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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
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生存者たち



 弓なりに伸びた道。土手から見える緩やかな川の流れと、霧の奥に隠された古い町並み。

 極めて最近見たばかりの景色を、樹流徒は詩織と共に歩いていた。

 現世に帰還して間もないニ人は、今、南西に進路を取っている。悪魔倶楽部へ持ち運ぶ詩織の荷物を用意するため、一路伊佐木家を目指していた。


 周囲に悪魔の姿は見えない。それでも樹流徒は最低限の警戒を怠らなかった。時折、辺りを見回したり、耳を澄ませたりして、敵の急襲に備えた。


 一方、詩織は平静を装っているものの足取りは重い。やはり彼女はマモンに囚われているあいだに心身をかなり消耗したようだ。先程まではそのような素振りを全く見せなかったが、恐らく無理をしていたのだろう。

 そんな彼女の不調に樹流徒が気付くまでそれほど時間はかからなかった。


「伊佐木さん。少し休んだ方が良くないか?」

 頃合いを見計らって、樹流徒が休憩を勧める。

 まだ摩蘇神社から全然離れていない。このまま歩き続ければ、いずれ詩織の体力が底を着いてしまうように思えた。

 もし、そのとき運悪く悪魔の襲撃を受けようものなら、最悪の状況としか言いようがない。実際有り得るだけに、できれば彼女には今のうちに休んでおいて欲しかった。


 しかし詩織は(がえ)んじない。「大丈夫」と答えるだけで、立ち止まる気配すら見せなかった。

 明らかにやせ我慢をしている。それが樹流徒に対する遠慮なのか、他に理由があっての行為なのかは、本人に問い(ただ)してみなければ分からなかった。


 器用な人間ならばそれとなく詩織の本音を聞き出せたかも知れない。

 樹流徒には少し難しかった。彼は、詩織がどうしても休みたくないと言うのであれば、敢えて理由を聞こうとは思わなかった。彼女の強い意志を尊重しようと考えた。

「余り無理はするなよ」

 と言ってあげるのが精一杯だった。


 その言葉を最後に、しばらくのあいだニ人の会話が途絶えた。

 北寄りの風が吹き抜ける。細長い枯れ草が、地面を這って樹流徒の足元を横切り、宙に舞った。

 この冷風は結界の向こうからやって来たのだろう。龍城寺市の外が現在どうなっているのかを知っている風だ。


 そういえば、いま結界の向こう側はどうなっているのだろう。樹流徒はふと思い出して、気になった。

 詩織は「世界が滅びる」と予言した。かたや、南方という男は「被害に遭ったのは魔法陣が広がった範囲までだと思う」と曖昧なことを言っていた。

 果たしてどちらが正しいのか、今になっても全くの不明だ。


 確か、以前バルバトスがこんなことを言っていた。


 ――現世と魔界が繋がった衝撃により、魔法陣の付近にいたニンゲンが死ぬのは当然だ。だからオレは生きた獲物がいる土地まで移動しようと考えていた。しかし、結界のせいで外に出られず困っていたのだ。


 彼の言葉は南方の意見とほぼ一致していた。魔法陣が広がった範囲だけが被害に遭ったという点も、結界の向こう側が実際どうなっているのか知らないという点も、同じだ。


 結局、結界の外に出なければ何も分からないということか。

 樹流徒は霧の奥に潜む巨大な壁に向かって視線を投げた。いつかあの壁を突破する方法も見つけなければいけない、そんな風に思っていると……


「相馬君。少し話をしない? 喋りながら歩くと気が紛れるから」

 何の前触れも無く、詩織が口を開く。

 悪魔倶楽部を出て以降、彼女のほうから樹流徒に話しかけるのはこれが初めてだった。


 軽く虚を突かれて、樹流徒は反射的に頷く。

 直後には少し困った。漠然と「話をしよう」などと言われても、一体何を喋ったら良いのか分からない。なにしろ、樹流徒は決して口数が多い青年ではなかった。普段、学校でクラスの女子と話すこともあまりなかった。


 彼が頭の中で話題を探していると、詩織から話を振ってきた。

「ね。悪魔倶楽部の鍵ってどうやって使うの?」

「ああ……。現世から店に移動する時は、鍵を鏡かガラスに挿し込むんだ。逆に、店から出る場合は扉の先にある空間に挿す」

「そうなの。でもどうして鏡とガラス限定なの? 鉄板では駄目なの?」

「さあ。考えてもみなかった。バルバトスに聞いてみないと分からない」

 樹流徒は答えてから、今度は自分から何か言おうと思って

「ところで、次はどこで鍵を使う?」

 と、詩織に尋ねた。

 彼女が自宅で荷物の準備を終えたら、再び悪魔倶楽部へ行くことになる。その際、どこで鍵を使おうか? という質問である。相談と言った方が良いかも知れない。


「そうね。別にどこでもいいけれど」

「荷物を運ぶことを考慮すると、なるべく君の自宅から近い方がいいかも知れないな。荷の重さと量にもよるだろうけど」

「じゃあ図書館の中なんてどう? 本も借りられるし」

 詩織は殆ど考える時間を置かずに答えた。


 市内には“龍城寺中央図書館”という大きな図書館がある。そこは、樹流徒たちが通う学校の廊下から見える場所に建っていた。どうやら詩織の家もそこから近いらしい。

「読書、好きなの?」

「ええ。本好きを自称するのは抵抗があるけれど」

「そうなんだ」

「捕まっていた時、マモンに“何か欲しい物はあるか?”って聞かれたの。私は“本”と答えたのだけれど……その程度には好き」

「そうか。神社にあった本は、マモンが君に差し入れた物だったのか」

 樹流徒はつい数時間前の出来事を思い出す。そういえば摩蘇神社の中で詩織との再会を果たした時、何故か彼女の周囲には大量の本が散らばっていた。その理由が今になって判明したようである。


「でも、マモンは私がどんなジャンルの本を好むか知らなかったから、手当たり次第に色々な本を持ってきてしまったみたい」

「確かに、辞書とか絵本とか統一感がなかったな」

「ちなみに私、最初は本ではなく“自由が欲しい”って言ったの。でも、それは却下されたわ」

「だろうな」

 樹流徒は、詩織とマモンがそのようなやり取りをしていた場面を想像して、妙におかしくなった。


「次に鍵を使う場所……図書館で良いと思うよ」

 樹流徒は快く詩織の意見に賛成する。特別異論を唱える理由も見付からなかった。

「そう。ありがとう」

 詩織は道の先を見つめたまま静かに礼を述べた。


 それにしても会話というのは自転車に乗るのと少し似ている。最初は少し手こずっても一度走り出してしまえばスムーズに進むことが多い。

 先ほど詩織から話しかけられたときは言葉が出なかった樹流徒だが、今度はすぐに次の話題が見付かった。詩織と図書館の話をしたことで、図書室の存在を連想したのだ。

 それにより、魔都生誕が起こる前、詩織と学校の図書室で会った時のことを思い出した。どうして自分だけが世界滅亡の予言を聞かされたのか、その疑問が蘇った。


「そうだ伊佐木さん。急に話は変わるけど、ひとつ聞いてもいいか?」

 樹流徒から話しかける。

「なに?」

「あの時、君はどうして僕を図書室に誘った? 何故僕だったんだ?」

 樹流徒は改めて問う。

 「改めて」というのは、これと同じ質問を図書室でもしたからだ。しかし当時、詩織は回答を避けた。樹流徒は今度こそ答えが聞きたかった。


 詩織は横目を使って樹流徒の顔をちらと見て、視線を前方へ戻す。

「そうね。今なら信じてもらえそうだから聞いてくれる?」

「ああ。聞きたい」

 樹流徒が答えると、詩織は黙諾した。徐に話し始める。


「私が相馬君を図書室に呼んだ理由は、未来予知で見た映像の中にアナタの姿を見たからなの」

「僕を?」

「そう」

「つまり君は、未来の僕を見たということか?」

「ええ。確か、場所はどこかの交差点。大勢の人々が倒れている中、アナタ一人だけが立ち尽くし、呆然としていた」

 樹流徒は、詩織の言葉に心当たりがあった。

 今、彼女が口にしたのは、樹流徒が気絶から回復した直後の状況に相違なかった。場所が交差点であることもピタリ一致している。


「なるほど。確かに今だからこそ君の言葉を事実として受け止められる」

 樹流徒は得心しながら言った。

 仮にこの話を図書室で聞かされていたとしても、間違いなく信じることはできなかった。詩織が話そうとしなかったのも納得できる。


「あの時、相馬君に未来の出来事を伝えても、本気で信じてもらえないことくらい分かっていたわ」

「……」

「仮に信じてくれたとしても、何かが変えらるわけでは無いことも分かっていた。それでも私は伝えておきたかったの」

「だから君は僕にだけあの予言を聞かせてくれたんだな」

「アナタにだけ(・・)?」

「え」

「……」

「……」

 両者、沈黙する。まるで恐ろしいものと遭遇してしまったかのように、二人とも急に黙り込んだ。


 妙な間が開いたあと、樹流徒はギクリとした。

「まさか、僕だけじゃないのか?」

 思わずその場で足を止める。今まで、世界滅亡の予言を聞かされたのは自分だけと思っていた。しかし、詩織が見せた反応はそれを否定している。


 樹流徒に合わせて、詩織も立ち止まった。

「ええ。相馬君に図書室へ来てもらったのは放課後だけれど、私は昼休みにも別の人と会っていたから」

 彼女はさらりと告げた。


 樹流徒は衝撃を受けた。本当に自分以外にも詩織と会っていた人物がいたことに、驚いた。

 その人物も詩織の未来予知に映ったのだろうか。もしそうだとすれば、その者も樹流徒と同じように魔都生誕から生き延びたことになる。今も生きているかも知れない。


「一体誰と会ってたんだ?」

 当然、樹流徒は尋ねる。

籠地(かごち)君」

 詩織はすぐさまその名を口にした。


 瞬間、樹流徒は口を僅かに開けたまま黙った。衝撃の連続に言葉を失う。

 彼は、今詩織が口にした籠地という人物のフルネームを知っていた。


 “籠地明治(がごちあきはる)”。

 愛称はメイジ。樹流徒の親友・メイジである。


「君はアイツとも会ってたのか?」

 樹流徒は詩織に一歩詰め寄る。

「ええ。私が見た未来の映像には彼も映っていたから」

「映像の内容は? メイジはどんな状態だった?」

「私が見たのは、籠地君が交差点から立ち去ろうとする瞬間。その時アナタはまだ彼の足下で倒れていたわ」

 詩織は淀みなく答えた。

 樹流徒は当時の状況を振り返る。自分が目を覚ました時にはすでにメイジの姿がなかったことを思い出した。詩織の言葉には信憑性があった。


「ごめんなさい。別に隠していたわけではないのだけれど」

「いや。それはいいよ。それよりも、メイジのやつ、生きてたのか」

「ええ。少なくとも黒い光を浴びても死ななかったことは確かね」

 またも強い木枯らしが二人の隙間を縫って走り去る。

 詩織の髪が南に向かってなびく。彼女はそれをそっと片手で押さえた。


「メイジが生きているかも知れない……」

 樹流徒は両の拳を握り締る。胸の内に抑え難い希望が充ちてゆくのを感じた。

 だが同時に不安も覚える。現在市内は悪魔が徘徊しており、非常に危険な状況だ。そんな中メイジがまだ無事でいるという保障はない。


 樹流徒は、親友の生存を強く願った。




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