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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
230/359

海底神殿



 ラハブの姿が跡形も無く消え去ると、樹流徒はフォルネウスが負傷している事を思い出した。

 攻撃を受けた場所でフォルネウスはまだ地面に伏している。死んではいないが、瀕死の重傷でないとも限らなかった。

 樹流徒はフォルネウスの元へ駆け寄る。急いだところで傷の手当てができるわけではないが、走らずにはいられない。


 ラハブが発射した氷塊に貫かれて、フォルネウスのクリアボディには大きな穴が開いていた。簡単には塞がらない傷に見える。これが人間ならば傷口の様子や出血量などで状態の深刻さが分かるのだが、フォルネウスの傷口はただ表面に穴が開いているだけで、皮膚は変色していないし、血液は一滴も漏れていない。これでは傷の深刻具合が分からなかった。またフォルネウスには表情も無いので、果たしてフォルネウスが苦痛を感じているのか否かすら、樹流徒には判断しかねた。

「大丈夫か?」

 傷に障らないよう静かに声をかけてみると

「私は危なかった。ラハブの攻撃があと少し内側に入っていたら今頃私の命は無かったと確信している」

 至って平常な口調でフォルネウスが返事をしたので、樹流徒はひとまず大丈夫そうだと安心した。

「それだけ喋れれば平気だな」

 フォルネウスの傘を軽く叩く。


 間もなくフォルネウスは自力で起き上がった。彼は先ほどまでラハブがいた場所まで近寄って、死者への祈りを捧げるように少しのあいだその場所でじっとする。それから樹流徒のほうを振り返った。

「私は感心している。さすがラハブだ。想像以上に強大な悪魔だった」

「そうだな」

 心から同意して樹流徒は頷く。水中という地の不利があったことも影響して、もし一人で戦っていたらラハブには敵わなかっただろう。フォルネウスの加勢が無ければ、と想像すると、絶望的な結末しか頭に浮かんでこなかった。


「そういえば何故フォルネウスがここに?」

 戦闘中は聞いている暇が無かったが、ふと今思って樹流徒は尋ねる。

「キルトを救うために駆けつけた……と言いたいことろだが、それは否定する。私は偶然ここを通りかかったに過ぎない。だからキルトとラハブが交戦しているのを発見したときは本当に驚いた。キルトの姿が以前とはすっかり変わってしまったことにも驚いたが……」

「そうだったのか」

 現世で樹流徒と戦ったとき、フォルネウスは「私は最も嫌うのは嘘つき」と言っていた。だからきっとフォルネウスの言葉は全て真実なのだろう。

 それでも樹流徒がフォルネウスに感謝している事に変わりは無かった。

「偶然でも何でもいい。お前が助けてくれなければ俺は死んでいた。ありがとう」

「私は礼を拒否する。私は前の借りを返しにきただけ」

「そうか」

 フォルネウスの冷静な物言いがどこか自分を拒絶しているように聞こえて、樹流徒は若干の寂しさを覚えた。ただ、その感情を面に出さず頷く。

 樹流徒の心の内など知る由も無いであろうフォルネウスはさらにこう続けた。

「キルト。戦闘中に交わした私とラハブの会話は覚えているか? もしキルトが我々悪魔の未来に暗い影を落とすようならば、次会ったとき、我々は敵同士だ。あの言葉に嘘偽りは無い」

 普段は穏やかな青年の声が、馴れ合いを拒むような厳しい口調で言う。

 樹流徒は首を横に振った。

「大丈夫だ。俺たちが戦うことは二度と無い」

 そうであって欲しいという希望を込めて答える。

「私もできればキルトとは戦いたくないと願う。キルトは色々な意味で敵に回したく無い相手だと私は感じているからだ」

 と、フォルネウス。この妙な言い回しの喋り方もしばらくは聞き収めになるだろう。


 辺りを包んでいたドーム状の空間が消滅し、壁も床もなくなって、樹流徒たちの全身は再び海水に包まれた。

 するとフォルネウスの傘に開いた傷口が徐々に塞がってゆく。クラゲという外見からしてきっと彼も水中でこそ本来の力を発揮できる悪魔なのだろう。この高い自己治癒能力もその一端に違いない。

 フォルネウスの驚異的な回復力を見た樹流徒は、これなら負傷した彼を一人にしても大丈夫そうだと判断した。心置きなく先へ進む事ができる。


 そして別れのとき。

「じゃあ、また」

「私は敢えてキルトの旅の目的を聞かないことにする。そしてさっきキルトが言った言葉を信じることにした」

 樹流徒とフォルネウスはどちらからとも無く身を翻し、互いに離れてゆく。樹流徒は海底神殿を目指して下へ。フォルネウスは太陽の光に向かって上へ。

 少しして樹流徒が一度だけ頭上を仰ぎ見ると、フォルネウスの影はもうどこにも見当たらなかった。


 難敵ラハブを撃破し、この階層で樹流徒の行く手を阻める者はもういない。「異端地獄と暴力地獄を行き来する悪魔はごく少数だ」と海上都市ムウの悪魔が言っていた。その情報に偽りは無く、周りを見渡しても悪魔の姿はひとつもなかった。樹流徒と、深海生物と、そして白く輝く魔力の粒が漂うのみである。それを思うと、人気(ひとけ)が無いこのような場所をフォルネウスが通りかかってくれたことが小さな奇跡だったような気がしてくる。


 人気の少なさは樹流徒がしばらく海底に向かって潜り続けても一向に変わらなかった。着実に海底神殿に近付いているはずだが、上からも下からも悪魔が来る気配が無い。魔界血管といえば大勢の悪魔でごった返しているようなイメージが樹流徒の中で定着しつつあったのだが、そのイメージも既に変わりつつあった。


 悪魔からの襲撃もなければ、海底生物の襲撃などの危険が襲ってくる気配もなく、激しさを極めた対ラハブ戦の余韻が今になってようやく完全に冷めたこともあって、樹流徒は回想に(ふけ)った。


 悪魔倶楽部が存在する第四階層・貪欲地獄から魔界の旅は始まり、灼熱世界の憤怒地獄。そして今樹流徒がいる場所が第六階層・異端地獄。残すは第七階層・暴力地獄と、第八階層の魔壕だけなので、樹流徒の魔界冒険の旅は丁度中間地点を迎えたと言える。


 実際の道のり以上に、ずっと遠くまで来てしまったような気がする。

 樹流徒は自分が魔界に来てからいかに濃密な時間を過ごしてきたかをしみじみと感じた。振り返ってみればたったひと月にも満たないあいだに三体もの魔王と戦い、その度に命を落としかけた。他にも危険は沢山あった。ゾッとするような旅だった。

 ただ、その中でも懐かしい悪魔との再会や新しい出会いが幾つかあった。それぞれの世界で魔界の美しい光景を見た。樹流徒の旅は決して遊びではないが、沢山の心躍る経験と遭遇したのも事実である。それを思い出すと、どれだけ恐ろしい目に遭っても先へ進み続ける勇気が湧いてきた。

 ゆっくり沈んでいた樹流徒だったが、回想が終わると同時に勃然とやる気が起こって、四肢で思い切り水をかき始める。なんだかジッとしていられなくなったのだ。新しい困難と新しい出会いが待っている場所へ猛然と進んでいった。


 程経て、新たなる世界への扉を求める樹流徒の心に応じるかのように、それは姿を現した。

 ようやくたどり着いた海底。ある一ヶ所だけ魔力が特別に強い輝きを放っている。見れば、太陽の光が届かないこの場所で、海底神殿は眩い光に包まれて立っていた。


 長方形に整列した円柱状の柱が、屋根を支えているだけでなく外壁を兼ねている。パルテノン神殿を髣髴とさせる外観だ。柱の奥には第二の外壁があり、窓一つ存在しない白壁が神殿内部の様子を包み隠していた。丁度樹流徒の正面方向に入り口らしき四角い空洞があるが、入り口には黒い光の幕が揺らめいているため、そこからも内部の様子は確認できなかった。

 神殿の周りに悪魔はいない。魚は泳いでいるが、どれもやけに体型が小さい。しっかり目を凝らさなければ見えない稚魚のようなものばかりが大量にうろうろしていた。


 樹流徒は神殿の荘厳な佇まいに感動したが、一方でその大きさには違和感を覚えた。

 樹流徒はこれまでに魔界血管を内蔵する施設を数ヶ所見てきたが、そのいずれもが度肝を抜かれるほど大きな規模を誇っていた。それだけの大きさがあるゆえに、魔界血管の周囲を大勢の悪魔が往来できるのだし、体の大きな悪魔でも通行が可能だったのである。

 ところが海底神殿の大きさは、現世においても「少し大きな建物」の一言で済まされそうな程度の規模であった。下の階層に出入りする者の数が少ないので、大勢の悪魔が往来するスペースは必要ないかもしれない。しかし体の大きな悪魔はどうやって神殿の中に入るのだろうか。神殿の入り口は人間が通れるだけの大きさは十分にあるが、巨体の悪魔が通行するのは難しそうだ。それで樹流徒が困ることも無いのだが、多少気にはなった。


 美しい反面、想像していたよりも小さく迫力に欠ける神殿を目指して、樹流徒は泳ぐ。


 何かがおかしいと気付いたのはそれからすぐだった。

 遠目に見たときはそれほど大きく見えなかった神殿が、近付くにつれて案外大きいような気がしてきたのである。

 目の錯覚かもしれないと思ってさらに神殿に近付いてゆくと、錯覚や勘違いなどではなく、再び神殿が一回り大きくなったように感じた。自分が対象物に近付けば近付くほどそれが大きく見えるのは当前だが、そうした自然な変化とは違う。樹流徒の視界に映る神殿は明らかに不自然な巨大化をしていた。


 どうなっているのかと思って、樹流徒は一度手足を止めて辺りを見回す。

 彼のすぐ傍を大きな魚が横切っていった。見れば、ほかにもあちこちに立派な体型の魚が泳いでいる。

 確か遠目で確認したとき海底神殿の周囲には稚魚の如き小さな魚しか泳いでいなかったのだが、いつの間にかそれが大きな魚に変わっていた。逆にあれだけ沢山泳いでいた小魚たちの姿はもうどこにも無い。


 それで樹流徒は先ほどから起きている不思議な現象の正体に気付いた。

 近付けば近付くほど神殿が大きくなっているように感じたのは間違いない。でも神殿が大きくなったわけではなかった。その逆。樹流徒の体が小さくなっているのだ。だから遠目には稚魚に見えた魚たちも今は大きく見える。もっと正確に言うならば、魚たちも神殿に近付いたせいで体が縮んでいるのだ。神殿に近付いたものは何もかも小さくなってしまうのである。

 その証拠に樹流徒が遥か頭上を仰いでみると、船よりも大きな深海魚が何十匹も遊泳している。樹流徒のサイズが小さくなっているから、遠くを泳いでいる普通の魚が巨大に見えるのだ。


「これだな。ヴェパールが言っていた、海底神殿の仕掛けは」

 人魚の悪魔ヴェパールは「きっと驚きますよ」と言っていたが、本当にその通りになった。神殿の中ではなく周辺にこのような仕掛けがあるとは、樹流徒は想像していなかった。


 謎が解けてすっきりしたところで、樹流徒は改めて神殿の入口目指して泳ぎ始める。

 目的地はすぐ目の前にあるのだが、泳いでも泳いでもなかなか近付けない。そんな不思議な現象を樹流徒は味わう。

 考えてみれば当然の現象だった。海底神殿に近付くほど樹流徒の体は小さくなっている。その分だけ海底神殿との距離が長くなったように感じるのだ。人間にとってはただの小さな水溜りでも、蛙にとっては池のような広さだし、もっと小さな蟻にとっては湖のように広い。それと同じで、体が小さくなった樹流徒にとっては本来すぐ目の前にある神殿までの距離がやたらと長く感じるのだった。もし樹流徒の体が際限なく縮むようなことがあれば、彼は半永久的に神殿の入口にはたどり着けないだろう。ヴェパールが何の忠告もしなかったことを考えればその心配は無さそうだが。


 神殿の入り口が山よりも大きく見えたとき、樹流徒はようやくそこにたどり着いた。

 遥か頂より居丈高に樹流徒を見下ろす神殿の屋根が魔力の光を受けて極大の影を海底に落としている。屋根を支える柱はそれ一本だけで数十回建てのビルにも劣らない大きさがありそうだ。その近くに寄って樹流徒は初めて気付いたのだが、柱の表面にはあの電気回路似のラインが埋め込まれており、その中を水色の光が駆け巡っていた。


 樹流徒は柱の間を通り抜け、入り口の前に立つ。眼前でゆらゆらと波打つ黒い光の幕は、その大きさ故に見ているだけで溺れてしまいそうな吸引力があった。

 闇の魔力に引っ張られて、樹流徒は光の幕を通り抜ける。


 今まで水中で軽くなっていた全身に重みを感じた。水の流れは止まり、代わって爽やかな風が樹流徒の頬をなぞり彼の後方へ吹き抜けて行く。

 視界いっぱいに青が広がった。樹流徒の見間違いでなければ、それは空だった。ところどころに綿菓子のような雲を浮かべた穏やかな青空が空間を満たしていた。


 樹流徒は水色のクリアカラーが鮮やかな足場に立っていた。ガラスと良く似た材質で造られた正方形の床が百平方メートルくらい広がっている。それを支えているものは見当たらず、床は宙に浮いていた。物は何も置かれておらず、段差も無い。ひたすら平坦な足場だ。半透明な床越しに見える足下にも無限の青空が広がっていた。


 前を見ると、床から数十センチ離れた空中に階段が浮かんでいた。人間が使用するのに適したサイズと、巨体の悪魔でも上れそうなサイズの、二種類の階段がぴったり横並びになって遥か上空を目指し真っ直ぐ駆け上っている。階段の先に何があるのかは雲に隠れて見えないが、終着点に魔界血管の入り口があるのは間違いないだろう。


「それにしても海底に沈んだ神殿の中に空があるなんて……」

 メルヘンチックな絵本の中にでも飛び込んだような気分になって、樹流徒はぼんやりと雲の一つを眺める。彼の独り言に返事をする者はいなかった。辺りには悪魔どころか虫一匹の姿さえ無い。


 眼前の光景に多少見慣れると、樹流徒は歩き出した。四角い広場を横切って、大小二種類ある階段の前に立つ。一度頭上を仰いでから、数十センチの空中を跨いで小さい方の階段に片足をかけた。


 すると、足下から女の美しい歌声が響く。ソプラノ歌手が発したような高い歌声だった。

 意外な仕掛けに樹流徒は空中を跨いだまま数秒停止したが、すぐ我に返って次の段を踏む。

 再び女の声が美しい音色を奏でた。ただし一段目とは音階が違う。どうやらこの階段は電子ピアノの鍵盤みたいになっているらしい。次の段に昇ってみると、また同じ声が別の音色を鳴らした。一段一段音が違うようだ。


 この仕掛けに何か特別な意味があるのだろうか? 音に反応して周囲の状況に変化が起こるといった様子は無い。ただ、この仕掛けに関してもヴェパールからは何の忠告も無かったので恐らく大丈夫だろう。そう思って、樹流徒はさほど気にせず先へ進んだ。階段を踏みしめながら足下から響く美しい音色に微かな心地良さを覚える。


 ふとある事に気付いたのは、階段を二十段くらい上ったときだった。

 樹流徒は立ち止まる。ひょっとしてこの階段は音を繋げてゆくとひとつの曲になるのではないか、という気がした。しかもその曲を樹流徒は知っているいるかもしれない。


 確かめるべく、樹流徒は身を翻した。ここまで上ってきた階段を駆け下りて、わざわざ最初の床まで戻る。改めて空中を跨ぎ最初の一段を踏んで、すぐに次の段を踏んだ。音の連続が曲になるように、今度は早いテンポで階段を駆け上って行く。


 思った通り、階段が発する音はひとつの曲を奏でるように並んでいた。先ほど樹流徒が引き返した場所を通り過ぎた辺りで、樹流徒は曲の正体を思い出す。

 それは詩織が悪魔倶楽部で披露した歌に他ならなかった。大分前に聞いた歌なのだが、印象的なメロディだったため樹流徒は今でもはっきりとあの旋律を覚えていた。


 なぜ、あの曲がこの階段に使用されているのかは考えても分からない。ただ、そんな疑問がどうでも良くなるくらい、樹流徒は懐かしさと不思議な安らぎを感じた。


 一曲が終わると、階段はまた同じ曲を初めから繰り返す。それでも樹流徒は飽きることなく足元の鍵盤を踏み続け、軽やかな歩調で天空へと上ってゆく。

 しばらく夢中になっていると、いつの間にかかなり高い場所まで来ていた。頭上を仰げば遠くに広場が見える。百平方メートルくらいの四角い床……樹流徒がこの空間に足を踏み入れたときに立っていた広場とおなじだった。


 樹流徒は階段を上りきって広場に立つ。真っ先に床の隅に目がいった。そこには小さく蹲っている影がひとつ。海底神殿に足を踏み入れて初めて遭遇する悪魔だった。




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