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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
244/359

小さな陰謀



 宮殿の中庭は、少し前まで決闘が行なわれていた場所とは思えないほど陽気に賑わっていた。

 砂が敷き詰められた地面の真ん中で、大きな焚き火が燃えている。人の何倍も高く積み上げられた木材が、内側に閉じ込めた炎に照らされて赤赤と輪郭を浮かび上がらせていた。宮殿の高い壁に囲まれた中庭は無風状態で、炎から舞う大量の白煙は天を目指して真っ直ぐ昇ってゆく。


 焚き火の周りには大勢の悪魔が集まっていた。わざわざこの時のために集められたのだろうか、異形の者たちが会場を盛り上げようとしきりに騒いでいる。ある悪魔は太鼓に似た打楽器を打ち鳴らし、その隣では別の悪魔が横笛を吹き鳴らしながら軽快なステップを踏んでいる。十数名の踊り子たちが華麗なダンスを披露し、それを遠巻きに見つめる大勢の観衆たちが喝采を送っていた。大勢の観衆というのは、主に試験参加者と思しき者たちである。中庭で命がけの決闘をしていた悪魔たちが、武器を放り、鎧を脱ぎ捨て、数時間前の激闘を忘れて陽気に盛り上がっていた。無論、試験に臨んだ者全てがこの場に残っているわけではない。決闘で負った傷を抱えて帰路に着いた者もいれば、負傷こそ免れたものの降世祭出場を逃して失意の内に宮殿を去った者もいるだろう。ウヴァルの姿もどこにも無かった。そんな彼らの分まで盛り上がろうとするかのように、宮殿に残った者たちははしゃいでいる。

 また、観衆の中には試験参加者らしからぬ者たちも混ざっていた。彼らが何者で、何のためにどこからやって来たのかは分からない。ガルダが招いた客人なのかもしれないし、太陽の国を応援するために集まった者たちなのかもしれない。強いて彼らの正体を推察するならば、海底神殿を訪れる悪魔の数が極めて少ないことから、上の階層から来たのはなく、この階層ないしは下の階層からやって来た者たち、としか言えなかった。


 太陽の間をあとにした樹流徒たちが中庭に到着すると、一足先にそこへ降り立っていたガルダが元々大きな声をもっと大にして張り上げる。

「ようこそ戦士たちよ。今宵は思う存分食べ、飲み、歌い、そして踊り、活力を養ってくれ」

 ガルダの言葉に呼応して、中庭に集まっていた悪魔たちが戦士たちに歓声を浴びせた。この時ばかりは樹流徒に対して罵声を発する者はいない。試験の結果も、キルトの存在も、全てを受け入れた上でお祭り騒ぎをしたい連中だけがこの場に残っているのだろう。


 中庭を囲う外壁に沿って長方形のテーブルが並べられていた。白いテーブルクロスの上で三又燭台のロウソクが炎を灯し、宮殿内から運ばれてきた魔界の料理や酒が所狭しと並べられている。その周りにも大勢の悪魔が集まって談笑を交わしたり、料理に舌鼓を打ったりしていた。中には早くも酒の酔いが回っていびきを掻きながら地面に寝転がっている者もいる。壁に向かって何やらぶつぶつと独り言を呟いている酔っ払いもいるし、食べ物の取り合いをしている者や激しく口論している者もいる。お世辞にも品のある集いではなかったが、代わりに全体が自由という名のエネルギーに満ちていた。


 この騒がしい集会は、現世でいうところの壮行会みたいなものだろう。降世祭で戦う戦士たちを激励しようという、ガルダの粋な計らいである。

「こいつは凄ェ」

 興奮したアンドラスが駆け出す。彼は焚き火の周りで踊る悪魔たちに混ざってしゃがれた声で歌いだした。耳を塞ぎたくなるほど酷い歌声だったが、それでも観衆たちは盛り上がる。今だったらきっと何をしても楽しいのだろう。箸が転がっても笑ってしまうお年頃みたいな状態なのである。

 ――いいぞアンドラス。

 ――もっと踊れ、歌え。

 ――頼んだぞアンドラス。降世祭では応援してやるからな。

 異形の者たちが思い思いの言葉を放つ。彼らは酒を飲んでもいないのに酔っ払っていた。


「それじゃあ、私も楽しませてもらおうかしら」

「よおし。食べるぞ」

 踊り子風の悪魔アプサラスと象頭悪魔ガネーシャも、アンドラスに続けとばかりに会場のどこかへ散っていった。五芒星の悪魔デカラビアの姿もいつの間にか消えている。


 ガルダは中庭のある場所で数名の悪魔たちと会話をしていた。彼の背後には二体の鳥人が控え、さりげなく周囲に注意を払っている。

 樹流徒はガルダの元へ向かった。壮行会を楽しむのも良いが、まずはやるべきことをやっておかなければいけない。

「よォ首狩り。楽しんでるか?」

 歩いている途中、見知らぬ悪魔がすれ違いざま樹流徒に声を掛けてきた。

 その一体だけではない。

 ――首狩り。降世祭では絶対に勝てよな。

 ――オレは太陽の国に勝ってもらいたいんだよ。だから今回だけはオマエを応援してやる。まあ、せいぜい頑張れよ。

 ――おい、首狩り! 肉食うか、肉?

 顔も名前も知らない悪魔たちが次々と声をかけてくる。彼らはいつになく樹流徒に対して友好的だった。


 何やらくすぐったいモノを感じながら、樹流徒は行き交う異形たちの間をすり抜けてガルダに近付く。

 樹流徒が接近すると、ガルダの背後に控えていた鳥人たちが前に出た。太陽の戦士とはいえ悪名高い首狩りキルトが、万が一にもガルダに危害を加えないとは限らない。そのような邪推を回したのだろう。

 一歩踏み出した鳥人たちは槍を構える。それをガルダが手で制した。

「失礼。また後ほど」

 ガルダは会話中の悪魔たちにそう言って、配下の鳥人には「下がれ」と命じた。そして悪魔たちの輪から離れ、一人で樹流徒の元へと歩み寄ってくる。


 互いに近付く両者は、向かい合って立ち止まった。

 先に口を開いたのはガルダ。

「来たなキルト。降世祭では頼んだぞ」

「ああ」

「では人払いも済ませたことだし、静かな場所へ移ろうか。そこでオマエの話とやらを聞かせてもらおう」

 樹流徒たちは一旦中庭を出て、宮殿の廊下で話をすることにした。


 移動中、悪魔たちがやたらと声をかけてきた。五歩か十歩進むごとに次の悪魔が寄ってくるほどの頻度である。その大半がガルダへの挨拶だった。ここがガルダの宮殿であることを考えれば当然の現象だが、彼を慕う悪魔の数は樹流徒が想像している以上に多そうだった。


 喧騒から離れて、樹流徒とガルダは誰もいない宮殿の廊下で改めて向かい合う。二人の横には中庭と廊下を隔てる円柱状の柱が並び、その隙間から射す焚き火の明かりが樹流徒たちの足下をうっすらと照らした。

 樹流徒はすぐに口を開く。

「単刀直入に言う。お前が所持しているというアムリタが欲しい」

「ほう……」

 ガルダは腕組みをした。

「確かにオマエの言う通り、私はアムリタを所持している。しかし意外な要望だな。アレを手に入れてどうするつもりだ?」

「仲間を助けたい。アムリタさえ手に入れば何とかなるかもしれないんだ」

 樹流徒はガルダの顔を真っ直ぐ見上げた。

「なるほど……。目を見ればオマエの話が嘘でないと分かる。降世祭に出場するのも仲間を助けるためか」

「頼む。他の報酬は何もいらない。だから代わりにアムリタを譲ってくれ」

 樹流徒はあらん限りの情意を込めて頼み込んだ。もしこれでガルダが拒否すれば打つ手は無い。心臓の鼓動が多少早くなった。


 ガルダはたった数秒考えただけで結論を出した。

「良いだろう。オマエにアムリタを分けようではないか」

「本当か?」

「ただし、一つだけ条件がある」

「条件? それは?」

「決まっている。降世祭の決闘でオマエが勝利することだ」

「……」

「決闘は勝ち抜き形式ではなく、星取り形式で行われる。つまり一対一の試合を五回行い、先に三勝した側の勝利となる。勝ち抜き形式ならば私一人でも太陽の国を勝利に導く自信があるが、星取り形式ではそうもいかない。私を含め、三名が勝利しなければいけないのだ。その一名にお前がなって欲しい」

「そうすれば、アムリタを譲ってくれるのか?」

 樹流徒の言葉に、ガルダは即座に頷いた。

 樹流徒もすぐに頷き返す。

「分かった。約束だ。必ず勝利を挙げてみせる」

 初めから樹流徒は降世祭で活躍することによりガルダからアムリタを譲ってもらうつもりだった。ガルダが提示してきた条件は樹流徒が望んでいたものであり、断る理由が無かった。


 こうなったら何が何でも降世祭では負けられない。樹流徒は本番の戦いに向けて意気を燃やす。

「あ。ところで降世祭はいつ始まるんだ?」

 そういえば、本番の戦いと言っても、まだ祭りの日程を知らないことに樹流徒は気付く。

 問われたガルダは一瞬だけ目を丸くした。

「呆れたニンゲンだな。そんなことも知らずに戦士の仲間入りを果たしたのか。前代未聞だぞ」

 と、少し可笑しそうに言った。そのあと樹流徒の疑問に答える。

「降世祭は十日後の日没から始まる。しかし祭りの会場である聖地ジェドゥはここから少し離れている。そのため我々は明日には黄金宮殿を発つのだ。決して忘れるなよ」

「ああ。覚えておく」

「出発の時刻までもう間もなくだが、それまでは自由に行動してくれて構わない。ただし宮殿から出るのは禁ずる。過去、出発直前に戦士が行方をくらました例が無かったわけではないからな」

「分かった」

「では、いましばらく楽しいひと時を味わってくれ。宮殿から運ばれてくる料理の中にはニンゲンの口に合うモノもあるはずだ。美味しい酒もある。他に所望するものがあれば遠慮なく私の配下に申し付けてくれて構わない」

 最後にそう言い残して、ガルダは中庭へと戻って行った。


「八坂兄妹。それに渡会さん。もう少しだけ待っていてくれ……。アムリタは必ず手に入れる」

 誰もいなくなった廊下で、樹流徒は独り静かに誓いを立てる。

 そのあとガルダの後を追って中庭へ降りた。


 広場では未だ悪魔たちがしきりに騒ぎ続けていた。樹流徒は適当にその辺りを巡ってみようと足を進める。

 歩き始めてすぐ、アプサラスの姿を見つけた。彼女の両隣には悪魔が立ち、三名で楽しそうに会話をしている。そのすぐ近くではガネーシャがテーブル上の料理を次々と平らげていた。彼の眼前には空になった皿の山が積まれている。鳥人たちが必死になって新しい料理を運んでいた。宮殿内の厨房も大変なことになっているだろう。


 彼らの前を通り過ぎると、やがて視界の先に知った顔を見つけた。

 マネキンの如く生物感に欠けた肌を持つ二体の悪魔――タウティとザリチェである。

 中性的な外見を持つ二人はワイングラスを片手に、焚き火の周りで舞う踊り子たちの姿を遠巻きに眺めていた。

 樹流徒は彼(女)たちの元へと近付く。

「二人もこの中庭にいたんだな」

 声をかけると

「キルトか。改めて戦士の仲間入りおめでとう。後でオマエに声をかけようと思っていたんだ」

 と赤い短髪のタウティ。

「降世祭でのオマエの戦いにぶりに期待させてもらうぞ」

 続けて銀髪のザリチェ。

 樹流徒は足を止めて、しばらく二人と会話することにした。


 一方、その頃……。

 樹流徒のあずかり知らぬ所で、ある小さな陰謀が実行されようとしていた。

 首謀者の名はデカラビア。彼はテーブルの下に隠れ、テーブルクロスの陰から樹流徒の姿を凝視していた。


「ふ、ふ、ふ。私を差し置いてニンゲン風情が降世祭に出場するなど、あってはならない事です」

 デカラビアは独り言を呟き、闇の中で三つの目玉を怪しく光らせる。

 彼は体内から何かの物体を取り出した。取り出すと言っても、五芒星の姿をしたデカラビアには四肢が無い。彼は念動力らしき力を使って、手を使わずに体内から物を取り出したのである。


 デカラビアが体内から取り出したのは一つの小瓶だった。親指程度の大きさしかない透明な小瓶である。ビンはコルク栓で閉じられ、中には青紫色のいかにも不審な液体が満ちていた。

「この麻痺毒をニンゲン風情に飲ませれば、ヤツは七日七晩のあいだ体の自由が利かなくなります。降世祭にも出場できなくなるでしょう。まあ、別にこれを飲んだからといって死ぬことはありませんし、何も問題ないはずです」

 ちょっとした嫌がらせのつもりなのだろう。デカラビアは樹流徒に麻痺毒を飲ませて降世祭への参加を辞退させるつもりらしい。

 デカラビアは念動力らしき能力を使って、テーブル上に置かれたワイングラスとボトルを自分の元に引き寄せる。グラスに酒を注いだあと、その中に小瓶の麻痺毒を混入した。

「さて。これで準備は完了。あとはこれをニンゲン風情に飲ませるだけですね」

 デカラビアはテーブルの下から出て、素早く辺りを見回す。そしてたまたま近くを通りかかった鳥人を呼んだ。

「おい、そこのオマエ。ちょっとこっちへ来なさい」

「ん? 何だ?」

 呼び止められた鳥人は、デカラビアに近付き、彼の前で立ち止まる。

 デカラビアは毒入りの酒が注がれたワイングラスを宙に浮かべて鳥人の前に差し出した。

「実は一つお願いしたい事があるのです。この酒を、あのニンゲン風情……いや、首狩りキルトに渡して欲しいのです。ただし絶対に私の名は伏せておいて下さい。絶対ですよ」

「何故、そんなことを?」

 鳥人はやや胡乱(うろん)な目付きでデカラビアを見下ろす。

「余計な詮索は無用です。いいからさっさと渡してきやがりなさい」

 デカラビアは若干語気を荒らげた。この悪魔は興奮すると地が出て言葉遣いが乱れる。

 鳥人は益々訝しむような目をしたが、結局デカラビアの頼みを聞いた。麻痺毒入りの葡萄酒を受け取ると、そのまま樹流徒の元へ歩いてゆく。

「これであのニンゲン風情は失格ですね。代わりにこのデカラビアが降世祭に出場して差し上げましょう。うふふふふ」

 デカラビアは不穏な笑い声を上げて、静かにその場から離れた。


 その頃、タウティ・ザリチェと一頻り語り合った樹流徒は、そろそろ別の場所へ移ろうとしていた。

 彼が二体の悪魔に別れの挨拶を告げると

「私たちも降世祭を見に行く予定だ。またジェドゥで会うことになるかもしれないな」

「それでは、また」

 タウティとザリチェはそれぞれ返事をして、共に笑みをこぼした。


 彼(女)たちの元を離れた樹流徒は、異形の波に紛れ、再び適当にその辺りを巡る。

 おいしそうな料理をつまみ、見知らぬ悪魔と簡単に言葉を交わし、そしていつまでも鳴り続ける打楽器や笛の音に耳を傾けた。


 すると、次はどこへ行こうかと足任せに歩いている最中であった。

「キルト様」

 急に背後から名前を呼ばれて、樹流徒は足を止める。


 振り返ると、そこには鳥人が立っていた。手には葡萄酒が注がれたワイングラスを持っている。

「実は、ある悪魔がアナタにこれをプレゼントしたいと仰っているのですが」

 と鳥人。

「ある悪魔? 誰だ?」

「それが、自分の名前は伏せておくように、と言われたので……」

「分かった。ありがとう」

 樹流徒は鳥人からワイングラスを受け取った。

 鳥人は「では」と言い残して去ってゆく。その背中を見送ったあと、樹流徒はさっと周囲を見回した。しかし、こちらを見ている悪魔は誰もいない。

 一体、誰がこの葡萄酒をくれたのか、樹流徒には皆目検討もつかなかった。同時に、よもやこの酒に罠が仕込まれているなど微塵も想像しなかった。


 どうしたものか? と樹流徒は思う。

 あいにく彼は酒を飲めなかった。これをくれた悪魔には申し訳ないが、気持ちだけ頂いておくしかない。ただ、折角貰った酒を捨てるわけにもいかないので、代わりに誰かに飲んでもらおうと決めた。ガネーシャならば喜んで飲み干してくれるかもしれない。

 ガネーシャは先ほどと同じテーブルで暴飲暴食を続けている。そちらに向かって樹流徒は歩き出した。


 その途中である。出し抜けに、知った顔が横から駆けて来た。

「おーい。キルト」

 声と足音が聞こえるほうを見ると、近付いてくるのはアンドラスだった。

「よう、楽しんでるか?」

 言って、カラス頭の悪魔はぐっと親指を立てる。アンドラスは現世かぶれの悪魔だ。そのため人間じみた動作をすることが多い。

 楽しんでいるか? というアンドラスの問いに、樹流徒は控え目に頷く。

「ああ……。それなりに」

 と答えた。

「うん。そりゃ結構だな。オレも楽しんでるよ」

 既に酔っ払っているのか、アンドラスは樹流徒の肩に手を置いて何度も叩く。

 十回も叩いた頃、カラスのつぶらな瞳が樹流徒の手中に収まったグラスへと向かった。

「お? キルトも酒飲むんだな。前にバルバトスが『キルトは酒を飲まないようだ』とか言ってたんだけど……」

 アンドラスはバルバトスの口調を真似る。それが全然似てないのが少し可笑しくて、樹流徒は思わず口元を緩めた。

「バルバトスの言う通りだ。俺は酒が飲めない。この酒はさっき誰かが俺にくれたものなんだが、よければ代わりにアンドラスが飲んでくれないか?」

 本当はガネーシャにあげるつもりだったが、喜んで飲んでくれるならば別に誰でも構わなかった。

「いいのかよ? それじゃ、ありがたく貰うぜ」

 アンドラスは樹流徒からワイングラスを受け取ると、早速それを口に含もうとする。

 あと少しで(くちばし)が葡萄酒に浸かろうとしていたとき、樹流徒が話しかけた。

「アンドラスは黄金が欲しくて降世祭に参加するんだったな?」

 酒を飲もうとしていたアンドラスは、嘴をグラスから離して会話に応じる。

「おう、そうだぜ。金を手に入れて、硬貨に換えるんだ。そうすりゃまたしばらくアクマクラブで自由に飲み食いできるからな。オレはあの店の雰囲気が好きなんだよ」

「ああ、それで……」

「そういや、アクマクラブってキルトが名付け親なんだろ? バルバトスのヤツ、今でも結構気に入ってるみたいだぜ」

「そうなのか?」

 バルバトスはお世辞を言う悪魔ではない。いや、バルバトスに限らず、樹流徒が知る範囲では悪魔という種族は殆どお世辞を言わない生き物だ。だからバルバトスが悪魔倶楽部という名前を気に入ってくれたと言うのなら、多分それは本音なのだろう。


 と、ここでアンドラスが急に何かを思い出したように辺りを見回す。

「どうしたんだ?」

 尋ねると

「いや。たった今気付いたんだが、デカラビアがどこにもいないんだよ」

「そういえば……」

 言われてみれば、樹流徒もデカラビアの姿は一度も見てなかった。

「アイツ、オレと一緒のときは大抵近くにいるんだけどなあ。どこ行ったんだ?」

 アンドラスは不思議そうに首を捻る。

「探してみたらどうだ? 何なら俺も手伝うが……」

 樹流徒が協力を申し出ると

「いや。オレ一人で十分だよ。じゃあ、キルト。また後でな。オレ、ちょっとデカラビアを探してくるよ」

 そう言い残して、アンドラスは歩き出した。


 酒が入ったアンドラスは少し危ない足取りで、ふらふらと中庭をうろつく。

「どうせアイツのことだから、その内ひょっこり現れるんだろうケドさ……」

 そんなことを呟いていると、本当にアンドラスの正面にデカラビアの姿が現われた。


 デカラビアは一人で料理を食べていた。宙に浮かせたパンをちょっとずつ千切っては、五芒星の体内に放り込んでいる。

「おー。いたいた。こんなとこにいたのかよ」

 アンドラスは手を振りながらデカラビアの元へ駆け寄った。

「やあやあ。アンドラス君ではありませんか」

「何でそんなによそよそしいんだよ? まあいいや。それより、今までどこにいたんだ?」

「いえ別に……。そこら辺を適当にフラフラしていただけですよ。いやあ、料理は美味しいし、賑やかだし、楽しいですね」

「怪しいな……。オマエ、何か隠してないか?」

「は、は、は。魔界で最も清廉潔白な私に隠し事などあるはず無いですよ。ところで君、おいしそうな酒を持ってますね」

 よほど話を逸らしたかったのだろう、デカラビアは半ば強引にアンドラスが持っている酒に話題の矛先を向ける。

「ああ、これね。全部はやらないけど、一口だけ飲むか?」

 アンドラスはデカラビアに酒を差し出す。

「ありがとうございます」

 デカラビアは何の疑いも無くアンドラスからグラスを受け取り、中に注がれた液体を体内に流し込んだ。

 アンドラスから「一口だけ」と言われていたにもかかわらず、デカラビアはグラスの中身を一気に飲み干す。焦りで心が乱れていたのだろう。

「おいおい。全部飲むなよ」

「うっさいですね。かたいこと言うんじゃありませんよ。君は降世祭に出場して黄金が貰えるんですから、酒の一杯くらい良いじゃないですか」

「何言ってるんだよ。オマエ、まさかオレだけ祭りに出場するから拗ねてるワケじゃないだろうな?」

「まさか。それに、まだ私が出場できないとは限りませんよ。案外、祭りが始まる前に脱落者が……」

 そこまで言ったときだった。

 急にデカラビアの体がガクガクと震え出す。宙に浮いていたグラスが砂の上に落ちた。

「おおお……? なぜだ?」

 うめき声を上げながら、デカラビアは力なく倒れる。その薄っぺらな体が砂の上に横たわる様は、空気が抜けた浮き輪が海岸に打ち捨てられている姿と良く似ていた。

「おい。大丈夫か? オマエ、こんなに酒に弱かったっけ?」

 アンドラスはデカラビアが泥酔したと勘違いしているようだ。まさか、デカラビアが自分の盛った麻痺毒で行動不能に陥ったなどと、考えもしなかっただろう。


 空気が抜けた浮き輪――デカラビアは、鳥人の手を借りて宮殿内に運ばれていった。




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