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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
233/359

根の国の秘密



 根の国の最下層は、左右へ首を動かさなければ見渡せないほどの広さを持つ。最奥(さいおう)には異様にせり上がった祭壇らしきものが置かれ、えも言われぬ趣きと威容を現していた。

 あてもなく宙をさまようヒトダマは音も無く変色を繰り返している。どこからともなく聞こえてくる水の音は多少耳を澄まさなければ聞き取れないほど微かだ。普段であれば、この場所は四六時中ずっと静けさに包まれているのだろう。


 ところが今、祭壇の頂上から異音が聞こえる。うっという小さな呻きと、苦しそうな咳。それは、玉座に腰掛けている夜子こと黄泉津大神(ヨモツオオカミ)の口から漏れている音だった。

「ううっ」

 夜子の呻き声と咳は止まらない。加えて彼女は吐血までもよおしており、口元を押さえた細い指の隙間から真っ赤な液体がこぼれ落ちていた。それは元々赤い夜子の唇を、より濃く染め上げる。

「現世の空気を吸いすぎた影響か?」

 血化粧を塗った口で夜子は呟いた。根の国の住人にとって現世の空気は猛毒。例え夜子でもあまり現世で力を使いすぎると、己の身を滅ぼすことになる。

 そういえば以前、夜子は現世に赴き悪魔の大軍を相手に力を使った。その時の反動が今になって彼女の体を蝕んでいるのだろうか。

「しかし、それにしてもおかしい。ここまで苦しみが持続するのは予想外だった。いや、苦しいだけならまだしも、体から徐々に力が抜けてゆくような気がする。この奇妙な感覚は一体何だ?」

 いつになく厳しい顔付きで、夜子は床に垂れた自分の血を見つめた。そしてまた咳を一つ。紺色のチュニックを纏った小柄な背中が前屈みになる。


 そんな女王の異変を、少し離れた場所からジッと見守る者たちがいた。

 最下層の入り口に広がる白い砂浜の上で並び立つ二つの人影。その片方は、明るい髪と真っ赤な着物、そして手に携えた派手な装飾を施された刀の三点が目を引く少女だった。仙道渚である。

「夜子様、さっきからずっと苦しそうですけど、大丈夫ですよね?」

 渚は心配そうな顔付きで、隣に立つもうひとつの人影に話しかける。


 その人影とは、八鬼の一人、火雷(ほのいかずち)だった。

 紫色の衣を頭から足下まですっぽりと被った火雷は、相変わらず外見がほとんど全て覆い隠されている。衣の隙間から端正な唇が見えるくらいで、大人の姿をしているのか、子供の姿をしているのかも分からなかった。幼さの残る中性的な声色のせいで、性別すらも不明な存在である。


 火雷はその性別不明な声で、夜子の身を案じる渚に対して逆に質問する。

「君は黄泉津大神様のことが心配か?」

「そんなの、心配に決まってるじゃないですか」

「なぜ?」

「なぜって……。だって夜子様は私にとって大切な方なんですよ? あの方は陰人(かげびと)計画によって私の望みを叶えてくれます。それに、私の命の恩人でもありますし」

「命の恩人とは?」

「あれ? まだ言ってませんでしたっけ? 私、現世で悪魔に襲われたところを夜子様に助けてもらったんですよ。それがきっかけで私はあの方に連れられて根の国に来たんです」

「初耳だ」

 火雷は渚のほうを一度も見ることなく話をする。先ほどからずっと全身の正面を祭壇に向けたままだった。

 が、その火雷がいま初めて渚に顔を向ける。そして衣の下から覗く口で突然こう告げた。

「渚には気の毒だが、あの(・・)黄泉津大神様はもう限界だ」

「限界? それどういう意味ですか?」

「あの方はじき用済みになる」

 渚は酷く驚いた顔で火雷を見た。今、彼(女)はとんでもないことを口走ったのではないか? そんな表情だった。


「ええと。いまの言葉、冗談ですよね?」

 渚は困ったような笑顔を作る。夜子は根の国の女王にして、単騎で悪魔の大軍を蹴散らすほどの力を持っている。そして何より火雷たち八鬼の産みの親であるはずだ。その彼女に向かって「用済み」などと、渚にはたちの悪い冗談にしか聞こえなかったのだろう。

 それを火雷は言下(げんか)に否定する。

「冗談ではない。夜子様の命はもう長くない。だから近いうちに使い物にならなくなる」

「そんな……。何で急にそんなこと言うんですか? というか、どうして火雷様にそんなことが分かるんですか?」

「弱りきった今の夜子様を見れば明らかだ」

「信じられないですよ」

 渚は困惑顔になる。「信じられない」という言葉の言外(げんがい)には「信じたくない」というニュアンスが含まれているようだった。


 と、そのとき。

「なかなか興味深い話をしているな」

「えっ?」

 すぐ背後から聞こえてきた声に、渚は素早く振り返る。

 彼女の顔からさっと血の気が引いた。

「夜子様……」

 つい先ほどまで玉座に腰掛けていた夜子が、いつの間にか二人の後ろにいたのである。

 根の国の女王はどこまでも冷たい瞳で火雷の背中を見ていた。


 火雷は振り返らなかった。浜辺に立ったまま、頭をやや俯き加減にしている。果たしてその視線がどこへ向かっているのか、全身を覆い隠す衣のせいで外からは窺い知ることができない。

「夜子様。あの……」

 渚が何か言いかけたが、夜子が機先を制する。

「火雷よ。一体どういうつもりだ? お前が口走った言葉の意味を聞かせてもらおう。ただし返答次第では……分かっているな?」

 そう言って、病的に白いひとさし指の先を火雷に向ける。まるで銃口を突きつけるように。


 火雷は振り返らず、命乞いもせず、どこか超然としていた。

「恐れながら申し上げます。私はただ事実を事実として語ったに過ぎません」

 そう背中越しに答える。

「ほう。では、お前はこの私がもうすぐ不要になると申すのだな?」

「左様です。遺憾ながら……」

「そうか。私の聞き間違いならば良かったのだが、違うらしい」

 夜子も夜子で、殺気や怒気を放ったりはせず、いつも通りの調子で言葉のやり取りをしている。

 そんな両者の間で、ただひとり無関係な渚ばかりがおろおろしていた。

「待ってください夜子様。火雷様は本心からこんなことを言っているわけじゃないと思うんです。きっとなにか深い理由があるんですよ」

 ね? そうですよね? と言って、渚は火雷に話しかける。この場で流血沙汰が起こるのを何とか阻止しようとしているのだろう。

 彼女にとっては残念ながら、夜子も火雷も渚の言葉に何ら反応を示さなかった。

 夜子が咳をする。少量の血が浜辺に散って黒い点々を浮かび上がらせた。


 次の刹那――

「あっ」

 渚が悲鳴に近い声を発した。

 夜子の指先から飛び出した黒い閃光が火雷の後頭部を撃ち貫いたのだ。その衝撃で砂浜に立っていた火雷の体は湖まで吹き飛んだ。


 水に飛び込んだ火雷の体はうつ伏せになった状態で水面に浮かび上がり微動だにしなくなった。

 頭部から流れ出すものが桜色の湖を真っ赤に染める。驚愕に目を見開いていた渚は、動かなくなった火雷からさっと顔を背けた。


「こんな形で火雷を失うことになるとはな。戦力的には多少痛いが仕方あるまい」

 自分で殺しておいて、夜子は火雷の死を惜しむ。

 それでいて彼女は、舌の根も乾かぬうちに火雷の存在などすっかり忘れてしまったように踵を返した。上階へ続く螺旋階段に向かって一歩踏み出す。


「いえ。待ってください。まだ生きてます」

 まくしたてるような早口で渚が言った。

 一度は火雷から顔を背けた渚だが、恐る恐るといった様子で湖に浮かぶ物体に視線を戻し、その途端に表情をこわばらせていた。火雷が起き上がっているからである。


 大量の血を流して倒れていた火雷は、何事も無かったかのように、渚たちに背を向けて湖の中に立っていた。ゆっくり振り返ると、全身を包み隠していた衣を脱ぎ捨てる。無造作な手付きで捨てられた衣は、未だ火雷の血が漂う場所へ落下して水面に大きな波紋を広げた。


 衣の下から現れたのは、姿を露わにしたにもかかわらず性別不明なままの少年あるいは少女だった。

 外見年齢は十四、五といったところだろう。中性的な美しい顔立ちをしており、瞳は黄金色。やや短めな髪の毛は灰色に染まっていた。細身の全身は着物とローブを混ぜ合わせたような衣装に包まれ、その白い衣装は火雷の名を体現するように炎の柄が染めてある。色は青。赤よりも熱い青い炎だった。


 たしかに頭部を貫かれたはずなのに、火雷の額にあったはずの傷は消えている。

 そのことに驚きもせず、夜子はもう一度相手の頭部に向かって人差し指を向けた。

「お前の素顔を見るのは久しいな」

「はい。人前で顔を晒すのは本当に久しぶりです。何百年、もしかすると何千年ぶりかもしれません」

 水に塗れた火雷の唇は周囲を漂うヒトダマの光を反射して妖しく輝いている。

 彼(女)もまた夜子と同様に平然としていた。湖に浸した細い足はその場から逃げ出そうとする素振りすら見せない。

 そんな火雷の態度を目の当たりにして何か心境の変化が起こったのか、夜子は相手に向けていた指をそっと下ろした。

「私が用済みになると言ったその理由、詳しく聞かせてもらおうか」

 彼女は火雷の真意を問う。

 それは火雷としても望むところらしかった。彼(女)は即答する。

「簡単な話です。アナタはじきに寿命を迎えこの世から逝去なさる。だから私はアナタが用済みになると申し上げたのです」

「この私が寿命で死ぬ? そのような冗談を真に受けると思うのか?」

 夜子は心なしか不快そうだった。

 火雷は口元に笑みを覗かせる。その内には夜子に対する(あざけ)りないしは同情の色が含まれているようだった。

「今は敢えて黄泉津大神様ではなく夜子様と呼ばせて頂きましょう。夜子様、アナタは不幸なお方だ」

「不幸?」

「そう。アナタはご自身が何者であるかを知らない。それはとても不幸なことです」

「何の話をしている? 私は黄泉津大神。この根の国を統べる者。それ以外の何者でもない」

「言葉だけで理解していただくのは難しいでしょう。納得していただくのはもっと難しい」

「……」

「そこで夜子様にある真実(・・・・)を知っていただくため、是非ご覧に入れたいものがございます」

「一体何を見せようというのか?」

「私の口からは申し上げられません。余りにも畏れ多いので……」

 と火雷。

 夜子は一つ咳をして

「良かろう。ならば、ある真実とやらを見せてみるが良い。お前の処分はその後でも構わない」

 その言葉に火雷は「はい」と頷いた。

「丁度良い機会だ。渚もついてくるといい」

 黄金の瞳が少女へと向けられる。

「え? あ、はい。分かりました」

 渚は少し不安げな顔を縦に振った。


 火雷を先頭に三人は歩く。湖に架かった長い橋を渡り、黒い鳥居の下をくぐって、祭壇の前までやってきた。そこで火雷の足が止まる。

「夜子様。アナタはこの祭壇の形状に疑問を感じたことはございますか? なぜこの祭壇がこれほどまで異常に大きいのか、その理由を想像なさったことは?」

 振り返るや否や火雷がそう尋ねる。

「あるはずがない。疑問も何も、この祭壇は私がお前たちに命じて造らせたものではないか」

「左様ですか。ではその場で少々お待ちください」

 そう言うと火雷は祭壇の側面に回りこむ。そちら側の壁面には朱や藍色の塗料を使って簡単な装飾が施されているが、それ以外にはこれと言って目を引くようなものは見当たらなかった。

「火雷様、何をするつもりなんでしょうね?」

 渚の言葉に返事をせず、夜子は火雷の動きを目で追った。


 火雷が祭壇のある部分に手を触れる。

 すぐに渚の両目が大きく見開かれた。火雷の動きに呼応して、祭壇全体の表面が青白くぼんやりと輝き出したのである。さらに火雷の足下から謎の装置がせり上がってくる。以前、樹流徒の目の前で渚が操作していた根の国のエレベーターを動かす装置と良く似ていた。


 輝く祭壇と謎の装置。それを見て夜子の眉が微かに動く。

「私はこのような仕掛けを作れと命じた覚えは無いぞ」

「覚えが無いのは当然です。今アナタが仰った通り、この装置を作るよう私に命じたのは、アナタではないのですから」

 答えながら、火雷は足下の床から出てきた装置を慣れた手つきで操る。

 夜子はそれ以上何も言わなかったし、祭壇に謎の仕掛けが隠されていた事実を知った今も至極冷静な様子だった。それは夜子が自分と言う存在に絶対の自信を持っているからに他ならない。例え祭壇にどのような秘密が隠されていようと、それら全てを一笑に伏すくらいの気概が夜子にはあるのだろう。それだけ彼女は自分を絶対的な存在であると信じているのだ。


 装置を操る火雷の手が止まった。

「ではその目でご覧下さい。ほかの八鬼やアナタですらも知らない、私だけが知る根の国の真実を」

 火雷は微笑して夜子と渚の元へ戻ってくる。


 ほとんど間を置かず、地鳴りに似た音が響き渡った。祭壇が青白い輝きを放ったままゆっくり左右に割れてゆく。祭壇の内部に隠れていたものが姿を現した。


 それはガラスか何か、透明な材質で作られた縦長の四角い箱だった。一切の飾り気を排除したタダの箱でありながら、棺に見える。なぜなら箱の中で誰かが立ったまま眠っているからだ


 透明な棺の中で眠っているのは、長い銀髪の女だった。歳は二十過ぎくらいに見える。白を通り越して青ざめた肌は陶器の如くきめ細かく、目鼻立ちが整った顔は安らかな微笑を(たた)えている。民族衣装を思わせる和風の白い衣を身に纏い、首や手首には黄金の装飾品を身につけていた。

 作り物みたいな美しさを持つ女だが、それ以上にえもいわれぬ神秘性と、近寄りがたい謎の迫力があった。そして何よりこの女は夜子と似ていた。髪の色こそ違うが、病的な肌の白さ、真っ赤な唇、全体的な雰囲気。夜子の外見年齢をそのまま引き上げたらこうなるのではないか、という姿をしていた。




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