償いのとき
「どうしたんだい? 渡会君」
仁万が不思議そうに尋ねた。
折角アムリタが手に入ってこれから早雪の呪いを解こうというとき、何を止める必要があるのか? 仁万だけでなくこの場にいるほとんどの者がそう考えただろう。
そんな彼らを半ば無視して、渡会はたった一人に話しかける。
「令司。解呪の儀式を始める前に、お前に話がある」
「俺に?」
「そうだ」
「何の話か知らないが、それは今聞かなければいけないことなのか?」
一刻も早い妹の回復を望む令司からすれば、他のことは全て後回しにしたいに決まっている。その気持ちは渡会も十分理解しているはずだ。しかし彼は引かない。
「どうしても今しなければいけない話だ。しかもこの場では言えない。できればお前と二人だけで喋りたい」
「……」
短い逡巡のあと、令司は早雪の顔をちらと見た。
その視線に気付いた早雪が無言で頷くと、令司は仕方なく承諾する。
「分かった、話を聞く。だがなるべく手短に済ませてくれ」
「悪いな。早く儀式を始めたいのは俺も同じだから、その点は安心しろ」
「じゃあ外で話すか」
当事者同士で話がトントン拍子に進む。こうなっては他の者が口を差し挟む余地は無かった。
「では我々はしばらくこの部屋で待機するか」
砂原が廊下に踏み出しかけていた足を戻す。
「悪い。できるだけ早く戻って来る」
渡会は他の面々にも謝って足早にリビングを出ていった。令司も一緒に廊下へ。
二人の後姿を早雪は心なしか不安そうな目で見送った。
玄関の扉が閉まる音がする。今が頃合と判断したか、アイムも動き出した。
「じゃあ僕はこれで失礼するよ」
彼はアンドラスとデカラビアに別れを告げる。
「もう魔界に帰っちゃうのか?」
「まだ現世旅行の途中だから、それが終わった後でね」
「アイムはニンゲン嫌いのくせに現世旅行は好きなんですね」
「現世には魔界に存在しない物が沢山あるから見ていて楽しいよ。そういうデカラビアこそ僕以上にニンゲン嫌いだったはずだけど、まだここに残るの?」
「ええ。アンドラス君を一人で置いてゆくわけにはいきませんからね」
「そうか。君は友達思いだな」
アイムはデカラビアの言葉を簡単に信じた。
別れの挨拶を済ませたアイムは静かに踵を返す。窓際まで歩くと、前脚を使って自力で窓を開いた。
外の冷たい風がカーテンの裾を揺らして室内に吹き込む。
「では、また魔界で会おう」
最後にそう言い残してアイムは外へ飛び出していった。
リビングに残された者たちはすっかり手持ち無沙汰になる。水を打ったような静けさが室内を包んだ。
束の間の沈黙を破って、ベルが気の抜けた顔で言う。
「渡会のヤツ、八坂兄に何の話をするつもりだろうな?」
「さあ。見当もつかないよ。ただ、渡会君の様子を見る限りかなり大切な用事があるんだと思う」
答えながら仁万はさりげなく窓際に立った。そしてアイムが開けっ放しにしていった窓を閉じる。
砂原がどっかと床に胡坐をかいた。野性的な力強さを持つ瞳が他の面々を見回す。
「では時間が空いたことだし、我々もここで話をしようか」
彼がそう切り出すと、全員の目が砂原を見返した。
「話?」
「話って、何の?」
ベルとアンドラスが続けざまに問う。
「相馬君の話だ。彼に関して知っていることを教えて欲しい。例えば彼の居場所や、彼とお前たちの関係。そして彼からアムリタを受け取った経緯などだ」
確かめるまでもなく、それはアンドラスとデカラビアに対する要求だった。イブ・ジェセルのメンバーは現在樹流徒の捜索命令を受けている。彼の足取りを知っておきたいのは当然だろう。
そうでなくても早雪はアムリタ入手のいきさつを知りたそうだった。
「私もお話を聞きたいです。お願いします」
彼女はデカラビアをじっと見つめる。
「急にそう言われましても……」
デカラビアは視線を泳がせ、救いを求める目でアンドラスを見た。
アンドラスは即答を避けたが、考えた末、樹流徒について喋っても問題ないと判断したらしい。
「あまり詳しくは説明はできないけど、それでも良いか?」
「感謝する」
砂原はにやりとした。
「何を礼なんて言っているんですか、隊長。僕は反対ですよ。悪魔に頼んで情報を教えてもらうなんて組織の一員として許されません。本来であれば悪魔を儀式に立ち合わせることだってれっきとした規律違反なんですよ」
「仁万。組織のルールを重んじるのも大切だが、こういう非常時には臨機応変に物事に対処する必要があるんだ」
「理屈は分かりますが。しかし……」
「反対しても無駄だ。我々はアンドラスの話を聞く。これは支部長としての命令だ。責任は俺が取る」
命令と言われてしまえば、仁万は黙るしかなかった。
「最近、隊長の口から命令って言葉が良く出るようになったな。前は滅多にそんな事なかったのに」
ベルが小声で言う。
「仕方ないですよ。砂原さんが言った通り非常時ですから」
早雪は砂原の判断に理解を示した。
そのようなやり取りが八坂家で行われているあいだ、連れ立って外に出た渡会と令司は、八坂家から三軒離れた家の庭に来ていた。
庭は高いブロック塀に囲まれている。地面には人工芝が敷き詰められ、小さな鉢植えや三輪車などが置かれていた。長いあいだ水を与えられなかった鉢植えの花は、朽ち葉色の乾ききった物体となって体を横たえていた。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
渡会は塀越しに八坂家の屋根を遠望する。
「わざわざこんな場所まで連れ出して、一体何の話をする気だ?」
早々に令司が話を切り出した。親指と人差し指を擦り合わせる落ち着きの無い仕草が、彼の苛立ちと逸る気持ちを如実に反映している。
そんな彼の心情に応えて渡会は短刀直入に本題へ入った。
「令司」
「何だ?」
「お前……さっき嘘ついただろ?」
「嘘?」
「正確には嘘というより隠し事だな」
「何の話だ。俺は嘘も隠し事もしていない」
「とぼけなくてもいい。解呪の儀式について知ってるのはお前一人じゃないんだ」
「……」
世話しなく動いていた指が止まる。
令司は急に黙り込んだ。渡会の指摘が事実であると自白しているようなものだった。
渡会は先を続ける。
「さっきお前、儀式に必要なのはアムリタだって言ったよな。でもあれは嘘だ」
「……」
「解呪の儀式にはアムリタのほかにもう一つ必要なものがある。お前はそれを隠している」
「……」
令司の表情はいよいよはっきりと変化して気まずそうになった。彼が人前でこんな顔をしたのは初めてかもしれない。
構わず渡会は核心を突く。
「もう一つ儀式に必要なもの。それは人間の寿命だ。あの呪いを解除するためにはアムリタのほかに人間の寿命を半分差し出さなければいけない」
「良く知っているな」
令司は暗い目で微笑して渡会の言葉が全て事実であると認めた。
ふー、と渡会は長い吐息を漏らす。それは溜め息ではなく、むしろ安堵の吐息に聞こえた。
「このことは早雪も知っているのか?」
「知らない。アイツには儀式について調べるのを禁じてあるからな」
「だと思った。解呪のために他人の寿命が必要と知れば、早雪は儀式を拒むに決まってるからな」
渡会は心底納得した様子だった。彼が令司と二人きりになりたいと要求したのも、儀式の秘密を早雪に聞かせたくなかったからだろう。
「で、お前は妹のために自分の寿命を半分使うつもりだったんだな?」
「まあな。だが気にするな。俺は二百歳くらいまで生きる予定だから寿命が半分になっても百歳まで生きられる」
「そんな冗談言われても今回ばかりは笑えねえよ」
渡会が微苦笑すると、令司の顔にも薄い影が差した。
「じゃあ他にどんな手がある? 早雪を見殺しにしろというのか?」
「そんなわけないだろ。解呪のためにお前の寿命を使う必要は無いって言ってンだよ」
その言葉に令司は首をかしげる。渡会が何を言っているのか分からない、という反応だった。
渡会の手がすっと伸びて令司の肩を掴む。
「俺の寿命を使え」
「え」
「俺の寿命を半分使えって言ったんだ。それで早雪の呪いを解いてやってくれ」
唐突な申し出に、令司の目が動揺の動きを見せた。
令司は肩に置かれた手をそっと払いのける。
「こんなときに冗談はよせ」
「お前が言うな。それに俺は冗談なんか言ってない」
「どうしたんだ渡会? お前、さっきから変だぞ。自暴自棄になってるんじゃないのか?」
令司はいつになく心配そうな目をする。
渡会は樹流徒を援護するため龍城寺タワーで何体もの天使を相手に戦った。もはや組織から厳罰を与えられるのは確定的だろう。だから渡会はやけくそになっているのではないか。そのように令司が想像しても不自然ではなかった。
渡会は否定する。
「自暴自棄になってる奴がこんな冷静に喋るかよ」
たしかに渡会は落ち着いていた。投げやりな態度は一切取っていない。
「ならどうして自分の命を捨てるような申し出をする?」
令司の疑問はある意味もっともだった。八坂兄妹と渡会は同じ組織の仲間だが、赤の他人には違いない。八坂兄妹には渡会の寿命を使わせてもらう理由が無いのだ。渡会が自暴自棄になっているならまだ話は分かるが、そうでもない。何が渡会にこのような決意をさせたのか、令司にとっては不可解というほかないだろう。
彼の疑問に答えることが、渡会にとってもう一つの本題に違いなかった。令司の隠し事を指摘するのは済んだ。今度は自分の隠し事を明かさなければいけない。
渡会はすっと息を吸い込んで、真剣な面持ちになる。
果たして彼はこの瞬間をどれだけ長いあいだ待ち続けてきたのだろうか? 実際は数年でも、渡会にとってはもっと遠く感じたはずだ。十年や二十年。もしかしたらそれより長かったかもしれない。
しかし今日、ようやく真実を告げる時が来たのである。
「これは俺の罪滅ぼしなんだ」
まず渡会はそう切り出した。
「罪滅ぼし? 何の話だ?」
令司が怪訝な顔をする。
渡会は覚悟の眼差しで相手と見つめ合った。
「令司。俺が今から言うことを良く聞いてくれ。いいか……」
そう前置きをしてから、彼は遂に真実を告白する。
――お前の家族を殺したのは俺だ。
空気が凍り付いた。令司の表情も固まる。
渡会も令司をまっすぐ見たまま瞬きすら忘れた。
どのくらいそうしていただろうか。
長いような短いような静寂の後、令司が震える唇を動かす。
「渡会……。言ったはずだぞ。こんな時に冗談はよせ」
「……」
渡会は何も答えず視線を逸らした。急に令司の顔を正視できなくなったのか、辛そうな視線を地面に落とす。
「今の、冗談だろ?」
「……」
「お前が俺の家族を殺したなんて、そんなの嘘だよな?」
「……」
「答えろ、渡会」
興奮と言うよりは半ば恐怖した様子で令司が問い詰める。
逆に渡会の態度はどこまでも冷静になっていった。淡々と事実を告げる機械のようになってゆく。
「俺はこの日を待っていた。早雪の呪いが解け、お前たちに真実を告げる日を、ずっと心待ちにしていた」
「嘘だ……」
「今、俺が言ったことは全て紛れも無い事実だ。お前の両親と姉は俺が呼び出した悪魔に殺された」
「そんな話、信じられるか」
令司は両手を伸ばして渡会の襟首を掴んで捻り上げる。
「冗談だと言え。これ以上下らない嘘をつくと許さんぞ」
「……」
「頼む。冗談だと言ってくれ」
「……」
「渡会」
「令司。この状況でこんな嘘は言わない」
「……」
「もう一度言うぞ。お前の家族を殺したのは俺だ」
令司の目がかっと見開かれた。
腕が大きく引かれる。潰れそうなほど握り締められた拳が渡会の頬を殴り飛ばした。
渡会はよろめいて、力なく地面に尻を着く。
わけが分からなくなったような叫びを上げて令司は相手に飛びかかった。渡会の腹に馬乗りになってまた拳を振り上げる。
「何故だ? 何故なんだ」
何故? を連呼して令司は相手の顔を何度も殴打した。
渡会は一切抵抗しなかった。真摯な態度で刑に服する者のように令司の拳を受け続ける。閉じられた瞳は「このまま殺されても構わない」と訴えているようだった。
渡会の唇や鼻の下が血で真っ赤に染まる。令司は拳を止めて激しく息を切らせた。
黙って殴られ続けていた渡会の、目と口が薄く開く。
「すまなかった令司。早雪に対しても取り返しのつかない事をしてしまったと思っている」
「ふざけるな。誰が謝れと言った」
令司は馬乗りになったまま相手を睨む。
「何故俺の家族を殺した? 理由を言え。返答によってはこの場でお前の息の根を止めてやる」
「分かった。全てを話す」
元々そうすることが目的だったのだ。渡会は過去に起きた事件の顛末を語り始めた。
話は十数分に及んだ。そのあいだ令司は黙って話を聞いていた。一語一句聞き逃すまいとするように真剣な目で渡会の口元を見ていた。
全ての話を聞き終えたとき、令司は色々と衝撃を受けたようだった。特にショックだったのは自分の父親が渡会の親友を事故に合わせそのまま逃走した件だったようである。渡会もその部分を話すときが一番辛そうだった。
「これが俺の知る全てだ」
胸の奥にしまっていた秘密を解放して楽になったのか。渡会の肩から力が抜けた。
彼の横っ面を令司が平手で叩く。
「お前、どうして今までこの事を黙っていた」
「真実を告げるのは早雪の呪いが解けるときにしたかった。それまではお前たち兄妹を陰ながら支えてやりたかった」
「とんだ自己満足だな」
「そうだ。自己満足であり、逃避でもあった。もし全ての真相を打ち明ければ、きっとお前は俺の助けを全て拒んでいただろう。俺にはそれが恐ろしかった」
「そんな理由で、お前は!」
令司はもう一発殴る。
渡会の口から飛び散った血が芝の隙間に飛び込んだ。
まだ令司の怒りは収まらない。この程度で収まるはずが無い。
「渡会。お前から見て俺の姿はさぞ滑稽だっただろうな。真実を知らず、ひたすら悪魔を憎み続けてきた俺を、お前は密かに嘲笑い続けてきたんだ」
「苦しむお前や早雪の姿を見るのは俺も辛かった。そんなの言い訳に過ぎないけどな」
「今まで俺たちを騙し続けてきた男の言葉など信じるものか」
「令司。早雪の呪いを解くために俺の寿命を使え。いや、使ってくれ」
「うるさい。誰がお前の力など借りるか」
「頼む。俺はそのために今日まで生きてきたんだ」
「……」
「俺を許せないお前の気持は良く分かる。だから早雪の呪いが解けたら、お前の手で俺を殺してくれても構わない。もしお前自身の手を汚したくないなら、俺が俺を殺しても良い」
「……」
「これくらいしか俺にはできないんだ」
渡会が言うと、令司は絶叫しながら立ち上がった。
彼は近くに置かれていた三輪車を蹴り飛ばし、それを持ち上げて家の窓に投げつける。花の鉢植えを掴んでは次々と地面に叩きつけて壊した。さらにその残骸を踏みつけ、蹴り上げる。他に怒りをぶつける場所が無かった。
が、令司の動きが急に止まる。怒りで赤くなった彼の顔は一気に熱を失い、肌色を通り超してさっと青くなった。
驚きに見開かれた令司の瞳には、庭の隅に立つ一人の少女が映っていた。
早雪である。彼女の表情には少しの申し訳なさと、深い悲しみと、そして眼前の男に対する憎しみがありありと滲んでいた。
脱力しきっていた渡会も早雪の存在に気付くと慌てて立ち上がる。
令司は妹に駆け寄った。
「お前、何でここに?」
「ごめんなさい。どうしても令司たちが気になったから……」
「家を抜け出してきたのか?」
早雪は小さく頷いて
「体の具合が悪いフリをして、出てきた」
「いつからここにいた?」
「渡会さんが過去の話をしている途中から」
それを聞いた途端、渡会は苦い薬を一気に仰いだような顔になった。過去の話を聞かれるのは良い。どの道、呪いが解けたら早雪にも事件の真相を話すつもりだったはずだ。問題なのは、解呪の儀式に関する話を聞かれてしまったことだった。儀式を成功させるために誰かの寿命が半分必要という情報は、決して早雪に知られてはいけない事だった。
それを聞かれてしまった結果、令司と渡会が最も恐れていたであろう言葉が、早雪の口から出る。
「令司。私、解呪の儀式はやらない」
「バカな事を言うな」
令司は早雪の両肩を掴む。
早雪は顔を反らした。
「だって儀式には誰かの寿命が必要なんでしょ? そんなの絶対に駄目だよ」
「駄目じゃない。俺の寿命を使え。俺が望んでそうするんだ」
早雪は首を横に振る。
令司に続いて渡会が彼女を説得した。
「早雪。俺はお前の家族を殺した。お前には俺の命を受け取る権利がある。そして俺にはお前のために命を使う義務があるんだ。少なくとも俺自身はそう思っている。だから……」
渡会の訴えにも、早雪の意思は揺らがない。
「渡会さんが今まで本当の事を隠していたのは許せないです。でも、渡会さんが全て悪かったわけじゃないし、仮に渡会さんが悪かったとしても、残った人生の半分を貰うなんてできないです」
早雪の言葉に渡会はがっくりとうなだれる。令司の拳を顔面に受けたときよりも余程痛そうな表情で地面を見つめた。
令司も、渡会を殴っている最中よりずっと苦しそうな顔で天を仰ぐ。何故、神はこうまで過酷な運命を自分たち兄妹に課すのか? 仮にも天使に従う組織の一員である自分たちに。罰を与える者が間違っているのではないか? そう叫びたそうに拳が震えていた。
すると、誰かの足音が近付いてくる。
令司と渡会は音に気付いてそちらを見た。
彼らの視線が向かう先、ベルが普段通りの顔と足取りで現われた。彼女は庭の隅で立ち止まる。そして早雪を見つけて開口一番「やっぱりここにいたか」と言った。
「何でお前まで来るんだ?」
令司が怪訝な表情をベルに向ける。
「部屋を出て行くとき八坂妹の様子がおかしかったから、もしやと思って様子を見に来た。そしたら案の定だ」
「嘘ついてごめんなさい……」
具合が悪いと言って勝手に家を抜け出してきた早雪は俯く。
「別に怒ってるワケじゃないから謝るな」
乾いた笑みを浮かべながらベルは渡会の顔を見た。男の顔面は血と青アザにまみれている。
「何だか修羅場みたいだな。折角これからめでたく早雪の呪いが解けるっていうのに、オマエら何やってンだ?」
「あの。それなんですけど……」
おずおずと早雪は口を開く。
「私、解呪の儀式はやらないことにします」
「へえ……。ソイツはかなり意外な展開だな」
言葉に反してベルはさして驚いた様子も無い。
「アムリタを手に入れてくれた相馬さんや、それを届けてくれた悪魔さんたちには申し訳ないですけど、私は他の誰かを犠牲にしてまで助かりたくないです」
「犠牲? 何だそれ?」
早雪が知ってしまった以上、今更ベルに隠してもしょうがなかった。
渡会は全ての事情をベルに説明した。自分の過去も含めて洗いざらい喋ってしまった。さきほどベルの昔話を聞いてしまったお返しの意味も含まれていたのかもしれない。
話を聞き終えたベルは、やや不快な顔つきになった。
「まったく。これだからイイコちゃんは……」
と苛立たしそうに独り言を呟く。
早雪は自分がベルを怒らせてしまったと感じたらしく、さらに深く俯いた。
そんな彼女に向かってベルは言う。
「おい八坂妹。折角アンタの兄貴も渡会も寿命を半分くれるって言ってンだ。遠慮なく貰っとけよ」
「そんなの……無理に決まってるじゃないですか」
「アンタが悪魔の呪いで死んだら、兄貴も渡会も寿命が半分に縮まるどころかショック死するかもしれないぞ」
「そんなこと言われても……」
「ああもう、面倒臭えな」
ベルはハードパーマの黒髪をガシャがシャ掻く。
「おい八坂兄と渡会。こうなったらオマエら無理矢理儀式をやれ。ソイツが一番手っ取り早い。何なら手伝ってやろうか?」
「お前な……」
そんなことができたら苦労しない、と言いたそうな目で渡会はベルを見る。
「ベルさん。そんなことしたら、私、怒りますよ」
早雪がきっとベルを睨む。今まで常に笑顔を絶やさなかった彼女にしては極めて珍しい表情だった。
それを見てベルは微笑する。
「ふーん。なんだ。アンタもそういう顔しようと思えばできるんだな。いつも無理してニコニコ笑ってるから怒るなんて無理なのかと思ってたよ」
「ベル。これ以上茶化すな」
令司が睨む。
「茶化してない。オマエらがグダグダやってるみたいだからアドバイスしてやっただけだ」
「とにかく私は今のままでいいんです。もう放っておいて下さい」
早雪が叫ぶと、ベルは気だるそうに肩を下げた。
「まあ好きにすればいいさ。私にはこれ以上深入りする義務も資格もないからな。そんなに死にたければ勝手に死ねばいい」
「なに?」
冷たく突き放すようなベルの言い方に、令司は怒りの形相になった。渡会も眉間に不快なシワを寄せる。早雪は悔しそうに唇を結んだ。
「だってそうだろ? 本人が救いを拒んで死にたいって言ってンだ。望み通り放っておいてやれば良いじゃないか」
「黙れ。お前に何が分かる? 俺たち兄妹の苦しみを知らない奴が無責任なことを言うな」
「だからこれ以上深入りはしないって言ってるだろ」
鬱陶しそうに吐き捨ててベルは踵を返す。
彼女がまだ五歩も歩かない内だった。
何かが地面に倒れた音と、早雪の名を叫ぶ令司の声で、ベルは振り返る。
早雪が背中を丸めて地面でうずくまっていた。