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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
310/359

明けの明星



 眼前で展開する魔法壁に体を押されて樹流徒は数歩後退した。突然の出来事に虚を突かれたが、すぐに事態を把握する。ベルゼブブにトドメを刺そうとしたところを何者かに妨害されたのだ。

 折角あと一歩のところまで敵を追い詰めたのに、ここにきてベルゼブブの味方が邪魔に入ったのか? 十分あり得る話だった。外にはベルゼブブ軍の悪魔が大勢いる。誰かがイース・ガリア最上階の崩落に気付いて様子を見に来たとしても、その悪魔がベルゼブブの窮地を目撃して彼の助太刀に入ったとしても、別段不思議ではなかった。


 ところが樹流徒は意外な者を目の当たりにする。彼の前に立ち塞がったのはベルゼブブの味方ではない。むしろ逆だった。


 消滅する魔法壁の中で、若い女が怪しい笑みを浮かべている。紫色の長い髪と、露出度の高い漆黒の衣装が特徴的な外見だ。それは樹流徒がつい最近出会ったばかりの悪魔、リリスに違いなかった。

「そこまでだ。相馬樹流徒」

 思わぬタイミングで戦場に乱入してきたリリスは、ベルゼブブを庇う位置に立ったまま動かない。


 唐突であることを差し引いても、樹流徒にはリリスの言動がまるで理解出来なかった。リリスはベルゼブブの敵だったはずだ。反乱軍を組織したのも彼女である。反ベルゼブブ派の筆頭と呼んでも良い存在だ。樹流徒をベルゼブブと戦わせるためにリリスが色々と骨を折った事は記憶に新しい。ケプトの町では樹流徒に代わって勇徒と葵の死体を取り戻し、さらにはリリムという悪魔を生み出して樹流徒を首尾よく背信街に侵入させた。そのリリスが、なぜ今ベルゼブブを守るのか?

 疑問だけでなく、樹流徒には強い憤りもあった。あと一歩でバベル計画の主犯格を倒せるのだ。次の一撃で復讐を果たせる。それを妨害されたのだから。


「何の真似だ。邪魔をするな」

 語気鋭く樹流徒が前に出ると、リリスは口元から笑みを消した。

「そういうわけにはいかない。ベルゼブブに死なれたら困るからな」

「なに……」

 樹流徒は眉根を寄せる。ベルゼブブに死なれたら困る、とは一体どういう意味か?

 それを尋ねるよりも早く、ベルゼブブが口を挟む。

「リリス……今までどこにいた?」

 名を呼ばれてリリスは振り返った。冷たい目が地に伏した邪神を睨み、赤紫色の鋭利な爪が振り上げられる。

 まさか、と樹流徒が思ったときには、リリスの爪がベルゼブブの片目を深々と突き刺していた。

 邪神の目から大量の血が、口からは苦しげな声が漏れる。

「貴様……やはり裏切ったな。もっとも、最初からこうするつもりだったのだろうが……」

「さすがベルゼブブ。よくご存知だ。だが、そうと知りながら今まで私を泳がせておいたのがオマエの過ちだ。オマエは圧倒的な力を持つが故に私の裏切りなど微塵も恐れていなかった。それが油断に繋がったな」

 リリスはさっと手を振り払い、爪に付着した血を床に飛ばした。


 これはどういう状況だ? 樹流徒はほとんど要領を得ない。こちらの攻撃を妨害したリリスが、今度はベルゼブブに一撃を見舞った。彼女は一体全体何がしたいのか? かろうじて分かることといえば、やはりリリスはベルゼブブの敵だという事実のみだった。


 すると、状況を飲み込めない樹流徒に追い討ちをかけるように、事態が目まぐるしく動く。

 リリスの爪に滴る血がまだ乾き切らない内に、新たな悪魔がこちらに近付いてきたのだ。それも二体同時である。


 小さな影と大きな影が、横並びで空を飛んで樹流徒たちの前に現われた。

 小さい影――と言っても大人くらいの背丈があるが、そちらは長い金髪と赤い瞳を持つ女だった。人間で言えば外見年齢は二十近く。どちらかといえば華奢な体に、色や裾の長さが異なるワンピースを何枚も重ねたような一風変わった衣装を身につけていた。

 一方、大きい影の正体は半人半獣の悪魔だった。ジャッカルに酷似した頭部の下に銀色の鎧を纏った体が生えている。鎧から覗く首や腕は異常に太く、岩から削り出したようにゴツゴツしていた。それだけで鎧の下に隠れた残り全身がどうなっているか容易に想像がつく。


 金髪の女と、ジャッカルの頭部を持つ半人半獣の巨漢。前者を樹流徒は知っていた。

「ルサルカか……」

 海底神殿で出会った女、ルサルカ。樹流徒の実力を確認するために戦いを挑んできた悪魔だ。

 彼女と、もう一体のジャッカル頭は、ベルゼブブの両脇に降り立った。まるで瀕死のベルゼブブを樹流徒から守ろうとしているかのような位置取りである。

 彼らに対してリリスは一瞥をくれただけで特に警戒する素振りを見せない。その様子からして、ルサルカとジャッカル頭はリリスの仲間と見て間違いなかった。二人とも反乱軍のメンバーかもしれない。


「また会ったわねキルト。少し見ないうちに見た目が変わってて、ちょっと驚いたわ」

 ルサルカがこの場には似つかわしくない明るい調子で挨拶をする。

 その間にもジャッカル頭がベルゼブブの背中に手を伸ばしていた。何をするのかと思いきや、彼は再生を完了させようとしていたベルゼブブの羽を掴み、恐ろしい腕力で引きちぎった。

 ちぎられた羽は無造作な手つきで床に投げ捨てられる。羽と一緒に剥がれたベルゼブブの皮膚から新たな血が滲み出た。

「間違っても殺すなよ“サルガタナス”」

 リリスが注意する。

「心配せずともベルゼブブはこの程度で死ぬような悪魔ではない」

 サルガタナスと呼ばれたジャッカル頭は淡々と応じた。


 樹流徒は怪訝な表情にならざるを得ない。いくら脳を回転させても、依然としてリリスたちが何を考えているのか見当がつかなかった。自分をベルゼブブと戦わせ、その一方でベルゼブブにトドメを刺すのを邪魔している。だが見る限り彼女たちは決してベルゼブブの味方ではない。

「お前たち何を企んでいる?」

 樹流徒が真意を尋ねと、三名の悪魔を代表してサルガタナスが答えた。

「全ては真バベル計画のためだ」

「真?」

 聞き慣れない言葉だった。「真のバベル計画」とはまた意味深な語感である。


 サルガタナスの後を継いで、リリスが樹流徒の疑問に答える。

「真バベル計画とは、このあと我々が実行するもう一つのバベル計画だ。それを成功させるにはサタンの救出と、ベルゼブブの生け捕りが必要になる。だからオマエにベルゼブブを殺させるわけにはいかないんだよ」

「そうか……貴様……私を……サタンの身代わりに……するつもりだな」

 息も切れ切れにベルゼブブが言う。

 彼の言葉で、ようやく樹流徒もリリスの狙いに気付いた。

「まさか、サタンの代わりにベルゼブブを生贄にする気か?」

「はい正解。相変わらずそこそこ頭が切れるじゃない」

 ルサルカは海底神殿でなぞなぞ遊びをした時の調子で樹流徒を褒める。


 バベル計画の最終段階では強い魔力を持つ悪魔を生け贄に捧げなければいけない。その生け贄にサタンを使おうとベルゼブブは画策していた。だからもし反乱軍がサタンを救出すれば、生け贄が無くなりバベル計画は続行不可能となる。バベル計画は悪魔の悲願を成就させるためのモノだ。それを潰すのは反乱軍としても本望ではないだろう。そこでリリスたちは一つの案を思いついた。サタンの代用としてベルゼブブを生け贄に捧げることで、バベル計画を継続させるという方法である。それこそが真バベル計画なのだろう。

「ベルゼブブほど強力な魔力を持つ悪魔ならば生け贄として申し分無いからな」

 とリリス。

「じゃあ、俺とベルゼブブを戦わせたのは?」

「我々がサタンを救出するまでの時間を稼いでもらうためだ」

「つまり俺にベルゼブブの足止めをさせたんだな……」

 今にして思えば、樹流徒には若干の心当たりがあった。リリスはたしかに樹流徒とベルゼブブを戦わせようとしていたが、その目的はベルゼブブの討伐ではないような口ぶりを一度だけ覗かせていた。

 その理由がいまハッキリした。リリスの目的はやはりベルゼブブを倒すことではなかった。反乱軍がサタンを救出するまでベルゼブブを樹流徒に抑えさせるのが彼女の狙いだったのだ。


「お陰で目的は達成できた。刻魔殿(こくまでん)に幽閉されていたサタンはもう自由の身だ」

 リリスが言うと、ベルゼブブは初めて狼狽らしい狼狽を見せる。

「あり得ない……刻魔殿には……結界が張ってある。ここまで早く……サタンを救出できるはずが……」

 そこまで言ってから、彼は自力で疑問を解いた。

「そうか……。結界の内側に……曲者が潜んでいたか。あるいは……味方が操られていたか」

「ご明察だ。こちらの目論見がオマエに気付かれやしないかと私たちは気が気じゃなかった。しかしキルトが予想以上の働きをしてくれて助かったよ」

 言ってから、リリスは樹流徒のほうに向き直る。

「というわけで真バベル計画のため、オマエにベルゼブブを倒させるわけにはいかない。故郷の仇を討ちたい気持ちは理解できるが、諦めてもらおうか」

「諦めろ……? そう言われて大人しく引き下がれると思うか?」

 到底納得できなかった。樹流徒が旅を続けてきた最大の理由は魔都生誕の真実を知ることだ。だがこの手でベルゼブブを倒すことも大きな目的の一つだった。それを今さら捨てられるはずがない。

「退いてくれ。俺はベルゼブブを倒す」

 樹流徒が殺気を放つと、サルガタナスは毅然とした態度で応じる。

「我々は目的を完遂させるため、ベルゼブブを守る」

「キルトには悪いけど、アナタがベルゼブブを殺すつもりなら私たちは命懸けで抵抗させてもらうわよ」

 ルサルカもその場を動こうとしない。無論、リリスも。

 ならば彼らを払い除けてでも、ベルゼブブを倒す。それを実行するだけの力を樹流徒は持っていた。束になってもベルゼブブに敵わないリリスたちが、今の樹流徒を力尽くで止められる道理がないのだから。


 が、次にリリスが放った一言により、動きかけた樹流徒の体が止まる。

「仲間を見捨てるつもりか?」

「仲間……」

「オマエが魔界を訪れた目的は察しがついている。おそらく聖界に連れ去られた伊佐木詩織を救出するためにバベル計画を乗っ取るつもりなのだろう。だが、もしオマエがベルゼブブを倒せば真バベル計画は実行不可能になる。その結果、聖界に連れ去られた彼女を助けられなくなるが、それでも構わないのか?」

「それは……」

「あるいはサタンを生け贄に捧げてバベル計画を実行するか? サタンは魔都生誕には何ら関係ない悪魔だ。その彼を無理矢理生け贄に捧げてバベル計画を実行するなど、オマエの性格ではできないはずだ」

「……」

「もし仮にオマエがサタンを生け贄にするつもりだとしても、我々が命を懸けてオマエを止める。オマエはサタンのみならず、魔都生誕とは無関係な多くの悪魔の命を奪う事になる。その覚悟はできているか?」

 いずれにしても樹流徒には辛い選択だった。

 自分の手でベルゼブブを倒し、皆の仇を討ちたい。だがベルゼブブを倒せば、詩織の救出を諦めるか、サタンを生け贄に捧げるか、どちらかを選ばなければいけない。樹流徒にとってサタンは何ら個人的な恨みが無い悪魔だ。その彼と、彼を慕う反乱軍の悪魔たちの命を犠牲にしてでもベルゼブブを倒してバベル計画を実行すべきか?

 元々、樹流徒はバベル計画を乗っ取るつもりだった。しかし計画の実行にはサタンを、仇でもない悪魔の命を一つ、犠牲にしなければいけない。その問題を樹流徒は失念していた。あるいは意図的に考えないようにしていたのかもしれない。だがもうその現実から目を背けるわけにはいかなかった。


 冷静に考えれば考えるほど、選択の余地など無い。樹流徒には詩織の救出を諦めることも、復活したサタンを生け贄に捧げることもできなかった。ベルゼブブは殺せない。ベルゼブブを生け贄に捧げて真バベル計画を実行させる以外の道が見付からなかった。


 樹流徒は天を仰いで瞼を強く閉じる。すぐ目の前に故郷の仇がいるのに、あと一息で皆の無念を晴らせるのに、手が出せない。思い切り叫びたい気分を通り越して、声が出なかった。やり場の無い感情を必死に胸の内に無理矢理押し込む。


 イース・ガリアの最上階を、強い風が何度も吹き抜けていった。

 ゆっくりと目を開いた樹流徒は、黙って頭上の暗雲を眺め続ける。リリスたちは一言も発さなかった。常に楽天的な雰囲気のルサルカでさえも真剣な表情をしている。皆、樹流徒の胸中を察してか、神妙な空気を作り出していた。


 程経て、樹流徒は空に投げていた視線を下ろす。冷たい風と静寂のお陰で、ようやく気持が少し落ち着いてきた。


 と、その時を待っていたかのように、新たな異変が起こる。

 リリス、ルサルカ、そしてサルガタナスに続き、またもや何者かがこちらに接近してくるのだ。ただ、その気配は明らかに異質だった。樹流徒はかつてこんなにも強烈な気配を感じたことはなかった。殺気を放っているわけでもないのに尋常ではない圧力が迫ってくる。魔王級を凌ぐ力の持ち主だとすぐに分かった。ベルゼブブをも凌ぐかもしれない。そんな力を持つ悪魔がこの世界にいるとすれば……


あの方(・・・)のご到着だ」

 サルガタナスが言い終えるよりも早いか、下から飛んできた異形の影がイース・ガリアの最上階を追い越して、樹流徒たちの目線よりやや高い位置で制止した。


 それは十二枚の光り輝く白い翼を持った青年だった。金色の髪と青い瞳を持ち、全身に純白の衣を纏っている。その姿はどこからどう見ても天使にしか見えなかった。しかも今まで樹流徒が見てきた天使の誰よりも神々しい雰囲気を持っている。あの天使ミカエルに匹敵するか、それ以上に気高く美しい。


 頭上で光り輝く天使の如き悪魔。彼の姿をベルゼブブが仰ぐ。

「サタン……」

 邪神の口からその名が呟かれた。




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