表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
270/359

誤った推理



 目の前の景色が物凄い速さで後ろに流れてゆく。風圧で全身の毛が逆立つ。魔犬グラシャラボラスに変身した樹流徒は予想以上に順調なペースで廊下を駆けていた。生まれてこのかた四つん這いになって全力疾走した経験など一度も無かったのに、犬に変身した今、どいうわけか驚くほど走り易い。自分が元々獣だったのではないか、と思えるほど四本の足を自由自在に操れた。人間よりも視点が低くい分だけ若干走りにくさを感じるものの、それを補って余りある速さをグラシャラボラスの足が生み出す。病み付きになりそうな速さだった。

 ただし魔犬に変身していられるのは三分だけ。いくら足が速くても道を間違えて時間を浪費すれば目的地に到着する前に薬の効果が切れてしまう。樹流徒は一階までの道順を常に頭に置いて最短ルートを正確に刻み続けなければいけなかった。


 廊下ですれ違う悪魔たちは誰も樹流徒の正体に気付かない。ただ「グラシャラボラスが変わった格好をしている」と振り返る者たちは大勢いた。何しろ変身薬で悪魔に化けても服装までは変わらないのである。樹流徒は魔犬の姿をしながら変身前と同じ格好をしていた。黒衣を翻してひた走るグラシャラボラスの姿を悪魔たちは物珍しそうな目で見る。「首狩りの格好と似てないか?」と気付く者も少数ながらいた。彼らが後から追いかけてこなかったのは樹流徒にとって幸いである。


 三階の階段を下りて二階へ。一息つく間もなく二階の廊下を駆け抜けて次の階段を目指す。

 何百体もの悪魔を素通りして、行き止まりも全て避け、薬を飲んでから二分以上が経過した頃、樹流徒は一階の廊下に降り立った。

 早い。もう着いてしまったのか。樹流徒は表情や仕草に出さない程度に驚く。そして同じ程度に喜んだ。もしアドラメレクと出会っていなければここまでたどり着くのに何時間かかったか分からない。いや。たどり着けたかどうかも怪しかった。


 あとは外へ脱出するのみだ。見たところ一階の構造も上の階とほとんど変わらない。広い廊下に金属製の扉が並び、幾つかの曲がり角があるだけだった。逆に上階とは違って、この階には館の出口がある。それは階段から遠く正面に見えていた。


 廊下の突き当りに扉が無い巨大な門が立っている。紛れも無く外に通じる出口である。その向こうに数千の悪魔が大挙していた。全員ベルゼブブの手先だろう。少なくとも樹流徒の命を狙っている敵であることは間違いない。

 アドラメレクから聞いた通り出口では検問が行なわれていた。館を出入りする悪魔たちが二列になって並んでいる。片方の列は魔晶館から外へ出る悪魔、もう片方は逆にこれから館の中に入る悪魔の列だ。どちらの列にも四、五名しか並んでいなかった。暴力地獄へ移動する悪魔が少ないことを考えれば納得の少人数である。彼らは魔晶館を出入りする前に簡単な身体検査を受けているようだ。


 門の様子を簡単に確認した樹流徒は、続いて外の様子を遠望する。物々しい雰囲気に包まれた出口の向こうに静かな夜の世界が広がっていた。もし魔界に季節というものが存在するならば、魔壕はいま冬らしい。空には月と灰色の雲が浮かび、はらはらと粉雪が降っていた。地面で体を丸めている異形の獣や、自分の口から吐き出される白い息をぼんやりと眺めている悪魔の姿が見える。この寒空の下でじっとしている兵たちも楽では無さそうだ。


 できればもう少しこのまま観察を続けたい樹流徒だったが、検問の様子をあまり凝視していると怪しまれるので止めておいた。それにもう変身薬の効果が切れる。一旦どこかの部屋に隠れて次の薬を飲んだほうが賢明だろう。

 階段の横に立っていた樹流徒はそこから離れて適当な扉の前に立った。前脚でドアをノックしても返事が無いので中に入る。廊下と同様、部屋の内装も上階と変わらなかった。ベッドと机があるだけで窓は無い。万が一悪魔が飛び込んできても見付からないように樹流徒はベッドの背後に隠れて身を伏せた。


 間もなく変身の効果が終わった。何の前触れも無く樹流徒の姿が獣から魔人に戻る。

 樹流徒は懐に手を忍ばせて変身薬が入った小瓶を取り出した。薬は残り二粒しかないが、一粒あれば十分だろう。躊躇せず彼は二粒目の薬を飲む。果たして今度は一体どんな悪魔になるのか……


 全身の血液が熱くなり、体の構造が激変する。樹流徒の姿は三毛猫の頭部と尻尾を持つ半人半獣の悪魔になった。今まで遭遇したことがない悪魔なので何という名前か分からないが、グラシャラボラスの肉体に比べて明らかに筋力が無い。言い方は悪いが有象無象の悪魔だろう。この姿のまま敵に襲われたらひとたまりもない。いざという場合を考えると若干心細かった。

 とはいえ恐怖で足踏みしても時間の無駄だ。変身してしまったら一秒でも惜しい。樹流徒はすぐに部屋を出て廊下を小走りに出口へ急いだ。


 身体検査は門の真下で行なわれている。通行人一名に対し悪魔が二人がかりで全身と持ち物の検査をしていた。一人あたりにかかる検査の時間は十秒から三十秒程度。特に服や武器を身につけていない悪魔はすぐに検査が終わる。樹流徒は列の最後尾に並んだが前に三名しかいなかったのですぐに順番が回ってきた。

 ほかの通行人と同じように、樹流徒にも二体の悪魔が近付いてくる。片方は眼鏡をかけた犬の頭部を持つ悪魔。もう片方は猿の姿をした悪魔だった。どちらも人間と同じくらいの背丈がある。

 犬と猿。二体の悪魔は身体検査を始める。猫人間に変身した樹流徒の顔や腕を擦ったり、髭を引っ張ったりした。さらに犬の悪魔が黒衣の中を調べて変身薬入りの小瓶を見つける。

「見たことない果実が入っているな。これは何だ?」

「食料」

 樹流徒は極力簡潔に答えた。下手に詳しく喋ると却って嘘が露見してしまう恐れがある。

「なるほど。小さいが美味そうな果実だ。どこで手に入れたのか今度教えてくれ」

 犬の悪魔は微塵も疑わず樹流徒に小瓶を返した。

 かたや猿の悪魔は樹流徒の格好に目をつける。

「この服、報告にあった首狩りの装備と特徴が一致するな」

 それを聞いて犬は鼻をすんすんと鳴らした。

「それにこの服、ニンゲンの臭いがするぞ」

「仕方ない。この服は現世旅行の土産だから」

 樹流徒は何とか言い繕って相手の追及をかわす。

「現世旅行だと? まったく、紛らわしい格好で魔晶館をうろつくンじゃないよ」

 猿は大いに不満げだ。

 そのあと二体の悪魔は樹流徒の尻尾を引っ張ってみたり、足の裏を見たりと、他の通行人よりも若干入念に身体検査を行なった。それでも合計一分とかからず作業は終了する。

「変装じゃないな。本物の悪魔だ」

 犬が認める。

「まさか首狩りが悪魔に変身してるなんてことはないだろうな?」

 猿が妙な勘の良さを発揮した。

 が、それを犬が否定する。

「いや。首狩りに変身能力は無い」

「どうしてそう断言できる?」

「つい先程こちらに入った情報によれば、首狩りは悪魔から奪った鎧で変装していたらしい。もし首狩りが悪魔に変身する能力を有しているならば、わざわざ変装する必要はないだろう」

 犬は名推理を披露する。樹流徒が変装していたという情報が早くもここまで伝わっていたが故に起きた残念な勘違いだった。連絡系統がきちんと機能していたことが却って仇になった格好である。

 そうとは知らぬであろう猿は

「なるほど。オマエ相変わらず頭いいな」

 と犬の頭脳を褒め称える。犬猿の仲と言うが魔界では当てはまらないらしい。

「よし通っていいぞ」

 多少の疑いは持たれたが、何とか樹流徒に通行許可が降りた。


 魔晶館から一歩出ると外の冷たい空気と雪が頬をひりつかせる。

 門の先では異形の垣根が左右に分かれて道を作っていた。その中を樹流徒は足早に歩く。道幅は少なく見積もっても五メートル以上あるのだが、やけに細くて窮屈に感じた。

 両脇に立ち並ぶ見張りの悪魔は、首狩りが現われないので些か退屈そうな面持ちで喋っている。

「首狩りを閉じ込めるなら魔空間を構築すればいいじゃないか。どうしてそうしない?」

「知らないのか? 魔晶館では空間を構築できないって話だぞ」

「どうして?」

「さあ。この館を建造した者に聞いてみなければ分からん。魔界血管と同じで我々には理解できない技術が使われているからな」

 そんなやり取りを背中で聞きながら樹流徒は道の真ん中を歩き続けた。


 異形の垣根はあと七、八十メートルほど先まで伸びている。樹流徒はやや歩調を速めた。もうすぐ変身の時間が終わってしまう。「薬の効果が切れる前に次の薬を飲んでも何も起きないから気をつけろ」とアドラメレクが言っていた。変身中に次の薬を飲んでも別の悪魔に変身できたり、変身時間を延長できるわけではないのだ。今の変身が解ける前に包囲網を突破しなければいけない。


 そんな一秒を争う時だというのに、ふと樹流徒は嫌な予感がした。背後から何者かの気配が近付いてくるのだ。殺気や闘気といった激しい気配ではなく穏やかな気配である。

 事実、樹流徒のあとを追ってくる者がいた。ひたひたと冷たい足音を鳴らして足早に歩く悪魔が一体。その悪魔は、三つ首の犬という姿をしていた。首にはそれぞれ棘付きの赤いベルトを巻いている。白い毛に包まれた立派な体躯は犬と言うより虎と呼んだほうが近かった。


 樹流徒は背後の存在に気付いていたが、気付かぬフリをして歩く。できれば声を掛けられたくなかった。

 そんな彼の望みはいともあっさり裏切られ、白い三つ首の犬は樹流徒のすぐ背後まで近付いて声をかける。

「おい。オマエ」

 話しかけられたら、さすがに立ち止らないわけにはいかなかった。無視すれば怪しまれてしまう。

 仕方なく樹流徒は足を止めて背後を振り返った。

 三つ首の犬は樹流徒の顔を見るなり機嫌良さそうに尻尾を揺らして挨拶をする。

「よう。やっぱりオマエだったか。久しぶりだな」

 三つ並んだ顔のうち真ん中が明るい声を発した。

 樹流徒は今自分が置かれた状況を想像し、整理する。おそらくこの三つ首の犬は、いま俺が変身している悪魔の知り合いなのだろう。だから俺の後を追いかけて声を掛けてきたに違いない……と推理した。

 となれば、この場は相手と話を合わせるしかない。樹流徒は相槌を打ちながら三つ首の犬に返事をする。

「ああ。本当に久しぶりだな……。最後に会ってからどのくらい経つ?」

「もう三年ぶりくらいじゃないか? まさかこんな場所で“ケルベロス”に会えるとは思わなかった」

 三つ首の犬は嬉しそうに言った。彼の物言いからして、今の樹流徒はケルベロスという名前らしい。

 樹流徒は引き続き相手に話を合わせる。 

「実は魔晶館を見物しに来たんだ」

「ふうん。ケルベロスがこんな建物に興味を持つのも珍しいな」

「そうだけど、たまにはな……」

 苦しいと思いつつ何とか会話を繋ぐ。しかしこのまま話を続けてたら変身時間が切れてしまう。そのせいで正体がバレたら本末転倒だ。

「悪いけど急用があるんだ。また今度……」

 樹流徒は一方的に話を切り上げて、その場を去ろうとする。


 すると三つ首の犬は可笑しそうに笑い出した。

「待ってくれよ。オレもお前に急用があるんだ」

 その言葉を最後に悪魔の雰囲気が急変する。穏やかで明るかった気配が一転、肌を刺すような殺気に変わった。今まで押さえ込んでいたものが押さえ切れなくなって溢れたような殺気だ。


 このまま魔晶館から離れられれば、と思っていた樹流徒だが、すんなり行かせてくれそうにない。

 三つ首の犬は赤い瞳に敵意の炎を揺らす。

「やはりな。オマエが検問を受けている様子を遠巻きに眺めて少し怪しいと思ったんだ」

「……」

「教えてやる。ケルベロスはオマエじゃなくてオレの名前だ」

「そういうことか」

 してやられた、と樹流徒は心の中で言う。カマをかけられたのだ。この三つ首の犬――本物のケルベロスに。久しぶりに会ったという話も嘘だったのだろう。

「魔界の中でこのオレを知らないヤツなんていない。つまりオマエは魔界の住人じゃないってことだ」

 ケルベロスが吠える。彼の大声で異変に気付いた近くの悪魔たちが樹流徒に視線を集める。


 正体を見破られてしまった以上、この場所で立ち止まっている理由は無い。樹流徒はすぐさま踵を返して走り出した。

「逃がすな! ソイツは首狩りだ!」

 ケルベロスが誰にともなく叫ぶ。

 突然の命令に悪魔たちはうろたえた。急な展開に状況が掴みきれていないのだろう。彼らは「首狩り?」と疑問符付きの言葉を呟いて、樹流徒とケルベロスに視線を往復させる。

 ただ中には理解が早い者もいて、樹流徒の前方に数体の悪魔が立ち塞がった。それを皮切りにうろたえていた悪魔たちも事態を察して動き出す。あっという間に数十体の悪魔が樹流徒を囲んだ。


 丁度そのとき樹流徒の変身能力が解ける。猫人間から魔人の姿に戻った彼を見て周囲に群がる悪魔が驚きどよめいた。

「我らの計画を邪魔する者よ。大人しくここで消えろ」

 三つの首を持つケルベロスが真ん中の顔で叫びながら左右の顔で同時に炎柱を吐き出す。

 樹流徒は垂直に跳んで二本の火柱をかわした。宙で羽を広げてそのまま夜空へ駆け上る。地上から遠く離れて停止すると、自分の周囲に青白い光を三つ浮かべた。それらは同時に破裂して全てを凍りつかせる光の柱となる。死の光が大地を突き刺し樹流徒を取り囲んでいた悪魔たちに直撃した。


 周りの悪魔が邪魔で回避が間に合わないと判断したか、ケルベロスは瞬時に魔法壁を張って死の光を弾く。ついてに傍にいる味方まで一緒に吹き飛ばした。光に飲まれた他の悪魔は全員体が凍りついて身動き一つ取れなくなる。


 上空から先制攻撃を与えた樹流徒はすぐさま身を翻して羽ばたいた。

 ケルベロスは追いかけてこない。飛行能力が無いのだろう。代わりに三つの首から炎の球を連射して樹流徒を撃墜しようとした。だがその攻撃を樹流徒が全て難なく回避すると

「何をしている? 早く追え」

 ケルベロスは周りの悪魔に叱声を浴びせた。

 それを受けて翼や飛行能力を持つ異形の追跡者たちが動き出す。彼らは大急ぎで空に舞い上がった。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ