デカラビアと一輪の花
黄金宮殿の前には数千の悪魔が集まっていた。その大半はガルダの配下だが、晩餐会で見かけた顔や戦士選抜試験で敗退した悪魔たちの顔も百から二百は含まれている。世界が生まれ変わったため彼らも太陽の国が勝利したことをすでに知っている。宮殿前に集まった悪魔たちは大声を上げてガルダと戦士の帰還を喜んだ。彼らの歓声に迎えられ、樹流徒たちは宮殿の門を通り抜ける。
「おめでとうございます。ガルダ様!」
「やりましたね。ガルダ様!」
さすがに黄金宮殿ではガルダが主役だった。歓声の大部分は彼に向けられている。
「ありがとう皆の者。さあ我々の祭りはまだこれからだ。今日から三日三晩、大いに騒ぐぞ」
ガルダが言うと歓呼の声は一段と高まった。鳥人たちはさっそく祝勝会の準備に取り掛かる。皆一様に機嫌が良さそうな顔でそれぞれの持ち場へと散っていった。
樹流徒たち五人の戦士は宮殿前の広場まで行って立ち止まる。
「ではオマエたちは少しのあいだ自由にしているといい。報酬は後で贈呈する」
ガルダはそう告げると一人で宮殿に入っていった。
続いてガネーシャがアプサラスに声をかける。
「それじゃあボクたちは中庭へ行かないか? あそこが一番落ち着くよ」
「いいわね。そうしましょう」
などと言い交わして二人も宮殿の中に消えた。
残された樹流徒とアンドラスは共に宮殿一階の客室へと足を進める。客室というのは晩餐会で倒れたデカラビアが担ぎこまれた部屋だ。
「まあアイツのことだからもう回復してると思うけどな」
アンドラスがそんな風に言ったそばから、廊下で五芒星の姿をした悪魔と出くわした。
間違いなくデカラビアである。彼はこれから急いでどこかへ行こうとしていたらしい。大方ガルダたちの帰還を嗅ぎ付けて外へ様子を見にいこうとしたのだろう。その途中で樹流徒とアンドラスに遭遇したので、デカラビアは少し驚いた様子だった。
「あっ! アナタはニンゲン風情」
五芒星の中に浮かぶ三つの目玉が激しく動き回る。
「体の具合は大丈夫か?」
樹流徒が尋ねると、デカラビアは顔を……というより全身を背けた。
「ニンゲン風情に心配される覚えはありません。そもそも私がこんな目に遭ったのもアナタが……」
言いかけてデカラビアはやめた。己の身に起きたことは全て自業自得だったと分かっているからだろう。その責任を樹流徒に押し付けるのは幾らなんでも無理があった。
「兎に角! ニンゲン風情が一丁前にこの私を心配しようなどとは傲慢も良いところです。我々悪魔はアナタたちニンゲン風情と違ってそんな簡単に死んだりはしません」
「オマエなあ。そんなことばかり言ってると……」
アンドラスが何か言いかけたが、それを樹流徒が手で制する。
「何にしても無事で良かった。じゃあ俺は行くよ」
樹流徒は踵を返した。デカラビアの復活を確認できた今ここにいる必要も無い。これ以上話を続けても相手の神経を逆撫でするだけだろう。樹流徒はガネーシャたちがいる中庭へ移動する事にした。
「あのニンゲン風情め。決闘で死んでるかと思ったのに生還するとは……」
すでに姿が見えなくなった樹流徒に対してデカラビアは悪態をつく。
「相変わらず本人がいないところでは強気だなオマエ」
「うるさいですね。ところであのニンゲン風情は決闘で勝ったんですか? 負けたんですか? どうせ決闘開始早々に降参したんでしょう? そうだと言いなさい」
「いや勝ったよ。あのラーヴァナ相手に圧勝だった」
アンドラスが答えると、デカラビアの薄っぺらな体が震えた。
「むむむ……。どこまでも生意気なヤツですね。アイツの代わりに私が出場していれば、今頃私は太陽の国の救世主として一躍英雄になっていたものを」
「それだけ冗談が言えるなら体調は良さそうだな」
アンドラスは呆れ顔で言ってから
「あ、そうだ。これオマエにやるよ。今となっては無意味なモノになっちまったけどな」
ある物をデカラビアに差し出す。
それは一輪の赤い花だった。
「おや。これはジェドゥにのみ咲いている名もなき花じゃないですか?」
「そうだよ。さすがに良く知ってるな」
「このくらい常識です。しかしアンドラス君が私に花をプレゼントしてくれるとは珍しいですね」
「オマエがまだ寝込んでるかもしれないと思って持ってきたんだよ。この花、万能薬になるって言われてるからな」
「なるほど。そういう事でしたか」
デカラビアは納得する。
「では折角ですからこの花は頂いておきましょう。いずれ何かの役に立つかもしれません」
四肢が無いデカラビアは念動力らしき力を使ってアンドラスの手から花を受け取り、それを体内に収納した。
「しかしアンドラス君がこんなに気の利く悪魔とは知りませんでした。君の友情には感謝いたしますよ」
「そりゃどうも。ただしその花をオマエに渡そうって言い出したのはキルトだからな」
「え」
「オレは別に必要無いって言ったんだよ。それでも万が一デカラビアが寝込んでたら可哀想だと思って、キルトはこの花を摘んだんだ」
「ええ? あのニンゲン風情がですか?」
「そ。あのニンゲンが」
「……」
五芒星に浮かぶ三つの目玉が気まずそうにすっと隠れた。
その頃、樹流徒は中庭に到着していた。降世祭の前は地面に砂が敷き詰められていたこの場所も今は緑一色に覆われている。庭の隅には食べ物や酒樽や黄金の山が築かれていた。ガネーシャやアンドラスが受け取る報酬に違いない。
そこから少し離れた場所でガネーシャとアプサラスが立ち話をしていた。
「そういえばキミはどの報酬を受け取るんだい?」
ガネーシャがそんな質問をする。太陽の国の戦士に選ばれた者は報酬として二十年分の食べ物と酒か、黄金か、それともガルダの配下五名とラクダ十頭か、その三種類から一つだけ好きなものを受け取れる決まりになっている(樹流徒は例外だが)。果たしてアプサラスはどの報酬を選んだのか?
「私はこの世界が変わっただけで十分よ。それ以外の報酬はいらないわ」
とアプサラス。
「ふうん。無欲なんだね」
「そうかしら? 世界を生まれ変わらせるために戦うのって結構大きな欲だと思うけれど」
「言われてみればそうだ」
そのようなやりとりを交わして二人は静かな微笑を交わした。
そこへ樹流徒が近付くと
「やあキルト」
ガネーシャもアプサラスも笑顔で彼を迎える。
「たしかアナタはアムリタを手に入れるために降世祭に参加したのよね? 無事に手に入りそうで良かったじゃない」
「ありがとう」
樹流徒は素直に礼を行った。
ガネーシャが一歩前に出る。
「“首狩りキルトは残虐なニンゲンだ”ってオマエの手配書には書いてあったケド、あんなのは嘘だってコトが良く分かったよ。今度あの手配書を見かけたら破いてやる」
そう言いながらガネーシャは壁から手配書を剥がす仕草をする。
「いつかぜひ私の宮殿に遊びに来て頂戴。戦友として丁重にもてなすわよ」
続いてアプサラス。
樹流徒は深く頷いた。最初はアムリタを手に入れるために黄金宮殿を訪れたが、今では他にも色々なものを得られた気がする。降世祭に参加したのは間違いじゃなかったと実感できた。
ただ、その実感をより強く得るためにはアムリタを受け取らなければいけない。
中庭には食料や酒樽や黄金の山が積まれているが、それ以外の物は見当たらない。アムリタはどこにあるのか? 樹流徒は辺りに視線をさまよわせて目当てのモノを探す。
「オマエの報酬はここには無い」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると宮殿の廊下にガルダが立っていた。彼は脇に小さな壷を抱えている。
「さあ行くぞ。私について来い」
とガルダ。
「行く? どこへ?」
「宮殿の最上階だ。オマエの報酬はそこにある」
「そうなのか。分かった」
樹流徒は返事をしてから、ガネーシャとアプサラスを振り返る。
「少し突然だが二人とはここでお別れだな」
「お別れ? だって今夜から祝勝の宴が始まるんだよ。それには顔を出さないのかい?」
「ああ。俺にはまだやるべきことが残っている。アムリタを手に入れたらすぐに黄金宮殿を発つよ」
「そうなの。少し残念だけれど無理に引き止めるわけにはいかないわね」
アプサラスは心なしか名残惜しそうな顔をした。
「またいつか会えるさ」
とガネーシャ。その言葉に樹流徒もアプサラスも頷いた。
別れの挨拶を済ませた樹流徒はガルダの元へ駆け寄る。
「待たせてすまない。行こう」
「うむ」
二人は並んで宮殿の中を進む。会話は無かった。無言で歩いている内、最上階に着いてしまう。
この階には太陽の間がある。樹流徒がアプサラスやガネーシャと初めて出会った部屋だ。太陽の間に通じる扉は硬く閉ざされており、厳つい目をした番兵が二人立っていた。彼らの前を通り過ぎて樹流徒とガルダは先の一室へ向かう。
その部屋は古びた金属製の扉によって固く閉ざされていた。太陽の間と同じく扉の両脇に鳥人が一体ずつ立っている。手には槍を携えていた。
ガルダが現れると二体の鳥人は背筋をまっすぐに伸ばす。
「ガルダ様。降世祭での勝利おめでとうございます。この日を待ち侘びていた私どもは今感動で胸がいっぱいです」
片方の鳥人が緊張の面持ちで言った。
「今夜から三日三晩の酒宴が始まる。オマエたちも我々と共に勝利を祝ってくれ」
ガルダが言うと、鳥人たちは今にも泣き出しそうな顔をした。「太陽の国の勝利に感動している」という彼らの言葉は本音だったのだろう。暴力地獄の悪魔にとって降世祭がいかに大きな行事であるか、樹流徒は改めて知った気がした。
「この部屋は宝物庫だ。オマエも中に入れ」
樹流徒に説明しながらガルダは眼前の古びた扉を開く。
その先に現われた光景に樹流徒の瞳は吸い込まれた。とても広い部屋の床を目が眩むほどの金銀財宝が埋め尽くしている。紫硬貨の山、色彩豊かな宝石の数々、宝剣、宝冠、宝槍、高価そうな彫像、黄金のランプ、ほかにもいろいろある。一つ一つの宝を鑑賞していたら何日あっても足りないくらいだ。
「この中にアムリタがあるのか?」
「そうだ」
ガルダは部屋の一角に視線を送った。そこに色褪せた朱色の瓶が置かれている。かなり大きな瓶だが大人なら何とか両手で抱えられそうだ。口は蓋が閉じられており中に何が入っているのかは見えない。
ガルダはその大きな瓶を指差して
「あれがオマエの欲する物だ」
聞いた瞬間、樹流徒の目にはもう他の財宝類は一切目に入らなかった。
二人は瓶の前に立つ。ガルダが蓋に手をかけてそっと開けた。
瓶の中は牛乳のような白い液体で八割方満たされていた。ほのかに甘い香りが漂ってくる。
「これがアムリタか……」
樹流徒が見つめる横で、ガルダはずっと脇に抱えていた小さな壷の蓋を開ける。そして壷いっぱいにアムリタを汲み、最後に固く蓋を閉めた。
ガルダはアムリタ入りの壷を樹流徒に手渡しながら言う。
「気が向いたら再び我が太陽の国の戦士として祭りに参加してくれ。オマエなら選抜試験を免除しても良い」
「千年後に俺が生きていたら考える」
「そうか……。オマエはニンゲンだったな。でも私は千年後にもまたオマエと会える予感がしている」
「……」
「これからすぐ宮殿を発つのだろう?」
「ああ」
「オマエのことはずっと忘れない。さらばだ強きニンゲンの戦士よ」
それが樹流徒とガルダの別れの挨拶だった。
無事アムリタが手に入り降世祭に出場した目的は達した。樹流徒はひとまず安堵する。
しかしこれで全ての問題が片付いたわけではない。入手したアムリタをどうやって早雪の元へ届けるか、という重大な問題が残っていた。一度現世に引き返している余裕は無い。かといってアムリタを守りながらこの先戦うのは難しい。
となれば答えは一つしかなかった。誰かを頼りにするしかない。悪魔に頼んでアムリタを現世に届けてもらうのだ。それしか良い方法が見当たらなかった。
しかし一体誰に頼めば良いのか? 悪魔倶楽部に引き返してバルバトスに事情を説明するのは時間がかかり過ぎる。暴力地獄の中を歩き回ってアムリタの運送を引き受けてくれる悪魔を探すのも容易ではない。
どうしたものか? と悩みながら歩いている内に、樹流徒は中庭の前を通りかかった。
さっきまで中庭にはガネーシャとアプサラスしかいなかったのに、今は百体近くの鳥人が動き回っている。今夜から始まる祝勝会の準備をしているのだろう。彼らは机や椅子を運んだり、焚き火に使う薪や大きな木材を庭の真ん中に集めたりと忙しそうだ。逆にガネーシャとアプサラスの姿はいつの間にか消えていた。辺りが騒がしくなってきたのでどこか別の落ち着ける場所へ移動したのだろう。
何気なく樹流徒が中庭の光景を見ていると、激しく動き回る鳥人たちに紛れてアンドラスとデカラビアの姿があった。彼らは黄金の山を前にはしゃいでいる。そういえばアンドラスが受け取る報酬は黄金だった。
「そうか……」
彼らの姿を見た瞬間に樹流徒は答えを得た。アムリタを現世に届けてくれそうな悪魔を発見したのである。よくよく考えてみれば“彼”以上の適役はいなかった。
樹流徒は急いで中庭へ降りる。そしてアンドラスの元へ。
「アンドラス」
「おっキルトじゃん。ついさっきガネーシャから聞いたぜ。アムリタを貰いに行ったんだろ?」
「そうだ。無事こうして手に入れる事ができた」
「おお! 良かったじゃん。オレも黄金が手に入って最高の気分さ」
「この黄金を硬貨に換えて悪魔倶楽部で飲み食いするんだったな」
「ああ、数年は店に入り浸れるぜ。今度一杯奢ってやるよ」
「酒は飲めないけど、ありがとう。ところで話は変わるんだが……」
樹流徒は早々にあの話を切り出す。
「実は一つお前に頼みがある」
「なんだよ改まって。頼みって?」
「唐突で悪いが、このアムリタを現世の仲間に届けて欲しいんだ」
アムリタを現世に届けてくれそうな悪魔はアンドラスしかいない。樹流徒はそう確信していた。
降世祭の決闘では敗れたもののアンドラスの実力が悪魔の中でも上位にあるのは間違いない。彼ならば多分安全にアムリタを現世まで運べるだろう。あとはアンドラスが首を縦に振ってくれるかどうかだが……
アンドラスは決して嫌な顔はしなかった。ただ、二つ返事で了承もしなかった。
「そりゃまた結構大変なお使いだな。現世の仲間に届けて欲しいってことは、つまりニンゲンに届けるってコトなんだろ?」
「イブ・ジェセル……天使の犬のメンバーだ」
「ああ。だろうと思ったよ」
天使の命令で動く組織イブ・ジェセルは悪魔にとって忌むべき存在だ。彼らにアムリタを届けて欲しいと言われても、大半の悪魔は引き受けないだろう。ただアンドラスは現世かぶれの悪魔だ。人間に好意を持っている。アンドラスを置いて他にアムリタ運送を頼めそうな悪魔はいない、と樹流徒が思った最大の理由はそこにあった。
アンドラスはやや表情を曇らせる。
「うーん……。ちょっと難しい相談だな。ニンゲンにアムリタを届けること自体は良いんだけど、現世に行くのが厳しい。数十日前なら兎も角、今は現世に天使がいるって話だし、妙な生物もうろついてるからな」
「そうか……」
色よい返事が貰えず樹流徒はただ頷くしかなかった。残念だが無理強いはできない。アンドラスが言った通り、いま現世は危険な場所だ。魔都生誕直後の無人街とは違う。悪魔、天使、そしてネビトが入り乱れて戦闘を繰り広げている危険区域なのである。幾らアンドラスが強い悪魔でも無事魔界に帰って来られる確証は無かった。
かくなる上は別の悪魔に頼むしかない。そう思って樹流徒が差し出そうとしたアムリタの壺を胸元へ引き寄せると……
「と、言いたいトコだけどやってやるよ」
厳しい表情から一転、アンドラスが笑った。
意外な返答に樹流徒は顔を上げる。
「いいのか?」
「まあな。キルトにはアミトに殺されかけたとき助けてもらったし。それにオレたちもう友達みたいなモンじゃん? というかもう友達だろ?」
言って、カラス頭の悪魔は樹流徒の肩を叩く。
友達。悪魔にそんなことを言われたのは初めてだった。思いも寄らない言葉に樹流徒の視線が泳ぐ。
しかし彼はすぐにアンドラスの顔を真っ直ぐ見て
「ありがとう」
様々な感謝を込めて言った。
一方、アンドラスの後ろにいるデカラビアは何も言わない。さきほどからずっと黙って二人の会話を聞いていた。
「で……その壷を天使の犬に渡せば良いんだったよな?」
「ああ。中身がアムリタと言えば必ず受け取ってくれるはずだ。渡す相手は組織の人なら誰でも良い。けれどもし可能ならば渡会という人に届けて欲しい」
「ワタライだな? よーし任せとけ」
「渡会さんに届けるのはあくまで可能ならばの話だ。くれぐれも無理はしないでくれ」
樹流徒は念を押した。理想の展開は渡会の手元にアムリタが届くことだ。渡会から八坂兄妹にアムリタを手渡して貰えば、いつか渡会が過去の真実を皆に告白するきっかけになるかもしれないからである。ただしあくまで最優先すべきなのはアムリタが無事早雪の元に届くこと。無理を押してまで特定人物の手に渡るよう仕向ける必要は無かった。
「分かったよ。最低でもアムリタを無事に届ければいいんだろ?」
言って、アンドラスは壷を受け取った。
あとはもう彼を信じるしかない。無事にアムリタが早雪の元へ届くよう樹流徒は祈った。
両手で大事そうに壷を抱えたアンドラスは、背後に浮いているデカラビアを振り返る。
「なあデカラビア。悪いけどオレ、ちょっと用事ができたんだ」
「全部聞いてましたよ。現世に行くんですね」
「そ。だからオマエとはここで一旦お別れだな。また今度アクマクラブで落ち合おうぜ」
「いいえ。その必要はありませんよアンドラス君。私も一緒に現世へ行こうじゃありませんか」
「は?」
デカラビアから返ってきた言葉が甚だ予想外だったのだろう。アンドラスは目を皿にする。
「何を驚いているのです? その壷を天使の犬畜生どもに届けて差し上げれば良いのでしょう? その程度、魔界最強の悪魔と謳われるこのデカラビアなら造作もありません。現世旅行も兼ねれますし一石二鳥というものです」
「本当にいいのか? でもどうして?」
樹流徒が問うと、デカラビアは空気が萎んだ浮き輪のような体を軽く反らす。
「いいですかキルト。このデカラビア、たとえ花一輪とはいえニンゲン風情に借りは作りません。ですから頂いた花の代わりにアムリタを届けて差し上げようというのです。それ以外の理由は一切ありません」
三つの目玉が照れ隠しをするように隅へ寄った。
アンドラスは珍しい物を見た顔をする。
「なんだよ。オマエ意外とカッコイイところあるじゃんか」
「違いますよアンドラス君。私は常に格好良いのです」
そう言い返すと、デカラビアはおもむろに前へ出て樹流徒のすぐ傍まで寄った。そして彼の耳元でこう囁く。
「ところでキルト。モノは相談なんですが旅費として紫硬貨を何枚か頂けませんかねェ?」
「旅費?」
「いえいえ勘違いしないでくださいよ? これは決して卑しい気持ちで言っているワケでは無いのです。ただ現世に行くともなれば色々と準備が必要になりましてねェ……」
「オマエいま凄い勢いで格好悪くなってるぞ」
アンドラスはこれまで以上に呆れきった目でデカラビアを見た。
デカラビアは一つ咳払いをして、樹流徒を見上げる。
「それはそうとオマエはこれから何をするんです? 自分で現世に行けない理由でもあるんですか?」
「ああ、そういやそうだな」
デカラビアの質問でアンドラスもその疑問に気付いたようである。どうして樹流徒は自分で現世に行かないのか? その理由を、悪魔二体の瞳が問う。
「俺はこれから魔壕へ行かなければいけないんだ」
樹流徒が答えると、アンドラスの目元が少し鋭くなった。
「へえ、魔壕にねェ。じゃあ、あの光滅の塔を通るんだな」
光滅の塔には魔壕へと繋がる魔界血管がある。必ず通らなければいけない場所だ。
「あの塔はちょっと厄介ですよ。下手したら死にますからね」
「そうなのか?」
「ええ。実はあの塔には……」
デカラビアがそこまで言った時。
「キルト様」
背後から飛んできた声が三人の会話を遮った。
声がしたほうを振り返ると、鳥人がこちらに向かって駆けてくる。
鳥人は三人の前で立ち止まった。そして何の用事か樹流徒が尋ねるよりも前に答える。
「ガルダ様の命により、この私がアナタ様を光滅の塔までご案内いたします」
「ガルダの命令?」
「はい。アナタ様が無事光滅の塔を通過したのを見届けてから戻ってくるよう仰せつかっております」
「そうなのか……」
樹流徒は顔を上げて宮殿の最上階を見上げる。先ほど別れたばかりのガルダに心の中で感謝を述べた。
「では光滅の塔についてはその者にでも聞くと良いでしょう。私とアンドラス君は今夜の宴で派手に飲み食い……じゃなくて英気を養ってから現世へ向かいます」
デカラビアは三つの目玉をくりくりと動かした。




