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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
251/359

羅刹



 カーリーの勝利により月の国が先勝を飾った。太陽の国にとって全く問題ない一敗とは言えないが、ガルダにしてみれば予定通りの展開である。これでもしカーリーが月の国最強の戦士ならば、アンドラスを捨て石にした作戦は成功と言えるだろう。ただし、その作戦が後に名采配と謳われるか、苦肉の策と呼ばれるかは、全て戦いの結末に委ねられている。いくらガルダが策を弄しても、太陽の国が勝たないことには意味が無いのだ。もし月の国が勝てば、ガルダが用意した捨て石作戦はそれ自体の成否にかかわらず、奇をてらっただけの失策扱いを受けるだろう。大抵の場合、名采配と呼ばれるものは勝利という結果あっての名采配なのである。


 第一戦が終了しても客席の悪魔は誰一人腰を下ろさず、その場に立ちっぱなしで次の決闘を待ちわびていた。席を離れる者もいないことから、第二戦はこのあとすぐに行なわれるようである。

 戦場の真上から決闘を監視していた審判ヴォラックは、戦いを終えた両国の戦士が退場するとすぐ下に降りてきた。今は双頭の竜に跨ったままリング中央に待機して、第二戦に出場する戦士の名が申告されるのを待っている。


 その、第二の戦士であるが、樹流徒たちが集まる戦士の間では、早くも次の決闘に臨む者が選ばれようとしていた。第二戦以降は戦況次第でメンバーの出場順を変更する可能性もある、というガルダの前置きはあったものの、彼にとってアンドラスが負ける展開は予想通りだったので、次の戦士を決めるのにも迷いは無かったはずである。どんなに遅くともカーリーが登場した時点で、ガルダは第二戦の戦士を確定させていたに違いない。


 鷹の如き鋭い瞳は、壁際に立つガネーシャへと向けられた。

「第二戦はオマエに任せた。頼んだぞガネーシャ」

 ガルダのその言葉で、樹流徒たちの視線も自然と象頭悪魔に集まる。

 第二の戦士として指名を受けたガネーシャは特に意外そうな素振りも見せなかった。

「決闘に勝てば貰える報酬が倍になるからね。きっと勝ってみせるさ」

 自信あり気にそう言って全身に緩やかな闘志を纏わせる。

 ガネーシャは決して戦闘を好まない性分らしいが、彼の場合、報酬の酒と食料を手に入れるため決闘に勝ちたいのである。それに自らの意思で戦いに臨む以上、どうせなら勝ちたいと思わなければ嘘だ。


 間もなく入り口の扉が開いて、ピンク色の兎が現われた。この悪魔は次に出場する戦士の名前を審判に報告して、その戦士をリングまで案内する役目を受けている。彼の頭には一匹の蝶が止まっていた。第一戦の前に見たのは黄色い蝶だったが、今度のは黒アゲハだった。

 ピンク色の兎はつぶらな瞳で戦士の面々をさっと見回し、そして問う。

「おいテメーら時間だぞ。次の戦士は決まってるんだろうな?」

 蝶の色は変わっても、言葉遣いの荒さはまるで変わっていなかった。

「次はボクが出ることに決まったよ」

 答えて、ガネーシャが一歩前に出る。

「さっきも言ったが、一度決めたらもう変更できねーぞ。本当にガネーシャでいいんだな?」

 兎は確認を取るが、誰も異論を口にしないので

「分かったよ」

 ピンク色の長い耳が片方ピンと跳ねた。それに驚いたのか、頭に止まったアゲハ蝶が勢いよく飛び立つ。戦士の間を通過して、格子窓から外へ。ガネーシャの名前を審判に伝えるためリング中央へ降りていった。

 蝶が外へ出たのを見届けると

「よし。オレについてこい」

 兎は耳を上下させて、手招きならぬ耳招きでガネーシャを呼ぶ。

 ガネーシャは「分かってるよ」と返すと、樹流徒たちと視線を交わすことも無く、誰かに告げる言葉も無く、さっさと戦士の間を出ていった。

「ここから応援しているわ」

 というアプサラスの声も、去り際のガネーシャに届いたかどうか分からなかった。


 戦士の間の入り口が閉じられる。

 部屋の一角に佇んでいたガルダは、壁際に寄って格子窓から外を覗いた。

「第二戦の結果は重要だ。何としてもガネーシャには勝って貰わなければいけない」

 そう言いながら、今まで以上に真剣な瞳をリングの西側に向ける。月の国側からどのような戦士が登場するか、多少なりとも気になっているのだろう。アンドラスを捨て石にしたつもりが、月の国に裏をかかれてカーリー以上の強敵が後に控えている恐れもある。初めから敗北を視野に入れていた初戦と今とではまるで状況が違うのだ。

「大丈夫よ。ガネーシャならたとえ誰が相手であろうと、そう簡単に負けたりしないでしょう」

 アプサラスの言葉に、アンドラスが「ああ、そうだよな」と同調した。ガネーシャの強さを知らない樹流徒は頷きようもないが、感情的にはアンドラスと同じくアプサラスの言葉を肯定したかった。


 その頃、観客席――――

 第一戦が余りにあっけなく終了したので、観衆の中でも純粋に良い戦いを見に来た者たちは多少不満げな顔をしていた。敗北したアンドラスが自力で動けないほどの手傷を負ったわけでもなければ、死んだわけでもないので、凄惨な光景に期待していた輩も物足りなさそうだ。太陽の国を応援している者たちに至っては明らかに憮然たる面持ちをしている。唯一、月の国の支持者たちだけが幸先の良い出だしに揃って口元を緩ませていた。


 個々の感情を表に出す悪魔たち。しかし戦士入場のラッパが高らかに鳴ると、彼らは全員同じ顔つきになって期待に満ちたまなざしを決闘の場に注いだ。

 審判ヴォラックを乗せた竜は、既に地上から離れてリング頭上に浮遊している。

「それでは戦士に登場してもらう」

 凛々しい声でヴォッラクが叫んだ。全方位から波が押し寄せるように雄叫びが上がる。客席を埋める悪魔は自分たちが戦士にでもなったかのような形相で殺気立った。

 ヴォラックはリングの東側を見る。

「太陽の国の二番手。出でよ! ガネーシャ」

 その名前に異形の群れがおおっと沸いた。彼らの反応を見る限り、ガネーシャは暴力地獄でかなり有名な悪魔らしい。流石は決闘の常連であり殿堂入りまで果たした戦士だけのことはあった。


 ガネーシャの巨体が檻から現れると、歓声の嵐と、同じだけの罵声が飛び交う。

 外野の声に動じることなく、ガネーシャはリング中央までのんびりと歩いた。先のアンドラスも堂々とした入場を見せたが、いつになく強気な態度を振り撒いていた彼とは違い、ガネーシャはあくまで自然体だ。全身から余分な力を抜いて悠々と歩くその姿は、さながら広い野原の中を自由に散歩しているようであり、決闘の場に赴く者の挙動には到底見えなかった。ガネーシャがそこまで落ち着いていられるのは、何度も決闘に出場した経験の賜物(たまもの)だろうか。でなければ、彼は元から並外れて強い心臓の持ち主なのだろう。


 象頭悪魔がリング中央で立ち止まると、続いてヴォラックの口から対戦相手の名が呼ばれる。

「続いて月の国、第二の戦士に登場して貰う。出でよ! “ラクシャーサ”」

 会場から小さなどよめき。そして大きな歓声と罵声。

「相手はラクシャーサか……」

 ガルダが是とも非ともつかぬ口調で呟いた。


 リング西側より出現した檻の中から、月の国が送り込んだ第二の戦士が姿を現す。

 “羅刹”ないしは“悪鬼”という言葉がこの上無く似合いそうな風貌の悪魔だった。背丈や全身のシルエットは人間の男に近いが、それ以外は全て人から離れている。体中の肌は青く染まり、脈動する血管が手足の表面から浮き出ていた。額の左右から伸びた二本の角はそれぞれ微妙に別の方角を向いている。顔には隈取りと似た模様の化粧が施され、目の周りは黒く塗り潰されていた。鼻の横から頬にかけてや、顎の下にも黒くて太い線が走っている。刃物の如く尖った瞳は、樹流徒が今まで出会ったどの悪魔の目よりも赤い。血色の優れない唇の隙間から長い犬歯が覗き、手足の指先から伸びた爪は切れ味が良さそうな形状をしている。肩、両腕、そして脛には鈍色に輝く金属製の防具を身に着け、それぞれの防具には猛火が揺れているような起伏の激しい波紋が深く刻み込まれていた。


「ガネーシャは勝てそうか?」

 樹流徒はアプサラスに聞く。

「カーリーほどでは無いけれど、ラクシャーサもかなり強力な悪魔よ。でもガネーシャのほうが一枚上手だと思うわ。多分勝てるでしょうね。実際、彼らは過去に何度か対戦しているけれど、ガネーシャが勝ち越していたはずよ」

「そうか」

「ただし、戦いは常に何が起こるか分からないものよ。必ずガネーシャが勝つ保障なんてどこにも無いわ。ラクシャーサが最後に降世祭へ出場してから今日までのあいだにどれだけの力をつけたかも分からないもの」

 確かにその通りだ、と樹流徒は心の中で頷いた。

 アンドラスもアミトとの勝負で、戦いの恐ろしさを実感したばかりだろう。アプサラスの言葉に得心した様子で「オレもそう思うぜ」と言った。


 時を同じくして、観客席でも樹流徒たちと似たようなやり取りが交わされている。

「ガネーシャとラクシャーサは過去に六回も対戦しているが、ガネーシャが五勝一敗と大きく勝ち越している。今回の決闘もガネーシャが有利だろうね」

 下段奥の客席に立つ悪魔が、隣の悪魔に向かって物知り顔に語る。

 そのすぐ傍にいた悪魔は面白く無さそうな顔をして

「分かるもんか。降世殿には悪魔すらをも飲み込む魔が潜んでいると言われているんだ。得てして周囲の連中から有利有利と評されているヤツほど不覚を取ったりするのが、降世祭の決闘さ。きっとラクシャーサはやってくれるぜ」

 などと一人ぼやいた。


 檻から出たラクシャーサがリング中央に到達する。彼は立ち止まると、正面に立つガネーシャの顔を見上げた。両者の身長差は倍近くある。これだけ体格差があると人間同士の戦いであれば勝負にもならないが、魔界の者同士ともなれば当然関係なかった。

 象頭悪魔と羅刹。わずか数メートルの距離で向かい合う二人の戦士は、一瞬たりとも相手の顔から視線を外さない。両者の真ん中で見えない激しい火花が散っていた。

 観衆が息を飲む。多くの者が拳を握り締め、決闘が始まる瞬間に気勢をあげ、声を張ろうと、腹に力を溜めている。

 彼らの期待に一刻も早く応ようとするかの如く、ヴォラックがさっさと戦闘開始の合図を告げた。

「それでは第二戦、始め!」

 歓声が起こるよりも早いか、いきなり両戦士は共に後方へ跳び退()いた。ガネーシャはその巨体からは想像できないほど身軽だ。ラクシャーサも体の数箇所に重たそうな防具を身に着けていながら外見以上に機敏な動きを見せる。


 着地するや否や、ガネーシャは手を頭上にかざした。虚空から銀色の斧を取り出し、それを握り締める。一見すると普通の斧だったが、巨体のガネーシャが持つからそう見えるのであって、実際はかなり大振りな凶器だった。相応の重量もあるだろう。並の悪魔ではきっと両手で抱えるのも一苦労である。

 大きな斧で武装したガネーシャに対し、ラクシャーサも着地するなり両手を横に広げて、宙から二本の剣を出現させた。三日月のような形状を持つ剣だ。刃の反りが異様に大きく刃幅もかなりある。柄は鮮やかな朱色に染まっていた。


 両戦士は武器を手に身構える。ガネーシャはやや腰を落として斧を天に向けた。ラクシャーサは片方の剣を前に突き出し、反対の剣をすっと下げる。

 が、それきり二人は動きを止めた。互いに相手の出方を窺っているのだろう。第一戦とは対照的に慎重な立ち上がりだった。

「オオ……隙が無いな」

 アンドラスが感心した風に唸る。ガネーシャとラクシャーサの双方を言っているのだろう。

 かなり遠目とはいえ、戦士の間から観戦する樹流徒にも、両戦士の構えに隙が無いと分かった。これは、どちらも迂闊には動けない。


 一分……。ニ分……。樹流徒が想像した通り、リングの中で対峙する二つの影は、なかなか動かなかった。

 会場がざわつく。果たしてどちらが先に動くか、と初めの内は期待に目色を揃えていた観衆は、石像の如く固まったまま微動だにしない両戦士に段々としびれを切らせ、やがて好き勝手に喚き始める者が現れる。

 ――おい、何してるんだ。ちゃんと戦え。

 ――オレたちは睨み合いを見に来たワケじゃないんだぞ。早く殺し合え。

 ――臆したか!

 彼らの怒りは、全てではないにせよ、かなり多くがアンドラスとカーリーの戦いに端を発しているものと思われた。開始からたった二十秒で終了した上に死者も出なかった初戦は、多くの観衆にとって刺激不足だったはずである。となれば、当然ながら第二戦で派手な勝負が見たいと渇望する。彼らにとって、ガネーシャとラクシャーサが身動き一つ取らずに睨み合っている構図は、退屈以外の何者でもないだろう。

 ただ、そうした観衆とは逆に、戦士の睨み合いを手に汗握って見守る者もいる。

「これだから素人は困る。今、ガネーシャとラクシャーサは相手の動きを読み合い、頭の中で激しく戦っているのだ。そんなことも分からずに……」

 如何にも目が肥えた感じの悪魔が独り苦りきった声を漏らして、罵詈雑言を並べる他の観衆に呆れていた。


 両戦士の動きが止まってそろそろ三分以上が経つだろうか。

 観衆の罵声が徐々に異様なざわめきに変わろうとしていた。何故、ガネーシャもラクシャーサも動かないのだ? と不審顔を作る者も増えてきた。その最中である。出し抜けに戦いが動いた。


 仕掛けたのはラクシャーサ。青き羅刹は両腕を横に伸ばし剣を羽のように広げてガネーシャめがけて突進した。

 ガネーシャの斧は刃が大きい割に柄が短いため、武器のリーチだけならばラクシャーサが若干勝っている。ただし腕の長さも足すと圧倒的な巨躯を持つガネーシャがリーチの差を逆転した。

 正面から真っ直ぐ突っ込んでくるラクシャーサに対して、ガネーシャは肩と腕をいっぱいに伸ばし斧を斜めに振り下ろした。ラクシャーサの剣があと一歩届かない距離からの絶妙な攻撃を放つ。


 ラクシャーサは高い跳躍で斧の上を飛び越え、相手の頭上も飛び越えた。空中で体を捻り、ガネーシャのほうを向いて着地する。

 背後を取られたガネーシャはすぐさま反転しながら返しの刃を繰り出した。横に寝かされた斧が一文字を引いてラクシャーサの脳をまっぷたつに割ろうとする。

 ラクシャーサは柔軟な体を後ろに倒した。もう少しで頭が地面に着きそうなくらい背中を反らせ、ほとんどブリッジの姿勢で斧を回避する。危険が去るとすかさず手も使わずに素早く体を起こした。

 ならばとガネーシャは縦に斧を振り下ろした。ラクシャーサはバック転を連続で繰り出してまたもかわす。標的を逃した斧の刃は地を叩きつけ、小さな砂煙を四方に飛ばした。


 静かな立ち上がりから一転、急に激しい攻防が始まって観衆は言葉を失っていた。

 両戦士がにらみ合い仕切り直しの形になると、会場中から思い出したように大歓声が沸き起こる。

 ――ガネーシャ! ガネーシャ!

 ――ラクシャーサ! ラクシャーサ!

 両戦士の名前を呼ぶ声が客席の間でせめぎ合った。


 ラクシャーサがその場で剣を横に振り払う。空中に描かれた剣閃が赤く輝き出し、瞬く間に炎と化した。炎は三日月を(かたど)ってガネーシャめがけて真っ直ぐ走る。

 対するガネーシャは長い鼻を相手に向けていた。鼻の根っこが巨大な球体を無理矢理詰め込んだかのように大きく膨らむ。その膨らみは一瞬にして鼻の先端へと移動して、爆発した。水飛沫が弾ける。人の顔ほどもある水の砲弾がガネーシャの鼻先から飛び出したのだ。

 三日月の炎と、水の砲弾は、両戦士の丁度中間でぶつかり合って白い煙を上げながら相殺した。


 煙が掻き消えるよりも早いか、ラクシャーサが突進する。彼は助走をつけると前方に素早く跳躍し、剣を突き出してガネーシャのすぐ手前に飛び込んだ。するりと伸びた剣の先がガネーシャの下っ腹に肉薄する。させまいとなぎ払われたガネーシャの斧が、ラクシャーサ手から剣を弾き落とした。

 そう来ると承知していたのだろう。最初の突きが弾かれた直後、ラクシャーサは着地した足に力を込め、逆の手で第二の突きを繰り出す挙動を取った。ガネーシャは斧をなぎ払った勢いで上体が泳いでいる。魔法壁でも使わなければ二撃目を防ぐのは困難かと思われた。

 その困難をガネーシャはいとも容易くやってのける。彼はラクシャーサが次の一撃を繰り出すよりも先に、象の長い鼻を鞭のようにしならせていたのだ。ガネーシャの鼻が相手の横っ面を弾き飛ばした。思わず観客が自分の頬を押さえて顔を歪めるほど鮮烈な一撃である。


 凄まじい力で殴られたラクシャーサは横に吹き飛んだ。その拍子、彼の手に残された剣がこぼれ落ちる。

 ラクシャーサは腹から砂に倒れた。そこめがけてガネーシャが跳躍し、足の裏を落とす。ラクシャーサは素早く体を転がして回避した。ガネーシャの全体重を乗せた足が地面を叩き付け砂を飛び上がらせる。この一撃をまともに受けていたらラクシャーサの肉体は見るも無残に潰れていただろう。


 砂の上を転がったラクシャーサは体のバネを利用して手足を使わずに素早く跳ね起きた。

 ガネーシャは地面に落ちた敵の剣を二本とも拾い上げ、それを両手に構えて突撃しようとした。が、彼の後ろ足に力が加わった刹那、ラクシャーサが人差し指をくいっと前後に揺らす。その挙動に応じてガネーシャの両手から忽然と剣が消え、ラクシャーサの手元に戻ってきた。剣が瞬間移動したのである。

 武器を奪い返されて空手になったガネーシャは、すぐさま自分の斧を拾い上げた。


 アンドラスとカーリーが見せた一方的な勝負とは違い、第二戦は結末の分からない戦いだった。ガネーシャ有利というアプサラスの予想を裏付ける展開にはなっているが、そのアプサラスが先述した通り、ガネーシャが絶対に勝つ保障は無い。樹流徒の目から見ても、両戦士の実力にそれほど大きな差は認められなかった。片時も気が抜けない命の奪い合いに、良い戦いを期待していた観衆は盛り上がる。


「おっ。ラクシャーサが仕掛けるぞ」

 誰かが言った。

 ラクシャーサが妙な動きを見せたのである。彼は剣を掴んだ両手を広げ、その場でつま先を軸にして体を回し始めた。回転の速度は上がり続ける。五秒も数えない内に、ラクシャーサは独楽(こま)のように高速回転していた。


 小さな竜巻と化したラクシャーサは足元から砂煙を上げてガネーシャに突っ込む。

 竜巻が目前まで迫った刹那、ガネーシャは横に飛んで回避した。彼が立っていた場所をラクシャーサが通過する。バチパチと細かな音が鳴っていた。ラクシャーサの足元から舞い上げられた砂が、高速回転する剣に触れて弾かれている音である。


 間一髪難を逃れたガネーシャだが、彼がひと息ついている暇は無かった。青い竜巻は回転を維持したまま方向を変えて、ガネーシャを追尾する。

 ガネーシャは後方へ跳びながら相手の足元めがけて斧を投じた。しかしラクシャーサはなおも高速回転を保ったまま、ただ剣を下に向けるだけで、足下に飛んできた斧を難なく弾き返す。

 ならば、とガネーシャは長い鼻を相手に向け水の砲弾を発射した。先ほど三日月の炎を相殺した一発目よりも一回り大きな水の塊がラクシャーサを襲う。


 ラクシャーサは真上に高く跳躍した。さすがに空中では回転を保っていられないのか、彼の動きが宙でぴたりと止まる。回転だけでなく落下も中断されていた。ラクシャーサは羽も使わず虚空に停止する。

 目の良い観客が「あっ」と驚いてラクシャーサを指差した。ラクシャーサが所持していた二本の剣が、いつの間にか六本のナイフに代わっているのである。空中に浮くラクシャーサは両手の指に挟んだナイフをガネーシャめがけて一斉に投じた。


 ガネーシャは回避しない。何を思ったか、彼はその場で思い切り片足を振り上げ四股を踏んでいた。ラクシャーサがナイフを投じたときには、足の裏を大地を叩き付けリングに地響きを起こす。リングの揺れが最も強くなったとき、砂の底から巨大な石の壁が飛び出した。ガネーシャを遥か頭上から見下ろすほど大きな石壁が、空から降り注ぐナイフを全て防ぐ。

「ほう。あの能力は初見だな」

 と、ガルダ。ガネーシャも今回の降世祭に向けて新しい力を身につけていたのだろう。それが早速役に立ったようである。


 しかしガネーシャが呼び出した巨大な石壁は、ラクシャーサの攻撃ばかりでなく、ガネーシャの視界をも遮っていた。彼は寸秒ラクシャーサの姿を見失う。役目を終えた石壁が地中に沈んでゆくとき、宙に停止していたラクシャーサの姿はもうどこかへ消えていた。


 下段から中段の客席で観戦している悪魔たちの額はどれも頭上を仰いでいた。

 巨大な影が地面を横切って、ガネーシャもぎょっとしたような目で上を見る。彼の瞳に写ったのは巨大な鳥――灰色の翼で風を切って飛ぶ(ふくろう)だった。




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