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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
298/359

禁断の沼



 ベルゼブブがいる場所まであと少し。ルキフゲはそう言っていた。

 あの言葉を樹流徒は実感し始めていた。いよいよ最上階が近い。周りの雰囲気や様子を見ればそれが分かった。

 レギオンを倒したあとも二人は行く手を阻む敵と戦闘を繰り返した。見覚えのある異形の群れ。初めて遭遇する悪魔。奇襲を仕掛けてきた集団。単体で真っ向勝負を挑んできた者。色々いたが、全て危なげなく退けた。頻繁とも時折とも言えない絶妙な出現率で現われる敵を葬りながら、樹流徒とルキフゲは順調に先へ進んだ。

 その内、順調に進むどころか二人の足が止まらなくなった。ある地点を境に悪魔の出現がピタリと途絶えたからだ。走っても走っても敵が襲ってくる気配が一向に無い。

 謀反を起こした悪魔がベルゼブブ軍を一掃してくれたのか? そうではない。走りながら周囲を見回すと、床には血の一滴もこぼれていないし、武器も落ちていなかった。くすぶる火種も見当たらなければ、細い煙の一筋も漂っていない。戦闘が起きた形跡が全く確認できなかった。

 にもかかわらず敵の出現が急に途絶えたのは、おそらく普段からこの場所に立ち入る悪魔がほとんどいないためだろう。きっと限られた悪魔しか入れない特殊な場所なのだ。そのような場所に足を踏み入れれば、樹流徒でなくとも、最上階が近いと実感したはずである。

「ここは選ばれた悪魔しか踏み入れない場所だ。バベル計画の主だったメンバーか、ベルゼブブに依頼されて城を守っている悪魔しかいないだろう」

 思い出したようにルキフゲが言う。彼の説明は樹流徒の胸にストンと落ちた。


 ここから先、敵はほとんどいない。大勢の悪魔から追い回され、挟み撃ちにされる心配は無くなった。その代わり、もし敵と相まみえるようなことがあれば、その敵はすべからく強敵。ベルゼブブに選ばれし悪魔である。


 無人の廊下を走り、無人の階段を上り、無人の部屋を抜け……地上から聞こえる争いの音が次第に遠のいてゆく。天に轟く雷鳴さえ気にならなければ空は静かなものだった。


 ある階段を上りきると、ルキフゲが言う。

「あと三つ階段を上れば最上階だ」

 それを聞いて樹流徒の鼓動は微かに速くなった。緊張によるものか、興奮によるもか、彼自身にも分からない。ただ、少なくとも不安や恐怖のせいではなかった。全身が疼くのを感じた。


 引き続き無人の廊下を進んでゆくと、目の前に階段が現れる。これを含めてあと三つ上れば、その先に宿敵がいる。

 俄然勢い込んで三十段前後の階段を一気に駆け上がると、既視感のある場所にたどり着いた。

 サレオスと戦った広間と酷似している。四隅に設けられた階段と、床の中心に浮かぶ魔法陣。そして魔法陣の中心に悪魔が一体立っているところまで同じだった。


 久しぶりに(と言うほどでもないかも知れないが)敵と遭遇した。魔法陣の中に佇んでいたのは、漆黒の鎧に身を包んだ巨人。背丈は三メートルに届くだろう。目深に被った兜の下から真紅の瞳と褐色の肌が覗いていた。裏地が赤い黒マントを翻し、手には剣を携えている。赤い刃の大きな剣だ。


 漆黒の鎧を装備した巨人の剣士は、二人が現われても別段意外そうではなかった。

「ルキフゲか……。隣は誰だ?」

 囁くような口調なのに良く通る大声で言う。

 彼の言葉に反応して赤い剣から炎が燃え上がった。爆発に近い激しい炎だ。剣の内側に抑えきれない力が外に溢れ出しているかのように見える。


「奴は“スルト”だ」

 ルキフゲが巨人の名前を言った。それ以外は何も言わない。サレオスのときみたく「厄介な敵」と評する事も無かった。わざわざ言うまでも無いのである。ベルゼブブに選ばれた者しか立ち入れないこの場所にいる時点で、厄介な敵である事は決まっているのだから。それに、このスルトという悪魔は向かい合っているだけで危険な存在だと分かった。単純な強さではおそらくサレオスよりも少し格上。樹流徒の第六感はそう告げている。


 巨人スルトは再び囁くような口調で大声を出した。

「ルキフゲ。オマエがここにいる理由を聞かせてもらおうか」

 体内から殺気が膨らむ。事と次第によっては許さない、と言っているも同然だった。

 ルキフゲは怯まない。

「聞かなくても分かっているだろう? ベルゼブブに一泡吹かせてやるためだ」

 その返事を合図に、スルトが剣を振り下ろす。

 自身が放った炎の輝きで剣が照り返り、樹流徒たちの視界は紅蓮一色に染まった。

 押し寄せる炎の波を、樹流徒とルキフゲは魔法壁で受け止める。壁がビリビリと音を立てて揺れた。あわや破壊されるかに見えたが、小さなヒビが入っただけで済んだ。


 炎の熱で辺りの気温が急激に高まる。スルトは鉄のように硬い唇を動かした。

「つい最近の話だが、私はバベル計画なるものの存在を知った。それは我々悪魔の運命をも左右する非常に重要な計画だ。もしオマエたちが妨害するつもで来たならば、許すわけにはいかない」

 その口ぶりからしてスルトは魔都生誕に関わっていないのだろう。彼がバベル計画の参加者だったとしても、一員に加わったのは最近だと思われる。復讐の対象でない以上、樹流徒にとって戦う必要の無い相手だった。

 それでも互いに引けない事情があれば、ぶつかり合う他ない。

 スルトが剣の先端をルキフゲに向ける。

「十秒だけ待とう。いますぐ引き返し、反逆者の鎮圧に手を貸せ」

「一秒も待ってもらう必要は無い」

 ルキフゲは素早く手を突き出して黒い光弾を放った。

 スルトは剣をなぎ払い、炎で光弾を打ち消す。


 想像以上に手強い。樹流徒はスルトの実力をサレオスよりも少し上と読んでいたが、間違っていたらしい。サレオスより数段格上と訂正しなければいけない。

 スルト自身はその巨体に似つかわしくないほど素早い。そして彼が持つ炎の剣は底知れない力を秘めている。鬼に金棒とはこういう組み合わせを言うのだろう。

「レギオン以上に手こずるのは確実だな」

 ルキフゲが言う。

 たしかにスルトはそう簡単に倒せる敵ではない。まともにぶつかり合えば無傷で勝利を掴み取るのは困難だろう。樹流徒は心の中でルキフゲに同意する。


 とはいえ、苦戦するのはあくまで一対一で戦った場合の話だ。敵は一人。こちらは二人。ルキフゲと協力すれば、スルト相手でもきっと戦いを優位に進められるはずだ。

 本来、樹流徒は多対一での戦いを好まない。特に自分が多に入るのは気が進まなかった。しかしそのような好き嫌いを言う段階はとうに過ぎている。魔界に一歩踏み込んだときから、綺麗事だけでは戦ってこられなかった。この場も数的有利を生かして強敵スルトを撃破するべきだろう。樹流徒はそう判断した。


 ルキフゲは、樹流徒と全く別の事を考えていた。

「ここはオレに任せて先に行け」

 隣から飛んできた意外な言葉に樹流徒は振り向く。

 ルキフゲは語を継いだ。

「オマエには一刻も早く、なるべく無傷でベルゼブブの元にたどり着いてもらいたい。だからスルトの相手はオレに任せろ」

 ルキフゲの提案に樹流徒は寸秒戸惑った。

 戸惑ったが、彼の決意を無駄にする理由が一つも見当たらない。

「分かった。先に行かせて貰う」

 樹流徒の言葉に、ルキフゲの口角が緩やかに持ち上がった。

「向こうの階段に行け」

 広間には上りの階段が二つある。その片方をルキフゲが指差した。

「どちらの階段を上っても最終的には同じ場所に着く。しかしあの階段から行ったほうが少しだけ近道だ」

「分かった」

 樹流徒はルキフゲが指差した方へと歩を進めた。


 樹流徒が横を通り過ぎようとすると、スルトの腕が微動する。剣から炎が溢れ、さながら棒に巻きつく(つる)植物のように刃に絡まった。刺すような殺気が飛ぶ。

 が、そこまでだった。スルトは攻撃をしない。何もせずに樹流徒を見送った。


 樹流徒が階段に足をかけると、彼の背中を一度だけルキフゲが呼び止める。

「そうだ。言い忘れていたが、上の広間にいるヤツはまともに相手をするな。万が一襲われそうになっても構わずに逃げたほうが賢明だ」

 至って真剣な口調だった。

 細かい事は良く分からないが、樹流徒は「分かった」と返答した。

 もう何かを語る者はいない。

 ルキフゲとスルトが無言で睨み合うのを尻目に、樹流徒は階段を駆けていった。

 これで残る階段はあと一つ。それを上ればいよいよ最上階。


 樹流徒の姿が広間から消えると、ルキフゲが問う。

「アイツをすんなり行かせても良かったのか?」

「最初は止めようとした。だが攻撃を仕掛けようとしたとき、嫌な予感がして手が止まった。奴とは戦わないほうが良い気がした」

 私の勘は良く当たるのだ、とスルトは付け足した。

「だとしたら大したものだ。オマエの予感は当たっている」

「……」

「キルトはオマエが勝てる相手じゃない。余り言いたくないがオレでも無理だろう」

「キルト、か。なるほど。奴が噂の首狩りだったのだな。道理で只者ではないと思った」

「オレはここに来る途中アイツの実力を見た。もしかするとアイツならばベルゼブブと対等に渡り合えるかもしれない。もっとも、ベルゼブブの実力がどれほどのものか完全に知っているわけじゃないが……」

「首狩りがベルゼブブにやられたらどうするつもりだ?」

「それでいい。むしろキルトが勝ったら困る」

「なに?」

 ルキフゲの言葉に、スルトは初めて意外そうな声を発した。

「オマエたちは一体何を企んでいる?」

「……」

 ルキフゲが答えられるのはここまでらしかった。

「まあいい。どの道バベル計画の邪魔はさせない。首狩りの始末はベルゼブブたちに任せるとして、オマエはこの私の愛剣で燃やし尽くすか(ほふ)ってやる」

 スルトが武器を構える。

 ルキフゲが両手を前に出した。

 剣閃鋭く刃がなぎ払われ、紅蓮の炎が燃え盛る。

 突き出されたルキフゲの手から黄金の波動と黒い波動が放散され、雷を生みながら重なり合う。

 炎と二色の波動がぶつかり、凄まじい衝撃波を生みながら相殺した。



 一方、上階にたどり着いた樹流徒はある広間へと足を踏み入れていた。


 その一室は今までと明らかに様子が違った。さっきまでいた広間とは比べ物にならないほど大きい。壁伝いにゆっくり歩けば一周するのに数分はかかりそうだった。降世祭のリングを髣髴とさせる規模である。首を傾けなければ見えないほど天井が高い。出入り口は二つあり、どちらも扉が固く閉ざされていた。異様に分厚く大きな金属製の扉だ。樹流徒は自力で開けられたが、並の悪魔では数人がかりでも動かせない重さだった。


 硬く重い扉の先にある光景を見た瞬間、樹流徒はぎょっとした。

 床におびただしい数の虫が蠢いていたのだ。何の虫かと目を凝らしてみれば、それはイナゴだった。何千何万という数のイナゴがそこら中を徘徊し、飛び跳ねている。草や虫などの食べ物も無ければ産卵する土も無いこのような場所でも、魔界のイナゴは自然発生できるのだろうか?

 異様なのはイナゴの群れだけではなかった。床の真ん中には目を疑いたくなるようなものがある。

 沼だ。城の中に沼がある。毒々しい緑色の水が床面積の半分近くを占める勢いで広がっていた。


 イナゴの群れと、広大な沼。一見しただけで奇妙な部屋だった。

「憩いの場所ではないだろうな……」

 そんな独り言を呟きながら、樹流徒は慎重な足取りで歩く。なるべく広間の隅を進んだ。沼に近付くのは危険だと感じたからだ。そう感じた根拠らしい根拠はない。強いて言えば、何者かがジッとこちらの足音に耳を済ましているような気がしたのが理由だった。勘違いならばそれで良い。ルキフゲから別れ際に警告された事もあるし用心に越したことはなかった。


 その考えが間違いではなかったと判明したのは、樹流徒の足が二、三十歩ほど床を踏みしめたとき。

 突然、沼が鳴いた。

 命ある者の防衛本能を強烈に揺さぶる低い咆哮。ありとあらゆる生物を無条件で戦慄させる音波。それが沼の奥底から響き、広い室内を満たすだけでは足りず、壁や天井に反響する。

 樹流徒の全身に怖気が走った。心が恐怖したわけでもないのに、全身が冷たくなって痺れる。


 この不快で魂が削られるような雄たけびは何だ?


 イナゴの動きが活発になった。彼らはまるで何かに追い立てられるかのように世話しなく動き始める。羽を広げたイナゴたちが自ら壁にぶつかってゆく。樹流徒の顔や脚にも平気で飛んでくる。


 沼に潜ったわけでもないのに窒息しそうだった。鳴き声一つだけでここまでの圧迫感を与えてくる化物が、すぐ近くにいる。

 ――上の広間にいるヤツはまともに相手するな。

 ルキフゲから受けた警告の意味が分かった。奈落の底に潜む者を覗き込んではいけない。触れようとしてはいけない。そして決して戦おうなどとは考えてはいけない。

 魔王級の悪魔か。もしかするとそれ以上かもしれない化物だった。勝てるか否かは置いておくとして、戦わずに済むならば絶対に避けるべき存在である。


 極力静かな足取りで、樹流徒は壁伝いに歩く。誤って虎穴に飛び込んでしまった気分だった。虎はまだ半分寝ている。刺激してはならない。起こしてはならない。

 水の抵抗でも受けているように、前に出る足が重く感じた。そのくせ水中と違って体が浮くわけでも無く、逆に靴の底が床にへばりつくような錯覚に捕らわれる。


 沼の雄たけびに反応して暴れまわっていたイナゴたちが、今度はバタバタと倒れ始めた。

 魔空間の中に閉じ込められたのかもしれない。樹流徒は本気でそう思った。沼から聞こえたおどろおどろしい声も、全身を駆け巡った怖気と痺れも、そして眼下で死体の山を築くイナゴたちの姿も。すべて沼に潜む敵が魔空間によって生み出した幻ではないかと考えた。それほど悪夢じみた状況だった。

 発狂したように暴れ苦しむ虫と、転がる死体。それらをブーツの先と側面でかき分けながら樹流徒は少しずつ前進する。


 視界の中で動き回る者がほとんどいなくなると、今度は沼から何かが飛び出してきた。

 沼に潜む化物ではない。現われたのは数千匹の小さなイナゴだった。地中からではなく水中から生まれた彼らは沼を中心に全方位へ散らばり、床に転がったイナゴの死体を貪り始める。

 一種の共食いであり、餓鬼地獄だ。

 余りにも目まぐるしく移り変わる異様な光景に、樹流徒は混乱や恐怖をきたすよりも却って冷静になった。広間にこだました恐ろしい咆哮のなごりがようやく消えたお陰もあるだろう。


 足が少し軽くなる。直前まで恐ろしく遠く感じていた出口に樹流徒はすぐたどり着いた。

 決して慌てず焦らずに扉を開く。金属製の巨大な扉が硬く重い音を立てて地面に足を引きずった。

 そのあいだも樹流徒は背中にひしひしと得体の知れない気配を感じていた。


 扉が閉まると、急激に気配が鎮まった。

 肩の上にイナゴの死体がひとつ乗っている。それを樹流徒はつまんで地面に置き、火葬した。


 廊下を歩き、一度だけ背後を振り返る。

 沼に潜んでいたのは一体何者だったのか? その者が発した強烈な気配は、殺気や憎悪といった類のものとは少し違った。乾いた砂のようにザラザラした感じだった。

 それをひと言で何と表現すべきか考えると「破滅」という言葉が不思議としっくりきた。

 奈落に潜む者は、破滅を呼ぶ者。やはり極力近付いてはならない相手だったと樹流徒は確信した。


 曲がり角のある一本道の廊下を進んでゆくと、折り返しの坂が見えてくる。それを上ってさらに廊下を進んでゆくと、最奥に大きな扉が見えた。巨大レギオンや巨人スルトでも十分通れそうな大きさがある。


 その扉を開いた先に、殺風景な四角い空間と、一体の敵がいた。

 魔法陣も何も無い床の真ん中で、人間型の悪魔が立っている。若く、中性的な顔立ちをした男だ。髪は白く、目は赤い。そして耳の先が尖っていた。全身の肌は薄青い。ロングコートのような黒い衣を纏い、首には黄金色に輝く首飾りを提げていた。

 男は氷の眼差しを樹流徒に向けてくる。

「久しぶりだな。首狩りキルト」

「フルーレティ」

 樹流徒は敵の名を呼んだ。




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