ベルの過去
市内某所に建つ青いスレート屋根の二階建て住宅。魔都生誕以前八坂兄妹が暮らしていたその家は、現在イブ・ジェセルのアジトとして利用されている。
その八坂家に、丁度いまメンバーの一人が到着したところだった。ハードパーマとカーキ色のジャケットが特徴的な二十歳くらいの女性――春田五十鈴だ。ベルという呼び方のほうが組織のメンバーには馴染み深いだろう。
外から帰ってきたベルの両手には大きなビニール袋が四つも提げられていた。ある袋には飲料水のペットボトルや缶詰などの食料品が。またある袋にはゴミ袋や歯ブラシやティッシュなどの生活必需品が大量に押し込まれている。どの袋もパンパンに膨れ上がって今にも破れてしまいそうだった。
「どうしたんだい? それ」
ベルがリビングに入ると、開口一番仁万が尋ねた。背筋を綺麗に伸ばした体は部屋の隅で星座をしている。膝元には栞を挟んだ文庫本が置かれていた。知的な顔立ちの仁万には本が良く似合う。
「ああ、これか?」
ベルは限界まで膨れ上がったビニール袋に目を落とした。
「見ての通り食料と生活必需品だ。偵察ついでに探してみたら割とアッサリ手に入った」
「へえ。どこの店で?」
「×××ストア」
「ああ、あの店か。ここから近いね。でも、たしかあの店は瓦礫の山になったはずだけど……」
「その瓦礫を除けてみたらコレが見付かったんだよ」
「へえ。てっきり悪魔に荒らし尽くされた後かと思ってだけど、調べてみるものだね」
仁万は感心した風に言う。市内のどこかで新調した眼鏡を中指で持ち上げた。
「まだ他にも使えそうなモノが結構残ってたぞ」
「本当かい? なら僕も後で店に行って見るよ。よければ君ももう一度行ってくれないか?」
「しょうがないな。手伝ってやるか」
億劫そうに言いながらもベルは二つ返事で了承した。
そこでようやく二人の会話が途切れたので、ソファに腰掛けていた早雪がおもむろに口を開く。
「お帰りなさい、ベルさん」
「ああ、ただいま」
ベルが答えると、仁万も今更「お帰り」を言った。
ベルはソファの前にある座卓にビニール袋を下ろし、早雪の隣に腰掛ける。ソファの背もたれに体を深く預けると、誰にともなく言った。
「だが、こんな宝探しの真似事はいつまでも続かないぞ」
「そうだね。これまでもそう言いながら何とか乗り切ってきたけど、ここ最近、本当に物資が見付からなくなってきたから」
やや神妙になる仁万の顔付きが、彼らの窮状を如実に物語っていた。人間が生きてゆくために必要な物が、もう市内にはほとんど残っていないのだろう。
「この分だと食料はあとひと月も経たない内に尽きるだろうな」
「うん……。いまさら嘆いてもしょうがいないけど、アジトが二つも潰されたのが痛かったね」
「特に太乃上荘(たのがみそう。最初にアジトとして利用していた旅館)に溜め込んだ物資はほとんど使わなかったからな」
「あそこに戻ればまだ物資が手付かずのまま残っているかな?」
「既に調査済みだよ。残念ながらほぼ全滅らしい」
「そうなんだ。初耳だよ」
「あの物資さえあればあと一ヶ月は食料に困らなかったんじゃないか?」
「そうだね」
仁万は相槌を打ってから、話題を変える。
「ところで魔都生誕が発生してから今日でどれくらい経つかな?」
「さあ。二、三ヶ月ってトコじゃないか?」
「まだそれしか経ってないのか。もう半年は過ぎた気がするよ」
「私もだ。一年近く経ってるような気さえする」
「一体、いつになったら結界の外へ出られるんだろうね?」
「出られるかどうかは分からないが、悪魔はコキュートス破壊の儀式を完了させたんだろ? なら近い内に何かしら異変が起こるんじゃないか?」
「たしかに」
仁万はまた相槌を打った。
そんな二人の会話をよそに部屋の一角で、とあるメンバーが静かな寝息を立てている。
縄で全身を拘束された二十歳くらいの青年だ。ライダースジャケットとデニムパンツに包まれた体を仰向けにして安らかな顔をしていた。余程楽しい夢でも見ているのだろうか。
そんな彼を早雪は心配そうな目で見る。
「渡会さん、床で寝てて大丈夫かな?」
多分独り言だったのだろう。多少耳を澄まさないと聞き取れないほど小さな声だった。
しかしそれにベルが反応する。
「渡会なら心配ないだろ。ソイツ、外で寝かせといても風邪引きそうにないからな」
「でも……」
「それに渡会は一応反逆者なんだ。せめて表面上でもそれらしい扱いをしないと、色々うるさい奴がいるんだよ」
言いながらベルは仁万をちらと見る。
仁万は少しバツが悪そうに眼鏡のフレームを押し上げた。
「そうですか……」
早雪は少し残念そうな顔をする。
それを横目で見てベルは微かに眉根を寄せた。
「ま、どうしても心配なら毛布でも掛けといてやったらどうだ? それくらいなら別に構わないだろ? なあ、仁万」
「どうして僕に聞くんだい? 毛布を掛けるくらい別に反対しないよ」
冷血人間と思われては心外といった顔で仁万は即答する。
「ありがとうございます」
早雪は表情をぱっと明るくしてソファから立った。かなり長時間座っていたせいか、足下がおぼつかない。肩の辺りまで伸びた栗色の髪が軽く揺れた。
「毛布を取りに行くついでに、ちょっと部屋の掃除してきます」
そう言い残して、彼女は静かな足取りで部屋を出て行った。
小さな足音が遠のいて完全に聞こえなくなると、ベルは指先で髪を弄り始める。そして絞った声で若干ためらいがちに言った。
「しかしアレだな。八坂妹は相変わらずのイイコちゃんだな。今時いないってくらいに」
「イイコちゃんって……。何だか棘のある言い方だね」
仁万は微苦笑した。
「別に悪く言ってるつもりは無いんだけどな」
「そうかい?」
「ただ、アイツを見てると時折イライラするんだよ」
「どうして? あんなに優しい子なのに」
「だからこそだ。八坂妹みたいなお人好しを見てると、不意に昔のロクでもない記憶が蘇ってくる」
「ロクでもない記憶?」
ベルは無言で首肯する。
「それは、もしかして君のご両親の事を言っているのかな?」
仁万が言うと、ベルはやや伏し目がちになった。こんな話題を持ち出した事を後悔しているのか。それとも逆に仁万の口からその話が出るのを待っていたのか。どちらとも取れそうな反応だった。
ベルが何も言わないので、仁万は話の続きをすべきかどうか少し迷う素振りを見せる。
ともすればそのまま会話が終わってしまいそうな雰囲気だったが、短い沈黙の後、彼は口を開いた。
「何年も前に一度だけ話してくれたよね。たしか、君のご両親はイブ・ジェセルのメンバーだったとか……」
ベルは少し顔を上げる。
「両親が組織のメンバーだった事は、私も組織に入った後で知った。二人とも表向きは普通の会社員で共働きの夫婦だったからな」
「優しいご両親だったんだろう?」
「優しいというか、善人って言葉を体現したような二人だったな。いつも自分たちのことより、子供や他人の幸せばかり考えている夫婦だった」
「素晴らしいじゃないか。なかなか真似できることじゃないよ」
「だがその甘い性格ゆえに、あの人たちは組織の命令に背いた」
「たしか組織の裏切り者を処分するよう命じられたんだったね。でもそれを無視してしまったとか……」
「そう。私の両親は裏切り者とかなり親しかったらしい。だから故意にソイツを見逃してしまったんだ」
「つい情けをかけてしまった、というわけだね」
「結果、私の両親は逆に裏切り者の手によって殺された。まったくとんだお笑い種だ」
「裏切り者はまだ捕まってないんだろう?」
「ああ。噂によるとソイツは敵組織に入ったらしい」
「両親の仇か……。君が悪魔よりも敵組織を憎悪する気持ちも良く分かるよ」
「魔都生誕のお陰で悪魔も敵組織の人間と同じくらい嫌いになれそうだけどな」
ベルが淡々と言うと、仁万は反応に窮するような笑みを浮かべた。
「でも、君がこんな話をするなんて珍しいね。もう何年ぶりだろう。僕が記憶している限りではあの日以来じゃないかな」
「基本的にこういう類の話はするのも聞くのも嫌いだからな。ただ、極稀にそういう話をしたくなる日だだってある」
「今日が偶然その日だったんだね」
「お人好しの八坂妹を見ていると、たまに両親の事を思い出すんだ。今日もふと思い出してしまった。だから別にアイツが悪いってワケじゃない」
「分かっているよ」
「あとくれぐれも釘を刺しておくが、この話は絶対他の連中に教えるなよ。仁万以外は誰も知らないんだからな」
「それは数年前にも耳が痛くなるほど言われた。だから今までずっと秘密にしてきたじゃないか」
「まあな。仁万はそういった約束は守る奴だから」
「お陰で組織の中で一番規律にうるさい奴なんて言われてるけどね」
「それはお前が約束を守る人間である以前に組織大好き人間だからだろ」
「うん。だから組織から命令されれば、多分僕は君の秘密も誰にでも口外してしまうだろう」
「それで良い。私はそこまでお前や他の連中を信用してない。お人好しの両親と同じ目に遭いたくないからな」
ベルの言葉に、仁万は少し淋しげな笑みを浮かべた。
「この世で信じられるのは自分だけだ」
そのときパタパタと小さな足音がリビングに近付いてくる。
仁万とベルは会話を止めた。
毛布を抱えた早雪がリビングに入ってくる。
「え、と……私がいない間に何かあったんですか?」
室内の微妙な空気を察したのか、早雪が聞きづらそうに尋ねた。
「そんな不安そうな顔をするな。下らない昔話をしてただけだ」
ベルはビニール袋の中に手を突っ込んでペットボトルを取り出した。キャップを開封して中の飲料水を豪快に飲み干す。そんな彼女の横顔を仁万はジッと見ていた。
床に寝転がる渡会の体に毛布がかけられ、小一時間が経過した。
そのあいだ三人の間に会話はほとんどなく、たまに口をついて出る話題はどれも取りとめもないものばかりだった。リラックスした雰囲気での会話というより、三人が三人とも当たり障りの無い話題を選んで場を取り繕っているような、どこかよそよそしい雰囲気での会話だった。
「もし結界の外が無事で、市内から脱出できたら一番最初に何がしたいですか?」
早雪がそんな質問をすると
「取り敢えず風呂に入りたい。三日三晩ずっと湯船に浸かっていたいくらいだ」
とベルは答え
「まずは無事に外へ出られたことを天使様に感謝するよ」
仁万は嬉しそうにそう語った。
そんなやり取りが行なわれてから間もなく、事態は動いた。
外の悪魔やネビトから見付からないように、リビングの窓には隙間無くカーテンが閉じられている。
カーテン越しに人の足音が近付いてきて、玄関の扉が開いた。
靴を脱ぐ音と人の話し声が聞こえる。
――やはり自宅に帰ってくると少し安心するんじゃないか?
――だからここは俺の自宅じゃない。家の名義は組織の人間が所有してると言っただろう。
その声とやり取りは、紛れも無く砂原と令司のものだった。
ソファに腰掛けて気だるそうに俯いていたベルが顔を上げる。
「どうやら隊長と八坂君が帰ってきたようだね」
仁万が何かの重圧から解き放たれたような顔をした。早雪もどこかほっとした雰囲気になる。
リビングの入り口が開いて、砂原と令司が入ってきた。二人とも体に怪我を負っている。令司の両手には軽くひび割れた壺が抱えられていた。
「任務、ご苦労様です」
仁万は床から立ち上がる。
「よう、おかえり。その怪我どうしたんだよ?」
「お帰りなさい。傷、大丈夫ですか?」
ベルと早雪はソファに座ったまま二人を出迎えた。
が、砂原と令司に続いて部屋に入ってきたモノを見て、三人の全身と表情は一瞬にして固まる。
「え……。え?」
仁万がたじろぐ。
普通に考えれば決してありえない状況だった。砂原と令司の後に続いて、三体の悪魔がゾロゾロと部屋に入ってきたのである。
カラス頭の悪魔。魔法陣の姿をした悪魔。そして白い大きな猫。
「よう。オレ、アンドラス」
悪魔の内の一体が仁万たちに向かって気安く話しかけてくる。
「おい……」
ベルは素早くソファから立ち上がる。
「コレはどういうことだ!」
語気を強めて叫んだ。
早雪は顔を真っ青にして兄の令司と悪魔たちの顔を順に見る。世界の誰よりも悪魔を憎んでいるはずの兄が、悪魔と一緒に帰ってきたのだ。早雪の理解が追いつかないのも当然だった。震える少女の手はいつの間にかベルのジャケットの裾をしっかりと握り締めていた。
凍りつく仁万と、驚くベル。そして戦慄する早雪。
彼らの顔を見回して砂原は普段通りの口調で言う。
「落ち着け……と言っても無理かもしれないが、俺の話を聞いてくれ」
「隊長? 何なんですか、これ?」
仁万はやっと搾り出したような声で説明を求める。
「甚だ遺憾だろうが、この悪魔たちは少なくとも今は敵ではない。よって彼らへの攻撃は禁ずる」
と砂原。
部屋にいた三人は皆、当惑の表情を浮かべた。
ベルが腰のホルスターから素早くナイフを抜き放つ。それを砂原の胸元に突きつけた。
「お前ら、本当に隊長と八坂か? 悪魔が化けてるか、悪魔に憑かれてるんじゃないか?」
少し前まで悪魔リリスに体を乗っ取られていただけに、ベルの警戒心は強い。
彼女の言葉を聞いて仁万も身構えた。
「たしかに怪しいにも程がある。あの八坂君が悪魔と一緒に行動するなんてあり得ない」
「俺だって好きで悪魔なんかと一緒にいるわけじゃない。この悪魔どもが勝手についてきだだけだ」
令司は渋面を作ってから
「だが、この悪魔どもは相馬に頼まれて魔界からアムリタを持ってきた。だから……」
そう言って複雑そうな表情になる。
「相馬君が?」
「アムリタを?」
それを聞いてほぼ全員の視線が早雪の元へと向かった。
早雪はきょとんとしている。アムリタの件を初めて聞いたときの令司と全く同じ反応だった。話が唐突過ぎて心が状況に追いつかないのだろう。
だが驚いているのは早雪だけではなかった。
混乱する空気の中、部屋の隅からブチッと縄が切れる音がする。
悪魔たちが入室しても微動だにしなかった渡会が、体にかかった毛布を跳ね上げて起きた。今まで大人しく拘束されていた彼だが、自力で縄を解こうと思えばいつでもできたのだ。
「いまアムリタって言ったよな? 本当なのか?」
起き上がるなり渡会は恐いほど真剣な目で令司を見た。
ベルが頬の筋肉を強張らせる。
「おい渡会、お前いつから起きてた?」
「ベルと仁万が小難しい話してる最中だ。なんか気まずかったからずっと寝てるフリしてた」
それを聞いてベルが思わず額に手を当てる。仁万との会話を、自分の過去を、渡会に聞かれてしまった。
「心配するな。俺は何も聞かなかったことにする」
渡会が言うと、ベルは鋭い目で睨む。
「もし誰かに喋ったら一生恨むからな」
本当にそうしかねない剣幕だった。
「それよりどうなんだ? 今の話、本当なのか?」
渡会は改めて確認する。
「令司……」
早雪は困惑気味の表情で兄の顔を見上げた。
令司は深く頷いて、両手の壺を少し持ち上げる。
「悪魔どもの話が嘘でなければ本当の話だ。この中にアムリタが入っているらしい」
「失礼ですね。この私が嘘などつくはずないでしょう。生まれてこの方、嘘をついた事など一度もありませんよ」
デカラビアは五芒星の中で三つの目玉をくりくりと動かした。
は、は、は、と仁万が乾いた声を上げる。
「夢だ。これは夢に決まっている」
どうしても今の状況を受け入れられないのだろう。彼は頭を抱えてくしゃくしゃと髪を掻いた。
「余りにも驚くことが多すぎて私も頭がおかしくなりそうだ」
そう言いつつ、ベルは仁万に比べれば大なり小なり冷静だった。彼女は構えていたナイフを下ろす。
渡会は食い入るような目で令司が持つ壺を見つめていた。その中にアムリタがある。早雪の呪いを解くために絶対必要な道具だ。
場の混乱が収まったわけではないが、ひとまず状況の説明が済んだので、砂原は話を先に進める。
「で……八坂兄妹、どうする?」
どうする? とは「今から早雪の呪いを解除する儀式を行うか否か」という意味だろう。
「決まっている。儀式の手順や呪文は完璧に記憶している。これからすぐにでも儀式をしたい」
令司は即断即決した。
「儀式を行うためにアムリタ以外に必要な物は無いのか?」
ベルが問うと
「無い。必要な道具も、魔法陣も、アムリタ以外の物は全てこの家に揃っている」
令司はそう言って天井を見上げる。
「実は去年、いつでも儀式ができるように専用の部屋を作っておいたんだ。二階にある」
「そこまでするか」
ベルは感心半分呆れ半分といった調子で薄い笑みを浮かべた。
砂原の視線が、ソファに腰掛けるパジャマ姿の少女に向かう。
「八坂の考えに反対する理由はない。しかし一番肝心な早雪君の気持ちも聞いておかなければな」
彼が言うと、全員の視線が再び早雪の元に集まった。
「あの……。もし皆さんが賛成して下さるなら、私も今すぐ解呪の儀式をして欲しいです」
令司と同様、早雪も迷わずに言った。
「当然賛成するよ。隊長の言葉じゃないけど、反対する理由がないからね」
仁万は優しげに言う。
「そうだな。こんなトコで喋ってる暇があったらさっさと儀式を済ませてしまえばいい」
ベルも賛成する。
「なあ、その儀式ってヤツにオレたちも立ち会って良いか? もしキルトに会ったら結果を報告してやりたいんだ」
とアンドラス。
「どうする八坂?」
令司は即答できなかった。アムリタを持ってきてくれたとは言え、相手は今まで家族の仇と憎んできた悪魔。そう簡単に割り切れるものではないだろう。
そんな彼に早雪が声を掛ける。
「令司。折角だからこの悪魔さんたちにも立ち会ってもらおうよ」
「悪魔どもにさん付けなど必要無い」
「それだよ。そうやっていつまでも悪魔を憎んでばかりいたら駄目だと思うの。本当は令司だって分かってるはずだよ」
「何をだ?」
「確かに私たちの家族は悪魔の呪いで死んじゃったけど、そうするように命令したのは人間だよ。悪魔は人間との契約を果たしただけ。悪いのは私たちに呪いをかけた悪魔じゃない。その悪魔を呼び出した人間だと思うの」
早雪の言葉に令司は沈痛な面持ちになる。
だが令司以上に、渡会はもっと苦しそうな表情になった。八坂兄妹の家族を呪い殺した悪魔の召喚を、彼は手伝ってしまったのだから。
アンドラスたちが儀式に立ち会うのを許すべきか否か。令司は簡単には決められなかった。彼は虚空を見つめたまま必死に思い悩んでいる様子だった。誰も彼に声を掛けられない。
短い沈黙の後、一つ深い息を吐いてから、令司は重い口を開く。
「勝手にしろ……」
無愛想な言い方だが、彼は悪魔が儀式に立ち会うのを許可した。
まだ完全に割り切れたわけではないだろう。悪魔に対する嫌悪感はそう簡単に拭い去れるものではないはずだ。それでも間違いなく令司は一歩前に進んだ。
「決まりだな。ではこれから解呪の儀式を始めよう」
「悪魔さん。ここまでアムリタを届けてくれてありがとうございました」
早雪は深々と頭を下げる。
「友達の頼みだからな。まあ良いってことよ」
アンドラスは親指を立てた。
「この最強悪魔デカラビアの力をもってすれば、この程度…………」
デカラビアはいつもの調子だ。
「僕は成り行きでここにいるだけだから礼は要らないよ。それにニンゲンは余り好きじゃないんだ。アンドラスたちに付き合ってここまで来たけど、僕は一足早く帰らせてもらうからね」
白猫のアイムはそっぽを向く。ただ、彼がいなければアムリタを守りきれなかったのは紛れも無い事実である。
早雪の瞳に光るものが浮かんだ。これから呪いが解けると思うと、色々と胸に込み上げてくるものがあったのだろう。
「喜ぶのは解呪が成功してからにしろ」
令司に肩を叩かれると、早雪は腕で目を擦りながら頷いた。
「儀式を行う部屋は二階だったな。とりあえずそこへ移動しよう」
砂原の声を合図に、皆が歩き出す。
ただし一人を除いて。
「待ってくれ」
一人だけその場に留まった男が、全員の足を止める。
「悪いが、まだ儀式をやらせるわけにはいかない」
異を唱えたのは渡会だった。