戦士選抜試験
宮殿の正面玄関は巨体の悪魔でも楽に通れるだけの大きさがあった。入り口の上枠には格子状の扉が内蔵されており、大きな留め具を使って上下に開閉する仕組みになっている。現在その扉は全開になっていた。
入り口の両脇には武装した二体の鳥人が立ち、不審者が宮殿内に侵入しないよう見張っている。彼らから鋭い眼光を向けられながら宮殿内に一歩踏み込むと、樹流徒たちの正面には長い廊下が横たわっていた。現世の建物ではまずお目にかかれない、尋常ではない長さと幅のある廊下だ。
黄金宮殿は外観だけでなく、内部も全て金色に輝いていた。見上げるほど高い天井も、ひし形の幾何学模様が掘り込まれた壁も、均等な感覚で壁に並んでいる三又の燭台も、全てが黄金色の金属で造られている。床も同様だが、そこには深い青色の絨毯が敷かれており、廊下全体の色合いに落ち着きを与えていた。三又燭台に刺さったロウソクは赤い炎を頭に燃やし、温かい光を放っている。その光は広い廊下の隅々までには行き届かず、ところどころ影になっている部分は冷たい色に沈んでいた。
光と影の調和が取れた通路の中を樹流徒たちは黙々と歩く。辺りは静かだった。武装している悪魔たちが歩くたびに武器や鎧の音がカチャカチャと金属音を鳴らし、あとは中庭から戦闘音が聞こえてくるだけで、他の音は一切存在しない。
廊下の突き当たりは曲がり角になっており、槍を持った鳥人が一体佇んでいた。そこを曲がると、また長い廊下になっている。壁の片側には部屋の扉が幾つも並んでおり、どのドアもやはり金色に輝いていた。良く見ると、洋風の扉に紛れて一つだけ鉄格子(というより金格子と呼んだ方が良いだろう)の扉も混ざっている。格子の奥には下へと続く階段があった。この宮殿には地下空間があるのだろう。
硬く重たそうな扉の前を通り抜けると周囲の景色が急に変わった。片側の壁が消えて、代わりに短い間隔で立ち並ぶ柱が現れる。円柱型で縦線が入った、太くて頑丈そうな柱だ。海底神殿に使われていた柱と同じでパルテノン神殿を連想させるデザインである。宮殿の真上で輝く太陽が柱の横顔を照らし、床にうっすらと幻想的な白光を浮かび上がらせていた。
宮殿に入る前、樹流徒たちは鳥人から「私語は慎むように」と注意を受けていた。にもかからわず、この場所に着いた途端、悪魔たちの口から次々と驚きの声や吐息が漏れる。
思わず声を出してしまうほど壮絶な光景が目の前に現われたのだ。柱の隙間から中庭の様子が見える。庭と呼ぶには余りにも広い空間だった。下は全て砂に覆われ草の一本も生えていない。その場所で戦士選抜の試験が行なわれていた。
大勢の悪魔が広場のあちこちに散らばって一対一の戦いを演じている。およそ二十組くらいが同時に戦っているようだ。彼らはオレンジ色に輝く半透明の壁に仕切られた空間(魔空間だろう)の中で戦っていた。空間を構築する壁や天井は、中で戦っている悪魔たちの攻撃を完全に遮断している。そのため戦闘の流れ弾が外へ飛び出してくることはなかった。生々しい戦いの音だけが外へ漏れている。
樹流徒たちは柱の隙間から覗く戦場の様子に目を奪われながら廊下を進んだ。前方に一箇所だけ柱が抜けている部分があり、中庭へと続く短い階段が設置されている。それを使って樹流徒たちは中庭に降り立った。
中庭全体は、高くそびえた宮殿の外壁に四方を囲まれ、外からでは様子が窺い知れないようになっている。上空から覗くことはできるが、そのようなことをすれば忽ち鳥人に取り押さえられてしまうだろう。その証拠に屋根のあちこちには鳥人が潜んでおり、合わせて七、八体くらいが常に顔を上げて空を見張っていた。
「よし。お前たちはあの列に並べ」
ここまで樹流徒たちを先導してきた鳥人が、ある場所を指差す。そちらの方角を辿ってみると、庭の外周に沿って二列で並ぶ悪魔たちの姿があった。その数二千から三千。彼らはこれから試験を受ける悪魔か。それとも既に戦いを終えた者たちだろうか。
大勢集まっているのは受験者ばかりではなかった。彼らの列を統制するために数百体規模の鳥人が広場のあちこちに散らばっている。彼らは列の統制だけでなく、試験を終えた悪魔たちをどこかへ誘導する役割や負傷者を救助する役目も果たしているようだ。見れば、戦いを終えた悪魔たちは鳥人の指示に従って次々と中庭から退場してゆく。戦闘で勝利した者と敗れた者はそれぞれ別々の場所へ送られるのだろう。彼らが向かう先に何が待ち受けているのかは分からない。一方、戦闘で負傷したため自力で動けなくなった悪魔は鳥人たちに担がれて宮殿内へと消えていった。
ウヴァルはもう戦いを終えたのか? 勝敗はともかく、負傷していなければ良いが……
樹流徒は辺りを見回してヒトコブラクダの姿を探してみたが、これだけ悪魔の数が多いと彼の姿を見つけ出すのは難しかった。
「おい。何キョロキョロしてる? 早く進め」
鳥人が槍の柄を使って樹流徒の背中を軽く突っつく。
「ああ……。すまない」
今すぐウヴァルの安否を確認するのは無理だ、と判断して樹流徒は歩き出した。庭の外周に沿って二列で並ぶ悪魔たちの最後尾につく。
樹流徒の隣に並んだ悪魔は、青白い肌を持つ人間の姿をした種族だった。外見は四十歳前後の男。顔は厳つく口の周りに黒いボサボサの髭を生やしていた。髪も髭と同じくらいボサボサだ。右手には銀色の斧、左手には楕円形の盾を持ち、上半身は裸。下は黒いパンツを履いていた。また、首には鎖を巻きつけ、黒い金属製のブレスレットとアンクルを装備している。野性的な戦士といった格好の悪魔である。
「オレの相手は首狩りか……」
戦士の姿をした悪魔は、隣に立つ樹流徒をちらりと見て苦い顔をした。どうやら列で隣り合った者同士で試験を行なうようだ。事実、列の先頭に並んでいる二人を見ると、彼らは今まさにこれから戦いを始めようとしているところだった。
樹流徒は試験の様子を眺める。この中庭で行なわれている戦いは、相手を戦闘不能にするか、降参させれば勝利らしい。相手にダメージらしいダメージも与えず勝利する者もいれば、互いに血まみれになって争い続けている者もいた。ただ、殆ど全ての勝負に共通して言えることは、決着までの時間が短いことだった。早ければ勝負開始から数秒で勝敗が決するし、遅くても十分はかからない。
そして今また、一つの勝負に決着がつこうとしていた。兎の頭部と人間の体を持った半人半獣の悪魔が、同じく半人半獣の悪魔を、炎の槍で突き刺す。槍に肩を貫かれた悪魔は苦い声を発し、砂の地面に片膝を着いて降参した。手で押さえた傷口から青い血があふれ出す。
他の戦いを見ても怪我人が続出していた。浅い傷で済んでいる者もいれば、手足を失うほどの重傷を負っている者もいる。中には戦いには勝利したものの深手を負ってしまった者もいて、その悪魔はがっくりとうなだれ中庭を後にした。
試験という言葉の響きには似つかわしくないほど激しい戦いが繰り広げられている。もしかすると既に命を散らした悪魔もいるかもしれない。ふと、そのような想像をして、樹流徒は思わず戦う悪魔たちから視線を逸らした。その視線は、広場の真ん中を通り過ぎようとして、急にピタリと止まる。
偶然視界に映ったものを樹流徒は注視した。今まで気付かなかったが、激しく戦う悪魔たちの中で一体だけ身動きを取らずジッとしている者がいる。離れた位置にいるので多少目を凝らさなければ見えないが、その悪魔は鳥の頭部と、人間の体を持つ鳥人の悪魔だった。ただし他の鳥人よりも背丈が高く優に二メートルを超えている。また、手と翼が同化している他の鳥人とは違い、その悪魔は丸太の如き立派な腕と、孔雀のように派手な色彩を纏った一対の翼を背負っていた。鳥人の王と呼ぶに相応しい姿をしている。
あの悪魔こそガルダに違いない、と樹流徒でなくとも想像できただろう。魔空間を構築しているのも多分彼だ。ガルダと思しき鳥人の悪魔は腕組みをして、周囲で繰り広げられている悪魔たちの戦いを熱心に観察していた。そのまなざしは真剣そのものに見える。
ガルダが見守る中、戦士選抜試験は早いペースで続いた。樹流徒が戦う番が刻一刻と迫ってきくる。
暴力地獄は夜が長く昼が短い。樹流徒が黄金宮殿に着いたとき空に昇り始めた太陽は、早くも夕日になろうとしていた。夕日の明かりは宮殿の外壁に遮られ、四方を壁に囲まれた中庭には一足早い夜が訪れようとしている。
この場に集まった悪魔の大半は神経を尖らせており、また、他の参加者をライバル視しているため、互いに口も利かない者がほとんどであった。それでも中にはリラックスした様子で会話している者も少数ながら存在する。
――なあ、降世祭の出場希望者って、あとどれくらい増えるんだろうな?
――心配しなくても、もう余り増えねえよ。
――何でそんなことが分かる?
――何で、って……オマエ知らないのか? 今日の日没までにこの宮殿にたどり着けなかったヤツは失格なんだぜ。だからこれ以上参加者が増えることは無いんだよ。
――そうだったのか。知らなかった。
樹流徒よりもずっと前に並んでいる悪魔たちがそのような立ち話をしていた。
しかし自分たちが戦う番が目前まで迫ると、饒舌だった悪魔も押し黙る。下手に口を開けば周りの悪魔から「煩い」と攻撃が飛んできそうなほど、決闘直前の悪魔たちはピリピリしていた。特に自分の隣に立つ悪魔――つまり自分の対戦相手とは会話どころか目も合わせようとしない。もしくは反対に隣の悪魔を睨みつけたり、殺気をぶつけたりと、過剰なまでの威圧感を放っている。場外乱闘が起きても何ら不思議ではない状況だった。
太陽が完全に沈み、長い夜が始まる。青い満月が中庭の一角を照らそうとしたとき、遂に樹流徒の番が回ってきた。相手は戦士風の格好をした悪魔。まず苦戦する相手では無いと、樹流徒は戦う前から分かっていた。分かった上で樹流徒は決して油断はしないので、相手の悪魔は余計に勝ち目が無かった。
中庭の一ヵ所で戦いに決着が付く。勝利した悪魔は悠々とした足取りで魔空間の外に出てきた。敗北した悪魔は負傷しており、鳥人二名に脇と足を持って担ぎ出される。それにより戦場が空いた。本来であれば、そこに樹流徒と対戦相手が入るはずだった。
ところが、ここで樹流徒が想像していなかった展開が起こる。いままで何時間もずっと黙って悪魔たちの試合を観察し続けていたガルダが動き出したのだ。
中庭の真ん中に立つガルダは、樹流徒に体の正面を向け、口を開く。
「来たな首狩り。オマエの相手は私がしよう」
大気を揺るがすほど大きく、雄雄しい声が、戦場を突き抜けて樹流徒の元まで届いた。ガルダが直々に樹流徒の相手をすると申し出てきたのだ。
異形の集団が騒がしくなる。これから樹流徒と戦うはずだった戦士風の悪魔は、どことなく安堵したような表情になった。
「よし。今、この戦場で行われている全ての戦いに決着がついたら、私と首狩りが試合をする。私が戦っているあいだ、試験は一時中断だ。何しろ私が他の試合を観察しながら相手にできるほど、首狩りは弱くないだろうからな」
ガルダはそう言って、獲物を狙う鷹のような瞳を樹流徒に向ける。
十分も経たない内に、中庭の至る場所で繰り広げられていた悪魔たちの戦いは全て終了した。
絶えず戦闘音が聞こえていた広大な空間は、水を打ったように静まり返る。
「では我々の勝負を始めよう。ただし魔空間は解除させてもらう。空間を維持するには集中力が必要だからな」
そう樹流徒に語りかけるガルダの大声も、物音が消えた世界の中だと余計に良く響いた。
――降世祭本番前にガルダの戦いが見れるとは思わなかったぜ。
――行け、ガルダ。首狩りを殺せ。
――ニンゲンなんかに負けるんじゃねえぞ。
辺りが静かだったのも束の間、悪魔たちが好き勝手に野次を飛ばし始める。
初めから分かっていたことだが、樹流徒にとってここは完全に敵地だった。魔界の住人たちは期待しているのである。今から始まるガルダとの戦いで首狩りが悲惨な結末を迎えることを。
罵声や歓声が飛び交う中、樹流徒とガルダは広場の真ん中で対峙した。
「首狩りよ。私はオマエに対する憎しみも殺意も無い。オマエが降世祭に出場する動機にも興味が無いし、オマエが我々の国の代表として出場することにも何ら異論は無い。ただし、私はオマエに対して手加減は一切しないぞ。初めから本気で戦わせてもらう」
「……」
「ついでに言うと、この試験は相手を死に至らしめても問題ない決まりになっている。それでも構わないな?」
ガルダが脅迫じみた前口上を述べる。
樹流徒は頷いた。ガルダは元魔王の実力者。相手が本気で来るというならば、こちらも本気で戦わなければやられる。手を抜けばばいきなり最初の攻防で命を落としかねない。
「いい覚悟だ」
微かに目を細めてガルダは地面を蹴って垂直に跳んだ。試験の始まりである。
跳躍したガルダはそのまま翼を広げて空高くまで飛翔した。鳥人の悪魔だけあって、空中での戦いを得意としているのだろう。上昇速度は明らかに樹流徒よりも速かった。
樹流徒も漆黒の羽を展開し、ガルダを追って空へ。広場の悪魔たちから驚きの声が上がった。人間が背中から羽を生やしたのだ。「信じられない」と言いたげな顔で、悪魔たちは頭上の魔人を指差し、仰ぎ見る。
先手を打ったのはガルダだった。下から迫ってくる樹流徒に向かって、背中の翼を羽ばたかせる。たった数回扇いだだけで、ガルダの前方で巨大な突風が発生し樹流徒を襲った。
頭上から強烈な風を叩きつけられて樹流徒は体制を崩した。彼を通り過ぎた突風は地上で大量の砂埃を舞い上げ広場の隅まで広がる。戦いを見物している悪魔たちは一斉に防御を固めて向かってくる砂から身を守った。
体制を崩した樹流徒めがけてガルダが急降下する。足から生えた三本の鋭い爪が獲物を捕えようと迫った。
樹流徒は魔法壁を展開して守りを固める。それを予測していたのだろう、落下してきたガルダは魔法壁を蹴ると、その反動でくるりと輪を描き遠く後方へ跳躍した。
魔法壁が消滅した瞬間、樹流徒は両手を前にかざして電撃と火炎砲を同時に放つ。それをガルダはすんなり回避して、樹流徒めがけて再突進した。明らかに攻撃の軌道とタイミングを読みきっていなければ不可能な動きだった。
正面から突進してくるガルダを迎撃しようと、樹流徒は左足を真っ直ぐ前に突き出して鋭い蹴りを放つ。それも読んでいたのか、ガルダは樹流徒の下に潜り込むように急下降して蹴りをかいくぐり、樹流徒の右足首を掴んだ。すかさず腕を乱暴に振り回して、樹流徒を地面に向かって放り投げる。
勢い良く宙に投げ出された樹流徒は、体勢を立て直しながら羽を使って落下速度を減速させた。勢いを完全に殺すのは不可能。落下の勢いを弱めるのが精一杯で、樹流徒は背中から地面に墜落した。衝撃で落下地点にもうもうと砂埃が舞う。
樹流徒はすぐに起き上がった。傍目には派手な墜落だったが、下が柔らかい砂だったためむしろダメージは軽微だった。
――いいぞ。ガルダが優勢だ。空中における機動力でも、攻撃の読み合いでも首狩りに勝っている。
――ああ。だが試合はまだ始まったばかりだ。首狩りがどんな能力を隠し持っているか分からないぞ。
――それはガルダだって同じさ。ヤツは元々多彩な能力の持ち主だし、今回の降世祭に備えて新しい力を身につけているかもしれないだろう。
中庭に集められた試験参加者たちはすっかりタダの見物人と化して、目の前で繰り広げられる戦闘について彼是と議論を交わし始める。戦士選抜の試験会場だけあって、この場には元より戦闘好きな悪魔が多く集まっているようだ。
先制の一撃を奪われた樹流徒だが、冷静さは微塵も失っていなかった。上空のガルダを仰ぎながら手を横に振り払うと、宙に氷の矢を出現させる。横に整列した六本の矢は端から順に発射された。
ガルダは大きな翼を器用に操って素早く左右を往復し、難なく全ての矢を回避する。すかさず翼を前方に折り畳むと、数十枚の羽を一斉に飛ばした。
美しい色彩の羽が弾丸の雨となって頭上から降って来る。樹流徒は横っ飛びして更に砂の上を転がり、かろうじて攻撃を回避した。
地に降り注ぐガルダの羽は緑色の光を纏って高速回転する。その貫通力で砂の上に底が見えないほどの小さな穴が空いた。もし羽が人体に命中していたら皮膚も肉も、下手をしたら骨すらも抉り取られていただろう。
樹流徒が立ち上がると、ガルダは翼を畳んで着地する。敢えて地上で勝負しようというのか。それは樹流徒としても望むところだった。
両者は同じ地平で睨み合う。野次を飛ばしたり意見を交わしていた悪魔たちはいつの間にか沈黙して、戦いの行方を見守っていた。
樹流徒が走り出すと、それに応じてガルダも飛び出す。敵めがけて互いに直進する両者は、ほぼ同時に跳躍して蹴りを繰り出した。異形の観衆が息を呑む。
跳躍した両者の足裏同士がぶつかる直前、樹流徒の全身に走る光のラインが激しく点滅した。
そして激しい衝突。ガルダの巨大が後方へ大きく吹き飛んだ。普通に考えれば、樹流徒よりも遥かに体が大きく体重もあるガルダが一方的に吹き飛ばされることは物理的に有り得なかった。が、しかし事実、後方へ飛ばされたのはガルダだった。樹流徒は衝突した場所からほとんど動かず着地する。
「あ。ガルダ様が……」
鳥人が手に持った槍を危うく落としかけた。彼らの王であるガルダが互角の勝負をされていることが信じられない、と軽い衝撃を受けた様子である。
後方へ吹き飛んだガルダは、空中で体を一回転させて綺麗に着地を決めた。
間髪入れず樹流徒は疾走する。攻勢に転じた今、勝負の流れを一気に引き寄せたかった。
が、途中で足が止まる。ガルダが樹流徒に掌を向けたからだ。それは樹流徒を迎撃するための予備動作ではなく「待て」の合図だった。
「合格だ。オマエの実力は十分に分かった」
と、ガルダ。
戦いに見入っていた悪魔たちが、一斉に我に返ったようにどよめき出す。まだ戦いは始まったばかりである。それなのにガルダは勝負を中断するばかりか、樹流徒を太陽の国の戦士として認めてしまった。他の参加者たちから不満の声が上がっても当然の雰囲気だった。
不穏な空気を察してか、鳥人たちは槍を構える。誰かがガルダに悪態をつこうものならばすぐに捕らえようという構えだった。
ややあって、鳥人たちの心配とは裏腹に悪魔たちのどよめきが鎮まる。
「首狩りは気に入らないが、あれだけの力を見せつけられたら仕方ない。まさかガルダと互角にやり合えるほどとは思わなかった」
中庭の片隅に佇む悪魔が誰とはなしに言った。それはこの場にいる悪魔たちのほぼ総意らしい。首狩りキルトの存在は憎悪の対象だが、その実力は認めざるを得ない……と、この場にいる多くの者たちが考えたのだ。そうでなければ今頃誰かがガルダに食ってかっているだろう。少なくとも文句の一つくらいは言っていたはずだ。
樹流徒とガルダの戦いが終わり、何事も無かったかのように試験が再開される。殺気を取り戻した悪魔たちは、中庭のあちこちに散らばって戦闘行為を始めた。樹流徒と戦った当人であるガルダさえも数分前の出来事を忘れてしまったかのように、悪魔たちの戦いを真剣に観察している。
そんな中、樹流徒だけは、晴れて戦士に選ばれたことに若干の安心を得ていた。もっとも喜んでばかりもいられない。降世祭への出場資格を得たところで第一関門を突破したに過ぎないからだ。アムリタを譲って貰えるようガルダと交渉しなければいけないし、たとえ無事に約束を取り付けられたとしても降世祭で活躍できなければ全て水の泡になってしまう。本当の関門はむしろここから、と言っても過言ではなかった。
鳥人二名が樹流徒の元へ駆け寄ってくる。
「では、これから私どもがアナタ様を来賓室へご案内致します」
これまでの威圧的な雰囲気とは違い、鳥人たちは急にかしこまった態度で樹流徒に接する。太陽の国の戦士ともなると素性に関係なく良い待遇が得られるらしい。自分の正体を知られた上で魔界の住人からこのように丁寧な扱いを受けるのは初めてなので、樹流徒は少し妙な気分になった。
二人の鳥人に前後を守られて、樹流徒は宮殿の中へと戻ってゆく。途中、ウヴァルとすれ違うことはなかった。ウヴァルとはたった数時間一緒に旅しただけの仲だが、全く赤の他人というわけでもない。樹流徒は心の中でウヴァルを応援しながら、試験会場を後にした。