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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
300/359

霊的都市の秘密



 うっとフルーレティの口から声が漏れる。強打された彼の体は後方へ弾け飛んで地面を転がった。


 畳み掛ける好機。樹流徒は両手から電撃を放つ。さらにその後を追って自身も飛び出した。

 フルーレティは床を転がって電撃を避けると、すぐさま腹を押さえながら立ち上がる。そのときにはもうフルーレティとの間合いを詰めた樹流徒が腕を引いて攻撃を放つ態勢に入っていた。


 遠目から樹流徒の爪が真っ直ぐ伸びる。フルーレティは後ろへ下がってやりすごすと、手中に氷のレイピアを出現させた。リーチの長さを生かして樹流徒よりもさらに遠目から反撃の突きを繰り出す。

 樹流徒は即宙でかわした。続いてフルーレティがなぎ払ってきた刃もバック転で避ける。

 逃がすまいとフルーレティはさらに次の一撃を繰り出そうと身を翻した。その足はすぐ止まる。

 樹流徒の上半身から数十本もの針が飛び出していた。白黒の縞模様が入った大きな針が、今すぐにでも発射可能な態勢に入っている。

 フルーレティは即座にレイピアを消した。変わりに自身の前に氷の盾を作り出す。


 樹流徒の上半身を覆う針が一斉に飛び散った。その内の数本が氷の盾に突き刺さる。針の貫通力は凄まじく盾の滑らかな表面があっという間に穴と亀裂まみれになった。ただし破壊には至らない。針の雨を浴びながらも氷の盾はかろうじて原型を留めていた。


 が、攻防はまだ続いている。針の発射と同時に樹流徒が飛び出していた。彼の拳が氷の盾を殴りつける。針を防御してすでに崩壊寸前だった盾はいとも簡単に壊れた。

 盾の破片が飛び散って床を転がる。フルーレティは咄嗟に後ろへ跳んで逃れた。そのとき彼の瞳に異物が映る。飛び散る氷片に紛れて細長い物体が何本も宙を走った。内一本がフルーレティの頬を切り裂く。


 異物の正体は真っ赤な爪だった。一つ目人魚の悪魔セドナが使う赤い爪は射出できる。それを覚えていた樹流徒は、氷の盾を破壊したその手で爪を発射していた。もう少し正確に言うと、盾を破壊してフルーレティの注意をそちらに引き付け、その隙に爪を発射したのである。

 ちなみにセドナの赤い爪には毒が含まれているが、フルーレティに対しては効果が無いらしい。頬に爪を受けた彼は特に苦しむ様子も無く、あくまで冷静な目をしていた。


 フルーレティは両手を高く掲げる。彼の真上に小さな氷の粒が一つ現われた。

 氷の粒は上昇しながら急速に膨らむ。天井付近で停止した頃には気球のような大きさになっていた。

 キンと鼓膜に響く甲高い音を立てて巨大な氷塊が弾ける。散らばった氷の破片が鋭利な形を取り、地上の広範囲に降り注いだ。フルーレティの元にも次々と氷の破片が降ってくるが、彼は氷を吸収できるので逃げる必要が無い。


 樹流徒は獣の如き速さで頭上から降り注ぐ攻撃から逃れた。彼の動きをフルーレティの目が追う。

 樹流徒の回避行動が終わった地点を狙ってフルーレティが次の攻撃を仕掛けた。重ねた両手の先に小さな氷の欠片が何百と現われ、渦を巻き、竜巻となって樹流徒を襲う。


 樹流徒はすぐさま床を蹴って離陸。飛行能力で真上に急上昇して氷の竜巻を寸でのところで回避した。間髪入れず手から炎を放って反撃する。炎は樹流徒の手を離れた途端、矢を(かたど)った。見た目通りの速さでフルーレティの胸に飛び込んでゆく。

 高速で飛来する炎の矢に対してフルーレティには盾を作る暇すらなかった。それでも彼の防御は簡単に崩れない。盾が間に合わなくても、代わりに氷の装甲が防御した。


 遠距離攻撃ではフルーレティにダメージを与えられない。勝負を決めるなら接近戦だ。樹流徒は着陸するとすぐ、敵に突進した。

 このままでは埒が明かないと思ったのは相手も同じか。接近戦では不利と自認したフルーレティも樹流徒の挑戦を真っ向から受けて立つ。


 殺風景な空間の中で二つの影が躍動した。悪魔の爪と氷の爪が何度もぶつかり合う。樹流徒が攻め込んだかと思えばフルーレティが押し返す。フルーレティが相手の不意を突いたかと思えば樹流徒は冷静に対応する。そろそろ互いの手の内が見えてきたせいか、両者とも相手に付け入る隙を与えず、一進一退の攻防を繰り広げた。


 その均衡を破ったのは樹流徒だった。フルーレティが左右連続で振り払った爪をウィービングで避ける。そこから素早いステップで相手の懐に潜り込み、爪を解除した拳を敵の顎めがけて振り上げた。

 樹流徒はある可能性に気付いていた。これまでフルーレティの体を守ってきた氷の装甲だが、もしかすると顔まではカバーできないのではないか? という可能性である。根拠はあった。それは先ほど樹流徒が飛ばした赤い爪である。あの爪は氷の装甲にガードされることなくフルーレティに命中した。それを見て樹流徒はもしや、と思ったのである。

 予想は見事に的中していた。樹流徒の拳がまともにフルーレティの顎を跳ね上げる。さらに返しのストレートも敵の口元を打ち抜いた。やはり氷の装甲は顔を守れないのだ。


 樹流徒の強烈な連続攻撃に、流石のフルーレティも表情を歪める。彼は歯を食いしばるとたたらを踏んで後退した。

 このまま一気にダメージを奪おうと樹流徒はすぐさま敵に接近する。だがフルーレティは素早く後方へ跳んで逃れた。そう易々と致命傷は与えさせない。


 より確実に敵へ致命打を浴びせるためには、敵の動きを封じる必要がある。

 樹流徒は両手を広げると、虚空に大きな空洞を生み出した。闇の奥から植物の(つる)が大量に這い出てくる。この蔓は相手を追跡する能力と、捕えた敵を身動き一つ取れなくする強度を併せ持つ。捕まればフルーレティの腕力でも脱出は不可能だろう。


 植物の蔓はさながら蛇の群れのように地を張ってフルーレティに迫った。

 対するフルーレティは素早く手の平を床に着く。地面から強い風と大量の白煙が噴き出した。白煙は風に乗って直進する。それが通った跡として牙のように鋭い氷柱が地面に残された。

 地面を凍りつかせながら走る冷気の風と白煙は、樹流徒が召喚した蔓を全て氷漬けにする。


 フルーレティの捕縛は失敗。樹流徒はすぐ次の行動に出る。彼の足下に円形の光が浮かび上がった。それを樹流徒が踏むと、フルーレティの真下から尖った岩が飛び出す。

 フルーレティは素早い反応で宙に舞って寸でのところでダメージを免れた。


 全て樹流徒の狙い通りだった。植物の蔓も、岩の針も、本命を命中させるための布石に過ぎない。

 宙に飛び出したフルーレティは、際どいタイミングで岩の針を回避したことにより、微かに安堵したような表情を浮かべた。そこに隙が生じる。


 岩の針を見下ろしていた瞳がはっとしたように樹流徒のほうを見やった。そのときにはもう、触手に変化した樹流徒の両手がフルーレティの両手首に巻き付ついていた。

 相手を捕えた樹流徒は宙に浮いてフルーレティと同じ高度で停止する。皮膚が裂ける音がして魔人の腹が上下に開いた。奥から炎の渦が飛び出す。同時に樹流徒は敵の拘束を解いた。

 体の自由を取り戻したフルーレティだが、今更回避しても間に合わない。彼は首から足の先まで氷の装甲で身を包み防御を固めた。装甲で守れない顔は両腕を交差してガードする。


 炎の渦がフルーレティの全身を飲み込んだ。氷の装甲が炎の熱に反応して大量の白煙を発生させる。荒れ狂う炎の中でもフルーレティは声を上げなかった。ダメージが無いのか、それとも痛みに耐えて声を押し殺しているのか。


 白煙が晴れると、宙に静止するフルーレティの姿が現われた。頬や肩など全身の数ヶ所に酷い火傷を負っている。炎の渦が氷の装甲を剥がしたのだ。


 致命傷こそ与えられなかったものの、フルーレティのダメージは大きいように見えた。

 一気に勝負を決めるべく、樹流徒は漆黒の羽で空気を叩きつけ敵に接近する。

 フルーレティは重力に身を任せて落下し、地上に逃れた。

 樹流徒は急停止して、落下する敵めがけ両手から電撃を放つ。しかし飛行能力で後方へ逃れたフルーレティに避けられた。

 

 両者は着地して同じ地平で向かい合う。

 互いの表情を確認し合う間もない。樹流徒はすぐさまフルーレティに向かって走った。

 フルーレティは氷のレイピアを装備すると、やや腰を落とし、肘を曲げた腕を前に出す。フェンシングのような構えを取った。


 樹流徒は相手の攻撃範囲と動きに注意しながら、しかし突進のスピードは決して緩めない。

 ふと、レイピアの先端が急に近くなった気がした。目の錯覚ではない。実際に刃の先端が近付いてきたのだ。氷のレイピアが伸びて急激にリーチを増したのである。最早レイピアというより、槍と呼んだほうが良い長さだった。


 もし前方の景色に集中していなければ、樹流徒は氷の刃に胸を貫かれていただろう。

 全力で集中したときのみ、樹流徒には視界に映る景色がスローに見える。彼は宙を舞って、伸びるレイピアの先端をかわした。

 フルーレティが一驚を喫した面を上げる。

 樹流徒はムーンサルトを繰り出し、敵の頭上から蹴りを放った。魔人の全身が輝く。樹流徒の蹴りは氷の装甲を打ち砕き、フルーレティの胸板を突き飛ばした。


 フルーレティは虚を突かれたままの表情で派手に吹き飛び、地面を転がり、イース・ガリアの硬い壁面に叩きつけられる。すぐさま立ち上がったが、今の一撃がよほど骨にこたえたのか、壁を背負ったまま身動きが止まった。


 勝負を決する好機に、樹流徒は迷わず飛び出す。ベルゼブブの懐刀であり、メイジがベルゼブブ一味に入ったきっかけを作った因縁の敵。それを、今、ここで倒す。

「待て」

 搾り出すようにフルーレティが声を発した。焦りこそないが、苦しそうな声色だ。

 樹流徒は止まらなかった。たとえフルーレティが苦しみを訴えても、悲痛な声で泣き叫んでも、聞くわけにはいかない。ベルゼブブたちの罪を思えば、どうしても許せなかった。樹流徒の家族も故郷の人々も、命乞いの機会も逃げる暇も与えられずに問答無用で命を奪われた。樹流徒は、今更敵の命乞いなど聞きたくもなかった。


 が、次にフルーレティが放ったひと言により樹流徒の足は止まる。


「さっきの質問に答えよう」

 フルーレティはやや語気を強くして言った。

 “さっきの質問”とは、戦闘前に樹流徒がフルーレティに問いただそうとしたことだろう。龍城寺市がバベル計画に利用された理由についてである。

「本当か?」

 樹流徒が問うと、フルーレティは首肯した。

「質問に答えるだけで回復の時間が稼げるなら安いものだ。何しろオマエが欲している情報は、我々にとってどうでも良いものだからな。知られたところで何の不利益にもならない」

 とフルーレティ。

「分かった……一時休戦だ」

 みすみす敵に回復の時間を与えるのは(しゃく)だが、樹流徒はほとんど迷わず話を聞こうと決めた。死んだ皆の仇を討ちたい気持ちは強いが、それ以上に真実を知りたい気持ちが強かった。思い返せば樹流徒の旅は“魔都生誕の謎を解き明かしたい”という動機から始まったのだ。旅の本来の目的なのである。


 フルーレティは痛みを堪えるようにゆっくり壁から離れ、樹流徒の前までやって来る。そして血と火傷に汚れた頬を動かして、おもむろに口を開いた。

「結論から言えば、オマエの故郷がバベル計画の実行場所に選ばれたのは、予め決めれられていたことだ」

「龍城寺市が……あの街が滅んだのは偶然じゃない、という事か」

「そうだ」

「ならば理由を教えろ。なぜ俺たちの街を利用した?」

「あの土地には強い霊的な力が満ちているからだ」

「霊的な力……」

 その言葉を樹流徒が初めて耳にしたのは、魔都生誕が発生してすぐの頃だった。イブ・ジェセルのメンバーである南方から聞いた話の中に「霊的」という単語が出てきたのである。

 当時南方の話を聞いても何一つぴんと来なかった樹流徒だが、今となっては色々と理解できる気がした。霊的な力の意味について言葉で表現するのは無理だが、感覚として非常に良く分かる気がする。科学では説明できない現象を幾つも目の当たりにしてきたせいだろうか。殺気や気配など目に見えないものを感じられるようになったからかもしれない。


「しかし、その霊的な力とバベル計画に何の関係がある?」

「バベル計画を実行するためには、現世の中でも特に霊的な力が強い土地が必要だった。だから、オマエの故郷が生け贄に選ばれたのだ」

「なぜ、あの街は霊的な力が強いんだ?」

「それは最近まで我々にも分からなかった。しかし、いま現世をうろついている化物のお陰で謎が解けた」

 とフルーレティ。

 現世をうろついている化物というのは、まず間違いなくネビトのことだろう。

 だが、ネビトの存在と龍城寺市の霊的エネルギーが強い事に、一体何の関係があるというのか?

 その答えをフルーレティは語る。

「オマエの故郷は魔界と繋がる以前からどこか別の世界と繋がっていたはずだ。その世界から霊的な力が漏れ、あの街に広がったのだ。恐らくいま現世をうろついている化物は、その別世界から来た住人なのだろう」

「そんな馬鹿な……」

 にわかには信じられない話だった。フルーレティが言う“別世界”とは、きっと根の国を指している。つまり根の国から龍城寺市に霊的な力が流れ込んだ、とフルーレティは言っているのだ。


 これまで聞いた話を、樹流徒が知っている事実も踏まえた上で咀嚼すると次のようになる。


 “魔都生誕以前から龍城寺市と根の国は繋がっていた。そのため根の国の霊的な力が龍城寺市に流れ込んだ。霊的な力に満ちた龍城寺市はバベル計画の実行に最適な場所だった。だからベルゼブブたちは龍城寺市で魔都生誕を起こした”


 もしこの話が事実なら、今までバベル計画とは何ら関係性を持たないと思われていた根の国が、実はとんでもない役割を果たしていた事になる。根の国と接点を持っていたがために龍城寺市はバベル計画の生け贄に選ばれたのだから。

 根の国は日本全国の各地と繋がっている。にもかかわらず龍城寺市が最も強い霊的な力に満ちていたのは、同市と根の国が特別強く繋がっているからなのかも知れない。

 フルーレティの口から飛び出した衝撃の事実に、樹流徒は愕然とした。


「もし俺の故郷が霊的な力を持っていなかったら、バベル計画はどうなっていた?」

「多少面倒な仕事が増えるが、問題なく実行に移されていただろう。別の土地が生け贄になっていただけだ」

「そうか……」

 樹流徒は眉根を寄せる。滅びたのが自分の故郷で良かったなどとは言えない。かといって代わりに他の土地が滅びれば良かったとも決して言えない。ただただやりきれない気分だった。


 ドスッ、と鈍い音がした。


 硬いものが皮膚を貫く音だった。樹流徒の瞳孔が全開になる。

 彼の視界の中で、悪魔が冷たい目をしていた。フルーレティの両肩から物干し竿のように細長い氷柱が飛び出し、それが樹流徒の肩を貫いている。


 衝撃の事実を知って樹流徒の精神状態は完全に乱れていた。その隙を突いての不意打ちである。

 フルーレティの肩から伸びた氷柱が勝手に引っ込むと、樹流徒の両肩から紫色の血が溢れた。

 樹流徒は激痛を覚えたが、その痛みをすぐに忘れるほど驚く。

 氷柱に刺された傷口から氷の膜が現われた。それは樹流徒の肩から広がって彼の首筋や肘の近くまでを凍結させる。これでは両腕が動かせない。


 決戦の地でとんでもない不覚を取ってしまった。樹流徒は己の迂闊さを呪いながら、敵を睨んだ。

 対照的にフルーレティは顔色一つ変えない。不意打ちが成功したと喜ぶでもなく、優位な状況に立ったと舞い上がるでも無く、淡々とした顔で虚空からレイピアを取り出す。

 

 フルーレティがレイピアを突いた。樹流徒は斜め後ろへ跳んでかわす。着地と同時、また両肩に激痛が走って体が硬直した。

 そのまま膝を着いてしまいたくなる痛みだった。だが樹流徒は怒りの力で動く。ベルゼブブとこの悪魔にだけは決して負けたくない。決して負けてはいけない、と強く念じた。


 樹流徒は地面を蹴り、フルーレティの真正面から突っ込んでゆく。

 氷のレイピアが伸びた。長細い透明な刃が樹流徒の腹に突き刺さる。

 樹流徒は構わず突っ込んだ。腹に氷の刃を咥えたまま強引にフルーレティの懐へ飛び込む。

 レイピアの刃が命中した段階で樹流徒の足が止まると思ったのだろう。止まるどころか自ら刃を深く突き刺して前進してくる樹流徒に対してフルーレティは明らかに虚を突かれて反応が遅れた。

 フルーレティはレイピアを消すと急いで後方へ飛び退く。

 ヒュッと鋭い風切り音が鳴った。


 フルーレティの体は宙高く舞って、足から綺麗に着地する。

 だが、彼の視線は地を這っていた。


 フルーレティの顔が上半分無くなっている。鼻から上は全て地面に落ちていた。

「これは……どういうことだ?」

 下半分だけになった顔でフルーレティは言う。

 そこから数メートル離れた場所で彼の目が蠢き、樹流徒の姿を凝視していた。


 樹流徒の黒衣が腰の辺りで盛り上がって、裾から長く大きな触手が飛び出していた。蛸やイカの足を連想させる吸盤付きの触手だ。その先端に開いた穴から、無数の細かい棘にまみれた剣が飛び出していた。

 魔王ラハブが使用した薔薇の剣だ。それが離脱しようとしたフルーレティの頭部を切断したのである。


 下半分の顔でフルーレティはにやりとした。

「やはりオマエではベルゼブブには到底及ばない。この私に手傷を負わされるような者が、あの方に勝てるはずが無い」

 負け惜しみか、純然たる真実のつもりで口にした言葉か、フルーレティは最後にそう言い残した。


 魔魂が発生して宙を漂う。フルーレティの肉体は崩壊すると共に溶けて透明な液体となった。それは床に大きな水溜りを作る。


 また一つ、仇を討った。樹流徒の心境は複雑だった。相手が相手だったせいか、サレオスを倒したときのような暗い気持ちは余り湧かなかった。ただ、決して良い気分ではなかったし、嬉しくもなかった。


 魔魂を吸収して樹流徒の両肩はすっかり元通りになる。ただ残念ながらフルーレティ一体の魔魂だけでは、全ての傷が癒えなかった。レイピアを受けた腹の傷は中途半端に回復したまま残っている。さほど戦闘に支障をきたすような傷ではないが、ベルゼブブ戦を目前にして嫌な手傷を負ってしまった。できれば万全な状態で最後の戦いに臨みたかった。


 己の未熟さを悔いても仕方ない。いよいよ始まる運命の決戦を前に、樹流徒は気持を切り替える。

 空間の最奥に視線を向けると、そこに金属製の大きな扉があった。次の場所へ進むための扉だろう。

 あと階段を一つ上れば最上階だ。樹流徒は負傷した腹を押さえながら歩く。扉を開けて、その先に現われた通路へ一歩踏み出した。



 樹流徒がいなくなってから少し経つと、無人になったはずの一室で微かな物音が鳴り出す。

 その音は、フルーレティの肉体が崩壊した場所で鳴っていた。床に広がった水溜りが宙に浮かび、カチカチと小さな音を立てながら固まり始めたのである。

 固まった水は、最終敵に星型多面体の氷塊と化した。サッカーボールほどの大きさがあるその体内には真っ赤な眼球が一つ埋め込まれている。

「首狩りよ。オマエはつくづく甘いヤツだ」

 星型多面体の氷塊は嘲笑する。

 その声は紛れも無くフルーレティのものだった。どうやらこの氷塊がフルーレティの本体らしい。彼はまだ生きていたのだ。


 樹流徒の目を欺き生存を果たしたフルーレティは、その場に留まる。樹流徒の後を追おうとはしなかった。

「この体ではもう戦えない。しかも元の姿に戻るには相当な期間を要する。バベル計画には間に合わんか……」

 そう彼は独りごちる。

「だが、命があっただけ良しとするしかあるまい」

 と、そのときだった。


 ――随分面白い姿になっちゃったね、フルーレティ。


 どこからともなく笑い声が聞こえてくる。無邪気な少年の笑い声だった。

「この声は……」

 フルーレティは辺りを見回して、部屋の一角に視線を止める。

 そこに一体の悪魔が立っていた。見た目は十歳前後。ブラウンの髪と瞳を持ち、白いシャツに蝶タイ、シングル裾の黒いハーフパンツにサスペンダーという格好をした少年である。




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