表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
262/359

降世の儀



 決闘という名の嵐が過ぎ去り、物々しかった会場内の雰囲気が大分落ち着いてきた。

 リング上に誰もいなくなってからそろそろ一時間くらい経つ。宿敵アナンタとの接戦を制したガルダが自力で戦士の間に帰還。彼の勝利を樹流徒たちが祝福し、それに対しガルダが礼を言い、太陽の国の勝利を全員で喜んだ。その余韻も少しばかり冷めてきた頃である。

「もう間もなく降世の儀が始まるぞ」

 急に思い出したようにガルダが言った。


 降世の儀。その言葉は樹流徒も一度だけ耳にしている。たしか「祭りの最後に行なわれるもの」らしいが、それ以上詳しいことは知らなかった。

「降世の儀っていうのは祭りの閉会式でもあるし、この世界が変わる儀式でもあるんだ」

 詳細を知らない樹流徒にアンドラスが教えてくれた。暴力地獄は降世祭の結果次第で世界の構造が変わる。今回は太陽の国が勝ったので三千年続いた世界の姿がようやく生まれ変わるのだ。それを行なうのが降世の儀だという。

「楽しみね。これから儀式が始まると思うと心が躍るわ」

 まさに世界再構築が目的で決闘に参加したアプサラスは念願かなって嬉しそうだ。

「しかし具体的にどんな儀式で世界を変えるんだ?」

 樹流徒が素朴な疑問を返すと、それにはガネーシャが答える。

「この降世殿に“ブラフマー”を迎えるんだよ。彼が世界を生まれ変わらせてくれるのさ」

「ブラフマーというのは悪魔なのか?」

「どうなんだろうね。ブラフマーは千年に一度だけこの暴力地獄に現れる偉大な存在だ。普段はどこにいるのか分からない。魔界にいるのかすらも不明だから、彼を悪魔と呼んで良いのかも分からない。ただ暴力地獄の悪魔たちはブラフマーを悪魔とは少し異なる存在と見ているよ」

「悪魔ではない偉大なる存在か……」

 それは一体どのように現れどのような姿をしているのか。樹流徒は純粋に興味を惹かれた。


「ブラフマー降臨の儀式は建物の中で行われる。しかし降世殿に残る者は少ないだろう。窓の外を見てみろ」

 ガルダが言う。

 樹流徒は格子窓から会場の様子を覗いてみた。すると客席を埋め尽くしていた観衆がいつの間にやら出口に集まり始めている。全員外に出ようとしているようだ。

「あの悪魔たちは今から降世殿の前に集まってブラフマーの降臨を待つつもりだ。ブラフマーの姿は降世殿の中よりも外からの方が良く見えるからな。それに壁に囲まれた建物の中からでは世界が生まれ変わる瞬間を見届けられないだろう」

「なるほど。そういう理由で……」

「降世殿に残るのは儀式を行う者たちだけというわけだ」

 ガルダの説明に樹流徒は納得した。現に客席に残ろうとする悪魔は誰もいない。皆決闘の余韻を引きずった顔付きと足取りで降世殿を去ろうとしている。


「俺たちは外に出なくても良いのか?」

「心配無用だ。もうすぐあの兎が迎えに来てくれる」

「兎? ああ。あのちょっと口が悪いヤツね」

 アンドラスが笑う。

 僅かに遅れてドアが勢い良く開いた。噂をすれば影。例のピンク兎がやって来たのである。

「ごきげんようテメーら。口汚い兎が来てやりましたよ」

 アンドラスの話が聞こえていたのだろう。兎は不愉快そうにエセ敬語を喋る。

「俺たちを外まで案内してくれるのか?」

 樹流徒が尋ねると

「おう。特等席に連れてってやるよ」

 兎は本来の調子に戻って言った。この悪魔、相当短気だがアンドラス以上に怒りが持続しないタイプのようだ。


 樹流徒たちは揃って戦士の間を出た。ガルダの動きが若干ぎこちない。アナンタ戦のダメージが残っているのだろう。片足を引きずるように歩いている。それでも傷の痛みを決して言葉や表情に出さないあたり、流石は一国の王である。満身創痍で戦いを終えたアンドラスとガネーシャはすっかり元気になっているのでガルダもしばらく経てば全快するだろう。

 五人の戦士は兎に案内されて廊下を進む。廊下の突き当りから始まる長い坂を下り、それを何十往復もするとやがて前方に出口が見えてきた。外の月明かりがうっすらと射し、その上で松明の真っ赤な炎の光が踊っている。降世殿内部の景色とはこれでお別れである。


 外へ一歩踏み出すと異形の垣根が待ち構えていた。太陽の国の支持者を中心に大勢の悪魔が集まっている。彼らはガルダを見るなり興奮した。

「よくやってくれたガルダ。他の戦士たちも。オマエたちは最高だ」

「オレは初めから太陽の国が勝つって分かってたぜ」

「素晴らしい戦いだった。こんなに楽しい決闘を見たのは久しぶりだったよ」

 嬉しそうに叫ぶ悪魔たち。彼らの笑顔を見ながら樹流徒たちは先へ進んだ。


 悪魔の垣根を抜けて降世殿の正面に回るとそちらにも大勢の悪魔が集まっていた。降世殿の前に収まり切らない異形の者たちが花畑の中にまで長蛇の列を作っている。

 花畑の中には木造の(やぐら)みたいな物が立っていた。樹流徒たちが会場入りしたときには無かったものだ。決闘が行なわれている最中に用意されたのだろう。短時間で設置したにしては随分と大きくて立派な造りだった。人間だったら百人は乗れる。

「あれは我々戦士のみが上ることを許された舞台だ」

 ガルダが言う。なるほど。先ほどピンク兎が言っていた特等席とはあの櫓のことだったらしい。

 ふと遠くを見れば、花畑の真ん中に大挙した異形の群れを挟んで反対側にも同じ櫓があった。そちらは月の国専用の櫓である。既にカーリーやラーヴァナら戦士たちが上にのぼっていた。ただしアナンタの巨体が乗るのはどう考えても無理だ。そのため彼は大人しく櫓の隣に立っていた。十数匹の大蛇が宙で蠢いている。ガルダとの決闘で消滅した大蛇の首は早くも八割方再生していた。

 また、アナンタの周りには大勢の悪魔が集まっていた。きっと月の国の支持者だろう。怒りの表情や、悔しそうな顔や、割とあっさり敗北を受け入れたような顔が並んでいた。彼らは月の国の戦士に罵声を浴びせたりはせずにじっと黙っている。決闘の応援で気力を使い果たし最早怒るだけの余力が残っていないのかもしれない。とにかく静かだ。


 樹流徒たちは花畑を歩いて櫓の下にたどり着く。

「じゃあな。オレの役目はここまでだ」

 先頭のピンク兎はそれだけ言って樹流徒たちに背を向けた。すぐさま身軽に飛び跳ねてあっという間に群集の中に埋もれてしまう。一度だけこちらを振り返ったような気もしたが樹流徒の見間違いかもしれない。

 太陽の国の戦士たちは梯子(はしご)を使って櫓に上った。彼らの足元に集まった悪魔たちが今一度わっと歓喜の声を上げる。その中にはガルダの配下である六名の鳥人たちの姿もあった。

「オレたちが勝ったっていう実感が湧いてくるよなぁ」

 アンドラスは気持ち良さそうに眼下の光景を見回しながら言う。折角良い気分に浸っている彼に捨て石作戦のことは話さないほうが良いだろう。

「こういうのもたまには悪くないわね。また決闘に参加しようかしら」

 本気か冗談かアプサラスが言った。


 時を同じくして降世殿の中でも動きが起こり始めていた。リングの南北から檻が現われて踊り子と楽器を持った悪魔が合わせて十数名、静かな足取りで出てくる。黒猫の悪魔バステトもそこにいた。

 彼らは降世の儀を執り行う者たちに違いない。バステトを含めた十数名の悪魔はリング中央に固まり、その場でじっと佇んで間もなく訪れる儀式の時間を待つ。


 ほど経て降世殿入り口より少し高い位置に異形の影が浮かんだ。

 トキの頭部と人間の胴体を持つ悪魔である。古代エジプトの衣装を思わせる白い服を纏い頭には月と太陽を上下に重ねた黄金色の装飾品を被っている。

 たしかこの悪魔は開幕式にも登場した。降世祭の運営進行役を任されているトートという名の悪魔だ。


 降世殿の前に集まった異形の眼が一斉にトートへと注がれる。樹流徒たちの足下で歓声を上げていた悪魔たちが揃って口を閉じた。辺りは急に静かになる。私語を漏らす者は誰もいなかった。

 厳粛な雰囲気の中、トートはおもむろに口を開く。

「それではこれより降世の儀を執り行います」

 たった一言それだけ言って彼は消えた。宙に浮かぶ異形の姿が空気に溶けて無くなる。


 出し抜けに遥か高い場所から硬い物同士が擦れる音が鳴った。降世殿の天井が開く音だ。

 天井が全開になって少し経つと、今度は建物の中から微かに笛の音が鳴り響いてきた。ついに降世の儀が始まったのである。

 数時間前まで戦士が激戦を繰り広げていたリングの上でバステトたちが踊っている。開会式の派手な踊りとは違い優雅で悠然たる舞いだった。その周囲では笛や弦楽器を持った悪魔たちが静かな音色を奏でている。開幕式で見事な演奏を見せた女性型の悪魔サラスヴァティーも琵琶と似た楽器を鳴らしていた。ブラフマーを迎えるための踊りと音楽なのだろう。


 樹流徒たちは黙して時が訪れるのを待つ。降世殿から微かに聞こえる美しい音色と松明の火がパチパチと燃える音だけがしばらくのあいだ夜のしじまに漂っていた。


 待ちに待ったその時が訪れたのは、月がやや沈み降世殿の影が東へ一歩長く伸びた頃であった。

 粛々と儀式が続く中、これまで固く静寂を守っていた悪魔たちの口々からどよめきに近い静かな声が漏れる。建物の中から聞こえていた曲がぴたりと止んだ。誰も手を触れていないのに松明の明かりが一斉に消える。降世殿を囲う炎も、花畑に突き立てられた松明の火も、全てが沈黙した。この瞬間を待っていたとでもいうのか。今までずっと輝き続けていた月までもが暗雲の裏に隠れる。完全な闇の中、ゆるやかな風が吹いて花畑から柔らかい香りが匂い立った。


 見えない糸に引っ張られるように悪魔たちが一斉に空を見上げる。降世殿のリングにいる者たちも真上を仰いで全開になった天井を通して夜空を見つめた。気付けば樹流徒も皆と同じ場所を見ていた。


 天高く張り詰めた暗雲の奥に大きな光が浮かぶ。神々しい黄金色の光だ。降世殿の頭上に出現したその光は雲を払って広がる。そして地上へと降り注ぎ降世殿と周辺の大地を優しく包み込んだ。樹流徒たちも光に包まれる。優しい光だ。全身がほのかに暖かくなった。

「偉大なる者。ブラフマーよ……」

 誰かが呟いた。

 黄金の光の中に異形でありながら神々しい姿が浮かび上がる。水鳥の背に乗った、四つの顔と四つの腕を持つ老人だ。赤ずんだ肌の上から金色の刺繍が施された朱色の衣を纏っている。四本の手には聖典、数珠、弓、そして小さな壺を携えていた。

 この世界の千年を創造する者――ブラフマーが天空より降臨したのである。樹流徒は瞬きもせず空に輝く黄金の光とその中心に浮かぶ老人の姿を仰いだ。


 ブラフマーは慈愛に満ちた瞳でゆっくりと地上を見渡す。彼はまず降世殿のリングに目を落とした。儀式を行なっていた悪魔たちの中からサラスヴァティーの姿を見つけて彼女を愛しそうに見つめる。続いて世界を遠望し、深く澄んだ目に砂の大地を映した。そのあと花畑の中に集まった異形の者たちを映し、アナンタの姿を映し、ガルダの姿を映す。最後に樹流徒の姿を見たとき、黒い瞳孔が心なしか広がった。


 下界の光景を存分に眺めたブラフマーは四本の手を胸の前に重ねる。手に持った聖典、数珠、弓、小さな壷がそれぞれ白い光を放ち、その中心から大きな水の塊が生まれた。透明な水は絶えずゆらゆらと形を変えながら宙に止まる。ブラフマーは水の上でもう一度四本の手に持った物を重ねた。すると黄金色に輝く卵が虚空より現れて水の中に沈む。

「ヒラニヤガルバ」

 という謎の単語が悪魔たちの口々から漏れる。黄金の卵の名称らしい。


 黄金の卵――ヒラニヤガルバが半分に割れた。卵の中から虹色の光が放たれる。それは天へ地へ、世界の至る方向へ広がってゆく。闇が晴れ青空になる。月の姿はもう無くブラフマーの背後で太陽が輝いた。緑に輝く風が世界を吹き抜ける。砂の大地から青々とした草が背を伸ばし色とりどりの花が繚乱と咲き誇った。大地が割れて清らな水が湧き出し川となって流れる。毒々しい沼は鏡よりも鮮明に空を反射する大きな水たまりとなった。果実をつけた大樹が茂り広大な森を作る。どこからともなく現われた鳥や動物や魚や虫たちが大自然の中を動き回る。世界は美しさと生命に満ち溢れた。


 悪魔たちの口から驚嘆の吐息が漏れる。感動と喜びに四肢が震える。どんなに恐ろしい形相の悪魔も今だけは目を宝石のように輝かせていた。

 世界再構築を終えたブラフマーはどこかへと帰ってゆく。彼を乗せた水鳥は太陽を目指し空の彼方へと消えていった。その背中を大勢の悪魔たちが見送った。


 儀式は無事に終わった。突然夢から覚めたように悪魔たちは一人また一人と我に返り、その場から歩き出す。生まれ変わった大地を踏みしめる。

 次の千年を夢見て、降世祭は幕を閉じた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ