赤い腕
降世祭九日前。まだ夜空の月が億万の星と戯れている頃、樹流徒たちは黄金宮殿を発った。彼らが目指すのは決戦の地ジェドゥ。千年にたった一度の祭りが行われる聖地である。
ジェドゥへ赴くのは何も戦士ばかりではない。鳥人が六名、ガルダの護衛と荷物持ちを兼ねて樹流徒たちに随行することになった。彼らは丈夫な縄を使って背中に大きな水瓶をくくりつけ、槍を手に、先頭を歩くガルダの両脇をしっかりと固めている。
「デカラビアのヤツ大丈夫かな?」
出発してすぐ、アンドラスは一度だけ黄金宮殿を振り返った。中庭で開かれた晩餐会から既に数時間が経過しているが、デカラビアは未だ身動きが取れず宮殿の一室で寝込んでいる。その原因がタダの酒酔いでないことは最早誰の目にも明らかだった。一方で、デカラビアの身に降りかかった悲劇が自業自得であることは、本人以外誰も気付いていないようである。
デカラビアの一件を除けば特に変わった事件も起こらず、晩餐会は盛況の内に終了した。大いに食べ、大いに飲み、そして大いに騒いだ悪魔たちは、最後に戦士たちへ激励の言葉を送り、それを別れの挨拶代わりにして一足先に宮殿を去った。樹流徒たちが宮殿を発つ頃には、もう中庭は完全なもぬけの殻となっており、地面で寝転がっていた泥酔者も、鳥人の影も、どこにも見当たらない。物も全て綺麗に片付けられ、焚き火の跡すら残っていなかった。
空が微かに白み始め、頭上に浮かぶ月の姿がおぼろげになった頃、樹流徒たちは黄金宮殿を包囲する砂嵐を抜けた。そこから先は毒沼が点在する砂漠が延々と続いている。聖地への旅はまだ始まったばかりである。
黒猫の悪魔バステトから聞いた話によれば、ジェドゥは魔界血管を内蔵する二つの塔からずっと北上したところに位置しており、黄金宮殿からそこまで着くのにゆっくり歩いて一週間ほどかかるという。
吹き荒れる砂嵐から抜け出ると、樹流徒はガネーシャに声を掛けた。道すがら降世祭のルールについて彼に教えてもらおうと思ったからである。今まで何度も降世祭に出場しているガネーシャならば決闘のルールを熟知しているに違いない。
ガネーシャは集団の一番後ろを歩いていた。樹流徒が振り返って声をかけると、ガネーシャは「それじゃあ簡単に決闘のルールを説明しようか」と快く引き受けてくれた。彼の口から語られた話の内容は以下の通りである。
降世祭では太陽の国と月の国がそれぞれ五名ずつ戦士を出して命がけの決闘をさせる。決闘は一対一の星取り形式で行われ、先に三勝を挙げた国の勝利となる。ただし、どちらかの国が勝利を確定させても決闘は最後の五戦目まで行われる。仮に三連勝しても残りニ試合も行われるのだ。
決闘は相手を殺すか、戦闘不能にさせるか、降参させれば勝ちとなる。相打ちで両戦士が同時に死亡もしくは行動不能に陥った場合は引き分けとなる。
武器や防具の使用は自由。魔空間の構築を除き、ありとあらゆる能力を使用して良い。使い魔の召喚も許可されている。
一方、禁止されていることもあり、魔空間の使用、審判への攻撃、そして他の戦士に加勢する行為などは全て反則である。尚、反則行為を犯した戦士は失格となる上、反則の内容に応じた処罰を受けることになる。処罰については両国の戦士のみならず、観客に対しても適用される。たとえ観客でも試合を妨害したらタダでは済まないというわけである。
決闘に制限時間は無いが、降世祭の開催期間が日没から翌日の日没までの丸一日であるため、それまでに勝負がつかなかった場合、残りの決闘は全て中止となる。もしそうなった場合、終わりの日没が訪れた時点で勝ち星が多い国の勝利となる。もし勝ち星が並んでいれば、前回の降世祭で勝利した国(今回の場合は月の国)が勝者となる。また、五戦全て終了した時点で勝ち星が並んだ場合も同様である。
「まあ、こんなことろかな。ほかにも細かいルールがあったかもしれないけど、覚える必要は無いよ。とにかく反則さえしなければ大丈夫さ」
そう言ってガネーシャは説明を締めくくった。
彼の話を聞いて、樹流徒は一安心した。殺す以外のやり方で決闘に勝つ方法があると改めて確認できたからである。あとはルールに従って正々堂々と勝利するのみだった。
やがて夜明けの太陽と共に、キラキラと輝くものが前方に見えてくる。
闇に輝く花は樹流徒も一度見ているが、花にしては余りにも大きい。一体何かと思って目を凝らしてみると、その正体はオアシスだった。深い緑色の木々に囲まれた湖が地平に輝く太陽の光を反射しているのである。
「あれはこの暴力地獄にたった三つしかないオアシスの内の一つだよ。しかも三つの中で一番大きいヤツらしいぜ。黄金宮殿の水もあのオアシスから運ばれてるって話だ」
樹流徒の隣を歩くアンドラスがそう教えてくれた。
太陽の国の一行はオアシスのほとりに腰を下ろす。アンドラスは湖に頭を突っ込んで物凄い勢いで水を飲み始めた。そこから少し離れた場所で樹流徒は顔や手を洗って汚れを落とす。ガネーシャも象の鼻で吸い上げた水を頭から豪快に被って全身に付着した砂を洗い流し始めた。アプサラスはしなやかな脚をそっと湖に浸し、水面に広がる波紋を見つめる。
「このオアシスを離れたらジェドゥに着くまで休憩は無い。今の内にしっかり休んでおいて欲しい」
ガルダが誰にともなく言った。基本的に悪魔という種族に体力の限界は無いので、ガルダは「精神を休めておけ」という意味で言っているのだろう。
彼の言葉に従って、樹流徒はオアシスの美しい水や木々の葉を見ながら心を癒した。他の戦士たちもリラックスした雰囲気でくつろいでいる。あと十日足らずで命懸けの決闘に臨むというのに、誰一人として気負った様子は無かった。さすがに数千の悪魔たちの中から選ばれた猛者だけのことはある。
戦士たちが休憩を取る一方、鳥人たちは背中の水瓶を下ろして、その中にオアシスの水を汲んでいた。水瓶に蓄えられた水は主にジェドゥにたどり着くまでの飲み水として利用される。降世祭が終わって宮殿に帰る際にもオアシスで水を汲み、そちらは宮殿の水路に流し入れるのだという。
「もっとも、降世祭で我々が勝利すれば、オアシスの水を汲む必要も無くなるのだがな」
そう語ったのはガルダ。きっと太陽の国が勝てば黄金宮殿の近くに美しい川や湖が現れるのだろう。水瓶を背負ってわざわざ遠くのオアシスまで歩く必要は無くなるというわけである。
ある程度時間に余裕を持って黄金宮殿を出たため、太陽の国の一行はたっぷりと休憩を取った。
樹流徒は大地の上で仰向けになり、風に乗って飛んでくる砂が目に入らないよう瞼を閉じた。
ふと、自分が降世祭で戦う相手は誰だろうか、と想像する。月の国も太陽の国と同じように多くの悪魔の中から厳選した戦士を出してくるはずである。一体、自分の対戦相手はどんな姿をし、どんな能力を使ってくるのか? 今まで戦ってきた異形の強敵たちが幻影となって樹流徒の頭の中に浮かんでは消えた。
その空想がまだ終わらない内……
「おや。こっちに何か来るぞ」
ガネーシャの声で、樹流徒は目を開けた。
上体を起こすと、すでに他の悪魔たちは立ち上がってガネーシャと同じ方角を見ている。樹流徒もそちらに視線を送った。
すると確かにガネーシャが言う通り、こちらに向かって駆けてくる者がある。
鰐の頭部と、ライオンの胴体を持った悪魔だった。体長は二メートル前後あるだろうか。巨体の割に恐ろしく俊敏な獣である。激しく大地を蹴る足下からは小さな砂埃が立っていた。
「あれは“アミト”かしら?」
アプサラスが落ち着き払った口調で言う。
「本当だ。アミトだ」
「アミトに違いない」
「しかしアミトが何の用だ? オアシスの水が目当てか?」
鳥人たちも次々とその名を口にした。こちらに向かってくる異形の獣はアミトと呼ばれる者らしい。樹流徒だけが知らない悪魔だった。
オアシスに向かって猛然と駆けてきたアミトは、樹流徒たちの前で立ち止まる。遠目では分からなかったが、この悪魔は後ろ足だけ河馬の姿になっていた。
ワニの顔、ライオンの体、そしてカバの後ろ足を併せ持つアミトは、獲物を物色するような目で戦士たちの顔を順に見回す。最後、ガルダと視線が重なったところで瞳の動きを止めた。
「探したわよガルダ」
アミトがやや艶かしい声を発する。その容貌からは到底判別できなかいが、声色といい、言葉遣いといい、どうやらこの悪魔は女性らしい。もっとも今回に限ったことではないが、悪魔に性別があるかどうかは不明である。
突然の乱入者に、ガルダは心なしか不審顔を作って
「私に何の用だ?」
すげなく言った。アミトがわざわざこんな場所までやって来た目的を問う。
「そんなの聞かなくても分かっているでしょう? 降世祭が迫った今の時期、アナタへの用事などたった一つしかないわ……。そう、この私を太陽の国の戦士に加えなさい」
アミトは命令口調で言った。
余りにも唐突で勝手な要求だった。黄金宮殿で行なわれた試験は既に終了しているにもかかわらずアミトは「自分を仲間にしろ」と言っているのだ。そのような前例は過去に無かったのだろう、鳥人たちは揃って「なに?」と驚きの声を重ねた。
戸惑う配下とは対照的に、ガルダは微塵も動じていない。
「残念だったな。もう戦士選抜は終了している。我々は今、聖地ジェドゥへ向けて移動している最中だ」
そう冷静に告げた。
それでアミトが大人しく諦めてくれれば話は済んだが、現実は全くの逆で、彼女もガルダに負けず劣らず図太い神経の持ち主らしい。
「試験が終わってしまったのは承知してるわ。でもチャンスが欲しいの」
アミトは諦めるどころか積極的に自分を売り込む。
「貴様。突然現われたかと思えば、何を勝手なことをベラベラと……」
鳥人の一人が槍の穂先を前に突き出してアミトに一歩詰め寄る。それを見てほかの鳥人たちも一斉に武器を構えた。
「待て、オマエたち」
鳥人の動きをガルダが制する。
「何やら雲行きが怪しいなぁ」
ガネーシャは一人静かに呟くと、その場に腰を下ろした。
「考えてもみなさいよ。アナタたちが必要としているのはより強い戦士でしょう? 試験が終わったとはいえ、今の戦士よりも強力な悪魔が仲間に加わるなら、その好機をみすみす見逃す手はないはずよ。それとも太陽の国の王は、降世祭三連敗のショックでその程度の判断もできなくなってしまったのかしら?」
アミトは蔑むような笑い声を上げる。
自分たちの王を愚弄されて、鳥人たちが一斉に殺気立った。ガルダの制止を振り切ってでもアミトに襲い掛かりそうな雰囲気を漂わせる。
それでもガルダ自身はあくまで冷静だった。
「安い挑発だな、アミト。しかしオマエの言う事にも一理ある」
と、ガルダはアミトの言葉に怒るどころか、一定の理解を示した。
これには鳥人たちも少し驚いた顔で王の顔を見る。一瞬真ん丸になった彼らの瞳は、すぐに無念の色を帯びた。「ガルダ様はなぜこのような狼藉者をお許しになるのか?」と言いたげな目である。
「そうだな……」
すると何を思ったか、ガルダは周囲に視線を巡らせる。それはアプサラスとガネーシャを通り過ぎ、樹流徒も通り過ぎて、アンドラスのところでピタリと止まった。
「分かった。では望み通りチャンスを与えよう。五分以内にこのアンドラスを降伏させるか倒してみるがいい。そうしたらアミトをアンドラスの代わりに我が国の戦士として迎えてやる」
ガルダの決定に、鳥人たちがざわつく。樹流徒はやや表情を険しくさせた。
「おい、何勝手に決めてんだよ」
アンドラスが憤慨する。折角厳しい試験を潜り抜けて戦士に選ばれたというのに、後からやって来たアミトがその座を奪い取ろうとしているのだ。ガルダが下した裁定はアンドラスにとって些か理不尽な内容であり、彼が抗議の声をあげるのも当然だった。
アミトは鰐の大きな口を嬉しそうに歪める。
「話が分かるわね。流石ガルダ。ちなみにアンドラスを殺してしまってもいいのかしら?」
「ああ、好きにしろ」
「だからオレを無視して勝手に話を進めるなよ」
アンドラスは地団駄を踏む。ガルダの鋭い視線がそちらを見た。
「いいかアンドラス。この戦いはオマエが圧倒的に有利だ。何しろアミトは五分以内にオマエを倒さなければいけないのだからな。アミトは宮殿での試験を受けていない。その不平等を解消するための、五分以内という取り決めだ」
「でも、だからってよォ……」
「何? ひょっとしてアナタ、私が怖いの?」
アミトがアンドラスに挑発的な視線を投げる。
その行為がアンドラスの闘志に火をつけてしまったようだ。
「よぉし。分かった。そこまで言うならやってやるよ。逆に五分以内にオレがオマエをやっつけてやる」
カラス頭の悪魔は嘴を天に向かって広げ、奇態な声で吠えた。
「乗るなアンドラス」
何となく嫌な予感がして樹流徒は止める。
アンドラスは聞かなかった。
「まあ見とけって。オマエほどじゃないとしてもオレだって結構強いんだぜ」
そう自信ありげに言って胸を張る。
戦士に選ばれているという時点で、アンドラスが強いことは樹流徒も十分理解していた。アミトがどれだけ強い悪魔だったとしても、アンドラスはそう簡単にやられたりしないだろう。しかしそれを分かった上で、樹流徒は妙な胸騒ぎがしたのである。
ここでガネーシャが口を挟む。
「なあガルダ。もしこの戦いでアンドラスが怪我したらどうする? 最悪アンドラスとアミトが両方とも負傷した場合、こちらは怪我人を一人抱えて降世祭に臨まなければいけないんだよ?」
穏やかな口調ながら、それは紛れも無くガルダの考えに真っ向から反対する意見だった。
ガネーシャの指摘をガルダは突っぱねる。
「文句があるならば、ガネーシャ……お前が戦士から抜ければ良い。そうすればアンドラスが戦わずともアミトは戦士の仲間入りを果たす。怪我人なしで降世祭に臨めるぞ」
ガルダの反論は、ガネーシャだけでなく、樹流徒を含めた全員を黙らせた。最早何を言っても戦いは避けられないようである。
「問題ないって。要はオレが無傷で勝てばいいんだろ?」
アンドラスはしゃがれた声でグゲゲと笑った。
結局、戦士の座を賭けた勝負は決行される運びとなった。オアシスから少し離れた場所で、アンドラスとアミトが向かい合う。
「よし。では始めろ」
ガルダの号令と共に、対峙する二体の悪魔が駆け出した。彼らは足跡で砂浜に平行線を引きながら、さらにオアシスから離れて行く。樹流徒の視界に両者の姿が人形くらいの大きさに見えたとき、並行に駆ける異形の影は寸分の狂い無く同時に停止した。
「あーあ。折角止めようとしたのに。ボクはもうどうなっても知らないよ」
ガネーシャが頭の後ろで両手を組んで欠伸をしたとき……
アンドラスが先に仕掛けた。彼は掌を重ねて前に突き出す。その中心から紫色の炎が飛び出した。炎はアンドラスの手から離れた途端に球体を模り、さながら線香花火の如く細かな火花を周囲に撒き散らす。その状態を保ったままアミトめがけて飛翔した。
ふっと軽い息を吐いて、アミトは後ろ足で立ちながら前足を振り上げる。その刹那、振り上げられた獅子の足が変質した。白と狐色が入り混じった短い毛に覆わた皮膚が、瞬く間に黒ずんだ鰐の鱗に変わったのである。分厚く頑丈そうな皮膚に覆われたアミトの前足が迫り来る炎を弾き飛ばす。衝突の瞬間に炎が破裂してアミトの足に火種が燃え移った。
それでもアミトは平然としている。彼女は顔色一つ変えることなく、腕でくすぶる火種が消えるのも待たず反攻に転じた。
アミトは口をいっぱいに広げるとそこから赤い物体を飛ばす。舌ではない。もっと長くて太いものだった。
「腕?」
意外な物を目の当たりにして、樹流徒の口から思わず声が漏れた。
そう。アミトの口から吐き出された赤い物体は、舌でもなければ炎でも血でもない。五本の指を持った真っ赤な腕だったのである。
鰐の口から飛び出した赤い腕は伸縮性があるらしく、数メートル離れたアンドラスの元まで届くだけの長さがあった。
アンドラスは「おっ」と驚きとも掛け声ともつかぬ声を発して、機敏な動きで横に跳ぶ。かろうじて相手の魔手から逃れ、砂の上を転がった。
「アミトのヤツ、本当にアンドラスを殺す気だねぇ」
ガネーシャが、穏やかな口調の割に物騒な台詞を吐く。
それを樹流徒は聞き逃さなかった。
「どういう意味だ? 本当に殺す気って……」
「アミトの口から伸びる赤い腕は、相手の急所……主に心臓を握り潰すと言われている。もし捕まったら、たとえ悪魔でも命は無いだろう。あの能力を使ったということは、アミトは最初からアンドラスを殺すつもりで戦っているということだ」
そんな話を聞いたら、樹流徒はいよいよ両者の姿から目が離せなかった。かなり遠目なのではっきりとは確認できないが、アンドラスはいつになく真剣な顔つきをしているように見える。樹流徒が知るいつもの陽気なアンドラスとはまるっきり別人だった。
悪魔にすら死をもたらすという恐怖の赤い腕は、カメレオンの舌みたく素早い動きでアミトの口内に戻った。
砂上を転がって攻撃を回避したアンドラスは片膝を起こす。そしてアミトの動きを真似るように嘴をいっぱいに広げた。
アミトが腕を吐き出したのに対し、アンドラスが口内から放ったものは不快な音波。生物が発したとは思えない金切り声が空気を歪に震わせ樹流徒の耳まで届いた。神経を蝕むその不快音に、鳥人たちは耳を塞いで険しい顔をする(外見上分かりにくいが、鳥も人間と同じように目の後ろに耳がある)。近距離から不快音の衝撃を浴びたアミトに至っては両手で頭を抱えて苦しみ出した。
アンドラスの息が続かないのか、間もなく不快音は途絶えた。苦しみ悶えていたアミトが復活する。ただ、そのあいだにアンドラスは完全に立ち上がって体勢を立て直していた。元よりそのための攻撃だったのだろう。
超音波が止むとすぐ、アンドラスは開いた手を頭上に掲げる。何も無い空中から青銅色の剣が出現した。手元に現われたその剣を握り締めてアンドラスは果敢にアミトへ立ち向かってゆく。
赤い腕の存在を考えると迂闊にアミトへ接近するのは危険に思えるが、アンドラスに臆した様子は無い。かなり勇気の要る行動だ、と樹流徒は感心した。
ただ、アンドラスが迷わずアミトの懐に飛び込めるのにはちゃんとした理由がるようだ。
「アミトの口から吐き出された赤い腕は一度空気に触れると溶解してしまうらしい。さっきアンドラスを襲った腕も今頃はアミトの口内で溶けているはずだ。新たな腕がアミトの体内で作り出されるまで多少時間がかかるだろうねぇ」
誰に頼まれるでもなくガネーシャが解説をする。
要するに、アミトの赤い腕は連続使用できないらしい。そのことをアンドラスも知っているのだとしたら、彼がアミトに対して果敢に接近戦を挑めるのも納得だった。
アミトが体内で次の腕を作り出す前にアンドラスは勝負を決めてしまいたいところだろう。もっとも、アンドラスは五分間戦い続ければ勝ちである。無理にアミトを倒す必要は無い。
その事実をアンドラスが失念しているとは考え難いが、もしかするとアンドラスは頭に血が上って無理に相手を倒そうとしているのかもしれない。
そのような憶測を樹流徒に抱かせるくらい、アンドラスの攻めは積極的だった。剣を振り回して相手を追うアンドラスと、後ろに下がって回避に専念するアミト。「攻撃こそが最大の防御」という言葉をアンドラスは実践しようとしているのかもしれない。
「アミトはあえてアンドラスに猛攻を仕掛けさせて反撃を狙っているわ」
と、ここまで沈黙していたアプサラスが口を開く。
確信めいた彼女の言葉はすぐ現実のものとなった。
力強く振りぬかれたアンドラスの剣を後方に跳んで回避したアミトは、着地のついでに前足で大地を叩く。
それを合図にアンドラスの両脇で砂が盛り上がった。鳥人の誰かが「あっ」と叫んだときには、隆起した砂の中からワニの顎みたいなものが姿を現す。どちらが上顎でどちらが下顎かはわからない。人間を丸呑みできるほど大きな二つの顎が、鋭い牙を剥き出しにしてアンドラスを捕食しようと左右から迫った。