退屈しのぎ
それは金色の髪と、燃えるように赤い瞳を持った女だった。見た目は樹流徒よりも二つか三つくらい年上で、ベルや悪魔リリスあたりと外見年齢が近い。体つきはどちらかと言えば華奢。しゃがんでいるのではっきりとは分からないが、恐らく背丈は樹流徒よりも僅かに低かった。人間であれば女性としては高身長の部類に入る。色や裾の長さが異なるワンピースを何枚も重ねたような一風変わったカラフルな衣装をさりげなく着こなしていた。
彼女の他には誰もいない。女はたった一人で床の隅に蹲り、特に何をするでもなくジッとしていた。顔はやや伏し目がちで、眠たそうな表情をしている。孤独というよりは酷く退屈しているように見えた。腰より下まで伸びたサラサラの髪はもう少しで地面に着きそうだ。若干大ぶりな衣装の裾が半透明な床に広がって色鮮やかな花を咲かせていた。
誰もいないこんな場所で彼女は一体何をしているのか? 樹流徒は多少気になったが、魔界で何か気になるたびに足を止めていたら時間が幾らあっても足りない。特に女が落ち込んでいる風にも見えなかったので、その前を素通りしようとした。
カラフルな衣装の裾がふわりと浮いた。女が素早く立ち上がり、裸足で駆け出す。彼女は階段の前までやって来て、樹流徒の眼前に立ち、彼の行く手を塞いだ。
いきなり相手が取った行動に対して樹流徒は警戒心を叩き起こす。戦闘に慣れきった体が勝手に構えを取った。目つきも自然と厳しくなる。
女は何もしてこなかった。殺気も感じられない。心なしかムッとしたような目つきで樹流徒の顔を見ているが、憎悪や怨念のこもった表情ではなかった。敵ではないのかもしれない。
「どうした? 何かあったのか?」
構えを解いて樹流徒は尋ねる。
それに反応して、女の程よく厚みのある唇が小さく動いた。
「私、友達を待っているの。でもその友達が来なくて……」
不機嫌で気だるそうな声だった。
どうやら女はこの場所で友達と待ち合わせをしているらしい。しかしその友達がやって来ないのだろう。一体どれだけ待たされているのかは分からないが、女の口ぶりからして相当長い時間一人でいると見える。彼女が不機嫌そうなのも待ち合わせ場所に姿を現さない友人に対する怒りによるもので、樹流徒とは無関係なのだろう。
樹流徒は女のことを少々気の毒に思ったが、事情を聞かされたところでどうにもできなかった。ついでに言えば、女が自分の行く手を遮った理由がまだ分かっていない。
「俺は相馬。お前は?」
とりあえず名前を尋ねてみると
「私? “ルサルカ”だよ」
女は気安い口調で答えた。
「ルサルカは一体、いつからここにいるんだ?」
「ええと。二時間くらい前から……かな?」
「二時間も待っているのか?」
「そう。酷い話でしょ?」
金髪の女ルサルカは、未だやって来ない友人に対する怒りを露にする。気だるそうにしてみたり、気安い態度を取ってみたり、怒ってみたり、感情表現豊かな悪魔だった。
「早く友達が来てくれるといいな」
「うん。まあね。もう待ちくたびれちゃった」
「俺はこれから暴力地獄へ行くが、お前の友達の名前は? どんな外見をしている? もしその悪魔を見かけたら、ルサルカがここで待っているから急ぐように言っておくが……」
「ううん。いいの。私の友達が遅刻するのはいつものことだから。この前なんて三日も遅れてきたんだよ。あのときは怒りを通り越して笑っちゃった」
「それは大変だったな」
三日も遅れてくるほうも凄いが、それまで待っているルサルカも大概である。既に二時間も待たされている彼女だが、今回は一体どれだけこの場所にいるのだろうか。
ルサルカの腕がすっと伸びた。
「ね。そういうワケだから、私、今とても退屈してるの。だからアナタ、一緒に遊んでよ」
白い指先が樹流徒の黒衣を引っ張る。どうやらルサルカが樹流徒の行く手を阻んだ理由はこれだったらしい。海底神殿で友達を待っているあいだすっかり退屈してしまった彼女は、その退屈を解消するため、樹流徒に遊び相手になれと言っているのである。勝手な要求だった。
「悪いけど先を急いでいるんだ。相手なら他の悪魔にしてもらってくれ」
もっと特別な事情があるならまだしも、退屈だから遊んで欲しいという理由だけで立ち止ってあげるわけにはいかなかった。二時間も待たされているルサルカには同情するが、樹流徒は先へ進まなければいけない。
だがルサルカは引かなかった。
「他の人に相手して貰うって言っても、この海底神殿には滅多に悪魔が通らないんだよ。私がここに来て初めて通りかかった悪魔がアナタなんだから」
彼女は樹流徒の服をしっかりと握り締めたまま離さない。まるで駄々をこねる子供のよう。大人びた外見の割には随分と幼い行動だった。容姿と中身が一致しないのが常識の悪魔らしいと言えばらしい。
ここはルサルカの手を無理矢理振り解いてでも先へ進むのが正しい選択と言えるのだろう。ただ、樹流徒の性格上、それを実行するのは無理だった。
「分かった。少しだけなら付き合うよ」
少し迷ってから観念すると
「本当?」
ルサルカは声を弾ませて、ひまわりのような笑顔をぱっと咲かせた。
「ただし長居はできない。本当に少しの時間だけだからな」
「うん良いよ。私もそんなに長く引き止めるつもりないから」
「しかし遊ぶといってもこんな場所で何ができるんだ?」
辺りを見回すまでもなく、この空間には床と階段以外何も無いことは分かっている。まさか神殿内部で鬼ごっこというわけでもあるまい。以前それで恐ろしい経験をした樹流徒は何となく警戒してしまった。
するとルサルカは最初から何をして遊ぶか決めていたらしく
「それじゃあ“これなーに”しない?」
と謎の提案をする。
「これなーに?」
それは何だ? と樹流徒が表情で訴えると
「え。アナタ、これなーにを知らないんだ? でもやってみれば分かるから大丈夫」
もう待ちきれないようにルサルカはそう答えて
「はい。では第一問」
明るい声を張り上げた。
「一問?」
「“上を見ると下を向き、下を見ると上を向く”。これなーに?」
「ああ……なるほど。そういうことか」
樹流徒は得心した。これなーに? とは、要するに“なぞなぞ”の事だったのだ。
思いのほか子供じみた遊びだった。それとも魔界ではなぞなぞが知的で大人な遊びなのだろうか。或いは単にルサルカの精神年齢が外見よりも低いせいなのか。
ただ何にせよ、危険な遊びでさえ無ければ、樹流徒はそれで良かった。
「念のために確認しておくが、問題に答えられなかったら罰を受けるなんてルールはないだろうな?」
「ん? そうして欲しいならそうするけど?」
「しなくていい」
いつかの鬼ごっこみたく命を賭けたゲームなど、もう沢山だった(もっとも、あの鬼ごっこも実は安全なゲームだったのだが)。
ルサルカのなぞなぞが危険の無い遊びだと分かった樹流徒は、心置きなく問題に挑戦する。
たしか第一問目は“上を見ると下を向き、下を見ると上を向くもの”だった。
「答えは“後頭部”じゃないか?」
どこかで聞いたことがある問題だったので、特に悩む必要も無く樹流徒は答えた。
「はい正解。ちょっと簡単すぎたかな」
ルサルカは屈託の無い笑顔で笑う。その子供っぽい言動が微笑ましくもあり、外見年齢にそぐわないため若干奇妙でもあった。
ルサルカのなぞなぞは続く。
「それじゃあ次の問題いくよ。“右が重たくなれば左が軽くなる。左が重たくなれば右が軽くなる”これなーに?」
「……」
このなぞなぞは初めて聞いた。最初の問題は小手調べみたいなものだったのだろう。急に難易度が上がった気がする。今度は即答できそうになかった。
樹流徒は思考する。右が重たくなれば左が軽くなり、左が重たくなれば右が軽くなるモノ。それは一体?
まず、軽くなったり重くなったりするということは、この問題の答えは多分重量を持つ何かだろう。ちゃんと目に見える形があって、重さがある物体だ。
次に、左右のどちらかが重くなれば反対が軽くなるという関係性から考えて、答えは左右に分かれているが何かしらの形で繋がっている一つの物体かもしれない。例えば眼鏡がそうだ。眼鏡という一つの物体はレンズが左右に分かれているが、レンズとレンズの間がブリッジで繋がっている。ただしレンズの重さは変わらないので今回の問題の答えとしては間違っているが……。
左右が繋がっており、眼鏡のレンズとは違って重さが移動する物体。その線で樹流徒は答えを予想してみることにした。
右から左へ。左から右へ。片手から片手へ物を移す動作をしながら樹流徒は回答をイメージする。
「分かるかな? 正解、教えようか?」
ルサルカは答えが言いたくて言いたくてウズウズしている様子だ。
「いや。いい」
樹流徒は即拒否する。彼の負けず嫌いな一面が出ていた。ただのお遊びとはいえ、負けたくない。クイズの答えを自力で見つけなければ気が済まない性分なのである。
樹流徒は床の一点を見つめ、人生の難問に挑もうとするの如く真剣に頭を悩ませる。
もしかすると仮定が間違っていたのか? 左右が繋がっており、重さが移動する物体という仮定が……。
そもそもこれはなぞなぞだ。右と左。重いと軽い。そういった言葉を額面通り受け取っている時点で落とし穴にはまっている危険性は十分にある。たとえば右や左という単語だが、これは地図的な見方をして、右を東、左を西に置き換えるのが正解なのかもしれない。軽いや重いも本来は重量の程度を表す言葉だけれど、このなぞなぞでは何か別の意味に変換しなければいけないのかも……。だとすれば答えは重さを持たないものかもしれない。物体じゃないかもしれない。
考えれば考えるほど泥沼にはまりそうだった。問題に対する着眼点が良ければすんなり正解が浮かんでくるが、逆に間違った着眼点に固執すると延々と答えが分からなくなってしまうのが、なぞなぞの厄介なところである。
「それじゃヒントあげようか? ねえ」
ルサルカが身を屈めて右から左から樹流徒の顔を覗き込む。
「要らない。絶対に言うな」
こういう場合に限って樹流徒は実年齢より幼くなる。普段の彼とも、戦闘中の彼ともまったく違う、変に負けず嫌いな一面を露呈したときの相馬樹流徒である。
彼は両手を使って右から左へ、左から右へ物を移す動作を繰り返す。
そうしている内、突然閃いた。先ほどから樹流徒が考えていた仮定は正しかったのである。答えは左右に分かれているが繋がっている一つの物体だった。
「分かった。答えは“本”だな」
「大正解。本を開いて右のページが厚ければ左のページが薄くなるからね。逆も然り。当然ページが厚いほど重さは増すし、薄いほど軽くなるってことだね」
「今回のは結構難しい問題だったな」
正解が分かって樹流徒は若干の満足を得る。
ただしそれも束の間
「確かソーマだったよね? アナタ、なかなかやるじゃない。でも次の問題はとっても難しいよ」
ルサルカはすぐに次のなぞなぞを出そうとする。
まだたった二問しか解いていないが、第二問目が難しくて答えを出すのに時間がかかったため、なぞなぞ開始から既に十分以上が経過していた。そのため樹流徒は「次で最後の問題にしよう」と言おうとしたのだが、しかしそれを遮るようにルサルカの口から第三問目が読み上げられる。
「“頭は大木、お尻は半月”これなーに?」