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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
258/359

ラーヴァナの誇り



 二十本に増えたラーヴァナの手が一斉に虚空から武器を生み出す。ノコギリのように刃がキザギザの剣。柄の両端から穂が延びた槍。棒の先端に丸い鉄球を付けたような武器……全ての手がそれぞれ異なる形状の凶器を握り締めた。手と手、武器と武器が重なり合って、地面に映るラーヴァナの影はワケが分からないほど複雑な形になっている。異形の中の異形だった。


 武装を強化したラーヴァナは地を蹴って躍動する。巨大化した体は変身前よりも一段と素早い。飢えた獣が獲物に飛びかかる場面を髣髴とさせる勢いだった。

 樹流徒は正面から受けて立つ。自分の三倍もある巨人が眼前から猛スピードで迫ってくる。全く恐怖が無いと言えば嘘だった。しかしここで引けば相手の心をくじけない。ラーヴァナを殺さず勝利を挙げるためには彼の肉体だけでなく精神も叩かなければいけなかった。でなければラーヴァナは死ぬまで戦い続けるかもしれない。ラーヴァナが本気を出してきた今だからこそ、樹流徒は真正面からぶつかって相手の闘志を根こそぎ奪う必要があった。

 これは一種の賭けである。樹流徒が相手の猛攻に屈すのが先か、ラーヴァナの心が折れるのが先か。もしかすると初めから勝ち目の無い博打(ばくち)かもしれなかった。たとえ樹流徒が今の戦法を続けてもラーヴァナの闘争心を粉砕できる保障は無いのだから。却って相手の戦意を刺激する結果になる恐れもある。それを承知の上で樹流徒は賭けに出た。


 樹流徒が接近戦に応じたのが意外だったか、ラーヴァナの瞳が大きく見開かれた。次の刹那には攻防が始まる。巨人の胴体から生えた二十の腕が自由自在に暴れ回った。一本一本長さも形状も違う武器が色々な方向から様々な速度と角度と軌道で樹流徒めがけて飛ぶ。

 樹流徒は瞬き一つできなかった。目を閉じればその隙に被弾する。己が持ち得る肉体と精神の力を総動員し、敵の攻撃をさばく。すべての攻撃を見切り、すべての攻撃を寸でのところで避ける。

 ラーヴァナの動きが良く見えた。次の行動が手に取るように分かった。こんな不思議な感覚は初めてだった。きっと魔王ラハブの魂を吸収したことで得た能力なのだろう。また、眼前の相手に全力で集中している今に限られた能力なのだろう。樹流徒の視界は大きく広がり、脳の情報処理速度は人間の限界を遥かに超えていた。


 変幻自在に動き回る二十本の腕がことごとく風切り音を鳴らす。ラーヴァナがぎょろりと目を剥いた。目は口ほどにものを言う、とはこの事だろう。全開になったラーヴァナの瞳が「なぜこうも私の攻撃があっさり外されるのだ?」と驚きを露わにしていた。

 異形の巨人は息を粗くする。三日月の剣を持った手が力任せに雑な線を虚空に引いた。腕の力に引っ張られて体が泳ぐ。戦いに精通していない悪魔ならきっと見逃す程度に体の重心がズレた。

 それを樹流徒は見逃さない。彼は頭上から降ってくる凶刃をかいくぐりながらラーヴァナの懐めがけて跳び、ガラ空きになった腹めがけて拳を振り抜く。必死の思いで放った一撃だった。


 魔人の全身に走る電気回路似のラインが赤く点滅する。

 しまった。樹流徒は頭の中で叫ぶ。この戦いで初のミスだった。つい力が入って全力で攻撃を繰り出してしまった。相手を殺してしまっては、今までの苦労が全て水の泡だ。

 気付いたときにはもう魔人の拳が相手の腹を叩いていた。破裂音に近い打撃音と共にラーヴァナの体が吹き飛ぶ。百八十センチに満たない人間の拳が、五メートル近くまで膨れ上がった悪魔の肉体をボールのように弾き飛ばしたのである。観衆にとっては色々と信じられない光景だっただろう。

 くの字に折れ曲がって宙に弾かれたラーヴァナの体は着地すると砂を巻き上げながら地面を跳ねる。まさにボールという例えの通り樹流徒から三十メートル以上離れた場所まで転がった。その拍子に彼の手という手から武器がこぼれ落ちる。


 目の覚めるような一撃に、客席の至る場所から形容しがたい奇態な声が上がった。それはすぐに純粋な驚きの声に変わって会場を揺らす。樹流徒を応援していた者もそうでない者も無関係に、皆同じ顔と同じ声でわっと騒いだ。

「見ろ。ラーヴァナが立つぞ」

 まだ喧騒が収まらない内に見物客の一人がリングを指差す。


 異形の巨人がその場でゆっくりと起き上がった。

 ラーヴァナの身を案じていた樹流徒は小さな吐息を漏らす。命懸けの決闘で相手の生存に安堵するなどおかしな話だった。

 一方で、喜んでばかりもいられない。紛れも無く樹流徒が全力で撃ち込んだ一打を受けて、ラーヴァナはすぐに立ち上がったのである。彼の体は砂まみれだが拳を受けた腹には小さな(あざ)すらできていなかった。逆に今まで樹流徒が与えてきた傷が癒え始めている。なんという頑丈な肉体だろうか。おまけに回復も早い。

 この悪魔を殺さずに倒す方法はあるのか? 樹流徒の心に若干の動揺が生まれた。ラーヴァナにダメージを蓄積させればいずれ勝てると信じて賭けに出た。しかしそれが通用しそうにないとたった今判明してしまったのだ。最悪とまでは言わないが相当良くない展開だった。


 ラーヴァナを殺さず倒すのが不可能となれば、樹流徒は必然的に選択を迫られる。相手を殺すかアムリタを諦めるかの二択だ。どちらを選べば良いのか即決はできなかった。恨みも無い相手を殺したくない。かといってアムリタを諦めるなんて考えられない。それは早雪を見殺しにするも同然の行為だ。

 となれば、何が何でもラーヴァナを殺さずに倒す方法を見つけるしかない。樹流徒は性格上そう考えるほかになかった。

 厳しい勝負になるだろう。樹流徒はまだラーヴァナの攻撃を一度も受けていないが、精神力は着々と消耗している。体力に限界はなくても集中力には限界があるのだ。いずれラーヴァナから攻撃を受けるのは目に見えていた。一発でも攻撃を命中させればラーヴァナは勢いづくだろう。そうなったら樹流徒は追い詰められる一方だ。もし窮地に立たされれば、ラーヴァナを殺すか、アムリタを諦めるか最後の選択をせざるを得なかった。

 被弾する前に何とか突破口を見つけなければ……。

 苦戦必至の予感に樹流徒は奥歯を噛む。


 が、ここでラーヴァナが突然に予想外の動きを見せた。

 一体何をしようというのか? 彼は全ての腕を力なく垂れる。そしておもむろに一言……

「私の負けだ」

 と言った。


 樹流徒は我が耳を疑った。彼だけでなく、ラーヴァナの声が聞こえた者全員が驚いただろう。今、ラーヴァナが自ら負けを認めたのである。まさかの敗北宣言だった。

 どうして? と言いたげな観衆の視線を一身に浴びながらラーヴァナは言う。

「私は己が持てる力と技を全て出し切った。それでも私の攻撃はオマエに傷一つ付けられなかった。それどころかオマエを後退させることすらできない始末だ。これだけ見事な戦いぶりをされたら潔く負けを認めるしかあるまい。たとえこのまま戦っても勝てる気がまるでしない」

 ラーヴァナの全身に漲っていた闘気が霧散してゆく。顔から険が消え勝負の内容に納得した表情になった。戦いに満足しているようにも見える。


 逆に納得も満足もいかないのは月の国の支持者と樹流徒の死を望む者たちである。彼らは「冗談じゃない」と喚いた。

 ――どうしたんだラーヴァナ。オマエはまだ負けてないぞ。

 ――たった一発当てれば勝てるんだ。戦え。

 リングに近い客席から大声が飛んできた。

 ラーヴァナの十の顔は揃って苦笑する。

「何も分からぬ連中が好き勝手なことを……」

 言って、顔の一つがふんと鼻を鳴らした。


「誰が何を言おうと私は降参する。他の悪魔と違って私には恥という感情がある。よってこれ以上の醜態を衆目の前に晒すのは御免だ。この戦い、私の勝ち目は万に一つも無い。勝負を続けたところで恥の上塗りになるだけだ」

 そう断言するとラーヴァナは戦闘中に出現させた沢山の顔と腕を全て引っ込めた。続いて彼が指を弾いて鳴らすと地面に転がっていた武器が全てどこかへ消える。

「月並みな台詞を言わせて貰うが、次会ったときは決して負けない。この肉体と技を極限まで鍛えて、私はいつかオマエに戦いを挑むだろう。我々悪魔の成長には限界が無いのだ。オマエたちニンゲン以上に……」

 言って、ラーヴァナはそっと頭上を仰ぐ。

「ヴォラック。聞こえているか? 私の負けだ」

 と、改めて己の敗北を宣言した。

 それをヴォラックはいともあっさり受け取って

「第四戦。勝者、首狩りキルト」

 勝ち名乗りを上げた。


 ラーヴァナの敗北宣言に悪魔たちは困惑顔を作る。しかしそれも束の間。すぐに会場が大ブーイングで埋め尽くされた。樹流徒とラーヴァナ、両者に対する怒号が飛び交う。太陽の国の支持者は喜んでいるが心なしか控えめな喜びだった。首狩りの勝利にどうしても素直に喜べず顔をしかめている者もいる。悪魔は人間に比べれば全体的に嘘をつくのが下手な種族だ。感情が顔や態度に出やすい。好意的に言えば自分の気持ちに素直な種族なのである。

 戦士の間ではガルダが複雑そうな表情を浮かべていた。

「キルトか……。アレは想像以上に普通では無いな」

 そう言いながら猛禽類の鋭い瞳で魔人の背中をまっすぐ見つめていた。


 リングの東西から檻が上がる。樹流徒とラーヴァナは互いに背を向け歩き出した。

 自他の力量を測れるのは強さの証。自ら敗北を認めたラーヴァナは、今まで樹流徒が出会った悪魔たちの中でも間違いなく強い部類に入る戦士だった。もし樹流徒が今ほど強くないときに遭遇していたら間違いなく勝てなかっただろう。それがラーヴァナの不運だったとも言える。


 西側の檻に入ると、ラーヴァナは誰の目も届かない物陰で密かに腹を押さえた。

「あの一撃は効いた。もう一発食らっていたら多分……」

 言って、彼はその場でそっと片膝を突く。いままで塞き止めていたものを一気に吐き出すように、口を結んで苦しそうに唸り始めた。樹流徒が全力で放った拳はラーヴァナに深いダメージを負わせていたのだ。それでもラーヴァナは樹流徒や観衆の前では決して苦しい素振りを見せなかった。ラーヴァナ個人の誇り、あるいは悪魔という種族としての誇りがそうさせたのだろうか。


 両戦士の姿がリングから消えた途端に客席のブーイングは止んだ。樹流徒が入場したときと同じ、罵声もなければ歓声も無い。異様な雰囲気が漂う中、戦士を乗せた二つの檻は同時に地中へ沈んでいった。


 樹流徒を乗せた檻が下に着くと、ピンク兎がぴょんぴょん跳ねて近付いてきた。

「あのラーヴァナに勝っちまうとはな。結構やるじゃねえか」

 それだけ言って、すぐに背を向ける。

「じゃあ戦士の間に戻るぞ。ついてこい」

 兎と一緒に樹流徒は歩き出した。


 エレベーターを使って降世殿の頂上へ。扉が開くなり六体の鳥人が樹流徒を囲んで「お見事でした」だの「勝つと信じてました」だの「さすがです」だのと賛辞を並べる。

 返答に窮した樹流徒は、決闘直前に見送ってもらった時と同じように「ありがとう」とだけ述べて、やや足早に戦士の間へ向かった。


 戦士の間に戻れば戻ったで、アンドラスがすぐに樹流徒の元へ駆け寄ってきた。

「やったなキルト。何だよあの戦い方」

 ラーヴァナの猛攻を凌ぎ切った樹流徒の絶技に魅せられたらしい。カラスのつぶらな瞳が宝石のようにキラキラと輝いている。

 そこへガルダが歩み寄ってきた。

「まったくオマエは前代未聞の塊だな。降世祭にニンゲンが出場するのも初めて。殺気の欠片も無く決闘に勝ってしまった戦士も多分オマエが最初で最後だろう……」

「ガルダが第四戦までキルトを温存していた理由が良く分かったわ」

 アプサラスは得心顔で言う。


 未だかつて味わったことの無い褒め言葉の嵐に樹流徒は若干の照れを感じた。が、そんなことよりも重要なことを思い出して表情を引き締める。彼は決闘に勝つため降世祭に参加したのではないのだ。

「ところでガルダ。例の約束だが……」

「分かっている。宮殿に戻ったら約束通り。オマエが望むものを渡そう」

 この言葉に樹流徒は引き締めたばかりの頬を緩ませた。ようやくアムリタが手に入る。それを現世に届ければ早雪の呪いを解除する儀式が可能になる。


「さあ、あとはガルダが勝つだけだな」

 樹流徒が勝利して、太陽の国は二勝一敗一分け。次の決闘でガルダが勝つか引き分ければ太陽の国が勝利する。しかし仮にガルダが敗れるようなことがあれば戦績はニ勝ニ負一分で並び、降世祭のルールによって月の国が勝利する。すべては大将戦に委ねられた。

「今回の祭りは一段と盛り上がりそうだねぇ。たしか過去三回の祭りは第四戦までに月の国が三勝を上げたンでしょ? その前は太陽の国が三連勝で早々に勝負を決めてしまった。両国の争いが最終戦までもつれこむのは本当に久しぶりじゃないかなぁ」

 ガネーシャが象の長い鼻を左右に揺らす。

 ガルダは「そうだな」とだけ答えた。


 不意に窓の外から音楽が聞こえてくる。勇壮で心が躍るような曲だ。

 何かと思って樹流徒が外の様子を覗いてみると、リングの南北に現われた檻から楽器を持った悪魔が次々と入ってくる。開幕式でも演奏していた悪魔たちだろうか。かたや客席に点在する入り口を見ると、楽器を持たない悪魔たちがぞろぞろ入場してくる。彼らは会場全体に散らばって音楽に合わせて激しく踊り始めた。

 きっとこれは最終戦を盛り上げるための演目なのだろう。しかし運営側が盛り上げるまでも無く会場の興奮は最高潮に達してた。何しろ次の決闘――ガルダ対アナンタの戦いですべてが決するのだ。


 短い演目が終わると、会場は喝采に包まれた。そのあとすぐ太陽の国を応援する者たちから「ガルダ、ガルダ」の大合唱が起こる。第二戦が終わった時点で敗戦を確信してお通夜状態になっていた彼らの面影は欠片も残っていない。負けじと月の国の応援団から「アナンタ、アナンタ」の大合唱が起こった。観衆は残ったエネルギーの全てを次の決闘にぶつけるつもりだ。彼らも戦士と一緒に戦っているのである。


 間もなく戦士の間にピンク兎がやって来た。次の決闘に出るのが誰なのか聞く必要は無いはずだ。兎の頭に蝶は止まっていなかった。審判ヴォラックに報告するまでも無い、という意味だろう。

「時間だ。行くぞガルダ」

 部屋のドアを開けるなり兎はガルダを呼ぶ。

 ガルダは頷いてから、樹流徒たちの顔を見回した。

「オマエたちは本当に良く戦ってくれた。先ほどアンドラスが言ったようにあとは私が勝つだけだ」

 最後にそう言い残して、彼は戦士の間を去っていった。




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