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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
306/359

夢(後編)



 家を出てから並足で約二十分。樹流徒は学校の前に到着した。

 あと十分で遅刻というこの時間帯。それは登校してくる生徒の数が最も多くなる時間帯でもある。樹流徒と同じ制服を着た大勢の生徒がゾロゾロと校門に流れ込んでゆく。


 樹流徒も他の生徒に紛れて校門を通り過ぎた。靴箱で上履きに履き替え、自分のクラスへと向かう。

 教室内は至って普段通りの様子だった。すでにクラスメートの大半が登校しており、談笑している生徒もいれば、一人で静かに読書している生徒や、机の上に打っ伏している生徒もいる。


「オッス」

 樹流徒が教室に入ると、クラスメートの男子が気さくに声を掛けてきた。

「おはよう」

 樹流徒は挨拶を返して、廊下側にある自分の席に着く。

「あ、相馬君。おはよう」

「おはよう」

 隣の席の女子とも挨拶を交わした。ごくありきたりな日常。自然な世界だ。


 まだ朝のショートホームルームが始まるまで少し時間がある。

 樹流徒は窓際のある席に視線を送った。伊佐木詩織の席だ。夢の中で深く関わったせいか、妙に彼女の存在を意識してしまう。


 詩織はまだ登校していないようだった。樹流徒の印象では、詩織は早起きな生徒だ。小学生の頃から彼女よりも早く登校した覚えが一度もない。たまに樹流徒が普段より早く登校する日があっても、教室にはいつも詩織の姿があった気がする。もっとも、今まで彼女の存在を意識して見ていたわけではないので、樹流徒の印象もそれほどアテにはならなかった。

 ただ、普段の詩織ならばまず間違いなくこの時間には登校しているはずだ。なのにまだ来ていないという事は、彼女にしては珍しく遅刻かもしれない。樹流徒は無人の席を見つめながらそう思った。


 やがて教室前の壁掛け時計が八時二十五分を指し示す。詩織が登校しないままチャイムが鳴り、ホームルームが始まる時間を迎えた。

 生徒たちは各々の席に着いたあとも近くの者と談笑を続けている。

 それが教室前の扉が開いた途端、ピタリと止んだ。

 廊下からやや(・・)小太りの中年男性が入ってくる。樹流徒たちのクラスを受け持つ教師だ。

 小太りの男性教師は教室を見回して空席が一つあるのを見つける。

「その席は、えーと……伊佐木か。休みの連絡は受けてないんだけどな」

 などと低い声で言った。

 そのあと教師から生徒たちに連絡事項が一つ伝えられ、ホームルームはすぐに終了した。


 一時間目の授業が始まるまで五分ある。

 樹流徒はメイジに会い行くことにした。夢の中では死別してしまった親友だが、現実では当然のように生きているはずだ。今日ほど彼に会いたい日はなかった。


 メイジが所属する×組の教室前まで行く。そこを出入りしている生徒を適当に捕まえて

「ごめん。籠地(かごち)呼んで貰ってもいいかな?」

 と頼んだ。

 籠地というのはメイジの名字である。メイジのことをメイジと愛称で呼ぶのは彼と親しい者だけだ。なので「メイジを呼んで欲しい」と頼んでも相手に通じない場合がある。「メイジって誰?」と聞かれると二重手間になってしまうので、樹流徒は敢えて初めから「籠地を呼んで欲しい」と彼の名字を使った。


 樹流徒に呼び止められた男子生徒は「えーと……」と歯切れの悪い返事をしてから

「籠地君なら今日は来てないよ」

 そう答えた。

 来てない? 樹流徒は一瞬きょとんとする。

「欠席してるのか? どうして?」

「さあ。理由は知らないけど……」

「そうなのか……。ありがとう」

 詩織だけでなく、メイジも今日は学校を休んでいるらしい。

 夢の中であんなことがあったせいか無性に二人の姿が見たいのだが、欠席では仕方ない。

 樹流徒は大人しく自分のクラスに戻った。


 午前中、樹流徒はずっとボーっとしていた。今日は授業に全く集中できない。原因は分かりきっていた。まだ夢の影響を引きずっているのだ。色々な悪魔との出会いや別れ、そして命を賭けた勝負。目を覚まして時間が経過した今でも全てを思い出せる。すぐに忘るなんてできない。もしかして一生脳に焼き付いたまま離れないかもしれない。


 昼休みになると樹流徒は教室で一人食事を済ませ、すぐに三階の図書室へ向かった。普段その部屋に行くことはないのだが、今日だけは特別だ。


 図書室の中はガランとしていた。無人の空間を足早に横切って樹流徒は窓際で立ち止まる。窓の下には中庭が見えた。明るい日差しの下、芝生に座って二人仲良くお弁当を食べている女子の姿がある。校舎の壁に背中を預けて携帯型のゲーム機を弄っている男子の姿もあった。


 詩織から世界滅亡の予言を告げられたのは、たしか中庭が見下ろせるこの場所だった。それを思い出して、樹流徒は不思議とここが懐かしい場所に感じた。

「あれは本当に夢だったのか?」

 呟いても答えは返ってこない。何だか心にぽっかりと大きな穴が開いたような気分だった。


 窓ガラスに映る自分の顔はどこか冴えない。それに背を向けて樹流徒は上着のポケットに手を忍ばせた。中から携帯電話を取り出す。丁度周りに誰もいないのでメイジに電話をかけてみる事にした。


 ――ツツー、ツツー……プルルルル……プルルルル……プルルルル……


 呼び出し音が何度も繰り返されたが、メイジは電話に出なかった。ひょっとして風邪か何かで寝込んでいるのかもしれない。

 だとしたらこれ以上相手の携帯を鳴らすのは悪い気がした。樹流徒は通話を止めてメールに変更する。携帯電話のボタンを押してメールの文章を打つが、やけに操作しにくかった。まるで何ヶ月もこの機械に触れていなかったかのような感覚だ。

『今日、学校休んだんだな。お前がいないと退屈だ。明日は来れそうか?』

 やっと打ち終わった文章を送信をして、図書室を後にした。


 昼休みが終わり、午後の授業に突入する。午前中と同様、樹流徒はまったく勉強に身が入らなかった。授業中も、休み時間も、夢の続きをずっと想像していた。

 自分がベルゼブブに敗北したあと、あの世界はどうなったのか? バベル計画は成功したのか? 悪魔と天使の戦争が始まったのか? 詩織は無事なのか?

 夢の世界のその後など考えても仕方ないのだが、それでも気になって仕方がなかった。


 妄想をたくましくしていると、いつの間にか午後の授業が終わっていた。帰りのホームルームもすぐに終了し、生徒たちが待ちに待った放課後になる。部活に所属していない樹流徒は学校に残る理由も無くさっさと一人で帰路に着いた。


 帰り道は少し退屈だった。隣にメイジがいないという理由もあるが、それだけではない。今朝はあんなに新鮮だった町並みが、早くも見慣れた光景に戻りつつあるのが原因だった。

 ようやく夢から覚め始めたのか。その割には心にぽっかり開いた穴が少しも塞がらない。


 家に帰り、宿題をやって、ちょっとゲームで遊んで、ネットを徘徊し、家族と夕食を共にして、歯を磨き、風呂に入って、読書をして、ベッドで寝る。そのあいだにもう一度だけメイジにメールを送ってみが返信は無かった。

 ごくありきたりな時間が過ぎてゆく。少し退屈だけど平和で幸せな時間だ。一連の不思議な出来事は本当にただの幻だったのだ、と樹流徒は自分に言い聞かせた。かけがえの無いこの日常こそが現実なのだ、と……


 翌朝も青空の中で太陽がさんさんと輝いていた。

 昨夜は不思議な夢を見なかった。夢そのものを見なかった。お陰で樹流徒は連日母に起こされる必要も無く普段通りの時刻に目を覚ました。身支度と食事も平常通りの時間に済ませて家を出る。


 道中これといって変わった事も無く学校に到着した。教室へ行ってみると、今日も詩織の姿は無かった。二日続けての欠席だろうか?

 それについて、朝のホームルームになると、担任教師の口から意外な事実が告げられた。

「残念ながら伊佐木さんは、ご家族の都合で急遽遠方へ引っ越しました」

 教室内が軽くざわつく。


 伊佐木さんが引越し? つまり転校! 樹流徒は驚き、少なからずショックを受けた。

 樹流徒と詩織は赤の他人だ。あの出来事が全て夢ならば、クラスメートという以外何の接点も無い他人同士のはずだ。

 なのに樹流徒はもう二度と彼女に会えないという事実に、自分でも意外なほどの衝撃を受けた。


「えー。じゃあ伊佐木さんもう学校来ないの?」

 詩織と特別親しくもなかったであろう女子が、いかにもがっかりしたように言う。

 それが彼女の転校を惜しむ唯一の声だった。

 おそらく詩織はクラスの中に親しい友人がいなかった。だから彼女がいなくなって心からショックを受けているのは、たぶん樹流徒一人だけだった。


 朝のホームルームが終わると、樹流徒はもやもやした気分を抱えてメイジのクラスに向かった。思い切ってメイジに夢の内容を打ち明けようと決めていた。多分メイジには笑われるか馬鹿にされるだろう。それでも聞いて欲しかった。メイジに笑い飛ばしてもらえば、夢を忘れられそうな気がするから。


 だが教室に行ってみるとメイジは今日も休みだった。未だ彼から電話もメールも来ない。

 樹流徒は少し親友が心配になった。普段のメイジだったら仮に風邪を引いたとしてもメールの返信くらいは必ずする。それが無いということは、よほど体調が悪いか、あるいは別の理由があるのか。

 確かめたほうが良いかもしれない。放課後になったらメイジの家に行ってみよう、と樹流徒は決心した。


 この日も先日と同様、終始授業に集中できなかった。どうしてもあの夢の続きを考えてしまう。樹流徒の心には穴が開いたままだった。その穴を埋めようと、休み時間に比較的仲の良いクラスメートと取りとめもない会話をしてみたが、何の効果も無かった。 


 そして放課後。ショートホームルームが終わるなり、樹流徒は通学用のバッグを持って教室を飛び出した。一刻も早くメイジの様子が知りたい。彼と会って話がしたかった。


 籠地(かごち)家(メイジの家)は相馬家と大体同じ方角にある。放課後になると樹流徒とメイジが途中まで一緒に帰れるのもそのためである。

 その家は閑静な住宅地の真ん中にあった。樹流徒は子供の頃から何度もその家に遊びに行った事がある。夕食をご馳走になったり泊めて貰ったりしたのも一度や二度ではない。お陰でメイジの家族ともすっかり顔なじみだった。


 メイジの兄弟や両親と会うのも久しぶりな気がする。皆、変わり無く元気にしているだろうか。

 そんなことを考えながら歩いている内、目的地に到着した。


 樹流徒は信じられないものを目の当たりにする。


「無い……」

 愕然とした。手に提げたバッグを我知らず地面に落とす。

 籠地家が無くなっているのだ。間違いなくその場所には赤い屋根の大きな家が建っていたはずなのに、今は綺麗な更地になっている。地面には茶色い土が敷き詰められ、家はおろかドアやガラスの一枚も無かった。

 これは一体どういうことだ? 奇怪な出来事に襲われて樹流徒はその場に立ち尽くす。


 と、彼の後ろを一人の通行人が通りかかった。

 七、八十歳くらいの老女である。猫背で小柄な、少し険しい顔つきをした女性だった。彼女は樹流徒のすぐ後ろで立ち止まる。そして少し怪訝そうな目で、茫然と突っ立っている樹流徒の背中を見た。


 そのまま三十秒くらい経っても樹流徒が一向に動く気配が無いので

「ちょっとアンタ。そんなところで何してるんだい?」

 痺れを切らしたように老女が声を掛けた。

 そのとき初めて背後の気配に気付いた樹流徒は慌てて振り返る。

「あ……すいません。ここにあった家、どうしたんですか?」

 尋ねると、老女は「ああ?」と目を丸くした。

「家って、なんだい?」

「ここに籠地っていうお宅の家があったはずなんですけど……」

「馬鹿言っちゃいけないよ。ここには十年以上も前から家なんて建ってないだろう」

 からかわれていると思ったのか、老女は少し怒ったように言う。

 樹流徒は耳を疑った。

 そんな馬鹿な。ここには確かにメイジの家があった。何度も遊びに来たのだ。間違えるはずが無い。

「アタシはずっと昔からこの近所に住んでるんだ。だから断言できるよ。そこに民家なんて無かった」

 最後にそれだけ言い残して老女は去っていった。

 樹流徒は改めて無人の土地と見詰め合う。

 老女の話が事実かどうかは置いておくとして、目の前が更地なのは動かしようも無い事実だ。籠地家がどこかへ消えてしまった。


 じゃあ、メイジは一体どこへ行ってしまったんだ?

 樹流徒は釈然としないまま、しばらくのあいだその場に佇んでいた。


 秋の暮れともなると夜の訪れが早い。

 樹流徒が家に帰った頃には、外は真っ暗闇になっていた。

 家に入るなり樹流徒は階段を駆け上がって部屋にこもった。灯りもつけずにベッドの上で悶々と頭を悩ませる。

 伊佐木詩織が突如引っ越し、メイジは家もろとも姿を消してしまった。夢の中で聖界に連れ去られた少女と、死んでしまった親友が、現実でも同時に自分の前からいなくなってしまったのだ。これはただの偶然なのか?


 もう一度メイジに電話を掛けてみるが、誰も出ない。樹流徒は布団の中で一人、頭を掻き毟った。


 夕食の時間になると、母・裕子が部屋を訪ねてきた。

「ごめん。今日は何もいらない」

 樹流徒は食欲が無いので夕食を断った。折角料理を作ってくれた母には申し訳ないと思ったが、モノが喉を通りそうにないのでどうしようもない。

「じゃあ、お皿にラップして冷蔵庫にしまっておくから、お腹が空いたら温めて食べてね」

 それだけ言って裕子は階段を降りていった。


 そのあとも樹流徒は布団の中で延々と思考を巡らせた。

 伊佐木さんはなぜ急に引っ越してしまったのか?

 メイジはどこへ消えてしまったのか?

 あの夢は、本当の本当にただの夢だったのか?

 そんなことを考えて謎が解けるわけでもないが、あれこれ想像せずにいられなかった。


 時の流れがやけに早く感じる。樹流徒が一人で神経をすり減らしている内に、外はすっかり真夜中になっていた。

 ずっと布団に(くる)まっていたのに眠れなかった樹流徒は、外出用の服に着替えてこっそり家を抜け出した。もう一度あの更地に行ってみようと考えたのだ。樹流徒はあの場所に籠地家があった事実を知っている。なのに近所に住む老女は「家など無かった」と断言していた。この矛盾をすんなり納得できるはずがない。

 少しでも気になったらもうジッとしていられなかった。メイジが心配だ。だがそれと同じかそれ以上に、あの不思議な体験が全部夢だったなんて信じられなかった。本心を言えば認めたくないのかもしれない。今までの出来事が何もかも虚構だったなんて、どうしても受け入れられない。あの夢とメイジの失踪には何か関係があるのでは? この世界には何か秘密があるのではないか。樹流徒はそう信じたかった。


 真夜中の住宅地を走る。全力疾走すると数百メートルで息が切れた。魔人の肉体ならば体力に限界などなかったのに、もっと速く走れるのに、体が思うように動いてくれない。


 遅い、遅い、と己の体に若干の苛立ちを感じていると、メイジの家があったはずの場所にたどり着いた。

 昼間と同じくそこはただの更地だった。家は無く、真夜中だけあって人の気配も無い。


 ここにメイジが失踪したヒントが隠されていないか?

 樹流徒は更地に踏み込むと、携帯電話のライトを使って、辺りを調べ始めた。

 祈るような気持だった。どんな小さな事でも良いから、何か情報を得たかった。

 不安もある。もし伊佐木さんと同じようにメイジまでどこかへ消えてしまったら。そんな風に想像すると、強い焦燥感に駆られた。


 すると……

 辺りを必死に調べた結果、樹流徒はそれを発見した。

 夕方にここを訪れたときは気が動転していたせいか気付かなかったが、良く見れば地面の一ヶ所だけ明らかに土の色が違う部分がある。また、その部分だけ一度掘り返したような跡が残っていた。


 樹流徒はライトを付けっぱなしにした携帯電話を足下に置き、急いで色違いの土をかき分ける。

 すぐに指先が滑らかな感触とぶつかった。


 土の中から一枚の透明なビニール袋が出てくる。袋の中にはメモ用紙らしきものが入っていた。

 樹流徒は慌ただしい手付きで袋の中からメモ用紙を取り出す。


 紙には、ボールペンを使って何かが走り書きしてあった。雑な字だが何とか読める。

 非常に見覚えのあるその文字を見て、樹流徒の全身に鳥肌が立った。

 メモ用紙にはこう書いてあった。


『樹流徒へ。オマエが俺の死体を流した場所で待つ メイジ』




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