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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
252/359

傷まみれの決着



 愛嬌のある丸い顔。人間と同じく顔の前面に並んだ二つの目。下に向かって伸びた小さな(くちばし)。幅が広くて短めの翼。そしてウサギと似た脚の先から曲線を引いて伸びる四本の爪……その姿かたちは、どこからどう見ても紛れも無く(ふくろう)だった。ただし梟と呼ぶには余りにも体が大きく存在感が禍々しい。翼を広げた状態での体表面積はガネーシャを幾分凌ぎ、その巨躯から放たれるおぞましい気配は魔界の野鳥が放つそれとは似ても似つかなかった。姿は梟でも正体は強力な悪魔だと分かる。つまりこの梟はラクシャーサが呼び出した使い魔などではなく、ラクシャーサ自身が変化した姿に違いなかった。


 巨大な怪鳥に化けたラクシャーサは宙を旋回してガネーシャの側面に回り込む。素早く身を翻すと、いきなり地上の獲物めがけて急降下した。両足を揃えて前に突き出し、爪を立ててガネーシャの顔面を襲う。相手の視力を奪うつもりなのか。冷酷に尖る鉤爪(かぎづめ)が象頭に輝く黒真珠の瞳を突き刺そうと躊躇の欠片も見せなかった。


 虚を突かれた感のガネーシャは上空からの急襲に対して僅かに反応が遅れる。しかし彼は素早く前方へ転がって寸でのところで攻撃を回避した。単に避けただけではない。偶然か否か、ガネーシャは地面に落ちている斧に向かって転がると、起き上がるなり駆け出して、素早く武器を拾い上げたのである。その並外れた判断力と瞬発力に観衆も舌を巻いた様子だった。ガネーシャが見せた流れるような動きに客席のあちこちから「上手い」と声が飛ぶ。


 ただ、誰の目にも見事だったガネーシャの動きも決して完璧ではなかった。彼の大きな耳にジワジワと青い血が滲み始める。不意を食らって回避が遅れたせいでラクシャーサの攻撃を受けていたのだ。幸いにも傷口は浅くガネーシャが痛みを感じている様子は無いものの、彼にとってこの戦いで初の被弾だった。精神的な影響が無いかどうか、ガネーシャを応援する者たちにとっては多少気がかりかもしれない。


 その点について、樹流徒は特に心配していなかった。ガネーシャが持つ戦闘経験の豊富さと、これまでの落ち着きぶりを考えれば、多少の傷くらいで彼が心を乱すはずがないと言い切れるからだ。

 むしろ気になるのは、ガネーシャがいかに空中のラクシャーサと戦うか、であった。ガネーシャの飛行能力が不完全なことは、聖地ジェドゥまでの旅で判明している。短時間しか空を飛べないため広大な毒沼を渋々歩いて渡ろうとしたガネーシャの姿は記憶に新しい。そんな彼が、自由自在に宙を駆けるラクシャーサ相手にどう戦うつもりなのか? 樹流徒はそちらのほうが気になった。前述したとおり戦闘経験豊富なガネーシャだから、きっと空中の敵に対しても打つ手はあるのだろう。ただ、その手がラクシャーサに通用するかどうかはまだ分からない。


 すれ違いざま相手に一撃与えたラクシャーサは即座に急浮上した。十分な高度を取ってからガネーシャを振り返り、翼を器用に操ってその場に留まる。


 地上と空中で睨み合う両戦士。次はどう出るか? と多くの観衆が注目する前で、ラクシャーサが早々に次の攻撃を仕掛けた。

 灰色の翼が前後に強く揺れる。何か来る、と樹流徒が予感した直後、羽ばたく翼から風切羽が次々と切り離されて射出された。発射された十数枚の羽は弾丸の如き速さで宙を疾走し、炎を纏いながらガネーシャを襲撃する。

 余りのスピードに、ガネーシャでも回避が間に合わなかった。彼は咄嗟に身を屈め斧を盾にして、頭上から降り注ぐ炎の弾丸を防御する。それだけで全ての攻撃を捌くのは到底不可能だった。炎の羽がガネーシャの肩や膝に合わせて数発当たる。彼が身に纏っていた華美な衣装に穴が空き、その下に守られていた皮膚は浅く抉られた。黒く焦げた傷口から少量の血が垂れる。


「ラクシャーサは前回決闘に出場したときよりも格段に強くなっている。変身能力は進化しているし、今の攻撃は初めて見た。一筋縄ではいかない厄介な敵に成長したものだ」

 ガルダの言葉が、戦士の間に不吉な予感を漂わせた。

 羽を射出したラクシャーサの翼からは既に新しい風切羽が生えている。真新しい羽で空を裂き、大型の(ふくろう)はガネーシャの周囲を旋回しながら、次の攻撃を仕掛けるべく真ん丸な目で地上を見下ろしていた。


 ガネーシャは上空の影をキッと睨む。口から息を吸って腹をいっぱいに膨らませると、出し抜けに野太い獣声を轟かせた。敵への威嚇か、自分に気合を入れるための発声か。決闘直前までずっと落ち着いていたガネーシャの口から飛び出したとは思えないほど荒荒しい雄叫びだった。ただ、それが怒号でないことだけは、樹流徒には何となく分かった。ガネーシャは冷静さを失ったわけではない。


 観衆が身震いを起こすほどの咆哮を放ったガネーシャは、両手をいっぱに広げて天にかざす。

「ガネーシャのやつ、何をするつもりだ?」

 アンドラスが目をぱちくりさせる。そのあいだに樹流徒とガルダは降世殿の天井を仰いでいた。

 二人の視線が向かう先に小さな空洞が浮かんでいる。天井の中心に出現したその丸い空洞は、コップの水に大量の墨を一気に流し込んだような勢いで八方へと広がり、リングの頭上を完全に漆黒で覆いつくした。闇の奥から竜の雄叫びにも似た轟音が響き、青い閃光が空洞に亀裂を走らせる。客席の全員が頭上の異変に気付いたときには、天から地へ雷光が落ちていた。


 リング中央付近に落下した雷は砂を真っ黒に染めて小さな煙を上げる。空中のラクシャーサにはかすりもしなかったが、それで攻撃が終わりでは無かった。逆に今の雷光は攻撃開始の、ほんの合図にすぎなかったのである。


 落雷は単発で収まらなかった。最初の稲光を皮切りに、闇の奥で鳴り続ける轟音と共に青い雷がひっきりなしにリングのどこかへ降り注ぐ。

 審判ヴォラックは双頭の竜を駆って戦場の隅へ退避した。ラクシャーサは翼を広げたままリングの頭上を飛び回って、狂ったように降りしきる雷をことごとくかわす。そのまま被弾を免れるかと思われたが、ここで彼の巨体が災いした。体のサイズが大きいほど攻撃を受けやすい。最後に落下した閃光がラクシャーサの片翼を貫いた。


 雷に打たれた翼は黒煙を上げて燃え盛る。ラクシャーサは宙でふらふらと揺れながら、リング中央から少し離れた場所に落下した。砂の上に墜落する間際、彼の姿は梟から羅刹へと戻って、寸でのところで足から着地を決める。そのため落下のダメージは皆無だったが、無事とは言い難かった。ラクシャーサの左腕には雷を受けた跡と思しき傷が鮮明に残されており、肘の下から手首の上にかけて皮膚が焼き(ただ)れている。

 

 雷鳴が止むと、天井を覆い尽くしていた闇が急速に収縮して瞬く間に消滅した。

「いいぞガネーシャ。ラクシャーサを地上に引き摺り下ろしやがった」

 アンドラスが両の拳を突き上げてはしゃぐ。まるでガネーシャが勝利を収めたかのような喜びようだ。

 かたやガルダとアプサラスは喜びというよりも、むしろ安堵している風である。

「ガネーシャも危険な真似をする。もし今の雷が審判のヴォラックに当たっていたら、故意の攻撃ではないにせよ反則負けになってたかもしれん」

 ガルダの口から小さな吐息が漏れた。

 彼と同じことを考えてほっと胸を撫で下ろした観衆が、会場の中に一体どれだけいるだろうか。見た目に派手なガネーシャの攻撃に、大半の悪魔は細かい事など気にせず興奮している。

「よし、一気に畳み掛けろ」

 太陽の国の支持者らしき者がガネーシャに声援を飛ばした。


 ラクシャーサめがけてガネーシャは斧を投擲する。斧はガネーシャの手元を離れるなり高速回転して、蜂の羽音と似た低い唸り声を上げた。そして極めて緩い弧を描きながら、標的の首を狙って速く正確に飛んでゆく。

 ラクシャーサは真上に跳躍して斧の上を軽々と越えた。かなりキレのある動きに樹流徒は感心する。傷を負ってもラクシャーサの身軽さは衰えるばかりか、戦闘開始直後よりも冴え渡っていた。


 ところが着地の瞬間、ラクシャーサが不自然な挙動を見せる。彼の左腕が突然何かに怯えたように震えたのだ。それは有象無象の悪魔では気付けないほど微かな動きだったが、武道の達者ならば決して見逃さなかっただろう。遠すぎて樹流徒の目には分からなかったものの、間近で見ていれば彼も気付いたはずである。

 ほんの微かな、それでも間違いなく不自然な挙動……。今、ラクシャーサの左腕には何かしら異変が起きているのかもしれなかった。だとすればガネーシャの雷を受けた影響なのは疑いようも無いが、一時的に腕が痺れているだけなのか、それとも火傷が酷く痛むのか。傷の具合を見た上ではどちらとも取れた。或いはガネーシャの迂闊な攻撃を誘うため、ラクシャーサがあたかも腕に異変をきたした演技をしている……という可能性も丸っきり考えられなくはなかった。


 ガネーシャは好機と判断したらしい。大胆なほど軽い足取りで相手との間合いを詰める。

 些か虚を突かれた顔でラクシャーサは一歩だけ退いた。その下がった後ろ足で何とか踏ん張ると、両手に剣を出現させて迎撃の構えを取る。前方に突き出した右手は美しいまでに静止しているが、垂れ下げた左手に握り締めた剣の先は微かに震えていた。ようやく樹流徒もラクシャーサの動きがぎこちないのに気付く。

 相手が武器を構えると、ガネーシャの歩調は一転慎重になった。それでも前進は止めない。彼は足の裏で砂をにじるようにしながら、徐々にラクシャーサへ接近する。


 やにわに客席からおおっと声が上がった。ラクシャーサにとっては謎のどよめきだったであろう。何しろガネーシャもラクシャーサも、観衆が驚くような動きは見せていない。にもかかわらず会場が突然沸いたのだ。

 ラクシャーサははっとしたような顔付きになった。彼は後ろも振り向かず、すぐさま即宙を繰り出してその場から逃れる。

 わずか一秒も経たぬうち、彼がいた場所を蜂の羽音が通過していった。先ほどガネーシャが投じた斧がブーメランとなって戻ってきたのだ。観衆が声を上げたのもそのためだった。

 惜しくも獲物を捕え損ねた斧は、ガネーシャの手元で急に失速して彼の手中に収まる。


「残念ね。観衆の声さえなければ、多分ラクシャーサは背後からの攻撃に気付かなかったでしょうに……」

 とアプサラス。残念と言う割に彼女の声色は相変わらず落ち着いていた。

「ああ、くそう! もうちょっとだったのに」

 アンドラスは歯がゆそうだ。ガネーシャはもっと歯がゆい思いだろう。彼はラクシャーサとの距離をつめることで、相手の注意を自分に引き付けていた。ラクシャーサが背後から飛んでくる斧の存在に気付かないようにするためである。その作戦は、悪意無き観衆の助太刀よって妨害された。


 勝機を逸したガネーシャだったが、悔しさをおくびにもに出さない。「降世祭の決闘ではこういう事も起こるのだ」と己に言い聞かせ心を落ち着かせるように、至極冷静な目をしていた。

 対照的に、幸運も重なって背後からの奇襲をかわしたラクシャーサは屈辱に額の青筋を太らせている。観衆の声に一命を救われたが、それが無ければ負けていた、という悔しさをありありと滲ませた表情だった。


 ラクシャーサは屈辱を怒りに変えて反撃に転じる。彼の姿がみるみる内に膨れ上がり、形を変え、別の姿へと変化した。

 (ふくろう)ではない。土色の毛皮に包まれた巨大な猪である。先ほど変化した梟は、翼を広げた状態でガネーシャよりも多少大きいくらいだったが、この猪は、ひと目見ただけでガネーシャよりも一回り近く大きいと分かった。背の高さこそ二本足で立つガネーシャより低いが、体長では優に勝っている。


 特大の猪に変化したラクシャーサは後ろ足で砂を払い上げた。赤く光る瞳にガネーシャの姿を映すと、長年の仇でも見つけかと思うほど勢いよく駆け出す。猪突猛進という言葉の由来を表現するかの如く、反撃の危険性も顧みずガネーシャの真正面から突っ込んだ。落雷を受けた影響で左の前脚は焼き爛れている。若干その傷をかばうような走り方にも見えるが、スピードは十分に乗っていた。


 ラクシャーサが走り出した時点で両者の間合いがある程度離れていたこともあり、ガネーシャが敵の突進を回避するのは決して不可能ではなかっただろう。しかし彼は真っ向から相手を迎え撃つ。鼻の先から水の砲弾を発射して、猛然と駆けてくる猪の頭部を狙撃した。

 難なく命中する。きっとラクシャーサは初めから被弾覚悟だったのだ。水の塊を受けて首を仰け反させながらも、ほとんど速度を緩めずガネーシャにぶつかっていった。


 衝突の鈍い音と、観衆のどよめきが重なる。

 通常、猪の牙は三日月の形をしているが、ラクシャーサの下顎から伸びた牙は真っ直ぐ前方へ向かって伸びていた。見るからに殺傷能力に優れた形状と長さである。それがガネーシャの腹に半分以上突き刺さっていた。

 ガネーシャは痛みを堪えるように「む、む」と唸り、片方の手で相手の牙の根っこを掴む。そしてもう片方の手に握り締めた斧を振り下ろし、ラクシャーサの首筋に一撃見舞った。

 悲鳴に似た獣の雄叫びと共に、猪の体が怯む。斧の刃はラクシャーサの体に深々と突き刺さったまま停止した。


 ガネーシャは両手で敵の牙を掴んで、自分の腹からゆっくりと引き抜く。腹からおびただしい血が溢れ出した。それを無視して彼は足腰に力を入れる。手の牙を掴んだまま胸を反らし、自分よりも大きなラクシャーサの胴体を一気に持ち上げた。そして勢い良く後方へ放り投げる。高く舞った猪の巨躯は宙でひっくり返り、頭ないしは背中から地面へと叩きつけられるかに見えた。


 その予想を裏切って、異形は別の異形へと器用に変化する。宙に放り出されたラクシャーサの姿が、空中で猪から(ふくろう)へと変わったのである。

 再び梟の姿になったラクシャーサは、宙で素早く体勢を立て直し、翼を広げて地面スレスレを滑空して墜落を免れた。そのまま急浮上しながらリングの端まで飛翔する。先の攻防でガネーシャの水砲弾を受けた頭部と、斧の一撃を受けた首筋から青い血が湧き水の如くこんこんと流れ出ていた。

 ガネーシャは血に塗れた斧を拾うと、それを忽然とどこかへ消す。彼の体からも絶えず血が溢れていた。

「双方ともかなりの深手を負ったな。決着は近いだろう」

 ガルダの言葉に、アンドラスがごくんと喉を鳴らした。

 

 一旦リングの端まで逃れたラクシャーサは、旋回してすぐにガネーシャとの距離を詰める。宙で停止すると翼を激しく前後に揺らして風切羽を射出した。羽は炎を纏って地上の標的めざし殺到する。

 その攻撃をすでに一度受けているガネーシャは、早くも相手の技に処する方法を立てていた。ラクシャーサが宙に静止したと見るや、砂の下から防壁――先の攻防でラクシャーサが投じた六本のナイフを防いだ巨大な石壁を召喚して、盾にしたのである。


 ところが炎の羽はナイフよりも数が多く、しかもどういう原理なのか石壁に対して驚くほどの貫通力を発揮した。弾丸の雨と化した炎の羽は石壁の中心とその付近に集中し、壁に幾つもの深い穴を刻み込む。穴の周囲には浅いヒビや深い亀裂が合わせて百本以上も走り、石壁は軽い衝撃を与えただけで崩壊しそうだった。


 最早あの壁は砕いたも同然。そう判断したのか、ラクシャーサは石壁が消えるのを待たず空中から突撃する。今、ガネーシャは壁で視界が塞がっている。ならば壁もろともガネーシャに体当たりを食らわせてやろう、と決意したのだろう。かなり強引な攻撃だが、それだけに不意打ちになり得る一撃だった。


 後にして思えば、このときラクシャーサは極めて単純な見落としをしていたのである。相手の姿が見えないのは、何もガネーシャばかりではない。石壁に視界を遮られて、ラクシャーサの目にもガネーシャの姿は映っていなかったのだ。


 石壁の陰に隠れて、ガネーシャは手に杖を持っていた。全体に黄金の美しい装飾を施した短い杖である。先端は四つに枝分かれしており、やや複雑に絡み合いながら球状を(かたど)っていた。

 樹流徒たちが控える戦士の間からはガネーシャの姿が見えていた。ガネーシャが頭上に手を掲げて虚空から黄金の杖を取り出すと

「“アンクーシャ”か」

 ガルダが小声で言った。ガネーシャが取り出した杖の名称なのだろう。


 灰色の翼を広げたラクシャーサは両足を前に突き出して石壁に突っ込む。彼の狙い通り、傷付いた壁はいとも容易く瓦解した。飛び散る石の破片と共に巨大な梟の影がガネーシャを襲う。四本の鋭い爪が全て正確に象頭へと向けられていた。あとは一撃見舞うのみ……そのはずであった。


 してやったはずのラクシャーサが、驚きに目を見張る。衝突の寸前、ガネーシャが握り締めた黄金の杖・アンクーシャから眩い光が放たれた。光はリングの大半を埋め尽くす黄金の柱となって降世殿の天井まで駆け上る。審判ヴォラックは未だリングの隅に退避したままだが、そうでなければ彼も一緒に飲み込まれていただろう。光の柱は激しく明滅した。余りの眩さに観衆は皆、顔を背けて目を瞑る。リングから最も離れた場所にいる樹流徒たちでさえ光を直視していられなかった。


 アンクーシャから広がった黄金の光は、ガネーシャもろともラクシャーサの全身を飲み込む。光を浴びてよろめきながら、ラクシャーサは重力に任せてガネーシャに体をぶつけた。ガネーシャは派手に吹き飛び地面を転がる。ラクシャーサも後方へ跳ね返った。彼の体は受身も取らず砂に落ちると羅刹の姿に戻った。


 会場を包んだ黄金色の輝きがすっと消えると、観衆は指先で瞼を擦ったり、片方の瞳を薄く開いたりして目を開き始める。

 ガネーシャとラクシャーサはどちらも地面に倒れていた。彼らの全身からは白い煙が立ち昇り、黄金の光に焼かれた皮膚は火傷とは似て非なる傷――浅い切り傷が隙間無く密集したような、通常ではまず見られない傷にまみれていた。両戦士とも明らかに大きなダメージを負っている。そのまま両者が魔魂と化してしまっても何ら不思議ではかった。


 なのに戦いは終わらない。戦士としての意地か、報酬への執着か、ガネーシャは膝に手を突きながら立ち上がる。負けじとラクシャーサも歯を食いしばって何とか体を起こした。どちらも肩で息をしている。悪魔に体力の限界は無いので、彼らの呼吸が上がっているのは体の痛みによるものだろう。

 二人の肉体はとっくに限界を超えているように見えた。樹流徒は決して精神論者ではないが、こういう局面で勝敗を左右するのは気持ちの強さだと考えた。これまで厳しい戦いを何度も潜り抜けてきた彼自身の実感としてそう思うのだ。


 ガネーシャは頭上に手を掲げ、虚空より斧を呼び出す。ラクシャーサも両手に剣を持った。

 対峙する両者は、最早相手に接近する力すら惜しまなければいけない状態なのか、揺れる上体から力を振り絞り、その場で同時に武器を投じた。回転する斧と二本の剣は接触することなく互いに通り過ぎて、それぞれ目標に命中。斧の刃はラクシャーサの右肩に深々と食い込んだ。剣の一本はガネーシャの胸の真ん中に、もう一本は足の付け根に突き刺さる。


 両者は震える手で己の体から武器を引き抜いた。青い血が全身に刻まれた傷の溝に沿って流れ落ちてゆく。如何に悪魔とてこれ以上血を流したら本当に死んでしまう。不安と期待の両極端に別れた観衆の表情がその事実を如実に物語っていた。

「次の攻防で決まる」

 客席の悪魔が断じた。その言葉は会場にいるほとんど全ての者が頭に浮かべた言葉だろう。無論、戦っている二人の戦士も含めて、である。


 ラクシャーサの体が急速に膨張して異形の獣へと変わった。牙が鋭く前に突き出た特大の猪だ。ガネーシャに突進しようというのだろう。いや、彼の全身に刻まれた傷の深刻さからすれば、突進と言うより、玉砕と呼んだ方が良いかもしれない。


 次の一撃が、勝利と敗北、引いては生と死を隔てるやも知れぬ分水嶺(ぶんすいれい)

 ラクシャーサは鼻からフーッと深い息を漏らすと、意を決した目で駆けた。先ほどの突進と比べれば加速力が段違いに低い。横殴りの風が吹けば倒れてしまいそうな、見るからに力の無い走りだった。

 一方、ガネーシャも相手の弱弱しい玉砕攻撃をかわすだけの余力が残っていないようだ。彼は首を後ろに倒し、鼻を思い切り真上に振り上げながら、最後の攻撃になるであろう渾身の一打を繰り出そうとしている。観衆はいつの間にか静まり返っていた。次の衝突で決着が付くと誰もが察し、無数の顔が瞬き一つせずに戦いの結末を見守っていた。


 そして遂に両雄が、体と心と、己の持てる全てをぶつけ合う。

 ガネーシャは頭突きを繰り出す要領で首を振って勢いをつけながら、極限までしならせた鼻をラクシャーサの脳天に叩き落した。鉄のハンマーで石を叩いたような音が一階席の奥まで届く。

 痛烈な一打を浴びてラクシャーサの目から光が消えた。しかし彼の突進は止まらない。恐らく意識を失ったまま、猪はガネーシャの腹に二本の牙を突き刺した。突進の弱さが牙の貫通力を失わせる。ガネーシャに刺さったのは牙のほんの先端であった。


 それでも今のガネーシャには十分効いていた。象頭悪魔は苦痛に目を瞑りながら、猪の牙を掴む。小刻みに揺れる腕から力を振り絞り、己の体からゆっくりと引き抜いた。それ以上の力はもう彼に残っていなかった。ガネーシャは相手の牙から手を放すと、前のめりに倒れる。全く同時、ラクシャーサも羅刹の姿に戻って前に倒れた。両者は互いに体を預けるようにして、もつれ合いながら砂の上に崩れ落ちる。


 観衆は静寂を保ったまま固唾を呑んで戦いの行方を見守った。両戦士は倒れたまま動かない。魔魂が発生していないところを見ると死んではいない。が、どちらも目を閉じて指先一本動かなかった。


 戦場の隅に退避していたヴォラックが急いで下に戻ってくる。彼は双頭の竜から降りると、四つん這いになってガネーシャとラクシャーサの顔を順に覗き込んだ。

 何かを確かめたヴォラックは静かに立ち上がる。会場を一週見回すと、おもむろに口を開いた。

「第二戦……。引き分け!」

 彼の口から決闘の終了が告げられた。




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