表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
297/359

邪霊



 サレオスとの一騎打ちを制した樹流徒は、ルキフゲと共にまた階段を上り始めた。

 敵の気配は無い。床や壁にはところどころ血が滴っており、ここでも反乱軍とベルゼブブ軍による激しい衝突があったのは明白だ。今は付近が静かなせいか、暗雲から降り続ける雷鳴と地上から轟く騒乱の音がやけに耳の奥まで届いた。

「さっきのような長い階段はもう無い。ベルゼブブがいる場所まであと少しだ」

 ルキフゲがそう言い終えるよりも早く、二人の頭上に階段の終わりが見えてきた。


 見覚えのある広い廊下に出る。少し先へ進むと、殺風景だった前方の景色が急に慌ただしくなった。

 突き当たりの曲がり角から異形の者たちが姿を現す。半人半蛇のラミア、傷まみれの老人エウリノーム、そして恰幅の良い異形の巨人デウムスなど、見覚えのある悪魔ばかりが合わせて六体。彼らは落ち着いた雰囲気で連れ歩いていたが、樹流徒の姿を見るなり豹変した。突然別の生き物になったかのように興奮して二人に攻め寄ってくる。


 デウムスの口が火炎弾を吐いた。樹流徒は高い跳躍でかわし、羽を広げて宙から敵に接近する。ルキフゲは両手から黒い光弾を連射して後方支援に回った。

 光弾の一発がエウリノームの頭を撃ち貫く。

 樹流徒は敵の眼前で着地してデウムスの首を刎ねた。さらにラミアが振り回してきた尾の一撃をバックステップでかわし、仮面を外す。口から噴射した白煙を浴びせて残りの悪魔を全て精巧な石像に変えた。

 敵の全滅を確認した樹流徒とルキフゲはすぐに駆け出す。新手と遭遇する事も無く、廊下の突き当りを曲がった。


 これまでのパターンでは廊下を曲がった先には必ず階段があったが、今回は違った。

 階段は無い。その代わり壁に穴が開いていた。上部がアーチ状の、扉の形をした空洞だ。巨体の悪魔でも何とか通れそうな高さがある。奥行きが深く、短いトンネルと言っても良いほど長かった。

 トンネルの向こうには顔を左右に振らなければ見渡せないほど広い空間が待ち構えている。深く沈んだ床には透明な水が満ちていた。まるでプールだ。

 ただ明らかにプールと違うのは、水の上に橋が架かっている点だった。非常に幅のある大きな橋だ。足場には分厚い鉄板が使われ、何百枚という数が橋の隅から隅まで隙間無く連なっている。手すりは設置されていなかった。また、橋を渡った先にも短いトンネルがあり、その奥に廊下が走っている。


「橋の下は強烈な酸の池だ。よそ見して落ちないように気をつけろよ」

 ルキフゲは注意を促すと、樹流徒よりも先に橋の上を歩き始めた。

 樹流徒もすぐに後を追う。


 周囲に敵の姿は見当たらなかった。酸の池を見下ろしても悪魔はおろか塵一つ浮いていない。

「城の中に酸の池があるなんて、まるで予め敵の侵入を想定していたかのような造りだな」

「もしもの場合だろう。あるいは城を造った奴の趣味かも知れないな」

 そのような会話を交えながら二人は縦並びに歩く。前を歩くルキフゲが橋の中央に着くまでは、特に何事も起こらなかった。


 ところがそこを通り過ぎた途端、スイッチが入ったように状況が変わる。

 二人は立ち止まって素早く辺りを見回した。

 ぼつ、ぽつ、と空間のあちこちで青い炎が浮かび上がる。どの炎も片手で掴めそうなほど小さいが、数が多い。目算して五十はあった。

 最初ヒトダマのように見えたその青い炎は、よくよく観察すると異形の者であった。炎の中に若い男の顔が浮かび上がっているのだ。言うなれば人面炎(じんめんえん)である。


 二人を包囲した人面炎は、最初は何もせず大人しく宙を漂っているだけだった。

 それがある瞬間、何の前触れも無く牙を剥く。人面炎の二つが宙から弾き出されて、樹流徒とルキフゲの背後から飛び掛ってきた。体当たりを食らわせて橋の二人を酸の池に突き落とすつもりか。

 ただ生憎、魔人の動体視力を以ってすれば、人面炎の動きは決して速くなかった。背後にも十分注意を払っていた樹流徒は敵の突進を避ける。ついでに至近距離から電撃を見舞う余裕すらあった。

 ほとばしる雷光の中で人面炎は跡形も消し飛ぶ。ルキフゲも敵の体当たりをかわして爪で応戦。人面炎を一体仕留めた。


 先制攻撃が失敗すると、残った人面炎たちの動きが変化する。第二の突進攻撃を仕掛けようとしていた者は急停止し、他の者たちは樹流徒とルキフゲから遠ざかっていった。

 次から次へと青い火が掻き消える。最終的に人面炎は一体残らずどこかへ去ってしまった。

 余りにもあっけない敵の退散劇に、樹流徒の、全身のネジが緩む。

「今のは何だったんだ?」

「“ウィル・オ・ザ・ウィスプ”だ。見ての通りそれほど強力な悪魔ではない。力が強い者には寄ってこず逃げてしまう。俺たちにとってはほぼ無害な存在だ」

「ならもう襲ってこないか……」

 そう安心したのも束の間だった。


 消えた青い炎と入れ替わって、今度は赤い炎が幾つも闇に灯る。ウィル・オ・ザ・ウィスプの倍以上ある大きな炎だ。それが一斉に点灯し、イルミネーションの輝きみたく派手に闇を照らした。

 だが美しいものが美しくいられる時間は短いと相場が決まっている。樹流徒が頭の中で綺麗な炎だと思ったときにはもう、彼の瞳に映るモノがグロテスクな正体を露わにしていた。


 赤い炎が消えて、その中から異形の生物が姿を現す。数人分の人体を分解して無理矢理一つにしたような風貌を持つ悪魔だった。四つの顔が横並びになって、背中から腕と足が生えている者がいる。一本の胸から何本もの腕が生え、その腕に顔がぶら下がっている者もいる。中には骨や内臓が体表の大部分を覆い尽くし、顔や四肢が内側に隠れている者までいた。彼らの中で同じ形を持つ者は誰一人いない。逆に共通している部分は、彼らの顔という顔が憎悪と苦渋の色を滲ませていることだった。その口からは絶えず怨嗟の声と呻き声が漏れている。悪霊や邪霊といった呼び方がこの上なく似合う悪魔である。


 樹流徒たちは再び包囲された。

「この悪魔もウィル・オ・ザ・ウィスプなのか?」

「違う。こいつらは“レギオン”。俺たちにとっても有害な連中だ」

 邪霊レギオンの手に黒ずんだ紫色の光が浮かぶ。それは渦を巻いて小さな球体となり、音も無くルキフゲの背後から発射された。

 ルキフゲは後ろを振り返らず上体を横に倒して避ける。そのあと振り向きざま黒い光弾を放ってレギオンを一体を撃墜した。

「こんな場所でレギオンに遭遇するとは……面倒な連中に絡まれてしまったな」

 ルキフゲは煩わしそうに言う。

 そのあいだにも三体のレギオンが樹流徒を左右と上から挟む格好で飛び込んできた。

 樹流徒は大きく飛び退いて敵の挟み撃ちから逃れる。その動作が終わったところを狙って前方から紫色の光弾が飛んできた。

 樹流徒は着地した足でそのまま地面を蹴ってバック宙を繰り出す。今度こそ綺麗に着地を決めると、手を横になぎ払い氷の矢を出現させた。

 六本並んだ氷の矢は端から順に一本ずつ射出され、三体の敵に向かってそれぞれ二本ずつ発射される。一、二本目の矢がレギオンの肉体を射抜き絶命に至らしめた。残りの矢は全て外れる。


 ウィル・オ・ザ・ウィスプとは違い、レギオンは味方がやられても逃げないし、怯まなかった。

 新たに一体のレギオンが、樹流徒の頭上から果敢に突っ込んでくる。

 樹流徒は橋の上を転がってかわした。直後、彼の目線よりやや高い位置で強い輝きが放たれた。

 別のレギオンが口から火柱を放射したのである。赤紫色の炎が横に広がり小さな波となって樹流徒の元に打ち寄せた。

 回避しようと思えば可能だった。ただ、初見の攻撃は何が起こるか分からない。たとえば追尾性能が備わっていれば、無理にかわすのは危険だった。

 過去の戦闘経験から樹流徒は半ば無意識に魔法壁を展開する。その選択が過ちだとは知る由も無かった。

「避けろ」

 ルキフゲの声が耳に飛び込んできたときにはもう遅かった。

 樹流徒はにわかに信じがたい光景を目の当たりにする。レギオンの口から吐き出された炎が魔法壁を透過したのである。これまで魔法壁を破壊されたことは何度かあったが、すり抜けられたのは初めてだった。


 ルキフゲの声に反応した樹流徒は咄嗟に横へ跳ぶ。並外れた判断力と瞬発力を発揮して、攻撃の直撃を免れた。ほとんど回避したと言っても良い。炎に触れたのはほんの半瞬だった。


 にもかかわらず、彼の腕に激痛が走る。

 樹流徒はまたも意外なものを目の当たりにした。炎に触れた腕に目を落とすと、服の袖がまったく燃えていない。焼け跡どころか小さな焦げ目一つ見当たらなかった。その下で皮膚がズキズキと痛む。火傷の痛みである。樹流徒は今までに同じ痛みを何度も味わってきたので、目で確認しなくても分かった。


 これは一体どういう事だ? 樹流徒は今一度自分の腕を注視する。

 何度見ても服の袖はまったく燃えていない。なのに袖の下にある皮膚はダメージを負っている。レギオンの炎は魔法壁だけでなく、服まで透過して、樹流徒の肉体だけにダメージを与えたのだ。


 この不可解な現象のカラクリは、ルキフゲが教えてくれた。

「レギオンの炎は物理攻撃じゃない。幻の炎で精神に攻撃を与えてくるんだ。だから絶対防御するな」

 彼は数体のレギオンと交戦しながら慌ただしい口調で説明する。そのためやや不明瞭な説明だったが、樹流徒は憶測で理解した。レギオンの炎がいかなる特性を持つか。そしてそれが如何に厄介な代物であるかを。


 おそらくレギオンの炎は熱も実体も持たない。ルキフゲの言葉を借りればただの幻なのである。そのため物理的な攻撃を跳ね返す魔法壁では防御できないし、服や鎧も全て通り抜けてしまう。なのに樹流徒の腕だけがダメージを負ったのは、きっと脳が「熱い」と認識してしまったからだ。つまりレギオンの炎は相手の脳に「熱い」という情報を強制的に与え、体に火傷と似た症状を起こさせるのである。


 人間の脳と肉体、心と体には密接な関係がある。それを証明する以下のような実験がある。

 まず暖炉で熱した鉄の棒を被験者に見せる。続いて被験者に目隠しをして「今から熱した鉄の棒をアナタの腕に押し当てます」と伝える。実際には熱していない棒を押し当てるのだが、被験者の腕は火傷のようなミミズ腫れを起こしたという。

 無論、この実験結果がただの作り話であったり、実話を誇張したモノという可能性はある。

 一方で、この出来事を完全に否定する証拠も無かった。少なくともレギオンの炎は現実として樹流徒の腕に火傷を起こさせている。樹流徒の精神を攻撃して、彼の肉体に異変を起こさせたのだ。


 物理的に防御不可能となれば、レギオンの攻撃は全て回避するしかない。

 樹流徒は集中力を高めた。四方八方から雨の如く飛び交う光弾や炎をかいくぐりながら、様々な能力を駆使して反撃に出る。氷の鎌が一閃し、炎の塊が爆ぜ、青い雷光が駆け抜けるたび、レギオンの姿が消えた。

 ルキフゲもかろうじて被弾を免れながら一体ずつ着実にレギオンを仕留めてゆく。部屋を埋め尽くさんばかりの勢いで群れていた邪霊の姿は、いつの間にか目で数えられるまでに減っていた。


 と、ここで敵の動きに異変が起こる。レギオンが急に戦闘を止めて素早い動きで一ヶ所に集まった。

 逃げるつもりか? それとも何かする気か? 樹流徒は様子見に回る。

「まずい」

 何かに気付いたルキフゲが漆黒の光弾を連射した。しかしレギオンの一体が自らを盾にして味方を守る。

 盾になったレギオンが消滅している間に、残ったレギオンたちが驚くべき行動に出た。

 複数のレギオンが融合して一つとなり巨大レギオンが生まれたのだ。数十の顔と手足。何百本もの骨と血管が全身のあちこちから無秩序に生えていた。体内からはみだした内臓は律動的に脈打っている。そして全身の色は赤から青紫へと変わっていた。

「こいつッ」

 変貌を遂げた敵に向かってルキフゲは光の弾丸を撃ち込む。

 ぐらりとレギオンの巨体が揺れた。余り効いていないように見える。

 次の刹那、レギオンの体から数本の腕が伸びた。黒い光を帯びた手をいっぱいに広げて樹流徒を襲う。


 通常ならば魔法壁を張ってしのぐ場面だが、つい先ほどそれで痛い目を見たので樹流徒は回避を選択した。

 その判断は正解だった。樹流徒の横を通過したレギオンの腕は橋をすり抜け、水面に波紋の一つも起こさず酸の池に飛び込む。実体の無い幻の腕だ。魔法壁で防御しようとしていたら捕まっていた。

「今の手に触れると“死”の情報が脳に植えつけられる。気をつけろ」

 ルキフゲが樹流徒に警告を与える。要約すれば「レギオンの手に触れると死ぬ」という事である。


「ここでは戦いにくい。場所を変えよう」

 樹流徒は提案した。先ほどまで複数のレギオンに囲まれていたので橋を突破できなかったが、敵が一体になった今ならば可能だ。酸の池に架かった橋の上で戦うよりも広い廊下で戦ったほうがずっと安全だろう。それにレギオンの巨体ならばこの部屋から出られないかもしれない。何しろ壁に開いたトンネルはレギオンの体よりも明らかに小さかった。


 ルキフゲは即同意した。二人はレギオンの体から伸びてくる腕をかいくぐりながら、橋を駆け抜ける。無事に廊下へ飛び出した。

 その後をレギオンが猛然と追いかけてくる。部屋の出口よりも大きな体を持つこの悪魔は、器用な方法を使って難なく廊下に出た。トンネルを通るときだけ体を分離させて元のサイズになり、廊下に飛び出すや否や再融合して巨体レギオンに戻ったのである。


 それを見て樹流徒は敵から逃げられないと悟った。ルキフゲも同じだろう。二人は廊下で足を止めて振り返り、迎撃の構えを取る。イース・ガリアの広い廊下は、巨大レギオン相手でも自由に動き回って戦えるだけの余地があった。


 樹流徒とルキフゲは同時に攻撃を放つ。雷光と黒い光弾がレギオンの体で爆ぜた。

 異形の巨体がまた揺れる。効き目は薄かった。レギオンの皮膚が軽く焦げ、数センチの小さな傷跡が残っただけだ。その傷も悪魔の回復力があればすぐに消えてしまうだろう。


 数十の人面を持つ巨大レギオンの口々が赤紫色の輝きを放った。ゴウと、幻の炎が幻の唸り声を上げる。ある炎は地を舐めるように這い、ある炎は正面から。そしてまたある炎は天井付近の高さから、それぞれ二人に襲い掛かった。


 すべては幻。まやかしだ。レギオンの炎に実体は無い。それを分かっていても、被弾すれば脳は「熱い」と認識し、皮膚は焼き爛れる。

 防御は出来ない。樹流徒とルキフゲは別々の方へ跳んで危地から逃れた。二人がいた場所は忽ち火の海になる。

 着地と同時、樹流徒の周囲に三つの青い白い光が浮かんだ。あらゆるものを凍らせる死の光が三本の巨大な柱となってレギオンに突き刺さる。

 これが絶大な効果を発揮した。巨大レギオンの体から少量の魔魂が発生して、体が一回り小さくなる。

 僅かに遅れて、やや黒ずんだ黄金色の炎がレギオンの体表で大爆発を起こした。ルキフゲの手から放たれた強烈な一撃である。樹流徒の攻撃ほど効果は無かったものの、レギオンの体から少量の魔魂を放出させるのに成功した。一回り小さくなった敵の体がさらに縮む。


 樹流徒とルキフゲは無言で頷き合った。

 勝機が見えた。強烈な攻撃を浴びせるたびにレギオンの体は小さくなる。いずれ完全に消滅するはずだ。


 その判断はきっと間違っていなかった。

 ただ、思わぬ邪魔が入った。

 レギオンの背後から威勢の良い雄叫びがする。廊下の先から悪魔の集団が駆けて来たのだ。半人半獣や戦士風の格好をした人型悪魔などが計八名。反乱軍ではないだろう。彼らの殺気立った視線はレギオンを素通りして樹流徒たちを睨んでいた。


「敵の増援か」

 ルキフゲの目に危機感は無かった。こちらに向かってくる悪魔たちは大した戦力ではない。全員まとめて相手にしても樹流徒一人で楽に倒せるだろう。ルキフゲ単体でも余裕なはずだ。

 だからこそ直後に起きた出来事は、樹流徒とルキフゲにとって甚だ意外だった。この場に駆けつけた悪魔にとっても完全に想定外だったはずである。


 敵の増援はさほど問題ではない。増援が現われた場所にレギオンがいた事が大問題だった。

 レギオンの体内から臓物が飛び出し、意思を持った触手となって背後の悪魔を全員絡め取る。

 “敵の敵は味方”と言うが、この場においてその法は成り立たなかった。レギオンにとって樹流徒とルキフゲは敵であり、やってきた悪魔は敵の敵ではなくタダの餌だった。

 臓物の触手に掴まった悪魔たちはレギオンに引っ張られ、捕食される。まるで粘土の塊に物を押し込んだように、悪魔たちの体がレギオンの体内に沈んでいった。

 捕食された悪魔たちの姿が完全に見えなくなったとき、レギオンの肉体が膨張を始める。

「まったく、余計な事をしてくれたな」

 ルキフゲがぼやく。その言葉は考えるまでも無く、みすみす自らレギオンの餌になるべくこの場に現われた悪魔たちに向けられたものであった。


 折角魔魂を放出させてレギオンを弱体化させたというのに、振り出しに戻ってしまった。

 いや。振り出しを通り過ぎて、マイナス地点まで行ってしまった。悪魔を捕食して膨張した巨大レギオンの体は、弱体化前よりも遥かに大きい。

 ルキフゲは歯がゆそうだった。巨大レギオンは決して倒せない相手ではないが、始末するのに時間がかかる。その間にまたレギオンの餌が現われでもしたら余計面倒な状況になる。


 レギオンは数本の腕を伸ばして二人を襲った。黒い光を帯びたレギオンの手は、相手の脳に死のイメージを植え付ける。捕まったら一巻の終わりだ。

 樹流徒は腕の下を潜り抜けると、火炎砲で反撃した。放たれた紅蓮の炎はレギオンに着弾すると爆発。大きな破片を四方八方に飛び散ちらせた。

 効果は皆無と言って良い。レギオンの皮膚に小さな火傷は生じたが、魔魂は一粒も発生しなかった。有効なダメージを与えれたか否かという点では、全く無意味な攻撃だった。


 一方で、樹流徒はその無意味な攻撃から閃きを得た。飛び散る炎の塊を見て、巨大レギオンを一気に弱体化させる方法を思いついたのである。

 それは実のところ閃きと呼ぶほど大それた物でも無く、とても些細な気付きだった。それでも試してみる価値はある。案外そうした些細な発見から大きな突破口が開ける事もあるのだから。

 樹流徒はすぐさまルキフゲに伝える。

「さっきの場所に戻ろう」

「何?」

「さっきの橋に戻るんだ」

 樹流徒は言い直したが、ルキフゲの顔には疑問符が浮かんだままだった。

「何を言っている。橋に戻って何になるンだ? 足場が狭くて戦いにくくなるだけだぞ」

「分かっている。でも、試してみたいことがあるんだ」

 レギオンの口から呻き声と共に幻の炎が放射される。

 二人は右と左に跳んでかわした。


 ひとまず安全圏に逃れたルキフゲは未だ不可解そうな顔でトンネルに視線を送る。

「敢えて自ら危険な橋に戻って、一体何の利点が……」

 そこまで言って、彼も樹流徒の狙いに気付いたらしかった。

「そうか……。分かった。オマエの言う通りにしよう」

 一転、樹流徒の考えに同意する。


 巨大レギオンの体内から臓物の触手が何本も飛び出して二人を襲った。

 これに捕まれば先ほどの悪魔と同じ運命を辿ることになる。樹流徒は機敏に横へ駆けて通常より余裕を持ってかわした。ルキフゲは両手の爪で触手を切断する。


 攻撃をやりすごした二人は身を翻してトンネルに駆け込んだ。勢いそのまま橋の上を疾走する。

 当然の如くレギオンは追いかけてきた。ただし、そのままの姿では大きすぎてトンネルを通れない。かといってイース・ガリアの強固な壁を破って突進するのも不可能だった。


 トンネルを通過するためレギオンが分裂する。巨大な体が数十体もの小さなレギオンになって宙に飛び散った。まさしくその光景は、爆発した火炎砲が炎の塊を四散させる様とそっくりだった。

 この瞬間こそが樹流徒たちの狙いだった。二人は橋の真ん中で振り返り、既に攻撃態勢に入っていた。トンネルの中は分裂したレギオンが詰まって立錐(りっすい)の余地も無い。レギオンは攻撃をかわすことも逃げることも出来ない状態だった。完全に格好の的である。


 樹流徒の周囲に浮かんだ三つの青白い輝きが膨張し、凍てつく冷気の柱となった。ルキフゲの手から黒ずんだ黄金の炎が広がる。二人の攻撃は、トンネル内で身動きが取れないレギオンをまとめて飲み込んだ。


 限りなく全滅に近い状態だった。生き残ったレギオンたちが急いでトンネルから出て融合するが、先ほどまでの体躯には遠く及ばない。数十あった人間の顔も指で数えられる程度に激減していた。


 赤黒い光の粒が宙に大量に放出される。

 樹流徒は虚空より取り出した氷の鎌を握り締めて駆け出した。

 接近させまいと、レギオンは横に逃れながら黒い光を帯びた手を伸ばす。ほぼ同時、ルキフゲが黒い光弾を発射した。

 樹流徒は高く跳躍する。彼の眼下をレギオンの手と、ルキフゲの光弾が交差した。

 樹流徒が空中で鎌を振り上げたとき、ルキフゲの光弾がレギオンに命中する。もはやレギオンに先ほどまでの防御力は無い。光弾を受けた体が大きく揺れて、魔魂を発生させた。


 レギオンが怯む。動きがほぼ完全に停止した。そこへ叩きつけるように振り下ろした樹流徒の鎌が降ってくる。

 しぶとい戦いを見せたレギオンの命運もそこまでだった。

 美しい三日月状の氷刃が邪霊の体を両断する。

 絶えず漏れていた憎悪と苦痛の声が、断末魔の叫びに変わった。レギオンの肉体は最後のひと絞りまで魔魂を吐き出して完全に崩壊する。魔魂すらも全て樹流徒に吸い込まれ跡形も無くなった。


 新たなレギオンが現れる気配は無い。橋の上は元の静けさを取り戻した。

「こんな単純な手でレギオンが倒せるとはな……。案外、考え付かないものだ」

 ルキフゲは幾分感心した様子で樹流徒に近付き

「だが、このあとオマエが戦う相手には一切の小細工が通用しない。気をつけろよ」

 ベルゼブブの事を言っているのだろう。

 警告を残し、ルキフゲは一足先に廊下へ出ていった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ