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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
31/359

図書館へ



 ――……ん。


 ――そ……ま君。


 ――相馬君。


 声がする。あまり減り張りの無い、少女の声だ。


 聞き覚えのあるその声に呼び覚まされ、樹流徒はカッと(まぶた)を見開いた。馴染みのない天井が視界に飛び込んできて、上体を跳ね起こす。

 寸刻、己の置かれた状況がはっきりしなかったが、すぐに全てを思い出した。自分がどこにいて、ここで何をしていたのかを。


 そうだ。ここは伊佐木さんの家。僕は廊下で横になって、そのまま眠ってしまったんだ。

 樹流徒の脳内にこれまでの出来事が瞬時に駆け巡る。


 体の上には暖色の薄い毛布が一枚かかっていた。今まで頭を寝かしていた場所には柔らかいクッションが敷かれている。


 そして正面には、樹流徒の名を呼んだ声の主が静かに立っていた。

 ニットの上にモッズコート、チュールスカートの下に黒いタイツ……詩織はいつの間にか私服に着替えている。右手にはきちんと折り畳まれた衣類、左手には何故か五百ミリリットルのペットボトルを四本も抱えており、それらは今にもこぼれ落ちそうだった。


「起こしてごめんなさい。アナタが余りにも静かに寝ていたから、もしかして……」

 詩織はそこまで言って、口を結ぶ。もしかすると樹流徒が死んでいるとでも思ったのだろうか。

「やっぱり僕は寝てたんだな」

 樹流徒は、自分自身に確認を取るように呟く。


 この事態は全くの想定外だった。樹流徒は、まさか自分が眠ってしまうとは思わなかった。眠気が無くても睡眠が可能だということを、今はじめて知ったのだ。そのせいでとんだ失態を演じてしまった。

 ただ、樹流徒の心に沸き起こったのは、ささやかな喜びだった。悪魔を吸収して以来すっかり化物じみてしまった己の体に、まだ人間らしい機能が残されていたことが嬉しかったのだ。


 詩織は微笑と無表情の中間みたいな表情を浮かべる。彼女なりの笑顔なのかも知れない。それを樹流徒に向けながら

「まだ寝てて。アナタは悪魔と戦った疲れも残っているはずだから」

 と、気遣いの言葉を掛けた。

「いや大丈夫。起きるよ」

 樹流徒は素早く立ち上がる。実際、彼の体は何ともなかった。睡眠前後で体の調子に余り変化はないようだ。人間ならば誰しもが起床毎に経験しているであろう、あの、頭がぼうっとなる感覚も襲ってこない。目もはじめから冴えていた。まるで今まで絶えず起きていたかのようだ。


 では、睡眠が全くの無意味だったのか? と、問われれば、必ずしもそうとは限らない。脳内が少しクリアになった感じはあった。あくまでそのような気がする程度である。熟睡したあとのような爽快感はまるで無かったが、微かな心地良さを覚えていた。


「僕はどれくらいの時間寝てたんだ?」

 樹流徒は尋ねる。自分ではおおよその見当すらつかないことだから、詩織に聞くしかなかった。

「分からない。私はアナタがいつ寝たのか知らないから」

 と、詩織。

「言われてみればそうか」

「でも、私が起きてからそろそろ2時間くらい経つと思う」

「随分経ってるんだな」

 樹流徒は率直な感想を口にする。

「本当なら僕は悪魔の襲撃を警戒しなければいけなかったのに、済まない」

 それから就眠してしまったことを相手に詫びた。


 詩織は一度だけ首を横に振る。

「結果的に何事も無かったから気にしないで。むしろアナタも休めて良かったわ」

「そう言ってもらえると助かる」

 樹流徒は本音を漏らした。いま詩織が言ったように、何も起きなかったから平然としていられるが、もし自分が寝ている最中、悪魔に襲われていたら「眠れて良かった」などと喜んでいられなかった。


 運が良かったと思いながら、樹流徒は足元に置かれた毛布に視線を落とす。

「これ、僕の体にかけてくれたの君だろう? ありがとう」

「ええ、アナタも。掛け布団のこともあるけれど、ここまで送ってくれてありがとう。私、そのお礼を言う前に倒れてしまったから……」

「君は疲れてたから仕方ないよ。それどころか、良く頑張ったと思う」

 樹流徒が褒めると、詩織は反応に窮したように無言で目を落とした。


「ところで、悪魔倶楽部へ行く準備はもうできている?」

 樹流徒は尋ねる。

 詩織は無言のまま、相槌を打った。樹流徒が寝ている間に全ての支度を済ませていたようだ。


 じゃあ、君さえよければ、早速出発しようか?

 続いて樹流徒はそのように提案しようとした。現世を訪れる悪魔が増加傾向にあるとしたら、行動は早いほうが良いかも知れない。


 が、それを伝えるよりも先に詩織の口が動く。

「相馬君。ちょっといい?」

「え」

「これ、もし良かったら使って」

 詩織は先程から手に抱えている衣類を樹流徒に手渡した。

 見れば、黒い布地にゴールドのラインが入ったジャージの上下だった。汚れや染みも無く新品に近い状態だ。

「これは?」

「父の服」

「借りてもいいのか?」

「ええ。アナタの制服、もうボロボロだもの」

 詩織は首肯した。


「私の父、私服はジャージしか持ってないからそれしかないの。背丈は多分アナタと同じくらいだからサイズは合うと思うけれど」

「ああ。ありがたく着させてもらうよ」

「あと、これも」

 詩織は、服と同じく先程から手に持っていた四本のペットボトルをひとつずつ床に並べてゆく。未開封の白いキャップの下でミネラルウォーターが水面を揺らしていた。


「折角だけど、僕、喉が渇かないんだ」

「知ってる。でも念のために水分補給だけはしておいた方が良いと思う」

 その言葉に樹流徒は少し考えて

「確かに君の言う通りかもな」

 首を縦に振った。

 眠たくも無いのに寝てしまったくらいだから、喉が渇いてもいないのに脱水症状を起こす危険性だってあるかも知れない。ここは詩織の忠告に従って水を飲んでおいたほうが良さそうだった。


「でも流石にペットボトル四本も要らないな」

「残った水は浴室で体を洗うのに使って貰おうと思って」

 と、詩織。

 この辺りの建物は全て景観を重視しているため屋上に貯水槽があるマンションは無かった。そのため停電するとすぐに断水してしまう。地下の受水槽から各家庭に水を運ぶポンプが働かなくなってしまうためだ。蓄電池や自家発電装置を備えている建物ならば話は別だが詩織のマンションはそれに該当しなかった。

「ああ……そういうことか。助かるよ」

 樹流徒は礼を言って、床に置かれたペットボトルを拾い上げる。その最中

「タオルは洗面所にあるのを適当にどうぞ」

 詩織が言った。


 樹流徒は洗面所まで案内してもらうと、隣の浴室で全身に付いた返り血を洗い流し始めた。

 悪魔の青い血が水に溶け、樹流徒の体を伝い床にぼれ落ちてゆく。水は冷たかった。普通の人間にとってそんなことは当然だが、樹流徒にとってはその当然が嬉しかった。


 入浴自体も毎日当たり前にしてきたことだが、今後はそうもいかないだろう。もう蛇口を捻っても水は出てこないのだ。樹流徒は生まれて初めて、自分が今までいかに恵まれた環境にいたかを知った。今のところ食べ物にも寝る場所にも困っていないが、それがなければもっと不便を痛感していたはずだ。


 肌についた血を洗い流してさっぱりすると、樹流徒は洗面所の鏡の前に立ち、己の体を確認する。血は全て綺麗に落ちていた。

 それから借りた服に着替える。樹流徒は詩織の父と体型が似ているという話だったが、そのジャージは樹流徒の体には若干大きかった。


 身も心も綺麗に整った樹流徒は、それから少しして、詩織と共に伊佐木家を出た。

 詩織は余り現世や実家に未練がないのか、樹流徒が悪魔倶楽部への移動を提案すると、二つ返事で了承した。むしろ家を離れて遠くへ行くことを望んでいるようにすら見えたのは、樹流徒の気のせいだろうか。


 ともあれ、もう彼女の家に引き返すことはなかった。

 マンションを出て徒歩で移動すること約三十分経った頃、二人は目的の場所に到着した。


 そこは“龍城寺中央図書館”。樹流徒の記憶では四、五年前に建てられた市営の公共図書館である。

 敷地面積約四千六百平方メートル。建物は二階建て。中は吹き抜け構造になっている。蔵書数は十七万冊を超え、CDやDVDだけでなくビデオテープも貸し出されている。個室が設置されており、一部の利用者達からは非常に有り難がられていた。またインターネットを利用するためのパソコンが配備されているが、言うまでもなく現在使用不可能である。


 二人はこれから予定通り、この図書館の窓を使って悪魔倶楽部へ移動する。


 詩織の肩には少し大きめの旅行用バッグが提げられていた。中に何が入っているのかは不明だが、樹流徒が予想していたよりも大分身軽だった。

 軽いのは荷物だけではない。詩織自身の足取りも目に見えて軽やかになっていた。良い休息が取れたに違いない。


 樹流徒たちは図書館の正面に立つ。眼前には、入り口まで続く幅が広くて短い階段があった。そこに市民の死体が複数横たわっている。

 二人はひとまず彼らの間を通り過ぎて図書館の中に入った。


 入り口を通り過ぎると今度は彼らの視界が司書と図書館利用者たちで埋め尽くされた。

 今は受験シーズンを目前に控えた時期ということもあって学生たちの姿が特に目立つ。皆、机の上でうつ伏せになっており、まるで一斉に眠っているみたいだった。勿論床に倒れている人もいる。


「こういう光景に見慣れるのって、嫌ね」

「そうだな」

 樹流徒と詩織は一言交わし、お互い申し合わせることなく市民たちを外に運び始める。残念ながら、生きている者は一人もいなかった。

 自然と樹流徒の表情は険しくなる。認めたくない事実だが、これだけ経っても誰も目を覚まさないということは、恐らくもう皆、死んでいるのだ。自分の家族も二度と起き上がらない。その辛い現実をそろそろ正面から見つめなければいけない頃だった。


 階段に倒れていた死体と、図書館周辺に転がっている死体も運ぶ。全ての屍を一箇所に整列させてゆく。図書館の中にある死体も合わせて、全部で六十体前後ありそうだが、樹流徒の力ならば脇に大人を一人ずつ抱えることもできる。作業はそれなりに早く終わりそうだった。


 ところが、樹流徒が建物内から丁度二十体目の死体を運び出すために外へ出た時。

 樹流徒は、視線の先に現われたある存在に気付いて立ち止まる。


 図書館前に整列させておいた死体の傍らに、いつの間にか異形の生物が一体、佇んでいた。

 悪魔に違いない。




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