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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
287/359

消滅と失踪



 黒雷が蝶の羽を広げ、これより戦場から離脱しようとしているところだった。現世の空気に蝕まれて彼女の肉体はとうとう限界に近付いたのだろう。

「今日は甘んじて屈辱を受け入れる。いずれ近い内にこの戦いの続きをしようではないか」

 一方的にそう言って黒雷はゆっくり高度を上げてゆく。さすがに八鬼のプライドよりも命のほうが大切らしい。人間と悪魔に背を向けて逃げるという不名誉を被ってでも、彼女は戦場からの離脱を選択した。


 だが、アンドラスはタダで黒雷を逃がすわけにはいかなかった。

「待て。逃げる前にナギサを解毒していけ」

 渚は黒雷が放った虫に刺され毒に侵された。そして黒雷は渚に対して解毒する代わりに服従を誓うよう取引を持ちかけた。そのことから黒雷が解毒の手段を持っている事は間違いない。

 ただ、渚は取引に応じなかった。それは当然ながら黒雷も覚えている。

「渚自身が己の命よりもお前たちに味方する方を選んだのだ。諦めろ」

 至極当然のようにそう言って、黒雷は浮上速度を上げる。

「なら力尽くで解毒方法を吐かせてやる」

 アンドラスが地面を蹴って飛翔する。黒雷を逃がすまいと必死だったのだろう。そのせいで余りにも不用意に飛び込んでしまった。


 黒雷の口から針が発射される。一発がアンドラスの肩を貫いた。

 グゲッとしゃがれた叫びを発してアンドラスは落下する。背中の羽で落下の勢いは殺したものの背中から地面に追突した。そのあいだにもアンドラスの瞳に映る黒雷の姿はぐんぐん遠のいてゆく。

 令司が黒雷の背中めがけて閃光を飛ばしたが、ムカデの尾に防御された。

 虫の羽音に似たノイズ混じりの笑い声を残して、黒雷は空の彼方へ去っていった。


 アンドラスは体を起こす。急いで黒雷を追おうと羽を広げたが、思い留まった。飛行速度は八鬼のほうが上。アンドラスが追っても無駄である。

「畜生ッ」

 アンドラスは刀を地面に突き刺した。

 彼の横顔を令司は一瞥して、すぐに身を翻す。黒雷は消えたが、まだ強敵が一人残っていた。


 若雷は味方が戦線を離脱したことに気付かず、或いは意に介さず戦い続けている。ネビトと同じように目に付いた敵を手当たり次第攻撃していた。


 アンドラスは肩に刺さった黒雷の針を引き抜く。青い血が噴出す傷口を手で押さえた。

 彼に先んじて令司は砂原たちの加勢に向かう。


 令司はかなり遠目から刀を振って三日月状の閃光を飛ばした。

 光は地を這うように超低空を疾走して若雷のつま先にぶつかって消える。ただそれのみだった。敵に対して効果があったかどうか推し量るまでもない。

 そのあとすぐ加勢に入ったアンドラスの攻撃も同じだった。彼が投擲した雷の剣は若雷の脇腹に当たって跳ね返される。次に放った炎の玉も相手には全く通じなかった。

 アンドラス、デカラビア、砂原、そして令司。四人がかりで立ち向かっても戦況に変化は無い。せいぜい若雷に攻撃される的が増えただけだ。


 不気味に蠢く瞳の数々が四人を同時に補足する。何十本もの赤い閃光が空へ、地上へと疾走し、薄暗い戦場を無機質に彩った。幸い熱線は誰にも命中しなかったが、いつ命中してもおかしくない。


 砂原は令司の隣に着地した。

「退却するぞ八坂。成り行き上、仕方なく悪魔と組んで戦ったが、もうここまでだ」

「しかしまだ悪魔どもにアムリタの在りかを吐かせてない」

「それを知る前に死んだら元も子もないぞ」

「嫌だ。俺は何が何でもアムリタを持って帰る」

「八坂。これは命令だ」

「知ったことか。悔しいが、今、あの悪魔どもに死なれたら困るんだ」

 令司は刀で十文字を描く。自分の視線よりもやや高い角度に閃光を放った。十字に連なった三日月状の閃光は若雷の首に当たったが、やはり意味は無かった。

「これ以上言っても無駄か。こうなったら梃子(てこ)でも動かない奴だからな……」

 説得を諦めて砂原は空に戻った。令司を置いて一人で逃げるわけにもいかないのだろう。勝てるかどうかも分からない化物を相手に戦闘を再開する。


 結果的にその判断は間違っていなかった。若雷も根の国の住人。黒雷のように分かり易い変化があったわけではないが、とっくに現世の毒に侵されていたのである。

 決着の瞬間は、余りにもあっけない形で訪れた。


 アンドラスが大きく振りかぶって雷の剣を投げる。それは若雷の胸に当たって虚しく跳ね返った。

 すると若雷の体も剣に跳ね返って後ろに倒れた。無論、剣の威力に押されたわけではない。若雷が自ら倒れたのだ。

 一体いつからだろうか。若雷の肉体にはかなり前から限界が訪れていたらしい。

 緑の巨人は仰向けに倒れたまま微動だにしなくなった。間もなく彼の全身から黒い炎が上がって、肉体が溶けてゆく。若雷は泥のような物体となり、ただの大きな水溜りに変わり果ててしまった。


「死んだ? どうなっているんだ?」

 砂原は怪訝な顔をする。あれだけ強大だった敵がかすり傷ひとつ負わないまま急死したのだ。不可解と言うほかないだろう。

「詳しい事は良く分からないが、こいつらの体は長時間の戦闘に耐えられないらしい。俺たちが戦っていた虫の化物も、勝手に自滅して逃げたからな」

 令司が説明すると、砂原は一応納得したように「そうなのか」と頷いた。


 何にせよ八鬼との戦いは終わった。砂原とデカラビアはそれぞれ安堵の吐息を漏らす。

「私の手にかかれば、どんな化物が相手だろうとこんなものです……」

 デカラビアはいつものようにうそぶくが、声に力が無かった。


 令司は激闘の余韻が冷めやらぬうちに動く。

「さあ、アムリタはどこだ? 早く出せ」

 ほとんど脅しと言っても良い物言いでアンドラスに詰め寄る。

「持ってるのはオレじゃない。アイムって奴だ」

「じゃあソイツはどこだ?」

「まあ落ち着け八坂」

 砂原が横槍を入れる。

 そのようなやり取りを交わしていると、霧の向こうから誰かがやって来た。

 現われたのは一匹の白い猫。猫と呼ぶには些か大きな体つきをしているが、虎ではない。

「アイムではありませんか」

 逸早く影の接近に気付いたデカラビアが言うと、全員が同じ方を見た。

 折り良く現われたアイムは周囲を見回して

「どうやら終わったみたいだね」

 落ち着いた調子で言った。

「アイム。お前、今までどこに隠れてたンだ?」

「すぐ近くの家だよ。でも戦闘音が聞こえなくなったから、こうして様子を見に来たんだ」

「なるほど」

「それはそうといつの間にか知らないニンゲンが増えているね」

 アイムは令司と砂原の顔を交互に見上げる。

「でも、代わりにナギサって子がいなくなってるけど、彼女、死んじゃったのかい?」

「あ。そうだ。こんなところで喋ってる場合じゃない。ナギサを助けないと」

 アンドラスは急に慌てた。毒に侵された渚は今も苦しみ続けているはずだ。手遅れになる前に彼女を救う方法を見つけなければいけない。

「では、これを使ってみたらどうですか?」

 するとデカラビアが体内から何かを取り出して、アンドラスに差し出す。

 それは一輪の赤い花だった。樹流徒がデカラビアのために摘んできた花である。暴力地獄の聖地ジェドゥにのみ咲くこの花は万能薬として使えるらしい。

「なるほど。これならナギサを解毒できるかもしれないな」

 アンドラスは花を受け取ると、他四名の顔をさっと見回す。

「オレ、今からナギサのところへ行ってくるよ。すぐ戻ってくるからここで待っててくれ」

 それだけ告げて彼は空へ飛び立った。

「ナギサ……。どうも聞き覚えのある名前だと思ったら、まさかあの仙道渚か?」

 アンドラスの姿が霧の奥に消えたとき、砂原が気付く。

 令司はそれどころではない。

「お前がアムリタを所持しているらしいな。さっさとこちらに渡せ」

 と、今度はアイムに詰め寄った。


 一方、単独で行動を開始したアンドラスは、程なくして渚を匿った民家に到着した。

 アンドラスは二階の窓から部屋に入って

「遅くなったな。今すぐこの花を薬にしてやるから待ってろよ」

 言いながら、渚が寝ていたベッドを見る。

 彼の目は点になった。


 渚がいない。確かにこの家の、この部屋のベッドに寝ていたはずなのに、彼女の姿はいつの間にか忽然と消えていた。

 悪魔や天使に襲われたとは考え難い。部屋の中が荒らされた様子はなく、ベッドのシーツもほとんど乱れていなかった。

「水でも飲みに行ったのかな?」

 アンドラスは不思議そうに首を傾げながら、渚が寝ていたベッドのシーツに触れる。

「冷たいな……」

 ベッドのシーツが冷えている。それは渚がベッドから起き上がってそれなりに時間が経過していることを意味していた。水を飲みに言っただけにしては不自然だ。

「まさかアイツ、どこかで倒れてるんじゃないだろうな?」

 アンドラスは部屋を飛び出すと、家中を探し回った。

 しかし渚の姿はどこにもなかった。


 また一方その頃、戦場を離脱した黒雷は東の空を疾走していた。これから根の国に戻るつもりだろう。

「とんだ失態だな。この事を知られたら他の八鬼に何を言われることか……」

 戦闘中は一切吐かなかった後ろ向きな台詞が漏れる。

「若雷の体もそろそろ限界だ。まさかこんな形で奴と永別することになるとはな」

 最初は悪魔二体を狩るだけのつもりだったのに、若雷を失い、己自身は敗走。しかも渚に裏切られるというオマケまでついている。黒雷は決して心中穏やかではないはずだった。


 異形の口から血が零れる。

「現世の空気が猛毒とは知っていたが、ここまでとは……」

 そう呟いたとき、黒雷は何かに気付く。


 彼女の前方に謎の隻影が浮かんでいた。

 人間の形と大きさをしているが、背中から十二枚の白い翼が生えている。


「あれは天使か……。まあいい。今は見逃してやる」

 黒雷にはさほど余力が無い。帰り道で見かけた敵をいちいち相手にしていたら根の国にたどり着く前に力尽きてしまう。極力戦闘を避けようとするのは当然だった。


 だが、天使のほうは黒雷を見逃すつもりはないようだった。

 十二枚の翼を羽ばたかせ、天使は黒雷に迫る。

 相手の戦意に気付いて黒雷は先手を取った。口から黒い針を連射する。

 天使は魔法壁で防御した。壁が消えるや否や、手中に白く光り輝く槍を生み出す。それを投擲した。

 宙に放たれた光の槍は目にも留まらない速さで空を裂き、黒雷の防御をすり抜け腹を突き刺さす。

「だが無駄なことだ」

 黒雷には再生能力があった。たとえ腹に穴を開けられても、傷口から湧きだした蛆虫が肉体を修復する。令司やアンドラスから受けた傷も全て治してしまった。


 だからこそ、黒雷は己の身に起こった事に驚愕した。

 天使が投じた光の槍は、黒雷の体内で白光を膨張させ、黒雷の肉体を崩壊させてゆく。再生速度が追いつかない。

「美しい……」

 黒雷は滅びゆく己の体に見惚れている様子だった。

 根の国の住人は死ぬと黒い炎に包まれて泥のような物体になるが、黒雷は全身から炎を上げる前に、膨れ上がる光の中で完全に消滅してしまった。

 その光景を天使は無言で見下ろししていた。




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