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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
282/359

怒れる若雷



「アイツ急に体の色が変わったぞ。どうなってるんだ?」

 アンドラスの疑問に渚は「分からない」と首を振る。

「若雷様のあんな姿はじめて見た。あんな顔も……」

 謎の変貌を遂げた若雷に対してアンドラスたちは迂闊に攻撃を仕掛けられない。逆に全員が後ずさった。本能が恐怖を感じたのかもしれない。予め示し合わせたように誰からともなく後退して若雷から距離を取る。空中のデカラビアは高度を上げた。


「やってしまったな、お前たち」

 黒雷がわざとらしく気の毒そうに言う。

「若雷は血を流すと脳内で特殊な物質が分泌し酷い興奮状態に陥る。この状態になった奴はえげつないぞ。性格は凶暴になり普段脳が抑制している能力が全て解放されるのだからな」

「黙れ」

 若雷が吠える。

「悪魔に説明してやる必要は無い。それ以上余計なことを喋ればお前から先に消すぞ」

 これまで一貫して冷静だった彼からは想像もつかない乱暴な言葉遣いだった。

「悪かったよ。もう言わない」

 黒雷は言葉では謝ったが目の奥は笑っていた。

「嗚呼、苛々する。目障りな悪魔ども。裏切り者の渚。どいつもこいつも皆殺しだ」

 若雷は長刀を放り捨てると般若の形相で周囲を見回す。獲物を物色する視線が宙を舐めてアンドラスのところでぴたりと停止した。

 殺したくて殺したくてもう一秒も待ちきれない。そう訴えるように足が地面を蹴りつける。青く変色した体が躍動した。若雷の長い黒髪が逆立つ。


 悪魔でも震え上がりそうな迫力で向かってくる敵を、アンドラスは臆さず迎撃した。決して慌てず、焦らず、若雷が攻撃の間合いに入るタイミングを見計らい冷静に剣を突く。ミスは無かった。それどころか完璧な一撃だった。

 アンドラスにとって不幸だったのは、自分の完璧な技を敵の速さが上回ったことだった。

 怒れる鬼人と化した若雷は驚くべき反応速度と瞬発力を発揮して剣の切っ先をかわす。アンドラスの手首を素早く掴むと、その手を強引に引っ張りながら相手の腹に膝蹴りを見舞った。そこからさらに肘打ち、頭突きと繋げ、最後にはアンドラスの首に噛み付く。長刀を使った華麗な技とは打って変わって荒っぽい攻撃ばかりだった。


 首に噛み付かれたアンドラスは敵の髪を引っ張ったり、腕に爪を立てたりして抵抗する。だが若雷は食らいついた獲物を放さなかった。剥き出しになった白い歯があっという間に悪魔特有の青い血で染まってゆく。

 アンドラスを救出すべく渚が動いた。刀を振り上げながら若雷の背後に迫る。

 それを察知した若雷は強引に体を入れ替えてアンドラスを盾にした。渚は攻撃を中断し、高い前宙で二人の頭上を飛び越える。同時に若雷はアンドラスを勢いよく突き飛ばした。アンドラスはつまずいて背中から地面に倒れると、二転三転と芝の上を転がる。

 着地した渚は振り向きざま刀をなぎ払った。彼女の腕は完全に振り抜かれる前に強い衝撃を受けて止まる。若雷の手刀が彼女の手首を強打していた。

「つッ」

 小さな声と共に渚の手から刀がこぼれ落ちる。

 すかさず若雷が前に出た。渚の反応は遅い。足下の刀を拾うべきか、その場から離脱すべきか、迷いが生じたのだろう。

 結果的に渚は離脱を選択したが、僅かな迷いが仇となった。逃げ遅れた彼女の腕を若雷が掴む。

 若雷は強引に自分の懐へ渚を引き寄せると、彼女の首に両手を回す。そのまま体を持ち上げて宙吊りにした。

 恐怖か。苦しみか。渚の目がいっぱいに見開かれる。首に深く食い込んだ若雷の指が彼女の頚動脈を強烈に締め付けた。普通の人間であれば首の骨が折れて即死だっただろう。渚は宙に浮いた両足を必死に暴れさせるが、若雷は今度も捕獲した獲物を放さない。


 あと十も数えれば死んでいたかも知れない。そんな渚の窮地を救ったのはアイムだった。蛇に変化した手が若雷の首に噛みつく。鋭い牙が敵の皮膚を突き破り深く食い込んだ。

 若雷は思い切り舌打ちをすると、突き飛ばすように渚を投げ捨てる。そして首に噛みついた蛇を両手で引き千切ってアイムに殴りかかった。アイムは腕を再生しながら大きく後ろに跳んで逃げる。

 宙に放り出された渚の体は地面を転がり、今ようやく起き上がったアンドラスの足下で止まった。若雷の指跡がくっきり残った首を押さえて彼女は激しく咳き込む。

「おい。大丈夫か?」

 アンドラスが渚を気遣う。渚は四つん這いになって喉を押さえたまま頷いた。まだ二人は自分たちの背後に忍び寄っている危険に気付いていない。


「後ろです、アンドラス」

 デカラビアの声が空から降ってきた。

 それでようやくアンドラスは自身に迫る危機に気付く。背後を振り返ると彼の眼前には異形の影がそそり立っていた。全長三メートルはあろうかという全身紫色の不気味なカマキリである。誰が召喚したのかは言うまでもない。

 巨大カマキリは棘状の突起物がいつくも生えたギザギザの前足を頭上に掲げていた。今、それが振り下ろされる。アンドラスは瞬時に虚空から取り出した二本の剣を重ねて攻撃を防御した。そして足下の渚に向かって叫ぶ。

「今の内に逃げろ」

 返事をする間も惜しんで渚はすぐに起き上がりその場から離れた。

 巨大な鎌を受け止めた衝撃でアンドラスが構えた二本の剣は片方が折れ、もう片方には深い亀裂が走っている。それを知ってか、知らずか、カマキリはもう一押しとばかりに反対の前足を振り下ろす。二発目の鎌がひび割れた剣を破壊してアンドラスの胸を切り裂いた。


 渚があっと悲鳴を上げる。アンドラスの体から青い血潮が吹き出し芝を濡らした。

 幸い、彼はまだ生きていた。体から血を流しながら二本の足で大地に踏みとどまっている。

 その光景を上空から見ていたデカラビアは戦慄したが、すぐに体の震えを止めて目角を立てた。友人であるアンドラスを危機から救うべくカマキリに向かって魔法陣を展開する。

 そこへ黒雷の針が飛んできた。仕方なくデカラビアは作りかけの魔法陣を破棄して回避行動を取る。


 巨大カマキリがもう一度鎌を振り下ろした。

 アンドラスは後ろに跳んでかわす。着地すると両手を重ねて突き出し魔法陣を展開。炎の玉を放った。炎は線香花火のように激しい火花を散らしながら飛び、巨大カマキリの腹で爆ぜる。カマキリは身を仰け反らせた。

 今の隙に渚は地面に転がった刀を拾い上げる。その拍子に痛みを感じたのか、彼女の表情が歪んだ。若雷に強打された手首が痛んだのだろう。それでも渚は刀を強く握って敵に立ち向った。巨大カマキリの側面から近付くと、刀を強く振り払う。彼女の意思に呼応するように地面から黄金色の激しい炎が巻き起こり、巨大カマキリの胴体を焼いた。


 カマキリは全身に燃え広がる炎を消そうと芝の上を転がり、苦しそうにもがく。最後は羽を広げて空に飛び立ったが、戦場を囲う防球ネットに引っかかって墜落。そのまま絶命した。


 渚とアンドラスが巨大カマキリを討伐しているあいだ、アイムと若雷は追いかけっこをしていた。アイムが逃げて、若雷が追う。脳の制御が外れて力を解放した若雷は気味が悪いほどの速さで動き回っているが、アイムは闘牛を翻弄するマタドールのようにひらりひらりと攻撃をかわしていた。的確な判断と身軽な動きで若雷に指一本触れさせない。

「よし。いま行くぞ」

 アイムに加勢すべくアンドラスは駆け出した。出だしの勢いは良かったが、すぐに膝が折れて地面を擦る。カマキリに引き裂かれた胸の傷が痛んだのだ。アンドラスは傷口を押さえて長い呻き声を漏らした。


 一方、渚は黒雷めがけて走る。上空に浮かぶデカラビアの目も同じ標的を狙っていた。

 二人を同時に迎え撃つ黒雷は片手で上空に向かって針を連射しデカラビアを牽制。反対の手に持った扇子で宙に円を描き闇の空洞を生み出した。

 これまで空洞から現われたのは蜂、蝶、蜘蛛、カマキリなど、全て巨大な一匹の虫(蜘蛛は昆虫ではないが虫には含まれる)だった。

 しかし今回闇の奥から姿を見せたのは血よりも真っ赤な小さな蚊。しかも一匹ではなく数十匹の大群だった。


 赤い蚊の群れは不吉な羽音を立てて一斉に渚を襲う。渚は大きく後ろへ跳躍すると刀を振り払った。黄金の炎が高く舞い上がり渚の前方を守る防壁となる。炎の壁に突っ込んだ蚊は次々と空中で燃え尽きた。影も形も残さず、綺麗に全滅したように見えた。

 たった一匹だけ、炎の壁を飛び越えた蚊がいた。その一匹は渚の背後に回りこんで彼女の首筋を刺す。戦いに集中している渚はそれに気付かなかった。彼女の真剣な眼差しは揺れる炎の先にいる黒雷を睨んでいる。

 渚を刺した蚊は宙を舞い、大して遠くに行かない内から勝手に墜落した。己の役目はもう終わったとばかりに、誰の視界に映ることもなく芝の中で密かに消滅する。


 徐々に小さくなる黄金の炎と、風にたなびく灰煙を見つめながら黒雷は言う。

「余り長々と遊んでもいられんな」

 淡々と呟かれたその言葉の裏に潜んでいる意味を、アンドラスたちは知る由も無い。

 根の国に住まう者たちにとって現世の空気は猛毒だ。いかに強い力を持つ八鬼でもその宿命からは逃れられない。余り力を使い過ぎれば体が毒されてしまうのだ。恐らく黒雷はそれを危惧しているのだろう。彼女の目を見る限りそれほど深刻には考えていないようだが……


 八鬼の弱点に渚は気付いていない。それについて何も知らされていないのだろう。知っていればとっくにアンドラスたちに教えているはずだ。

 長期戦になれば八鬼は現世の毒に侵されて勝手に自滅する。アンドラスたちは無理に相手を倒さなくても、時間を稼げばこの場を凌げるかもしれない。

 だがそれを知らない彼らは勝つために反撃せざるを得なかった。若雷と追いかけっこをしているアイムもいい加減逃げ回るのをやめて勝負に出ようとしている。先ほど若雷に片目を潰された彼は細い隻眼の奥で赤い光を輝かせて反撃の機を狙っていた。


 その好機はすぐに訪れる。

 変貌前と比較して若雷の力と速さは格段に向上していた。だが怒り任せに動いているせいでひとつひとつの動作が粗い。稀に攻撃が大振りになっていた。そこにつけ込む隙があった。


 なかなか攻撃が命中せず若雷の苛立ちは確実に高まっていた。遂にそれがピークに達したのか、若雷は前進しながら鼻息荒く大振りのフックを繰り出す。

 反撃するならここしかない、という瞬間だった。アイムが動かない道理は無い。

 若雷の拳が虚空を殴りつけたとき、アイムの後ろ足が地面を蹴った。彼の体は鍋の中で爆ぜた油のように跳ねる。右手から伸びた爪があっけなく若雷のガードをすり抜けて彼の目を突き刺した。「先ほど斬られた目の仕返し」と言わんばかりの、明らかに狙い済ました一撃だった。


 グオッと轟く咆哮。どんなに大きな野獣の遠吠えでもここまで野太い声は出ないだろう。

 若雷が片目を押さえて後ずさる。防戦一方に追い込んでいた敵からの急な反撃に驚いたのか、口はぽっかり開いていた。アンドラスの血と唾液が交じり合って生まれた青い波紋が未だ真っ白な歯の上で踊っている。


 アイムは掌を突き出した。魔法陣を展開し先の尖った岩塊が射出する。

 ぎろりとアイムを睨んで若雷は狂ったように跳んだ。あっさり岩の上を飛び越えると、力を溜めた腕を空中から振り下ろす。硬い拳が地面を叩き小さな爆発を起こした。芝の下に敷かれたクッション材と、さらにその下に敷かれた土が四方に飛び散る。

 アイムは横に跳んで難を逃れていた。着地と同時、蛇に変えた腕を伸ばして若雷の足首に巻きつける。大蜘蛛の巨体をひっくり返したアイムの腕力があれば若雷の体を振り回すのも可能だろう。

 それを承知してか、或いは怒り任せの行動か、若雷は足首に巻きついた蛇を即座に掴み、乱暴な手付きで引き千切ってしまった。


 アイムは腕を再生させながら反対の手で魔法陣を作り出す。円に内接する六芒星の中心から赤紫色の炎が放射された。

 このとき、おそらくアイムは相手が攻撃を避けるか、跳ね返すか、最低でも防御すると踏んでいたに違いない。若雷がいずれの行動を選択しても彼の足を止められる。寸秒でも動きを封じられれば、その隙にアイムは次の行動を選択できるはずだった。


 だが若雷は回避も防御もしない。魔法陣から広がる炎を全身に浴びながら猛牛の如くアイムに突っ込んでいった。

 予想外な敵の行動にアイムの初動は完全に遅れた。虚を突かれたマタドールは闘牛の容赦ない攻撃に晒される。炎の牛となった若雷がラグビーのタックルみたいに姿勢を低くして頭からアイムの腹にぶつかっていった。衝突の刹那。若雷の頭から生えた角が巨大化する。これも脳の制御が外れたことで解放された力の一部なのか。太く長く伸びた二本の角はアイムの腹を貫通して彼の背中から飛び出した。


 おっと嘔吐(えず)くような声と共にアイムの体がくの字に折れる。若雷が角の形状を元に戻すとアイムの傷口からおびただしい量の血が噴出した。

「手間取らせやがって。しかしもう逃がさない」

 怒りと喜びに打ち震えながら若雷は大きな掌でアイムの顔面を掴む。その腕をゆっくり持ち上げた。アイムの足が地面から離れて宙に浮く。

「さあ、どう料理してやろうか」

 若雷の握力が捕えた獲物に凄まじい圧力を与えた。ミシミシとアイムの頭蓋が悲鳴を上げる。

 アイムは抵抗しなかった。力なく垂れ下がった四肢は微動だにしない。魔魂が発声していないため生きているのは確かだが、本当に絶命するのも時間の問題に見えた。


 ただし若雷自身が黒雷に警告した通り、悪魔は不思議な力を持つ者が多い。戦闘中であっても、いつ何をしてくるか全く予想できない種族なのである。

 アイムはまさにその一例だった。

 出し抜けに彼の右腕が肩から綺麗に外れる。まるで玩具の人形が何かのはずみで壊れたように。若雷が攻撃したわけではない。アイムの体から勝手に腕が落ちたのだ。


 地面に落ちた腕は、形・色・大きさを全て変えて全く別のものに変身する。

 それは猫だった。瞳は赤。全身の毛は長く頭からつま先まで真っ白に染まっている。尻尾だけが狐色だった。外見はターキッシュバンという種類の猫に似ているが、体の大きさはそれと比較にならない。猫と言うよりは成長中の虎と呼んだ方がしっくりくる体躯だった。


 アイムの右腕から生まれた猫は身を翻して脱兎の如く駆け出す。

「何だあの獣は?」

 若雷は逃げてゆく猫の背中を目で追った。しかしすぐにそれどころではなくなる。今まで無抵抗だったアイムの体がいきなり動き出したのだ。自ら片腕を切り離したアイムは残った腕を蛇に変える。いや腕だけではない。左脚も大蛇に変化した。

 二頭の蛇は若雷の首と胴体に絡みつき、何重にも巻きつける。若雷から逃れるどころか逆に離れまいとしているようだった。

 その行動に嫌な気配を感じたのだろう。若雷は握り締めたアイムの顔から急いで手を離すと、首に巻きついた蛇を掴む。それを力任せに引き千切ったとき、アイムの全身が黒ずんだ白光を放った。

 光るアイムの体はすぐに点滅を始める。口元がにやにやと怪しい笑みを浮かべていた。

「伏せろ」

 アンドラスが叫ぶ。

 言われるよりも早いか渚は腹這いになった。彼女でなくとも、アイムの状態を見ればこのあと何が起こるのかおおよそ見当がつく。黒雷もその場に屈んだ。


 若雷は胴体に巻きついたもう一本の蛇を引き千切ろうと掴む。

「もう遅いよ」

 静かに囁くアイムの声を合図に、彼の全身が大爆発を起こした。激しい炎と煙が舞い上がり巨大な柱となって天に昇る。


 戦場を熱風が吹き抜けた。地面に伏せたアンドラスや渚の頭上から、爆発で吹き飛ばされた芝や土が雨となってバラバラと降り注ぐ。

「自爆とはやってくれる」

 黒雷は片膝を付いたまま、爆煙の中心に取り残された若雷を見つめた。




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