解放の日
「おい、どうした?」
ベルは早雪の元に取って返す。渡会も彼女の傍に駆け寄った。
早雪は胸の辺りを押さえて苦しんでいる。顔色は目に見えて分かるほど青くなっていた。
「しっかりしろ。どこか痛むのか?」
令司の質問に早雪は何も答えず、ただ地面にうずくまったまま苦悶の表情を浮かべるだけだった。首を振る余裕すらないらしい。
「呪いの影響だ」
渡会が断言すると、ベルがしまったという表情になる。
「そういや八坂妹の心身が弱ると呪いの症状が顕著に現れるんだったな」
渡会の過去。呪いを解くためには誰かの寿命が半分必要という儀式の秘密。それらを知ってしまった事が早雪に強烈なストレスを与え、呪いの効果を強める引き金になってしまったのだろう。もしかするとベルが言い放った言葉も症状の悪化を手伝ってしまったかもしれない。
渡会は拳を強く握り締める。表情は心配そうで腹立たしそうだった。早雪の身を案じると同時に、こんな非常時に何も出来ない自分の無力さが歯がゆいのだろう。
ベルはその場で膝を付くと、胸を押さえる早雪の手に自分の手を重ねた。そこから温かな光が広がる。ベルは他者の傷を癒す特殊な力を天使から授かっている。癒しの光である。
それは早雪に何の効果も無かった。少女は自分の胸を押さえたまま背中を丸めている。
ベルは早雪の背後に回ると彼女の上体を引っ張って起こした。パジャマのボタンを上から三つまで外して左肩を露出させる。
「こいつは……」
おぞましいものを目の当たりにして眉間にシワが寄った。
早雪の肩に黒い蜘蛛の巣状の物体が張り付いている。以前からあった物だが、それが生き物のように少女の皮膚を這っていた。
蜘蛛の巣は徐々に早雪の心臓へと向かっている。それが蠢くたび早雪は小さな悲鳴を上げた。
「脅すわけじゃないが、早く何とかしないとヤバイんじゃないのか?」
さっきまで酷薄とも思える態度を取っていたベルが若干焦りの色を滲ませる。
「少し癪だが、こうなったらベルの言う通りにするしかないな」
一も二もなく令司が決断した。早雪の意向を無視して強引に解呪の儀式をするつもりだろう。
「令司。待って……。私……大丈夫……だから」
息も切れ切れに早雪は何とか声を絞り出して救いを拒む。
令司は聞き入れない。
「勝手に儀式をすればお前は怒るだろうな。だが、それでも俺はお前を助ける」
令司は早雪を横抱きに抱えて走り出した。渡会とベルも後を追う。
「おい。儀式ってのは具体的にどうやるんだ?」
ベルは走りながら渡会に尋ねた。
「悪魔召喚と変わらない。魔法陣と生け贄と呪文を用意して、決められた順序で儀式を行う。成功すれば、アムリタはあらゆる呪いを解く薬に変わるはずだ」
「上手くいくんだろうな?」
「いってもらわないと困るんだよ」
そう言い交わしている内に八坂家に着いた。
早雪を抱えた令司が飛び込んできたことで、家の中は大騒ぎになった。
リビングにいたメンバーは皆、あり得ないものを見たような顔をした。具合が悪くなって別の部屋で休んでいるはずの早雪が、何故か令司に抱きかかえられて外から帰ってきたのだから。そのすぐあとには血と痣だらけになった渡会の顔が飛び込んできたので、家の中にいた者たちは益々事態が飲み込めなくなった。それでも早雪の容態を見れば、令司たちが慌てている理由だけは瞭然だった。
早雪はソファに寝かされ、令司はアムリタの壷を持って儀式を行う二階に駆け上がっていった。彼を追って他の者たちも階段を走った。本来であれば全員で儀式の進行を見守る予定だったが、砂原と仁万は一階に残って早雪の傍についていることになった。
八坂家の二階にあるその一室は、まさしくこの日のために用意されたものだった。
一般的に見てかなり広い部屋だが、家具が何も置かれていないので余計広く見える。
部屋の中にある物はたったの二つだけだった。
一つは床の真ん中に敷かれた黒い板。正方形の分厚いプラスチック板に深い溝を彫って大きな魔法陣が描かれている。解呪の儀式に使うため令司が用意した物である事は疑いようもなかった。
もう一つは部屋の隅に置かれた鉄製の箱だ。大人が両手で何とか抱えられそうな横長の箱で、スライド式の蓋が頭に乗っている。飾り気は一切無かった。
部屋に飛び込んだ令司は魔法陣の真ん中にアムリタの壺を置く。それからすぐ部屋の隅に置かれた箱まで駆けた。鉄の蓋を乱暴に開けて、中に入っている物を次々と取り出す。
最初に出てきたのは動物の頭蓋骨だった。形や大きさからして河馬の頭蓋骨に違いない。
次に出てきたのは透明な瓶の中に並々と注がれた血らしき液体だった。かなり古いものらしく瓶の内側に赤黒いモノがこびり付いている。
そのあとも爬虫類のミイラ、白い羽根、木炭、緑色の鉱石と、変わったものばかりが出てきた。
それらが儀式に必要な生贄であることは明らかだった。
令司は鉄の箱から取り出した物を魔法陣の中に並べてゆく。六芒星と円の接点に順序良く配置しなければいけないらしかった。
生贄の配置が終わると、最後に令司が壺の前に立った。
他の面々は魔法陣を囲うように部屋の壁際に散らばる。
「令司……」
渡会が令司の背中に声をかけた。「儀式なら俺がやる」と言いたかったのだろう。儀式を行う者は寿命を半分失うからだ。
しかし渡会より先に令司がその台詞を口にした。
「儀式は俺がやる」
重い口調に有無を言わさない迫力があった。
渡会は眉根を寄せて大人しく引き下がる。令司を説得している間に早雪の身に取り返しのつかない事が起きてしまったら元も子もない、と考えたのかも知れない。
令司は壺の蓋を開封した。中には白い液体が満ちている。アムリタだ。八坂兄妹が喉から手が出るほど欲しかった物である。それを眺める暇も惜しんで令司は儀式に取り掛かった。
皆が真剣な顔で見守る中、令司は呪文を唱え始める。
呪文は数十秒に渡って淀みなく詠唱された。いかに令司が普段からこの呪文を練習しているかが良く分かる。渡会をはじめとしたほかの面々はひと言も発さず儀式の光景を見ていた。
呪文を唱え終わると変化が起こった。
魔法陣が青白い光を放ち、生贄が全て溶けて液体になってしまう。動物の骨も、血液で満たされた瓶も、爬虫類のミイラも、何もかもが溶けて銀色に変色した。銀色の液体は魔法陣を描いた溝に沿って流れる。見えない力に引っ張られるように魔法陣全体に行き渡った。
誰かが固唾を飲む。
次の変化が起こった。魔法陣の中から半透明の腕が生えてきたのである。アムリタの壺を挟んで令司の正面に現われたその腕は、人間の腕よりもずっと細くて長かった。腕と言うより裸の低木が生えてきたように見える。
天井付近まで背を伸ばした半透明の腕は令司に近付いた。長くしなやかな五本の指が令司の心臓に引き寄せれられてゆく。
「なんて嫌な気配だ」
アンドラスは軽い吐き気を催したような顔で、半透明の腕が宙を這いずる様を見ていた。
と、そのとき。張り詰めた空気が、デカラビアのあっという高声で弾ける。
出し抜けに床を叩く音がして、令司の背後に佇んでいた影がその場から駆け出した。今まで大人しく儀式を眺めていた渡会が、急に意を決したように顔を上げて令司めがけ突っ込んだのだ
足音に気付いた令司が振り返ろうとしたときにはもう、彼は渡会に突き飛ばされていた。
ただでさえ渡会は組織の中でも一番の怪力を誇る。虚を突かれた令司に抗う術は無かった。彼の体は魔法陣の外へ弾き出されて床を転がる。
令司がいた場所に、渡会が立った。
「オマエ、何してるんだよ?」
傍目には渡会が儀式の妨害をしたようにしか見えなかった。アンドラスが目を丸くする。
令司が目角を立てて渡会の名を叫んだ。
「悪いな令司。この役だけは俺にくれ」
渡会は少し申し訳無さそうに笑っていた。
魔法陣から生えた手が音も無く渡会の胸に吸い込まれてゆく。
半透明の腕が上下に揺れた。渡会の首と四肢が軽い痙攣を起こし、魔法陣が輝きを増す。まるで腕が渡会の体内から力を奪い取って魔法陣に注いでいるように見えた。
光る魔法陣の中心でアムリタがほのかに青みを帯びる。
それで儀式は終わった。魔法陣の光は完全に消え、アムリタの壺と渡会だけがその場に残った。
「何がどうなっているんですか?」
デカラビアは目を丸くして渡会と令司を交互に見やる。今、この場で何が起こったのか、理解が追いつかないのだろう。儀式の秘密や、渡会と八坂兄妹の関係性を知らない者にとっては謎だらけの出来事だった。
反対に事情を知っている者からすれば、渡会がやったことは明白だった。
魔法陣から生えた腕は触れた者の寿命を半分奪うのだろう。渡会は令司の身代わりになって自分に残された一生の時間を半分差し出したのだ。
「やるかもしれないと思ったが……本当にやりやがった」
ベルは心なしかやりきれない顔をしている。
渡会は魂が抜けたように魔法陣の真ん中で立ち尽くしていた。
令司が拳を強く握り締める。また一発殴ってやろうという顔つきで渡会を睨んだ。
「おい。さっさと妹のところへ行け。間に合わなくなっても知らないぞ」
ベルの言葉が、熱くなった令司の頭を冷やす。
我に返った令司は握り拳を緩めて魔法陣の中心に駆け込んだ。壺を両手で拾い上げると、渡会を一顧だにせず歯噛みする。そして物凄い勢いで部屋を飛び出し階段を駆け降りていった。
アンドラスとデカラビアは顔を見合わせる。
「何がどうなってるのか良く分からないケド、オレたちも行こうぜ」
「そうですね」
二人は令司の後を追って部屋を出ようとした。
すぐさまベルに呼び止められる。
「待て、馬鹿悪魔。お前たちは行かなくていい」
「誰が馬鹿ですか」
デカラビアが目玉を三角にする。
「いいからお前たちはこの部屋で大人しくしてろ」
「何でだよ?」
「今から八坂妹の解呪が始まる。そのためにはアイツの服を脱がす必要があるんだ。あとは察しろ」
「あ、なるほど……」
「そういう事情でしたか……」
アンドラスとデカラビアは声を重ねて納得した。
「まったく。アンドラス君は本当に繊細さが無いと言うか、心配りができない悪魔ですね。あきれてしまいますよ」
「何言ってんだ。お前も一緒だろ。物事に対する考え方が薄っぺらなんだよ。その体みたいにな」
アンドラスは人差し指でデカラビアの薄い体を突く。
「薄っぺら? 今、薄っぺらって言いましたよね? 私に対する禁句ですよ、それは」
「ああ、言ったよ」
デカラビアの目が五芒星の中を暴れ回った。
「テメェ。もう許さねえぞ。この鳥野郎。ガラガラ声」
「あっ。オマエ! それだけは言っちゃだめだろ。オレが一番気にしていることを……」
「先に禁句を言ったのはテメェだろうが」
「先にケンカを売ってきたのはオマエだろ」
「やンのか?」
「おうやってやる」
不毛な争いを始めた二体の悪魔。
喚き散らす彼らの横で、渡会は抜け殻なった体を未だ魔法陣の中に立たせていた。
一方、階段を駆け下りた令司は、勢いそのままリビングに駆け込んだ。すぐ部屋を出入りできるようにドアは初めから開きっぱなしになっていた。
「儀式が終わったのか」
ソファの近くに座っていた砂原と仁万が腰を上げる。
早雪はまだ生きていた。息を荒くしながら、呪いの痛みに悲鳴を上げながらも、まだちゃんと生きている。
「よし。あとは任せたぞ」
砂原が言うと、令司は無言で首肯した。
「仁万。我々は外に出よう」
「え? はい」
砂原は仁万を連れてさっさとリビングを出て行った。
部屋のドアが閉められ、室内は八坂兄妹の二人だけになる。
「待ってろ。いますぐ助けてやるからな」
令司は早雪のパジャマと下着をずらす。
彼女の皮膚を這う蜘蛛の巣は間もなく心臓に到達しようとしていた。
令司はアムリタの壺に手を突っ込む。アムリタは本来飲むものだが、儀式により塗り薬に変わったらしい。
令司は薬を蜘蛛の巣に塗った。その拍子に激痛が走ったのだろう。早雪は悲鳴すら上げられずに全身を硬直させた。
「頼む。上手くいってくれ」
心の底から祈るように言って令司は早雪の手を握り締めた。
八坂兄妹が家族を失い、早雪が呪いに苦しみ始めてから数年。
それはきっと渡会が待ち続けた時間以上に長く感じられたことだろう。果たしてこの兄妹が今までにどれだけ苦しみ、悲しみ、絶望を味わってきたか、余人には想像もつかない。
その辛苦を与え続けてきた呪いが、今、いとも簡単に消える。
霊薬を浴びた蜘蛛の巣は、溶けて跡形も無く消え去ってしまった。
早雪の顔からすっと苦しみが消える。青ざめていた顔に温かな血が上ってきた。
令司はまだ不安な目をしている。
「終わったのか?」
長年苦しめられてきた呪いが余りにも簡単に消えてしまったせいだろう。まだ半信半疑の様子だった。
それでも確かに、蜘蛛の巣は影も形も残っていなかった。早雪の呪いは解けたのである。
「痛むか?」
尋ねると、早雪は首を横に振った。
解呪が成功したという実感が、令司以上に湧かないらしい。早雪は自分の肩を凝視したり、呪いがあった場所に触れたりして、蜘蛛の巣が消えたことを確かめる。
「大丈夫。もう、終わったんだ」
自分自身に確認を取るように令司が言った。彼は服の袖で早雪の皮膚に付着した薬を拭き取る。それが済むと彼女の乱れた服を直した。
早雪は服の襟元を引っ張って、自分の体を覗き込む。改めて見ても蜘蛛の巣がどこにも無い事を確認してから、令司の目をまっすぐ見た。
「令司……本当にもう終わったの?」
「ああ」
「本当の本当に?」
「ああ、終わった」
「もう熱や痛みで眠れなくなることもないの?」
「そうだ」
「自由に外へ出て、自由に遊んでもいいの?」
「お前がずっと行きたがっていた学校にも行ける」
「もう呪いを解くために令司が無理をすることもない?」
「そうだな……」
言葉を交わしている内、ようやく実感を得られたらしい。早雪の瞳に涙が、口元には笑みが浮かんだ。
「おめでとう、早雪」
「うん……」
兄妹は屈託の無い笑顔で微笑みあった。
が、あることを思い出して早雪の笑顔はすぐに崩れる。
「でも、私の呪いを解くために令司の寿命が半分になっちゃったんでしょ?」
「……」
令司も眉を曇らせた。
間もなくリビングに全員が集まった。
早雪の解呪が成功したという明るいニュースで室内は和やかな雰囲気になった。
「ま、メデタシメデタシってやつだな」
ベルはこの上なくアッサリしている。口では「めでたい」と言っても、彼女は多かれ少なかれ後味の悪さを感じているはずだ。解呪の儀式に渡会の寿命が使われたことを知っているからである。
「おめでとう、早雪君」
「おめでとう。令司君も良かったね」
何も知らぬであろう砂原と仁万は爽やかな笑顔と惜しみない拍手を送った。
二階で子供じみた口げんかをしていたアンドラスとデカラビアもすっかり怒りを忘れて喜んでいる。
「細かいコトは良く分からないけど、無事終わったみたいで良かったよなぁ」
アムリタを運んできた甲斐があってアンドラスは満足げだ。
彼の隣に浮いているデカラビアは目から滝のような汗を流していた。
そして最後にもう一人……
渡会はぎこちない笑顔を浮かべ、早雪に近付く。
「良かったな、早雪」
「はい。ありがとうございます」
少女は笑顔で頷いてから
「あの。ちょっとしゃがんでもらっても良いですか?」
と渡会にお願いする。
「これでいいのか?」
言われた通り渡会は身を屈めた。
パン、と部屋に乾いた音が響く。
早雪が渡会の頬をひっぱたいた音だった。
何事かと目を丸くする他の者たち。
早雪は眉を吊り上げた。
「私、怒ってるんですからね」
「分かってるよ。この程度で俺の罪が消えたなんて思ってない。いや、たとえ何をしてもあの日の罪が消えることは一生無いんだ」
「違います。私が怒っているのは、渡会さんが勝手に寿命を使ったからです」
寿命? どういうことだ? 事情を知らない者たちが疑問を呟く。
怒り顔の早雪は、しかしすぐにいつもの笑顔に戻った。
「でも、渡会さんのお陰で私の呪いは解けました。だからこれで全部無かった事にします」
と全てを納得した顔で言う。
逆に納得できてないのは渡会だった。
「だが、俺はお前たちの家族を……」
「さっきも言いましたけど、あれは渡会さんのせいじゃないですよ。それに渡会さんは私と令司にずっと親切にしてくれたじゃないですか」
「……」
「だから私はアナタを許します」
早雪は優しく穏やかな笑みを浮かべる。
渡会は、菩薩でも仰ぐような目で少女の顔をまっすぐ見つめた。
菩薩の顔は、今まで見せなかった活発そうな笑顔を咲かせる。本来彼女が持っていたであろう笑顔と言っても良い。
「今度は私が渡会さんの寿命を元に戻す方法を探しますね」
「ああ……。頼んだ」
渡会は立ち上がって、早雪の頭を優しく撫でた。
そこへ令司がつかつかと歩み寄ってくる。
彼は渡会と向かい合うと、いきなり頭突きを見舞った。
きょとんとする渡会に、令司は指を突きつける。
「早雪が言った通り、勝手に寿命を使った罰だ」
「令司は人の事言えないでしょ。渡会さんが身代わりになってくれなかったら、令司の寿命が半分になってたんだよ」
「うるさい。兎に角、これで俺も今までの事は全て忘れてやる。いいな?」
令司は渡会にぶつけた頭を手で擦りながら言う。
渡会は無言で笑みを浮かべた。決して明るい笑顔ではなかったが、さっきまでのぎこちなさは消えていた。
「メデタシメデタシってヤツだな」
ベルはもう一度言った。心なしか口元はさっきよりも緩んでいた。
そのあとアンドラスたちはすぐに八坂家を発った。
アンドラスはもう少しゆっくりしていきたかったようだが、デカラビアが「早く魔界に帰りましょう」とごねたのである。八鬼との戦闘で、現世にいるのが余程懲りたのだろう。どうしても一刻も早く魔界に戻りたいと言って聞かなかった。
賑やかな悪魔二人組がいなくなると、リビングの中はだいぶ静かになった。
「仁万、悪いがさっきの約束は無かった事にしてくれ。何か急に眠たくなってきた」
そう言ってベルは欠伸を噛み殺しながら真っ先にリビングを出て行った。さっきの約束というのは、仁万と一緒に物資を調達しに行く約束のことに違いない。
「じゃあ俺も少し寝るか」
ベルの姿が消えるや否や、砂原がその場に体を横たえる。
彼の前に仁万が座った。
「待って下さい、隊長」
「何だ?」
「一つ言わせて頂きたいのですが、今回は例外中の例外ですよ。今後二度と悪魔をアジトに連れてくるなんて真似はしないで下さい」
仁万の小言に、砂原は少し参った様子で「分かった、分かった」と返事をした。
そして、渡会が八坂兄妹に話しかける。
「令司。早雪。折角だから今だけでも兄妹水入らずでゆっくりしろよ。魔都生誕以降ずっと忙しかったし、積もる話も色々とあるんじゃないか?」
提案すると、横で聞いていた砂原が同意する。
「そうだな。我々は相馬君の捜索任務を与えられているが、魔界は活動範囲外だ。彼が現世に戻ってくるまでは休暇にしよう」
「じゃあ遠慮なくそうさせてもらうか」
令司が言うと、早雪は頷いた。
兄妹は二人連れ立って廊下に向かう。
部屋を出る際、令司が一度立ち止まった。
「渡会。気が向いたら俺もお前の寿命を元に戻す方法を探してやる」
そう言い残して出ていった。
やがて砂原が寝息をかき始めた。
仁万は外へ出掛けて行った。ベルに教えてもらった店から一人で物資を運んでくるつもりだろう。
リビングの中は、実質渡会一人だけになった。
渡会は壁に背を預け、全てをやりきったような顔をしていた。彼もまた呪いから解放されたのだろう。
こうして無事に早雪は元気を取り戻し、八坂兄妹の件は一応の決着を見たのである。
一方、魔界でもある兄弟の物語が突然の始まりと終わりを迎えようとしていた。
しかしそれは八坂兄妹の物語とは違い、悲しい別れの物語だった。