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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
271/359

恐怖の森



 悪魔の包囲を突破して上空に逃れた樹流徒は、そのまま安全な場所を求めて移動することにした。眼下には大勢の敵がいるが、全速力で飛行すれば彼らを振り切れるだろう。挟み撃ちでも受けない限り空中で敵に囲まれる心配もない。それだけにケルベロスの攻撃を回避して前を向いた瞬間、樹流徒は敵陣を突破したと確信した。もう前方に立ちはだかる敵は誰もいない。あとは魔晶館から追って来る悪魔を置き去りにして逃げるのみ。そう思った。


 彼の確信は、すぐに最悪の形で否定される。

 宙を疾走して百メートルも進まない内、樹流徒は前方の異変に気付いた。遠くに見える森の奥深くから異形の集団が次々と空へ舞い上がってくるのだ。前方だけではない。樹流徒の右手に見える大地からも、反対側からも、異形の大群が夜空に向かってはばたいていた。その数、合わせて千は下らない。彼らが何者かを察したとき、樹流徒は戦慄した。


 地上から浮上する異形たちの正体は、殺気に満ちた悪魔の群れだった。樹流徒を逃がすまいと張り巡らされた新たな包囲網である。どうやら悪魔たちは樹流徒が魔晶館から脱出する展開も前もって想定していたらしい。だから館から離れた場所にも兵を配置していたのだ。それが一斉に夜空へ舞い上がり樹流徒の視界を点々と埋めてゆく。折角外へ飛び出したというのに、樹流徒は新たな敵陣の真ん中に立たされる格好となった。魔晶館の出口を固めた悪魔さえ突破すれば危機を脱せると信じていた樹流徒は、四方の空から迫り来る異形の群れを前に、混乱こそしなかったものの軽い絶望感を覚えた。


 数十単位ならまだしも数百や数千規模の悪魔を強引に突破するのは難しい。十中八九、敵に囲まれて集中砲火を浴びるのがオチだ。となればどこかに身を隠すしかない。樹流徒は急いで宙に停止すると、素早く顔を振って四方の地形を確認する。

 前方には約三百メートル先から地平の彼方までずっと続く深い森が広がっていた。

 一方、右手に見えるのは雪が積もった大平原。地表のところどころになだらかな起伏があり、裸の木が集まった場所も一ヵ所ある。他には何も無い。

 左手も一面の銀世界だ。こちらは右手よりもさらに平坦な地面が横たわり、ずっと遠くに大きな町らしきものが見えた。朱色の屋根と白壁で統一された建物が綺麗に並んでいる。

 そして確認するまでもなく後方には魔晶館がそびえ立っていた。魔晶館は館というより洋風の城と呼んだほうが似合う外観をしている。外壁は黒一色に塗り潰され、円すいの屋根は見上げるほど高い位置で天を真っ直ぐ指していた。


 地形を確認し終えた樹流徒だったが、彼の後ろから異形の群れが迫ってくる。ケルベロスに一喝されてあたふたと地上から飛び出してきた悪魔たちだ。数は五十体前後。その中で先陣を切って樹流徒に襲い掛かったのは数体のガーゴイルだった。樹流徒が知る限りガーゴイルといえばサーベルを持っている悪魔だが、魔壕のガーゴイルは他にも色々な武器を扱うらしい。彼らの手には槍や斧など様々な武器が握り締められていた。


 豊富な種類の武器を用意したガーゴイルは樹流徒に狙いを定めて手に持ったものを投擲する。

 樹流徒は空気弾や爪を使って飛んでくる武器を全て叩き落した。間髪入れず羽で空気を叩きつけて上昇しながら反撃の電撃を放つ。虚空に亀裂を走らせる青い閃光がガーゴイルを含む数体の悪魔をまとめて貫いた。

 電撃を浴びて体が痺れた悪魔たちは身動き一つ取らず墜落してゆく。その様子を目の当たりにして異形の軍勢が若干勢いを失った。地上の悪魔は全身を萎縮させ、これから樹流徒に戦いを挑もうとしていた空中の悪魔は逃げ腰を引く。


 敵が怯んだ今の内に、樹流徒は急いで次の行動を考えた。これからどこに身を隠すべきかを選択する。

 魔晶館に引き返すのは論外。左右の平原には隠れる場所が無い。左手に見える街に入れば隠れる場所があるかもしれないが、下手をすれば町の中で戦闘になる。その結果町の住人が被害を受ける恐れがあった。消去法で前方の森に逃れるしかない。


 樹流徒が意を決すると、一時的に気勢を削がれていた悪魔が早くも闘志を取り戻して攻撃を再開する。空に浮かぶ数十の異形が互いの間合いを少しずつ広げながら尖った武器や炎の塊などを樹流徒に集中させた。

 樹流徒は魔法壁で全ての攻撃を遮断すると、両手を使って火炎砲と電撃を同時発射する。またも数体の敵を撃破した。墜落した悪魔は雪の地面に叩きつけられ転がる。

 その光景に最初は怯んだ悪魔だったが、もう二度と勢いを弱めなかった。彼らは命を散らす仲間を一切顧みず樹流徒を討つことだけに専念する。口から手から、そして杖の先から炎や雷を飛ばして反撃を行なった。武器も狂ったように飛び交う。

 負けじと樹流徒は応戦する。悪魔の群れと遠距離攻撃合戦を展開しつつ、徐々に高度を下げて森に近付いて行く。


 残り百メートル……五十メートル……

 いよいよ地上が足下まで迫ったとき、樹流徒は急に嫌な予感がした。ほとんど根拠は無いのだが、敵全体の動きを見ていると自分が森に誘導されている気がしたのだ。

 だが今さら行動を変更するわけにはいかなかった。遠くの空に点々と浮かぶ悪魔は息をぴったりと合わせて包囲網を狭めてくる。今から強行突破に狙いを切り替えたところでほぼ確実に悪魔から袋叩きに合って命を落とすことになるだろう。森に身を隠すしかこの窮地を脱する方法はない。


 極寒の季節にも負けず森の木々は枝いっぱいに葉をつけていた。平らで大きな葉は全身に雪を被って白化粧をしている。その中に樹流徒は沈んでいった。

 樹流徒の姿が森の中に消えると悪魔たちの攻撃がぴたりと止む。

「森に入ったな。首狩りの命もここまでだ」

 三つ首の犬ケルベロスが嬉しそうに舌なめずりした。


 森の大地に降り立った樹流徒は、立派な木の幹に背中を預けてようやく一息つくことができた。

 不意に鈍い痛みを覚える。視線を落とすと腕や肘など数箇所から赤紫色の血が流れていた。首筋にも熱いものを感じて、触れてみるとべっとりとした感触が指先に伝わってくる。森の中に逃げ込むのに必死で気付かなかったが、空中で悪魔と撃ち合いをしている最中に何発か攻撃を受けていたらしい。幸い戦闘に支障をきたすほどの怪我ではなかった。


「さて。これからどうするか……」

 樹流徒は周囲を見回す。どの方角を見ても無秩序に密集する木々と灰色に染まった土が延々と続いていた。辺りは物音ひとつ無くしんとしている。鳥が羽ばたく音や、動物が草を揺らす音も無い。自分の息遣いさえ鮮明に聞こえそうな静けさだった。


 しかしその静寂は偽りであった。耳を澄ませても物音一つ聞こえないのに、樹流徒は急に辺りが騒がしく感じ始める。殺気という名の音なき音があらゆる方向から飛んできたからだ。

 そこら中に悪魔が潜んでいる。どうやら先程の嫌な予感が当たってしまったようだ。樹流徒は自分の意思で森の中に逃れたつもりだったが、実際は敵の連携によってこの森に誘導されていたのである。きっと大勢の悪魔が森の全域に散らばっているのだろう。彼らは今頃樹流徒が落下した地点目指して集まり始めているはずだ。


 それに気付いたとき、樹流徒の頭上が一面夕焼け空になった。突然夜が明けたのかと思ったが、そうではない。魔空間が展開されたのだ。森の中に潜んでいた悪魔が構築したのだろう。赤くぼんやりと光る巨大な壁面が空いっぱいに広がっている。未だかつて見たこともない巨大魔空間だった。もしかすると森全体を包み込んでいるのかもしれない。


 魔晶館から脱出して間もないが、今度は森に閉じ込められてしまった。こうなった以上、悪魔との戦闘は避けられないだろう。魔空間を消滅させるためには空間を構築している敵を倒さなければいけない。ただ、今回の空間は余りにも大規模なため、発生源の悪魔を倒すどころか探し出すのさえ容易ではなさそうだった。

 思わず泣き言を漏らしたくなる状況だが、愚痴をこぼしても何も始まらない。こうなったら森の木々を利用して悪魔の群れから自分の姿を隠しつつ粘り強く敵の戦力を減らしてゆく。その中で可能ならば魔空間を構築している悪魔を探し出し、これを叩くしかない。樹流徒には他に取るべき方法がなかった。

 対する悪魔も森の地形を最大限利用して攻めてくるはずだ。樹流徒は今まで木々に囲まれた場所で多くの悪魔を相手にした経験が一度も無い。果たして森の地形が自分と敵のどちらに味方するか想像できなかった。


 というより、想像する暇を与えてもらえなかった。早速悪魔たちが仕掛けてきたのである。

 樹流徒の真横から風を切って一本の矢が飛んできた。偶然にも視界の端に矢を捕えた樹流徒は素早く反応したが、彼の鼻先を矢がかすめて飛んでいった。運よく攻撃が外れてくれたものの、回避が間に合わなかった。さらに樹流徒が反撃しようと思ったとき、彼の視界にはもう矢を放った敵の姿はなかった。


 この最初の攻防だけで樹流徒は己の不利を悟った。全方向から殺気を感じる上に敵が木陰に潜んでいるため、いつどこから攻撃が飛んでくるか分からないのである。たった今飛んできた弓矢にしても、相手が一人であったり相手の姿が見えていれば簡単に避けられた攻撃だった。なのに反応が間に合わずあわや顔を射抜かれるところだった。そればかりかこちらが反撃しようと思っても周囲の木々に視界を遮られて敵の姿や位置すら掴めない始末。想像以上に厄介な場所に閉じ込められてしまった。


 背後からヒュッと風を切る音がする。樹流徒は振り返らず素早く木陰に隠れた。彼が立っていた場所をまた矢が通り過ぎてゆく。樹流徒の額に嫌な汗が滲んだ。本来それほど恐怖でもない敵の攻撃がこんなにも恐ろしい。周囲に散らばった数多くの殺気が、敵の攻撃が飛んでくる方向とタイミングを全て隠してしまう。


 とりあえず樹流徒は走ることにした。このまま一ヶ所に立ち止まっていれば敵の良い的にされるだけだ。今はひたすら動き続けて敵を一体ずつ討つしかない。

 そう決めた矢先。どこかから細長い針状の尖った物体が音もなく飛んできて樹流徒の腕を貫通する。

 体が硬直しそうな激痛が走った。それを耐えて樹流徒はすぐさま攻撃が飛んできたほうに駆ける。木陰には人と蝉を混ぜた姿を持つ昆虫人間が潜んでいた。その悪魔は慌てて踵を返し逃げ出す。

 足場は多少悪いが樹流徒は獣の如く大地を跳ねてすぐ敵の背中に追いついた。振り返って応戦の構えを見せようとした昆虫人間の首を切断する。

 丁度そのとき別々の方角から小さな炎の玉と弓矢が飛んできた。樹流徒が攻撃を放った隙を突いた攻撃である。こればかりは避けようがない。炎の玉は樹流徒の背中で爆発し、弓矢は彼の脚をかすめて木の根元に刺さった。

 炎を受けた樹流徒の背中に赤黒い火傷の跡が浮かぶ。その痛みを意に介さず樹流徒は即座に身を翻し攻撃が飛んできたほうに走った。


 だが敵が潜んでいるのは木陰だけではない。正面の悪魔を睨んで走る樹流徒は思いも寄らない場所から敵の奇襲を受けた。その場所とは地中。土の下から飛び出した手に足首を掴まれたのだ。

 地中に敵が潜んでいるとは考えもしなかった。不意に足首を掴まれて樹流徒は転倒こそ免れたものの体勢を大きく崩す。その隙を逃さず別の敵が仕掛けてきた。樹流徒の遥か頭上で木の枝葉が揺れる音がして一体の悪魔が飛び降りてくる。男の姿をしたその悪魔は短剣をかざし、狙い済ました目で樹流徒の頭頂部を睨んでいた。

 葉が揺れる音で頭上の敵に気付いた樹流徒は迷わず魔法壁を展開する。虹色の防壁が彼の足首を掴んでいる手と頭上の悪魔を同時に弾き飛ばした。

 魔法壁が消えると樹流徒はすかさず長い爪で地面を突き刺す。土の中に潜んでいた異形――モグラと人間を混ぜたような風貌の悪魔が慌てて地上に這い出てきた。が、爪の一撃がすでに致命傷になっており、モグラ人間は額から血を噴き出しながら事切れた。

 かたや樹流徒を頭上から襲った悪魔は魔法壁に衝突して地面を転がっている。素早く起き上がって逃げようとしたが、そうはさせまいと樹流徒の攻撃が飛んだ。

 樹流徒は手を前にかざす。彼の掌から飛び出した炎が矢の形になって敵の背中を貫いた。体の真ん中に風穴を開けられた悪魔は傷口の周りに火種をくすぶらせ、血走った目を全開にして断末魔の叫びを上げた。

 敵の最期を見届ける間もなく、樹流徒はすぐさま木陰に隠れる。わずか半瞬後、彼が立っていた場所をどこかから飛んできたナイフが通り過ぎていった。


 敵の攻撃は途切れることなく続く。物陰に逃れた樹流徒の視界で小さな影が動いた。遠く離れた木の後ろで体半分だけ覗かせた悪魔がいる。紫色のローブに身を包む男の姿をしたその悪魔は樹流徒に向かって手をかざした。そこから黒ずんだ紫色に輝く光の弾丸がいくつもまとまって発射される。弾丸は木々の表面を(えぐ)りながら樹流徒めがけてまっすぐ飛来した。

 樹流徒は素早く横に駆けて逃れる。息つく間もなく、今度は彼のすぐ目の前から槍を構えた半人半獣の悪魔がぬっと現われた。

 他の悪魔と同じく木陰に潜んでいたその半人半獣は、樹流徒の正面に飛び出すなり長い槍をまっすぐ突いた。これに素早く反応した樹流徒は二時の方向に高く跳躍する。宙で体を捻り回転を加えて体勢を変えると、足で木を蹴ってその反動で悪魔の側面から飛びかかった。

 槍のひと突きを外した悪魔は慌てて腰を回して方向転換を図る。が、その動作が完了したときにはもう槍の穂先を通り過ぎた樹流徒が悪魔の首筋に爪を食い込ませていた。


 悲鳴も上げずに悪魔の首と胴体が綺麗に分かれる。ほぼ同時、樹流徒のずっと後ろから大きな青い炎が急な放物線を描いて飛んできた。

 それに気付いたわけではないが、樹流徒は後ろを振り向くことなく近くの木に隠れる。背後からの攻撃を察知するのは無理でも、攻撃が接近しているかもしれないと予測して回避行動を取るのは可能だった。

 山なりに飛んできた大きな炎の塊は、直前まで樹流徒が立っていた場所に着弾して破裂。四方八方に小さな炎の弾丸をばら撒いた。

 予測で攻撃を回避した樹流徒は即反撃する。彼は足下に円形の白い光を浮か上がらせた。それを軽く踏むと敵の足下から岩の針が飛び出す。地中から飛び出した岩の針は悪魔の足を貫通した。この能力ならば物陰に潜む敵も攻撃できる。ただし相手の位置を特定していなければ命中させられないのが難点だ。


 岩の針に足を貫かれた悪魔はその場にしゃがみ込んだ。ネズミの頭部を持つ小柄な悪魔である。青い炎を飛ばしたのもこの悪魔だろう。

 負傷した彼の仇と言わんばかりに樹流徒の死角から銀色に輝くブーメラン状の武器が飛んできた。

 常に動き続けなければ被弾する。先ほどそれを身を持って知った樹流徒は跳躍して木の枝に着地した。それにより死角から飛んできた攻撃を寸でのところで回避する。鋭く回転するブーメランは空を切り裂いて木の幹に深々と食い込み停止した。


 木の上に隠れた樹流徒だが、その場所にも正確に攻撃が飛んでくる。ブーメランが刺さった音にゾッとしたのも束の間、投擲用の武器や尖った氷塊、赤い雷光などが彼の元に殺到した。

 攻撃がこちらに届く前に樹流徒は木から飛び降りる。落下中に腕を触手に変化させ、前方に立つ木の枝に引っ掛けた。それをロープ代わりにしてブランコが揺れるような軌道で宙から宙へと伝う。腕を元に戻しながら地面に着地すると、すぐ傍に敵がいたので素早く懐に入り込み一撃で絶命させた。次の瞬間にはまたどこかから敵の攻撃が飛んでくるので逃げなければいけない。


 薄々分かっていたことだが、敵の数が一向に減らなかった。それどころか樹流徒を囲う殺気の数は増えている。森のあちこちに潜んでいた悪魔が樹流徒の元に集まっているのだ。これから時間が経てば経つほど悪魔の数は増え続けるだろう。

 この状況に際しても、樹流徒は最初に決めた通りただ闇雲に戦って敵を一体ずつ地道に葬ってゆくしかなかった。苦し紛れの戦法である。敵を一体ずつ葬ると言っても樹流徒が延々と戦い続けられるわけではない。いずれ精神力が底をつき、動きに精彩を欠くことになるだろう。動きが鈍れば敵の攻撃を受けやすくなる。急所に一撃貰えば命は無かった。


 森に閉じ込められてから一時間以上が経過した頃になると、樹流徒の全身にはいよいよ傷の多さが目立ってきた。彼には魔魂を吸収して体の傷を癒す能力があるが、その回復量が追いついていない。敵から受けているダメージの方が大きいのだ。

 たとえ樹流徒が絶えず動き回っていても、ある程度の被弾は避けられなかった。こちらの動きを先読みされて一撃貰う場合もあれば、待ち伏せの攻撃を受ける場合もある。予想通り時間が経過するにつれ悪魔の数は増え、攻撃は激しくなり、流れ弾を食らう頻度も次第に多くなってきた。

 敵の行動や攻撃パターンが決まっていれば手の打ちようもあるが、悪魔たちは装備も能力も様々なので次の攻撃が読めない。いつ、どこから、どのような攻撃が、どれだけの速さで、どの程度の数飛んでくるのか、樹流徒にはまるで見当がつかなかった。彼にできるのは少しでも被弾を減らすためひたすらその場から動き続けることだけだった。

 しかしそれも限界が近付いている。このままでは真綿に首を絞められるようにジワジワとなぶり殺されるだけだ。敵の攻撃が激し過ぎて、打開策を考えている余裕すらない。


 今また一体の異形が樹流徒の側面から突っ込んでくる。炎の塊に人の顔が浮かび上がったような姿をした悪魔だった。人面炎(じんめんえん)とでも呼べば良いのだろうか。その悪魔は人間の胴体ほど大きな体から火の粉を飛ばして宙を疾走する。樹流徒の懐めがけ真っ直ぐ飛び込んできた。

 この悪魔を避けるべきか、反撃すべきか。僅かな時間の中では直感で判断するしか無い。樹流徒は虚空から呼び出した氷の鎌を握り締めて迎撃体勢を取った。

 鋭くなぎ払われた鎌の刃が人面炎を真っ二つに裂く。すると二つに分かれた顔が笑みを浮かべた。

 不吉な予感と「しまった」という言葉が樹流徒の脳内に浮かんだとき、人面炎の体は激しい光と熱を放出していた。

 自爆である。甚だ予想外な人面炎の攻撃を樹流徒はまともに浴びた。


 眼前で起こった爆発の光に樹流徒は視界を奪われ身動きを止める。そこを的確に狙った悪魔の攻撃が背後から飛んできた。弓矢が樹流徒のふくらはぎを刺す。

 自爆攻撃と弓のダメージでよろめく樹流徒の元へさらに攻撃が集中した。樹流徒は魔法壁で防御しながら木陰に逃れる。すぐさま自分の脚に刺さった矢を抜いて痛みに口元を歪めた。


 体中が痛い。血で手足がぬるぬるする。木々の燃える臭いが鼻孔をくすぐった。冬の夜だというのにむせ返るような熱が樹流徒の全身を襲う。視界が微かにぼやけた。薄く開きっぱなしになった口は歯噛みする余力も無い。

 生き地獄とはこういう状態を言うのだろうか。樹流徒は次に飛んできた敵の攻撃を避けながら、自分が置かれた状況に薄ら寒いものを覚える。そんな風に感じてしまうのは、きっと自分が追い詰められているからだった。

 樹流徒はまたひとつ悪魔の命を奪いながら、そのあいだに敵の攻撃を幾つか貰う。もう手足の皮膚はズタズタだ。そろそろ深い傷口から骨が見えてもおかしくなかった。思わず自分の体から目を逸らしたくなる。

 痛手といえば悪魔側の被害も決して軽くなかった。樹流徒が葬った敵の数はすでに三桁に突入している。ここまでの被害を出すとは思わなかったのだろう。悪魔たちの形相は戦闘開始当初よりも遥かに険しかった。

 それだけに樹流徒の衰弱を察したベルゼブブ一派の攻撃は過剰なまでに勢いを増す。樹流徒めがけて攻撃の雨が飛んだ。もはや悪魔たちの中に冷静な戦士は数えるほどしかない。誰もが首狩りキルトという怪物を討とうと死に物狂いで戦っている。

「もう少しだ。もう少しでヤツを仕留められる」

 人間の姿をした悪魔が凶暴な瞳を輝かせていた。


 圧倒的な数を相手に劣勢に立たされても樹流徒は諦めない。たとえ追い詰められても、弱気な言葉が頭の中を巡っても、諦めることだけはしなかった。

 そんな彼の精神を挫こうと悪魔たちは攻撃の手を寸秒も緩めない。戦いは苛烈を極めた。いつしか森の木々までが傷にまみれ、大地までが血に汚れていた。


 空に輝く赤い壁面の真上で異形の群れが旋回している。敵の数はまだまだいると嫌でも思い知らされる。樹流徒は死を予感し始めた。決して最後まで諦めはしないが、状況的に考えて己の命が風前のともし火であることは否定できない。

 もう片方の腕が動かなくなっていた。骨が粉々に砕けたのか、神経が切れたのか、麻痺毒の影響か、肩から指先まで感覚が無い。

「首狩りは虫の息だ。絶対に仕留めろ」

 近くで叫ぶ悪魔の声が遠のいてゆく感じがした。代わりに死の足音が忍び寄ってくる。

 樹流徒の膝が折れかけた。


 と、そのとき。森の奥から軽快な足音が響いてくる。馬の蹄が大地を叩く音だ。


 樹流徒は新手の敵と思って疑わなかったし、悪魔も味方の増援と信じきっていただろう。あるいは敵か味方か意識すらしていなかったかもしれない。何しろ戦場には次から次へと新たな悪魔が集まっている。誰かがやって来ても、いちいち意に介することではなかった。

 だからこそ、次に起きた事態は、この場にいた者すべてにとって予想外だったはずである。


 思わぬ方向からギャッと悲鳴が上がったのを樹流徒は聞き逃さなかった。

 悲鳴の近くにいた数名の悪魔は揃ってぎょっとした顔をする。どこからともなく現われた巨大な黒馬が、こともあろうに味方であるはずの悪魔を蹴り殺したからだ。


 馬の背には一体の悪魔が跨っていた。獅子の頭部と人間に胴体を併せ持つ戦士である。灰色の(たてがみ)は空の雪雲よりも淡く、赤い瞳は炎よりも濃い。

 颯爽と現われた馬上の悪魔は太く長い蛇を巻きつけた腕を前にかざし風の渦を生んだ。横になった竜巻は身をよじりながら前方へ飛び出し、木々をなぎ倒して数体の悪魔を吹き飛ばす。


 悪魔が悪魔を攻撃している。思わぬ事態にベルゼブブ一派の悪魔たちは狼狽した。樹流徒も助かったという気持ちは欠片もない。一体何が起こったのか、と怪訝な顔をした。

「これは何の真似だ?」

 誰かが大声で叫ぶ。

「答えろ、ヴィヌ!」

 続いて別の誰かが吠えた。


 ヴィヌ?

 その名前に樹流徒は聞き覚えがあった。ヴィヌといえばたしか憤怒地獄にある火山の頂上で襲い掛かってきた悪魔である。




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