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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔都生誕編
26/359

命を賭けて



 マモンの右首が迎撃の炎を吐く。激しい火柱が宙を焦がしながら樹流徒を狙った。


 それを紙一重で避けて、樹流徒は左首への最短距離を行く。

 体をかすめた炎の熱が頬や肩に伝わった。耳元でチリチリと、服や皮膚の焼ける音がする。

 だが、覚悟を決めた樹流徒の足は止まらない。彼は構わず敵の懐に飛び込む。神経が脳に熱の痛みを伝えてきた頃には、両腕を使って悪魔の左首にがっちりとしがみついていた。


 マモンはこの時点で樹流徒の相打ち狙いに気付いたらしい。異形の両手が四本の爪を揃え、防御ががら空きになった青年の脇腹に突き刺した。

 同時、樹流徒の口から火炎弾が放たれる。左首の至近距離から撃ち込んだ一撃だった。この攻撃を右首が盾になって防ぐことは不可能だ。そのための相打ち狙いである。


 左首がギャッと短く甲高い奇声を発した。樹流徒の耳を(つんざ)く。


 黒ずんだ煙が少量立ち込める中、火炎弾をまともに浴びた左首の姿が露になる。

 クチバシから上が全て吹き飛んでいた。かろうじて残された口も、叫び声を上げたのを最後にぴくりとも動かない。

 樹流徒の勘は正しかった。左首に対して火炎弾は有効。いや、有効どころか、見る限り絶大なダメージを与えている。


 されど、マモンは左首を失いながらもまだ動く。痛みに悶える様子も無い。

「ニンゲンの分際でやってくれたな!」

 右首が頭部を小刻みに震わせながら、どこかで聞いたような台詞を吐く。明らかに激昂していた。先ほどまで見せ付けていた余裕を完全に失っている。


 マモンは爪先で、樹流徒の胸板を力いっぱい蹴り飛ばした。

 その衝撃に抗えず、樹流徒は後方へ軽く吹き飛ぶ。受身も取れず床に尻を着き、そのまま仰向けに倒れた。


 マモンが片首を失ってもなお生きているという展開は、樹流徒の中で一応織り込み済みだった。

 一方で、樹流徒にとって予想外だったのは、相打ちの時に受けた傷の深さである。痛みというものは堪えればある程度まで我慢できるが、樹流徒が受けた傷の痛みはその限度を超えていた。えぐられた両脇腹が狂ったように疼き、すぐには動けない。

 真っ白なシャツに赤黒い染みが広がってゆく。同色の液体が床にまで漏れ出した。


 虫の息となった樹流徒にとどめを刺すべくマモンがひたひたと迫る。鼻から出入りする息は荒々しく、白目の中は雷の如く血走っていた。


 樹流徒はまだ傷の痛みを堪えるのに精一杯で敵の接近に気付きながらも身動きが取れない。


 すると、突として一つの影が動き出す。

 詩織だった。彼女は素早く辺りを見回して足下に置かれた分厚い辞書に目を留めると、それを両手に持って立ち上がる。

 そしてマモンのすぐ後ろまで駆けると、尻込みすることなく右首めがけて辞書を投げつけたのである。


 ケースに収まった辞書は形状を保ったまま直線に近いなだらかな放物線を描く。

 しかし少女の腕力では大して飛ばない。宙を舞った辞書は恐らくマモンの頭部を狙っていたが、そこまで届かず標的の肩にぶつかって虚しく落下した。


 当然、そのような攻撃に威力など無い。マモンは全く意に介さなかった。背後から受けた一撃に対し、立ち止まったり振り返ったりするなどの挙動をまったく見せない。


 ただ、詩織はそれで大人しく引き下がったりしなかった。

 彼女はすぐ次の行動に移る。今度はマモンの胴体に体当たりをして、しがみついたのである。悪魔の前進を食い止めようとしているのだろうか。


 この行動に対し、今度はマモンが反応を示す。悪魔は自ら歩みを止めると、右首の頭を捻って恐ろしい目つきで詩織を見下ろした。

 間髪入れず「邪魔だ」と荒荒しい声を張り上げ、暴れ馬のように全身を揺らし、飛ぶ。


 マモンにしがみ付いた詩織の足は軽々と地から離れ、上下左右に振り回された。

 彼女はその状態で数秒の間粘ったが、すぐに限界が訪れる。

 マモンから手を離した途端、少女の体は宙に放り出された。派手に床を転がり、肩から壁に衝突して止まる。

 詩織は悲鳴を発さなかったが、微かに表情を歪めた。


 マモンはクチバシから深い息を吐くと、樹流徒の方に見返る。


 深手を負って仰向けに倒れていた樹流徒は、詩織が奮闘している間にようやく首だけ起こすことができた。

 視界は微妙に揺れている。彼は(まぶた)を薄くして目に力を込め瞳の焦点を合わせようとした。


 それが功を奏したのか、マモンの姿が鮮明に見えてくる。

 樹流徒は固く結んだ口の端を微かに持ち上げた。そうせずにはいられなかった。

 何故なら、マモンの左首が光の粒となって空中を漂い始めているからである。これこそが樹流徒の狙いであり、相打ちを覚悟してまで作り出したい状況だった。


 光の粒は樹流徒の体に引き寄せられ吸収されてゆく。樹流徒の傷が癒え、力が沸き起こった。

 ただし、吸収したのがマモンの左首だけだったせいか、傷は完治しない。これまでのマモンとの戦闘で受けた火傷や凍傷は幾つも残っているし、肩の爪痕やえぐられた脇腹の傷も完全には塞がりきっていない。全快どころか、樹流徒がなんとか立ち上がれる状態まで持ち直した程度である。


「オマエは生かしておかない。死体をコレクションに加えてやる」

 右首が狂気じみた声を震わせる。しかしその台詞を復唱するもうひとつの首はもう存在しない。


 樹流徒は敵の正面に立った。生死を賭けた博打はまだ終わっていない。これからが最後の勝負だ。


 一方、マモンは左首を失うという大きな痛手を負ったものの、残された右首や胴体には、樹流徒の爪も火炎弾も通用しない。故に、マモンは今後樹流徒が繰り出す攻撃を全く恐れる必要がなかった。


 そこに最大の油断が生まれる。


 樹流徒が口を開いた。攻撃態勢に入る。

 対するマモンは両腕を広げて真正面から攻撃を受け止める構えを見せた。恐らく、マモンは火炎弾が飛んでくるものだと信じて微塵も疑っていない。樹流徒に他の攻撃手段が無いと思っているはずだ。

 さらに直後の反撃で樹流徒に死の一撃を与えるつもりなのだろう。怒りと強気に満ちた瞳が全てを物語っていた。


 ところがそのあと瞬きをする間もなく、マモンにとって信じられないことが起こる。

 樹流徒が口内から放ったものは火炎弾ではなく、白い煙だった。彼がマモンの左首を吸収したことによって使用可能になった冷気である。


 攻撃を避ける気など無かったであろうマモンは、攻撃をまともに浴びた。


 悪魔の体に跳ね返った冷気の粒子がひらひらと舞い降りてゆく。

 その中に立つマモンの容貌は一目で分かるほど変化していた。あれだけ鉄壁の防御を誇った皮膚がまるでしなびた草花みたいになっている。放っておいても重力で千切れてしまいそうだった。

 ほぼ全身がぴくりとも動かない。唯一、手の指先だけが小刻みに震えていた。頭部は目とクチバシをいっぱいに広げ、驚きを露にしたまま硬直している。


 敵に爪も火炎弾も効かないとなれば、あとは左首が吐き出す冷気を武器にするしかない。樹流徒は最後の賭けに見事勝利した。

 左首に対する火炎弾に続いて、今度も期待を上回る効果だ。どうやらマモンは左首が炎に弱く、それ以外の部位は冷気に弱いらしい。

 思い返してみれば、樹流徒が相打ち狙いでマモンの至近距離まで迫った時、左首は冷気で迎撃しようとしなかった。あれは、マモン自身が巻き添えになるのを恐れたからに違いない。


 冷気を浴びてすっかり萎びたマモンの体は、見た目通りかそれ以上に強度も低下していた。樹流徒が爪をなぎ払うと、今度はいとも簡単に攻撃が通じる。

 切断された右首が声も上げず床に落ちた。ボトリと淡白な音を立てる。

 詩織は顔を背ける。樹流徒だって決してこのような残酷な光景は好きではなかった。しかし、敵にトドメを刺すためにやらなければいけなかった。


 間もなくマモンの全身が崩れ、光の粒に変わってゆく。今まで樹流徒が倒してきた悪魔たちよりも粒の量がやや多い。


 勝利の瞬間だった。

 樹流徒は胸を撫で下ろす。両肩から一気に力が抜けてゆくのを感じた。


 全く勝ち目の計算できない賭けだった。果たして本当にマモンの左首に火炎弾は効くのか? 効いたとしてもどれだけの威力を発揮するのか? 相打ちの際、致命傷を受けたらどうする? 左首から入手した冷気は効果があるのか? 不安材料だらけだった。


 樹流徒は、それらの賭けに負けていた場合、今頃自分がどうなっていたかを想像する。床に広がる己の血が目に入って、寒い気分になった。


 なにしろ、樹流徒は賭けそのものには負けていたのだ。

 もし詩織が行動を起こしていなければ、樹流徒はマモンの左首を吸収する前にトドメを刺されていたからである。相打ちの時に受けた脇腹の傷は実質致命傷だった。


「相馬君。アナタは……」

 詩織が樹流徒に声をかける。


 彼女が全てを言い終える前だった。

 突然、二人のいる部屋が鳴動する。

 樹流徒はバランスを崩して床に膝を着いた。詩織も座ったまま両手を着く。それだけ激しい揺れだった。


 何事かと思って、樹流徒は辺りを見回す。

 マモンの死に合わせるかのように、空間が崩壊を始めていた。

 あっという間に廊下の天井が崩れる。出口を塞がれた。二人は狭い一室に閉じ込められた。


 樹流徒が何もできずに焦っていると、突如マモンが最期を迎えた位置から謎の白い光が現れる。


 その(まばゆ)い光は、人が何とか抱え切れそうなくらいの大きさだったが、すぐにゆっくりと膨らみ始めた。部屋全体を飲み込んで、その内に樹流徒が目を開けていられないほどの輝きを放った。


 ややあって、樹流徒が瞼を開くと、光は消えていた。

 そして不思議な空間もどこかへ行ってしまった。天井の崩壊により塞がってしまった廊下も、部屋の四隅に立てられていたはずのロウソクも、何もかもが無くなっている。


 摩蘇(まそ)神社の本殿は、いつの間にか元の姿を取り戻していた。

 樹流徒が振り返ると、出入り口の扉から水色の光が射し込んでいる。境内の様子が見えた。


 彼は寸刻ぼうっと外の景色に見入った後、改めて安堵する。

 ひとつの戦いが終わったことを、今度こそ実感した。




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