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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
30/359

伊佐木家にて



 中高層のマンションやオフィスビルが狭い範囲で密集し、皆で背比べをしていた。道路に群れを成す車の数や、現在地面に横たわっている人々の数を一目見れば、ここがいかに人口の密集した地域であるか、容易に想像がつく。


 龍城寺市の中ではかなり都会的と言えるこの場所に、ある八階建てのマンションがひっそりと佇んでいた。本来八階もの高さがある建築物に対してひっそりなどという表現は似合わないが、このマンションの場合は少し事情が異なる。すぐ近くに三十階、四十階建てといった複数のタワーマンションがそびえ立っているため、控えめな大きさに錯覚してしまうのだ。


 その、ひっそりと佇んでいるかのように見える大きな建物は、敷地が狭い歩道に面しており、外壁の色はスカイグレイに塗り固められていた。エントランス前では小さな植樹が二本、門番のように入り口の両脇を固めている。

 詩織によれば、彼女の実家、即ち伊佐木家は、このマンションの七階に入っているらしい。


 それにしても悪魔倶楽部を出てから、一体どのくらい歩いただろうか。

 樹流徒は密かに驚いていた。詩織が休憩らしい休憩を一度も挟むことなく、とうとうここまで来てしまったからだ。彼女は弱音を吐くこともなく、遮二無二、歩き続けた。


 一体何が彼女をそこまで駆り立てたのか。つい数日前までタダのクラスメートに過ぎなかった樹流徒には、分かるはずもない。

 ただ、詩織の精神的な強さには目を見張るものがあった。ここまで休まず歩き続けたこともそうだが、マモンに対し臆することなく立ち向かっていった件もあるし、バルバトスを前に物怖じせず、悪魔倶楽部で働くことを即断した件もある。


 生まれつき飛び抜けて根性や度胸がある人間はいない。詩織の精神力が後天的に備わったものであることは疑いようもなかった。ただ、それがどうやって養われたのかは、やはり本人に聞いて見なければ分からない。


 一方、樹流徒は、詩織とは別の意味でタフだった。精神はともかく、彼の肉体は疲労を全く感じていなかった。

 悪魔倶楽部から現在地に至るまでの道中は、決して楽で安全な道のりではなかった。二人はここに辿り着くまでの間、数回に渡り悪魔の襲撃を受けた。悪魔のほとんどは小人型の群れだったが、火炎弾を吐き出す悪魔や、半人半獣の姿をした悪魔もいた。ただ、マモンほど強力な悪魔とは一度も出会わなかった。


 樹流徒は死に物狂いで敵と戦った。その甲斐あってか、詩織には一切怪我を負わせずに済んだ。樹流徒自身は多少の傷を負ったが、それも倒した悪魔を吸収したことで完全に癒えた。マモンとの戦いで受けたダメージもすっかり消えてしまった。

 樹流徒の場合はタフというより「ただ便利な体になっただけ」と言った方が正しいかも知れない。


 兎にも角にも、二人は無事目的地の前に立つ事ができたのである。

 残すは7階までの移動のみ。現在マンションには電気が通っていないため、エレベーターは利用できない。階段を使うしかなかった。


 エントランスの自動ドアは完全に閉じた状態で停止している。それを樹流徒が強引にこじ開けて、二人は建物の中に入った。


 詩織は壁に手を着きながら一段一段踏みしめるように上ってゆく。

「手、貸そうか?」

 樹流徒が問うと、彼女は首を左右に振る。最早その動作すら辛そうだ。


 まるで重傷を負った者が地を這うように、ゆっくりと移動する。

 一階を過ぎ、二階も通過。


 そして三階へ続く階段の途中だった。

 樹流徒は、突如、視界に謎の飛行物体を捕えて、あっと短い声を発する。

 今、この市内で空を飛ぶ物体といえば悪魔しかない。樹流徒は咄嗟に詩織の腕を掴んで、その場にしゃがみ込んだ。階段の陰に自分たちの身を隠す。


 息を殺して頭上の様子を窺っていると、間もなく、背中に大きな翼を生やした人型の生物が一体、遥か上空を高速で横切っていった。

 その悪魔は二人の存在を捕捉することなく、どこかを目指して飛び去ってゆく。或いは樹流徒たちの存在に気付いた上で見逃してくれたのかも知れない。どちらにせよ、二人は難を逃れた。


 樹流徒は浅い息を吐く。悪魔の陰影が空から完全に消え去ったのを確認してから、詩織の手を引いた。

「ありがとう」

 詩織が小さな声で礼を言う。

 二人は再び伊佐木家の部屋を目指し階段を上り始めた。


 新たに悪魔が現れることもなく、ついに七階に到着する。

 周囲は相変わらず静寂を極めていた。白っぽい灰色の廊下は、水色の光と薄い影に彩られ、まるで美しい湖の底に沈んだ遺跡の中にいるような幻覚を樹流徒に与えた。


 マンションのエレベーターはこの階で止まっており、扉が開いた状態のまま固まっている。

 見れば、そこには三十歳前後の女性が一人、仰向けになって倒れていた。上半身は廊下に飛び出し、下半身はエレベーターの中に突っ込んでいる。どうやらエレベーターから出ようとしたところで、魔法陣から降り注いだ黒い光を浴びてしまったらしい。


 女性の傍には小さく膨らんだビニール袋が落ちていた。中からパック詰めの牛肉や、野菜などがとび出している。スーパーかどこかで買い物をしてきた帰りだったのだろう。

 彼女の前を通り過ぎて、樹流徒たちは先へ進む。


 廊下には三つの部屋が並んでいた。詩織は、一番奥の部屋の前で立ち止まる。玄関は分厚くて重たそうな金属製のドアによりきっちりと塞がれていた。どうやらここが伊佐木家らしい。


「じゃあ、僕はここで待ってるよ。君は荷物をまとめる前にゆっくり休んだほうが良い」

 樹流徒が詩織の背中に声を掛ける。

 すると彼女は首から上だけを動かし、樹流徒に横顔を向け

「相馬君、ここで待つつもりなの?」

 と、確認した。

「ああ。万が一ここが悪魔の襲撃を受けたら大変だからな。僕は見張りをやる」

「そう」

 詩織はレバーハンドル式のドアノブに手を掛ける。鍵はかかっておらず扉は簡単に開いた。

「じゃあアナタも上がって」

 そして樹流徒を家の中へと促す。

「どうして?」

「だって、アナタがずっと家の前に立っていると外の悪魔から見つかりやすくなってしまうでしょう?」

「そうかも知れないが。中には君の……」

 樹流徒は言葉に詰まった。

 この家の中には詩織の家族の遺体があるかも知れない。幾ら詩織の許可を貰ったとはいえ、自分が上がって良いものかどうか、判断に迷った。


「大丈夫。中には誰もいないから」

 すると少女は、樹流徒の考えていることを察したかのように言う。

「そうなのか?」

「ええ。父は会社にいるし、私、兄弟とかいないもの。それに、あの人は……母親はそこのエレベーターで倒れていたから」

 詩織はどことなく冷めた口調で言い放つ。


 樹流徒は先程倒れていた女性を振り返った。どうやら、彼女が詩織の母親だったらしい。

 意外な事実だった。樹流徒は、まさかニ人が親子だとは想像もしなかった。

 何せ、詩織は女性の前を通り過ぎた時、全くと言って良いほど無反応だった。母親の遺体を一瞥(いちべつ)すらしなかったのである。

 加えてエレベーターの前で倒れている女性は、高校生の娘を持つ親にしては些か若過ぎた。ひょっとして彼女は、詩織の産みの親ではないのかも知れない。


「そういうことだから、今、家の中には誰もいないの……。アナタも入って」

 少女は最後にそう言い残し、さっさと玄関に入る。

 分厚いドアは自らの重みで勝手に閉まり、ズシンと低い音を鳴らした。


 樹流徒は詩織の言葉に甘えることにする。が、その前に一旦エレベーターの前まで戻った。

 ポケットの中からハンカチを取り出す。自身の血で少々汚れてしまっていたが、それを広げて詩織の母親の顔に被せておいた。

 そのあと樹流徒は改めて伊佐木家の扉を開いた。


 家の中に足を踏み入れ、静かに扉を閉める。

 同時であった。奥から聞こえてきたドサッという鈍い音に驚く。何か重たい物が床に落下した音だ。


 まさか、伊佐木さんの身に何かあったのか? そう思って、樹流徒は靴を履いたまま廊下に上がった。脇目も振らず一番奥の部屋に駆け込む。


 そこはリビングだった。見れば、部屋の真ん中で詩織が床に横たわり、小さな吐息をゆっくりと律動的に繰り返している。物音の正体は、彼女が倒れ込んだ時の衝撃だった。

 分かっていたことだが、彼女の疲労はとっくに限界を超えていたようである。詩織は安らかな表情をしていた。きっとこれから深い眠りに就くのだろう。

 彼女の姿を見て、樹流徒は胸を撫で下ろした。大事が起こっていなかったことに安堵する。


 リビングの中は掃除が行き届いており、清潔に保たれていた。食事用のテーブルと、各家庭のリビングにありそうな家電製品は一通り揃っているが、それ以外のものは全く置かれていない。一切の無駄が排除された機能美溢れる部屋だった。

 そんな中、窓際で室内干しされている一枚の真っ白な掛布団が、唯一生活感を感じさせる。


 壁には大きな窓が連なり、そこから向かいのビルが見えた。ベランダは無い。

 樹流徒はとりあえずカーテンを閉めておいた。外の悪魔から自分たちの姿を目視されないようにするためである。

 次に布団干しの掛け布団の状態を確認する。完全に乾いていたので、それを取り寄せて、詩織の体にそっとかけておいた。


 樹流徒はリビングから出て、廊下の突き当たりまで戻ると、横になった。

 眠気は一切無い。これが本当に悪魔を吸収したことによる影響ならば、悪魔とは皆そういう体の造りになっているのかも知れない。


 樹流徒は、敵の襲撃に対応すべくそっと瞳を閉じて耳を済ませた。常に周囲の気配を感じ取ろうと神経を尖らせる。


 ところがややあって、彼もまた静かな寝息をかき始めていた。眠気は確かに無かったのだが、眠ることはできるらしい。

 その事実を知らなかった樹流徒は、いつの間にか夢の世界へと旅立っていた。




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