、ここで何かの確認を取るように、ルシファーの目が樹流徒の顔を見つめる。

 樹流徒が浅く頷くと、ルシファーの視線はベルゼブブに戻った。


 実は刻魔殿に来る前、樹流徒はルシファーに一つ質問をしていたのだ。

 最後の儀式が無事成功すれば、バベルの塔が完成する。だが、塔が完成すれば、現世、魔界、聖界、三つの世界が繋がり、現世にいるイブ・ジェセルのメンバーに危険が及ぶのではないか。それを樹流徒は前もって確認しておく必要があった。もし組織のメンバーが危険に巻き込まれる恐れがあるならば、彼らをなるべく安全な場所に避難させるまで儀式を実行させるわけにはいかない。


 心配は無用、というのがルシファーの見解だった。それは「組織のメンバーが危険に(さら)される心配は無い」という意味でなく「心配するだけ無駄」という意味の言葉だった。

 バベルの塔が完成すれば、龍城寺市は悪魔と天使が衝突する戦場と化す。おそらく組織のメンバーは天使の命令を受けて悪魔と戦うことになるだろう。もし天使から命が下らならくても彼らは自主的に何らかのアクションを起こすはずである。悪魔と戦うか、どこかへ避難するか。ただ、戦うにしても逃げるにしても絶対の安全は無い。恐らく市内の至る場所が戦場となり、流れ弾が飛び交うはずだ。必ず危険はつきまとう。

「ならば、君たちの仲間が必ず生き残ると信じるのが最善ではないか?」

 そうルシファーは諭すような口調で言った。


 たしかに、と、樹流徒は完全ではないにせよ同意した。組織のメンバーを確実に安全な場所――たとえば悪魔倶楽部や根の国に避難させたらどうか。そうすれば彼らが戦闘に巻き込まれる心配は無い。などと一度は考えてみたが、仮にも天使に仕える組織のメンバーが、立場上敵である悪魔の世界に避難するとは思えない。また、彼らの身柄を根の国に預けるのもそれはそれで一抹の不安が残る。第一、根の国があっさり組織の面々を預かってくれるとも限らない。八鬼の誰かが良からぬ企てを立てる恐れもある。

「悪魔たちには極力ニンゲンに手を出さないよう命じておこう」

 ルシファーのその言葉が、樹流徒の決心を促した。

 ここまできてバベル計画の中止だけはできない。樹流徒は儀式の実行を承認した。そして組織のメンバーが生き残ると信じ、願った。


 いまルシファーが樹流徒に視線を送ったのは、本当に儀式を実行しても良いか、改めて確認を取るためだったのだろう。対して樹流徒は首を縦に振った。それにより、遂にバベル計画の最終段階が始まる。


 まずサルガタナスが一人で呪文を唱え始めた。彼が一節を唱え終わると、次は隣に立つアスモデウスが別の呪文を詠唱し始める。二人の声が重なった。

 アスモデウスが一節を唱え終わると、今度はその隣に立つリリスがまた別の呪文を唱え始め、三重唱になる。同じ要領で合唱を繰り返し、最後のアスタロトが呪文を唱え始めると六人全員に接する光の円が地表に浮かび上がった。

 円の中にサルガタナス、リリス、ルシファーを頂点とした三角形と、アスタロト、ルキフゲ、アスモデウスを頂点とした逆三角形が生まれ、六芒星を描き出す。続いて円と六芒星の線に沿って謎の文字列が浮かび上がり、魔法陣が完成した。


 魔法陣の中に宇宙が広がり、赤と、白、無数の星々が瞬く。果てしない闇の彼方を目指してベルゼブブの体が音も無く沈み始めた。

 それが皇帝の最期だった。宇宙に放り出されたベルゼブブの肉体は間もなく崩壊を始め、魔魂が星々の一つとなって闇に散らばる。その様を瞼の奥にしっかり焼き付けるようにルシファーは瞬き一つしなかった。


 やがて闇の彼方で眩い光が輝いたかと思えば、次の刹那には黄金の光が魔法陣から飛び出した。

 光は巨大な柱となって刻魔殿の屋根を貫き、天空へと駆け上る。そして背信街の頭上に停滞する暗雲を払い、青空の中に巨大な魔法陣を浮かび上がらせた。

 沈黙を命じられていた外の悪魔たちも、この時ばかりは驚きや感動から本能的な叫びを禁じえなかったはずである。刻魔殿の前で大きなどよめきが起きた。


「これで儀式は終わった。バベルの塔が完成し、三つの世界が繋がる」

 そう言って、ルシファーは近くの者たちの顔を見回した。




 一方その頃、現世――


 市内某所に建つ青い屋根の民家、八坂家の二階に兄妹の姿があった。

「ようやくこいつも片付くな」

 令司は床を見下ろしながら言う。彼の視線の先には、何日も前、早雪の呪いを解くために使用したプラスチック製の立体魔法陣が置かれていた。二階の一室を占拠していたその自作魔法陣も、早雪の解呪が成功した今となっては無用の長物である。

 でも、無用だとは思っていない者もいた。

「ねえ、その魔法陣、記念に取っておいたらどうかな?」

 床の隅に座る早雪が言う。呪いにかかっている間ずっとパジャマ姿で過ごしていた彼女だが、今は何故か中学校の制服を着ていた。顔色はすっかり良くなり、呪いに苦しんでいた過去の面影は欠片もない。彼女の膝元にはボールペンと数枚の便箋が置かれていた。


 解呪成功の記念に魔法陣を取っておいたらどうか? という早雪の意見に、令司はかぶりを振って微笑した。

「こいつは処分する。お前の呪いが解けて、俺たちはやっと次の一歩を踏み出せたんだ。だから気持ちを新たにするためにも、これは片付けてしまいたい」

 令司が言うと、早雪は少しだけ残念そうな顔をしてから

「そっか……。うん、そうだね。いつまでも過去に縛られているわけにはいかないもんね」

 と兄の考えに同意した。

「ところでお前は何で制服なんか着てるんだ? 昨日まで喜んで私服を着てたのに……」

 令司はたった今気付いたように、妹の場違いな格好について問いただす。

 早雪は少し頬を赤らめてはにかんだ。

「だって呪いが解けたら学校に行けるって、ずっと楽しみにしてたんだもん」

「だからせめて制服を着て登校気分を味わいたかった……というわけか」

「うん」

 少女は嬉しそうに頷いた。

「けど実際にその制服を着て登校する日は来ないぞ。何しろ市内の学校は全滅だからな」

「それは……分かってるよ」

 兄の言葉に、早雪はやや神妙な面持ちになる。


「ねえ令司。もし結界の外に出られたら、私たちどうなるのかな?」

 さあな、と令司は至って今まで通りの淡々とした口調で返した。

「仮に龍城寺から脱出できてもすぐに平穏な新生活とはならないだろう。組織を頼れば衣食住には困らないが、しばらくは事情聴取を受ける日々が続くはずだ」

「じゃあ、本部に呼ばれるかもしれないね」

「事件の大きさと中身を考えれば、海外からも召集要請があるかもな」

「ふうん……。でも、いつかは普通の生活に戻れるよね?」

「戻れる」

 令司はそう言い切って、微かな笑みを浮かべた。

 そのあとすぐ、彼の視線は、早雪の膝元にあるボールペンと便箋に移る。

「それはそうともう一つ気になっていたんだが、お前はさっきから何を書いてるんだ?」

「これ? 組織や天使のエライ人に渡す手紙だよ」

「手紙って、何のために?」

「え、と……。できれば渡会さんを許してもらおうと思って」

 渡会は組織のメンバーでありながら、詩織を救うため(というより詩織を救うことで早雪の精神的負担を減らすため)に龍城寺タワーで天使を相手に戦った。組織や天使に対する背信行為を犯したのである。その罪を許してもらおうと、早雪は組織と天使宛ての手紙を書いていたらしい。

「なるほど。嘆願書というワケか」

「だって渡会さんが天使と戦ったのもきっと私たちのためだったと思うし……」

 伏し目がちになる早雪に、令司は力強く言う。

「心配するな。もし組織の連中や天使が渡会を罰しに来たら、そいつらを力尽くで追い払えば良いだけだ」

「また令司はすぐそういう事言うんだから」

 早雪は呆れ顔で言う。だがその顔には笑みが戻っていた。


 と、そのときである。

 出し抜けに兄妹の顔が真っ白になった。


 窓から飛び込んできた閃光が二人の横顔を照らしたのだ。

 光は雷の如くカッと輝いたかと思えば、一瞬も消えることなく、明滅することもなく、徐々に輝度を増してゆく。あまりの眩しさに、人間が瞼を開け続けるのは不可能だった。八坂兄妹は腕で顔を隠して光から目を守る。


 白光は一分以上も続いたあと、ようやく徐々に収まっていった。

「敵の襲撃か?」

 光が完全に止むと、令司は腰の刀に手を当てて窓へ駆け寄った。少し遅れて早雪も隣に立つ。

「あっ」

 驚きの声を発して、早雪が窓の向こうを指差した。

 丸くなった二人の目の先で、謎の白光よりもさらに驚くべき現象が起きる。


 視界が急速に晴れてゆくのだ。市内を覆っていた霧が、煙から排出された煙のように空へ溶けてゆく。

 水色に輝く上空には、いつの間にか魔法陣らしきものが浮かび上がっていた。魔法陣と断定できないのは、それが視界に入りきらないほど大きかったからだ。家の屋根に上って全方位を見渡しても全貌を確認できるかどうか怪しいくらい巨大な図形である。


 令司たちの眼下に、二つの人影が滑り込んできた。熊の如き大男と、眼鏡の青年だ。彼らも外の異変に気付いたのだろう。砂原と仁万(にま)が揃って家を飛び出し、玄関の先まで走ってきたのである。二人は庭の真ん中で立ち止まると、それぞれ世話しない瞳で頭上の様子を眺め回した。

 新たな異変が起きたのは、まさにその最中。


 上空に出現した桁外れに大きな魔法陣らしきものの中に、幾つもの魔法陣が一斉に浮かび上がる。

 直系二十メートルはあろうかというその魔法陣は、隙間がないほど空に密集した。市内の上空があっという間に数え切れないほどの魔方陣に埋め尽くされる。

「悪魔の仕業か? それとも天使? 一体何を始める気だ?」

 令司の鋭い視線は頭上の魔法陣群に釘付けになる。

 早雪は不安げな顔で、兄の服の袖をそっと掴んでいた。


 かくして三つの世界は繋がり、悪魔と天使による戦争がもうすぐ幕を開けるのである。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ