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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
261/359

太陽の鳥と漆黒の月



 それからしばらく激しい攻防が続いた。十数匹の大蛇を駆使してほぼ絶え間なく攻撃を放つアナンタ。相手の猛攻を極力避けながら隙を突いて反撃に転じるガルダ。この構図が何度も繰り返された。

 アナンタが十発攻撃を食らうあいだにガルダも一度は反撃を受けている。いつのまにかガルダの体もアナンタに劣らないほど傷だらけになっていた。火力の高さは比べようもない。ガルダが相手に百の傷を与えてもアナンタはニ発か三発反撃を成功させれば同等のダメージを奪い返してしまう。理不尽を感じるほど一撃の差があった。今の調子で戦いが長引けばどちらが先に力尽きるか明白だ。観衆もそれを分かっている。太陽の国を応援する声に段々と元気が無くなってきた。


「いくら地上戦でもガルダがあそこまで攻められるとは思わなかった」

 アンドラスは少し意外そうだ。彼の物言いからして今日のアナンタはガルダ以上に調子が良いらしい。いつも以上に攻撃が命中しているようだ。

「ただでさえ重力場の解除に失敗して苦しいのに。これでは益々ガルダに勝ち目は無いわ」

 アプサラスがそんな風に言っている間にもリング上ではガルダがまたも大蛇の頭突きを受けて地面を転がっていた。


 その頃客席では――

「ガルダは絶対に勝つ」

 二階席最前列に立つヒトコブラクダの悪魔ウヴァルは太陽の国の勝利を信じていた。

 彼は言う。

「ガルダは今の戦法を続けていれば良い。いくら頑丈なアナンタでもそろそろ傷の痛みを感じ始めているはずだ。きっともう一押しで倒せる」

「無理だな。もう一押しで倒れそうなのはどちらかといえばガルダのほうだ」

 隣から否定的な意見が飛んできた。

 ウヴァルは横目を使ってそちらを睨む。二体の悪魔が涼しげな顔で立っていた。中性的な容姿と生物感が無いマネキンじみた肌を持つ悪魔――タウティとザリチェである。

「ガルダ自身も今のまま勝てるとは思ってないさ」

 赤い短髪のタウティは重ねてウヴァルの言葉を否定する。

 続いて銀髪褐色肌のザリチェが戦場を指差した。

「ガルダの表情を見ろ。今の状況を打破するために何か仕掛けるつもりだ」

「え」

 ウヴァルは視線をガルダに移す。

 ガルダは決意の表情で敵を睨んでいた。確かにこれから何かしそうな気配がある。

「危険を承知で重力場を解除する気だろうな」

 とタウティ。

 彼(女)が言い終えるよりも早いか、会場がどよめいた。


 これまで極力アナンタから離れて戦っていたガルダがはじめて自ら接近戦を挑んだのである。彼は翼を羽ばたかせ超低空を這う風となった。アナンタの懐に潜り込んで重力場を発生させている紫目の大蛇を討つつもりか。

 接近を許すまいと大蛇の首が迎撃する。ガルダの正面から、側面から、そして上から、巨岩よりも硬くて大きな頭が突っ込んだ。ガルダは鋭い角度で飛行の軌道を変え大蛇の間をすり抜ける。その動きはまさに稲妻の如し。

 ただ、それであっさりとアナンタの懐に入り込めるならガルダが接近戦を仕掛けるのに苦労は無い。

 最初の迎撃が失敗に終わったと見るやアナンタは全身の表面から黒い砂を放出した。浴びればいかなる悪魔も身動きが取れなくなる恐ろしい砂だ。

 ガルダは一旦相手への接近を諦めてアナンタの周りを高速旋回する。それを撃墜しようと大蛇から岩塊や氷塊や泥の渦が飛んで戦場に乱れ舞った。

 アナンタから放出された黒い砂は空気に乗ってふわふわと浮かび上がる。しかしいま戦場には特殊な重力場が発生している。高い位置にある物体ほど強い重力を受けるのだ。そのため黒い砂は降世殿の七階席あたりの高さに留まった。そしてほどなくして空気に溶けて勝手に消滅した。


 黒い砂の消滅を確認したガルダは再度アナンタへの接近を試みる。しかし大蛇の口から絶え間なく飛び出す様々な物体が激しい弾幕となってなかなか懐への侵入を許してもらえない。

 仕方なくガルダは相手と距離を取る。そして頃合を見計らってまた懐へ飛び込もうとする。何度も接近を試みながら、その合間合間に攻撃を繰り出してアナンタへの牽制とダメージの蓄積を行なった。


 アナンタも負けていない。ガルダが懐に飛び込んできたところを狙って迎撃を行う。喉の奥から針状の小さな石つぶてを何千と発射していとも容易くガルダに命中させた。両者の距離が縮まればその分だけ攻撃が当たりやすくなるのは当然である。

 アナンタが吐き出した石の針はガルダの肩に埋まった。ガルダは翼を広げて低空を後ろ向きに滑空しながら指を使って体内の石針を無理矢理ほじくり出す。

 その間ただじっと成り行きを見守っているアナンタではない。今度こそガルダを亡き者にしようと大蛇の首が七本も並んで猛然と突っ込んでいった。

 ガルダは急発進してその場から逃れる。無秩序に並んだ七本の首は波打つ一本の大河に見えた。それはガルダのつま先をかすめて砂の地面に激突する。凄まじい衝撃で砂煙が人の背よりも高く舞い上がった。


 寸でのところで危険を脱したダルダだがすぐ次の危険に襲われる。大河の濁流から逃れた先に絶妙なタイミングで氷塊が飛んできた。アナンタにしては狙い済ましたような一撃である。

 回避はできない。ガルダは咄嗟に全身の間接をねじ曲げて複雑に体を捻り空中で回し蹴りを繰り出した。ガルダの脚は鋭く振り抜かれる最中に大きな竜巻を纏い、飛来してくる氷塊を粉々に打ち砕く。

 砕けた氷塊の破片がガルダの頭部や腰や脚に命中した。その程度のダメージに彼は構っていられない。砕け散った氷塊が次々と地面に突き刺さったときにはもう赤い砂が嵐となってガルダの目前に迫っていた。それは言うまでも無く大蛇の口から吐き出されたものである。


 氷塊を砕くことはできても砂を砕くことはできない。猛烈に吹き荒れる赤い砂嵐がガルダを包んだ。

 ガルダは風の勢いに逆らえず吹き飛ばされる。彼の体は一発の弾丸となって二百メートル以上離れた魔空間の防壁に衝突した。それだけでも十分なダメージに違いないが、ガルダには更なる苦痛が待っていた。彼の全身に付着した赤い砂が燃え出したのである。無数の小さな火種がガルダの皮膚を焼く。

「う……ぬ……」

 ガルダの口からうめき声に近い苦りきった声が漏れた。


 長距離から電撃が飛んでくる。ガルダは体の痛みを押して砂を転がり回避。すぐさま翼を広げて超低空を疾走。アナンタとの距離を詰める。あくまで接近戦を挑み続けるつもりだ。

 アナンタから泥の渦と岩の針が飛んでくる。ガルダは飛行の軌道を変えて回避。すぐさま掌を前に突き出して反撃を行った。

 彼の手から緑色に輝く小さな球体が放たれる。小石程度の大きさしかない。それは戦場を高速で飛び交う物体の中でもさらに頭抜けた速度で飛翔しアナンタの胴体に着弾した。途端、弾ける。小石程度の物体が視認不可能な速度で膨張しアナンタの半身を包む球状の竜巻に変化した。緑の光が無数の線となって高速回転する。真空の刃が大蛇の鱗に数千の細かい傷跡を刻んだ。光の槍ほどではないにせよ恐ろしい威力である。


 ただし真に恐ろしいのは、それだけ強力な一撃を浴びている最中に反撃するアナンタだった。

 水色目の大蛇が白く輝く息を吐いた。それは宙に解き放たれると前方に向かって山の裾野のように広がる。虚を突かれたのか、ガルダはほとんど動けず白い輝きの中に飲み込まれた。

「何だあれは?」

 そう言って格子窓に顔をくっ付けたのはガネーシャだった。ガルダとアナンタの対戦を何度も見ている彼がアナンタの攻撃に驚いている。

 アプサラスも意外というような目をしていた。

「私もあの攻撃を見たのは初めてよ。きっとアナンタが新しく身につけた能力ね」

 キラキラと輝く息に飲み込まれたガルダは全身真っ白になっていた。

 アナンタが吐き出したのは強力な冷気だったらしい。それをまともに浴びたガルダは動きが急激に鈍った。彼は険しい顔で四肢を動かしその場から離脱を図る。が、そこへ無情の一撃が飛んだ。アナンタが思い切り体を捻って尾を振り回したのだ。

 過去に樹流徒も半身半蛇の悪魔ラミアから尾の一打を浴びた経験があるが、アナンタの尾はスピードも威力もその比ではなかった。数台のトラックを繋いだにも等しい大きさの尾が列車の如き勢いでガルダにぶつかる。弾き飛ばされたガルダの体は魔空間の防壁に叩きつけられた。防壁の向こう側にいる悪魔が驚くほど凄い音が鳴った。

「ダメだ。やっぱりアナンタの懐に飛び込むなんて無茶だったんだ。今からでも遅くない。極力遠距離で撃ち合う戦法に戻したほうがいい。そうするべきなんだ」

 客席でウヴァルが一人ぶつぶつ言っている。


 もうこれで何十回目か。アナンタの頭部がガルダを襲う。ガルダは跳躍して回避。そこへ第二の大蛇が迫ってきた。ガルダはすぐさま翼で空気を叩きつけてひらりとかわす。同じ要領で第三、第四の大蛇もやり過ごした。続いて巨大な電撃と岩塊が飛んでくる。それも上手くかいくぐって、ようやく反撃の機を得た。

 ガルダは腕を横に振り払う。その軌道に沿って空気が歪み半月状の刃が生まれた。それは紫目の大蛇に狙いを定めて飛翔する。当然ガルダの思い通りにはいかない。別の大蛇が身を挺して紫目を守った。重力場の消滅を妨害する。


 ガルダは攻撃を放った直後にアナンタへ接近した。すぐさま何頭もの大蛇が集まってガルダの行く手を塞ぐ。

 青目の大蛇が吹雪を吐き出した。ガルダは上昇してかわす。そのままアナンタの首が届かない高さまで逃れたが特殊な重力場の影響を受けて下降した。そこを狙って電撃が走る。巨大な雷の柱がガルダの脚に触れた。

 意に介さずガルダは反撃。両手に小さなつむじ風を生むとアナンタに向かって放つ。二つのつむじ風はそれぞれ竜巻となって大蛇の首と胴体を抉った。攻撃を食らいながらアナンタは石の針を吐き出して応戦。ガルダは器用に翼を操り真横に滑って難を逃れる。即座に紫目の大蛇を睨みつけそちらへ向かって羽ばたいた。

 すぐに大蛇の首が集まって巨大な壁となりガルダの前に立ち塞がる。このままではキリが無い。ウヴァルが言った通り、アナンタの懐に入り込むなど不可能だ。


 ガルダはどうするつもりだ? 意地でもアナンタに接近する気か? そんなことができるのか? 熱心な観衆の視線がガルダの一挙手一投足を追う。


 ガルダは信じられない行動に出た。彼は真っ直ぐ突っ込む。眼前に固まる大蛇の群れに自ら突進したのだ。

 無謀だ! 言葉にはしなかったが、樹流徒は心の中で断言した。いくらなんでも大蛇の隙間をかいくぐって相手の懐に飛び込むなど無茶が過ぎる。

 暴挙とも取れるガルダの行動に観衆も驚いた。彼らが「あっ」とか「おっ」とか言っている内にもうガルダは大蛇の群れに包囲されていた。

 ガルダは両手を交互に振り払い、四方八方へでたらめに真空の刃を飛ばす。それでもアナンタは怯まない。攻撃を受けて血を流しながらも包囲した獲物を決して逃さなかった。


 琥珀色の目をした大蛇がガルダの体に巻きついた。そのまま彼の体を締め付ける。すぐに硬くて嫌な音がした。骨が折れた音だろう。ガルダの瞳が一瞬苦痛に歪んだ。


「もうダメね……。一度アナンタに捕まったら逃れる術は無いわ」

 アプサラスがガルダの敗北を確信する。

 異を唱えたのはガネーシャだった。

「でも、いくら不利な状況とはいえ冷静なガルダがあんな無謀な行動に出るなんて、ボクにはどうしても信じられないよ」

「じゃあガルダは敢えてアナンタに捕まったのか? 逆転の手段があるっていうのかよ?」

 アンドラスが問うと、ガネーシャは黙る。果たしてガルダに今の状況を打開する手段があるかどうか、過去の対戦を振り返りながら考えているのだろう。

 その結果ガネーシャは一転自信が無さそうに呟いた。

「やっぱりダメかもしれないねぇ」

「もう! なんだよそれ。なあ……キルトはどう思う? ガルダに秘策があると思うか?」

「……」

 樹流徒の耳にアンドラスの質問は届いていなかった。それだけ樹流徒は観戦に集中していた。

 彼の真剣な横顔を見て、他の三人も無言になり窓の外に目をやる。


 ガルダの姿はもう見えなかった。大蛇の首が何本も重なってガルダの体を完全に包んでいる。

 このままガルダが終るはずが無い。ガルダはきっと逆転する。勝ってくれるはずだ。樹流徒はそう信じていた。信じると言っても、殆ど願望だ。アナンタに捕まったガルダがどうしたら逆転できるかなど分からない。リング上の光景を見れば見るほど状況は絶望的だ。でもこのままガルダに負けて欲しくない。何でもいいから現状をひっくり返す展開が起きて欲しい。そんな、奇跡を願うような心境だった。


 そのとき、戦場の中に一筋の光が生まれた。


 オレンジ色の暖かい光だった。それはガルダを閉じ込めた大蛇たちの僅かな隙間から漏れ出ていた。

 沈痛な面持ちでうつむいていた悪魔が額を上げる。アナンタの勝利を確信し小躍りしていた悪魔の手足が固まった。

 光の筋が二本、三本と増えてゆく。絡み合った大蛇の紐が急速に解けていった。

 優しいオレンジ色の光が力強い真っ赤に光に変色する。会場の気温が急激に上昇した。真夏も裸足で逃げ出すほどの熱気が会場に充満する。大蛇が恐れおののくように光から離れた。


 赤い輝きの中心にはガルダがいた。彼の体も真っ赤に燃えている。まるで太陽だった。

 ガルダの肉体を燃料に神々しく燃える光は次第に膨らんで最終的にはアナンタの半身を包むほどの大きさになる。光に触れた大蛇の肉体が崩れた。火中に放り込まれたロウソクみたくドロドロと。


 アナンタが初めて後ろへ退いた。ガルダと距離を取りながら吹雪や岩塊や泥の渦を吐き出す。恐ろしい敵に襲われた人間が近くにある物を手当たり次第投げつけるように。しかしそれらは全て光の中心にいるガルダに届く前に蒸発する。


 太陽と化したガルダはアナンタに突っ込んだ。待ち構える大蛇の首も、迎撃のために放たれた電撃も、そして大蛇の鱗から放出された黒い砂さえも、全てが真っ赤な光の前に溶けて無くなる。

 紫目の大蛇を守る者は誰もいない。ガルダはいとも簡単に狙っていた獲物を撃破した。リングを覆っていた黒ずんだ薄い光が晴れる。重力場が消滅したのだ。


 すぐさまガルダは天高く舞い上がった。今までリングの片隅でじっと身を守っていたヴォラックも降世殿の頂上目指し慌てて上昇する。

「まさかガルダがあんな切り札を持っていたなんて」

 ガネーシャは驚愕の目でリングを見下ろした。

「何だよ。あんな凄い力があるなら初めから使えば良かったのに」

「できるならそうしてたはずよ。でもそれをしなかったということは、今しか使える機が無かったということでしょうね」

 アンドラスもアプサラスも眼下の太陽を見つめる。赤い光を反射した二人の瞳は希望に満ちたようにキラキラと輝いていた。


 天井へ駆け上ったガルダは地上の標的をきっと睨む。そして足から急降下した。

 天から太陽が降る。地上の大蛇めがけて落下する。歓声と悲鳴の嵐が交差した。今こそ勝負の時。全てが決まる瞬間であった。

「行け! ガルダ」

 ガネーシャが珍しく興奮気味に叫んだ。両の拳を潰れるほど握り締めている。多くの観衆がガルダの大逆転勝利を強く予感した。それは彼らの表情を見れば一目瞭然だった。


 そんな中、樹流徒に突然の緊張が走る。ガルダが光の槍を呼び出したときに感じた恐怖と似た悪寒が不意に全身を這った。大蛇の頭部は太陽の光に焼かれて消滅し、生き残ったのは八本だけ。その全ての大蛇が瞳を金色に変色させたのだ。アナンタは何かしようとしている。とんでもない一撃を繰り出そうとしている。樹流徒は直感的に確信が持てた。


 太陽と化したガルダがアナンタと衝突する寸前、大地に月の幻影が浮かぶ。アナンタを中心として広がったその満月は影よりも暗い闇と吹雪よりも冷たい空気を帯びた。闇の満月は巨大な雷となって地上から天へと駆け上る。全てが瞬きする間も無い内に起きた現象だった。


 太陽が放つ熱と光。月が放つ雷と冷気。双方の力が衝突し、反応して白い光を生み出す。

 白光は大規模な爆発を起こして戦場のほぼ全体を飲み込んだ。爆発が起こす光はリングだけでなく降世殿の全体を埋め尽くす。余りの眩さに戦士の間にいる樹流徒たちでさえも目を開けていられなかった。


 光はすぐに止んだ。樹流徒が目を開けると地面に倒れる二つの影が見えた。

 ガルダとアナンタはリングの隅と隅まで吹き飛ばされていた。血と火傷にまみれた両者の肉体が衝突と爆発の威力を物語っている。

 二人は動かない。ガルダは指の先まで固まり、大蛇の瞳は全て光が消えていた。

 観衆は声を無くした。この状況で声を発することが重い罪であるかのように全員押し黙り、ただ成り行きを見守っている。


 降世殿の頂上まで逃れていたヴォラックはかろうじて無事だった。彼は慎重にゆっくりと下降する。両戦士が戦闘を続行できる状態かどうか確認するのだろう。双頭の竜は心なしか怯えた瞳をしていた。「こんな危険な戦場にこれ以上居たくない」と言いたげだ。対照的にヴォラックは冷静な目でガルダとアナンタの様子を交互に見ていた。


 するとヴォラックの瞳がある方向を見て急にピタリと停止する。地上に横たわる二つの影のうち片方が動き出したのである。


 動いたのはガルダだった。血と傷にまみれた体に鞭を打って彼は体を起こす。震える腕を伸ばし、防壁にもたれかかりながら何とか立ち上がった。

 会場が一旦ざわつく。すぐに静まって沈黙を取り戻す。ガルダは立ち上がった。じゃあアナンタは? 観衆の視線は自然とリングの端に倒れる大蛇へと注がれた。

 ヴォラックは急いでアナンタに近付く。

「アナンタ。私の声が聞こえるか? 意識はあるか?」

 声をかけても反応は無い。


 双頭の竜はアナンタの頭上を一周してからその場を離れた。そして未だ静寂に包まれた会場の中心までやってくる。

 ヴォラックは客席を見回し、声を張り上げた。

「最終戦……」


 ――勝者! ガル……


 途中で声が止まった。

 ヴォラックが勝ち名乗りを終える寸前であった。会場が我に返ってどよめく。

 完全に沈黙したかと思われた大蛇の首が動いたからだ。青目の大蛇が瞳の輝きを取り戻してのそりと首を持ち上げる。そして上下の顎を震わせながら大口を広げた。

「マズい。これは非常に良くないぞ」

「嘘だろ。こんなのアリかよ」

 ガネーシャとアンドラスが喚いている内に、大蛇の口から氷塊が発射された。それは凄まじいスピードでリングを横断してガルダのほうへ飛んでゆく。


 ガルダは観念した目をしていた。防壁に背中を預けて立っているのがやっとなのだろう。遠くから飛んでくる攻撃をかわす余裕も残っていないのだ。


 氷塊が衝突した。

 ガルダに……ではなく、壁に衝突した。ガルダから数メートル離れた防壁にぶつかって砕けた。

 氷塊の破片がバラバラに飛び散る。ガルダの足下にもひとつ転がる。

 それを見届けると大蛇の瞳からすっと光が消えた。アナンタは今度こそ力尽きた。


 ヴォラックは両戦士を交互に見やると、すっと息を吸い込む。

「最終戦。勝者、ガルダ!」

 その声は静寂に支配された降世殿の隅々まで良く通った。


「えーと。これって……」

 頭では分かっていても、心では状況が上手く飲み込めないのだろう。アンドラスが樹流徒たちの顔を見回す。

 樹流徒が小さく頷くと、徐々に、徐々にアンンドラスの目元が緩んできた。


 そしてついに歓喜の爆発。

「やったぞ! 勝った! ガルダが……オレたちが勝ったんだ」

 アンドラスが両手を突き上げる。しゃがれた声でグゲゲゲゲといつもより少し長めに笑った。ガネーシャとアプサラスが軽く抱き合う。

 ほぼ同時、会場が爆発した。本当に爆発でも起きたのかと勘違いしそうなほど激しい雄たけびが至る場所から放たれる。ガルダとアナンタが見せた生命の限界寸前まで使い果たした大勝負に、太陽の国の支持者も、月の国の支持者も、ただ単に戦いを見に来ただけの悪魔も最大級の喝采を送った。両戦士の名前を呼ぶ声が自然と起こる。歌も起こった。それは実に、アナンタが意識を回復してリングから退場するまでの約二十五分間、ずっと鳴り止むことなく続いた。


「ガルダもアナンタも全力で相手を倒すけど決してトドメは刺さない。そうすることで何度でも戦って、永遠に勝った負けたを繰り返す。それがガルダとアナンタとこの世界の宿命なのさ」

 何だか深刻そうな話なのにガネーシャは微笑ましいものを見るような目で誰もいなくなった戦場を見つめていた。


 こうして全ての戦いは終わった。


 第一戦。アンドラス対カーリーの勝負は、開始わずか二十秒で漆黒の地母神カーリーが圧勝。月の国が初戦を飾った。


 続く第二戦。序盤優勢に戦いを進めたガネーシャと、変身能力を駆使して反撃に転じた羅刹ラクシャーサ。両者の勝負は引き分けに終わった。太陽の国は一敗一分と早くも追い込まれた。


 もう一敗もできない第三戦。アプサラスとアミトによる女性型悪魔同士の対決となったこの一戦は、裏の読み合いと切り札の応酬になり、最終的にはアプサラスが勝利した。


 第四戦。戦士入場の際に観衆を最も驚かせたのがこの一戦だろう。太陽の国が送り込んだのはまさかの人間――首狩りキルトだった。対する月の国の戦士はラーヴァナ。ラーヴァナは二十の腕と武器を使い烈火の如き猛攻を見せた。しかし魔王ラハブを吸収したことで新たな進化を遂げた樹流徒は別次元の技を見せラーヴァナの攻撃を全てかわした。ラーヴァナは自ら敗北を認め降参した。


 そして運命の最終戦は会場中の誰もが知っている組み合わせ。ガルダ対アナンタである。両国の栄光。世界の行方。魔王の座。そして個人としての誇り。それら全てを賭けた両者の戦いは激しさを極めた互角のぶつかり合いだった。最後は紙一重の差でガルダが勝利をもぎ取った。


 五戦して三勝一敗一分。太陽の国は三千年ぶりの栄光を手中に収めたのである。




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