太陽の国の戦士たち(後編)
ウヴァルに関する話が済むと、そのあとしばらくはガネーシャとアプサラスが二人で喋っていた。両者は顔見知りということもあり、共通の話題や積もる話が沢山あるらしく会話が弾んでいた。彼らの話は大半が人間には理解できない内容だったので、樹流徒が会話に加わるのは難しかった。
アプサラスとガネーシャは、樹流徒および現世に対してそれほど興味は持っていないようである。魔界で樹流徒が出会った悪魔の中でも、ガーゴイル三兄弟、発明家のクロセル、それから赤ずくめの悪魔メフィストフェレスなどは、樹流徒個人や現世について色々と積極的に聞いてきたが、アプサラスとガネーシャが樹流徒に質問する場面は訪れなかった。
何もする事が無い樹流徒は再び壁に背を預けて、第四の戦士とガルダの到着を待つ。
「今回の降世祭。月の国はどんな戦士を用意してくるかしら?」
「まあ、アナンタは間違いなく出場するだろうねぇ。ガルダとアナンタが必ず出なきゃいけないっていう決まりは無いみたいだけど、両雄の激突はもはや恒例だから」
「そうね。問題は残りの四人よ。例えば“セト”や“アーリマン”あたりが出てくると、かなり厳しい戦いになるわ」
「でも月の国は毎回違う戦士を用意してくるからなぁ。セトは前回出たばかりだし、アーリマンは前々回出場したとき審判を半殺しにて反則負けになって『降世祭には二度と出ない』って逆上してたし……。今回はどちらも出場しないんじゃないかな? ボクは“シュールパナカー”が出てくるんじゃいないかと予想してるんだけど」
「その可能性こそ無いわ。だって彼女、今は辺獄(魔界の第一階層)に出掛けているもの」
「へえ。観光目的で?」
「さあ、そこまでは……」
アプサラスとガネーシャの会話に、樹流徒が知らない悪魔の名前が次々と出てくる。
月の国がどの戦士を出してくるか、という二人の予想はしばらく続いたが、結局最後まで樹流徒が知っている名前は出てこなかった。
そうこうしている内に、廊下から静かな足音が聞こえてくる。それも複数。多分二、三人だ。
遂に四人目の戦士が到着したのだろうか。樹流徒は壁に預けていた背を真っ直ぐ伸ばして扉を注視した。アプサラスとガネーシャも足音の接近に気付いたのだろう。二人は盛り上がっていた会話を中断し、入り口に視線を集める。
――第四の戦士をお連れした。
鳥人の声を合図に、扉が開かれた。太陽の間を照らすオレンジ色の光を全身に浴びて、異形が姿を現わす。
部屋に入ってきたのは三体の鳥人だった。内二つはガルダの配下だが、もう一つはカラスの頭と人間の体を持った悪魔である。
その悪魔に見覚えがあって、樹流徒は思わず目を見張った。
「アンドラスか」
樹流徒は相手の名を呼ぶ。そう、目の前に現われたカラス頭の悪魔は、紛れも無くあのアンドラスだった。悪魔倶楽部の常連客であり、過去には樹流徒に対して貴重な情報を提供したこともある悪魔だ。
さらに良く見れば、アンドラスのほかにももう一体、樹流徒が知っている悪魔が混じっていた。アンドラスと鳥人の後ろに隠れて、五芒星の姿をした悪魔がいる。このような姿をした悪魔は魔界中を探しても恐らく一体しかいないだろう。アンドラスの友人デカラビアである。
アンドラスとデカラビア。思いも寄らない場所で再会した懐かしい顔に樹流徒は少し嬉しくなった。
「あっ! オマエ、キルト? キルトだよな?」
アンドラスは大声で叫び、驚いた目をしてキルトを指差す。相変わらず元気そうだった。
「げっ。アナタは例のニンゲン風情」
デカラビアの様子も相変わらずである。五芒星の中に浮かぶ三つの目玉が激しく動き回っていた。
「なんだ。オマエたち、知り合いなのか?」
とガネーシャ。
その声も耳に入らない。アンドラスは両腕を広げて駆け出し樹流徒に飛びついた。それから樹流徒と肩を組み足を振り上げて小躍りを始める。
「久しぶりだなあ。まさか本当にここでオマエと出会えるとは思わなかったぜ」
そう言って、いっぱいに広げたクチバシからグゲゲとしゃがれた笑い声を発した。
「実はさっき、首狩りが黄金宮殿に現われたっていう噂を耳にしたんですが……事実だったんですね」
デカラビアは余り嬉しそうではない。電子音声のような声は語尾に近付くほど小さくなっていった。
一頻り再会の喜びに湧いたあと、樹流徒とアンドラスたちは改めて顔を向かい合わせた。
「アンドラスも降世祭に出場するのか?」
「ああ。報酬の黄金を頂くために参加したのさ」
とアンドラス。一方、デカラビアは違うようである。
「私はアンドラスの付き添いです。魔界最強の悪魔であるこの私が参加したら、たとえ誰が相手であっても簡単に勝ってしますからね。下手をしたら祭りを盛り下げてしまうでしょう? ですから敢えて参加しなかったのですよ」
デカラビアは「敢えて」の部分を殊更強調して言う。
「いや。オマエ、第二の試験でガルダの配下にボコボコにされただろ」
アンドラスは呆れきった目でデカラビアを見つめた。
「アレはちょっと油断していただけです。それに今日は体調が優れないんですよ。本来の調子であればあの程度の雑魚は簡単に蹴散らしてやったんですけどね」
デカラビアは言い訳を並べる。体調が悪いにしては饒舌だった。
「何はともあれ、これで戦士が全員出揃ったというわけね」
太陽の間に集った面々をアプサラスが見回す。
「え。そうなのか? じゃあオレが最後の一人?」
アンドラスが目を剥いて尋ねるので、樹流徒は首肯した。
「さっき部屋に入る前、ガルダの配下が“第四の戦士”って言ってましたからね。残り一人はガルダですから、実質アンドラスが最後の戦士なんですよ」
デカラビアが解説すると、アンドラスは「言われてみればそうだな」と納得した。
アプサラスやデカラビアの言う通り、アンドラスの登場により全ての戦士が決定したのである。樹流徒、アプサラス、ガネーシャ、アンドラス、そしてガルダ。太陽の国はこの五名で降世祭を戦うことになる。
「皆様おめでとうございます。全ての試験が終了したため、このあとすぐガルダさまが到着致します」
アンドラスと共に部屋に入ってきた鳥人が言う。
すると言った先から、誰かの足音が廊下の奥から聞こえてきた。
足音の正体が姿を現すよりも早く、樹流徒はガルダだと分かった。魔王級の実力者は近付いてくる気配も通常の悪魔とは質が異なる。その違いを言葉で言い表すのは難しいが、敢えて表現するならば強い悪魔の気配は空気を圧すような感じがするのである。相手が意図的に気配を殺していなければ、その悪魔が近くにいるだけで大体の実力は分かった。
思った通り、やって来たのは雄雄しき鳥人の王ガルダだった。
ガルダほど太陽の間が似合う悪魔もそういないだろう。鷹のように鋭い瞳と背中から生えたきらびやかな一対の翼が、頭上で輝く光を反射して神々しく輝いていた。
ガルダは太陽の間に入室するなり、すぐ傍に立つ二体の鳥人に「ご苦労だったな」と言う。
鳥人たちは地面に片膝を着いて頭を垂れた。それから素早く立ち上がって部屋を出てゆく。入口の扉は心なしかゆっくりと丁寧に閉じられた。
樹流徒を含めた全員の注目を浴びながら、ガルダは口を開く。
「よくぞ試練を勝ち抜いた、勇猛な戦士たちよ。オマエたちは我らが太陽の国の希望。この世界の行方を決める選ばれし者たちだ!」
鼓膜を揺らす大音声と心を揺らす文句に、アンドラスの肩がぶるっと震えた。樹流徒も鳥肌が立つほどではないにせよ、背中に微弱な電流が流れる。流石に太陽の国を治める王だけあって、ガルダは言動の一つ一つに威厳が満ちていた。無条件で他者の心に影響を与えるカリスマ性を彼は持っている。
「遺憾ながら我々太陽の国は三回連続で月の国に敗北している。つまりこの世界は実に三千年ものあいだ、砂と毒沼に覆い尽くされているのだ。それは我々だけでなく多くの悪魔たちや豊かな緑の中で暮らす生き物たちにとっても悲劇と言えるだろう。だからオマエたちの力でこの世界にかつての美しい姿を蘇らせて欲しい。いや何としてもやってもらう。オマエたちは決闘に勝利し、この世界にその勇名と千年の歴史を刻むのだ」
ガルダは拳を掲げ、力説する。それにより戦士たちの戦意を高揚させようというのだろう。万人の心に響く言葉など在りはしないが、ガルダの言葉は少なくともアンドラスに対しては効果覿面だった。
「オオ……。やってやる。オレはやってやるぞ!」
カラス頭の悪魔は両の拳を天に突き上げて叫ぶ。
「もちろん協力するわ。まさにこの世界を三千年前の姿に戻すため、私は決闘に参加するのだから」
アプサラスが言うと、ガルダは「頼むぞ」と返した。
ガルダの言葉で全体の士気が高まっている。樹流徒も多少ではあるが王の演説に触発されて、我知らず拳を握っていた。
ただそんな中、象頭悪魔のガネーシャだけはガルダの言葉に感奮する様子も無く、適当に相槌を打っている。傍から見れば一人だけ冷めているようだが、考えてみれば当然の反応かもしれなかった。何しろガネーシャは何度も降世祭に参加しているだけあって、ガルダの演説も同じ回数だけ聞いているはずである。流石にもう聞き慣れてしまって、今回に限ってガルダの言葉に心を揺さぶられる理由も無いのだろう。単にガネーシャが落ち着いているだけなのかもしれないが……。
ガルダの短い演説が終わると、今が頃合だと判断して樹流徒が一歩前に出る。
「ガルダ。実は一つだけ聞いて欲しい話がある」
聞いて欲しい話というのは当然ながらアムリタを譲って欲しい件だった。樹流徒は何としてもこの話を通さなければいけない。降世祭が始まる前に約束を取り付けなければいけなかった。
「話ならば中庭で聞こう。丁度これから晩餐が始まるのだ。そこでならば一対一で話すこともできる」
そう答えて、ガルダは踵を返した。
彼が扉を開いて太陽の間から出てゆくと、入れ替わるように、廊下で控えていた鳥人が部屋に入ってくる。
その鳥人はうやうやしい目付きと態度で樹流徒たちの顔を見回してから、そっと口を開いた。
「それでは皆様、中庭へお越し下さい。すでに食事の準備が整っております」