表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
226/359

深海の魔王



 ムウを発って十三日目の朝だった。海上を吹き抜ける風はやや強く、波が高い。空には灰色の雲が立ち込め一雨来そうな様相を呈していた。

「もう少しで海底神殿に到着しますよ」

 天候とは裏腹にヴェパールの声は明るく弾んでいた。それを隣で聞く樹流徒の眉も自然と明るくなる。


 海上都市ムウを発ち、海底神殿を目指して約二週間の旅をしてきた。道中様々な危険に襲われたが、振り返ってみれば最大の障害はセドナだった。あの一つ目人魚を倒したあとも樹流徒たちは幾度となく海中生物の襲撃を受けたが、セドナほど危険な相手はおらず、絶体絶命の窮地という場面は無かった。

 それについてはセドナを倒した影響が大きい、と樹流徒は確信している。あの悪魔を吸収したことで樹流徒はより一層海に適応した生物になった。水の中でも会話ができるようになったほか、水の抵抗をほとんど感じなくなった。今はもう海の中でも空中と同じように動ける。お陰でセドナ戦以降は水中生物の襲撃もかなり楽にやり過ごせた。


 海の脅威に晒される心配も無くなり、樹流徒とヴェパールは横並びになって緑色に染まった水の中を悠々と泳ぐ。

 人間より一回り大きな体躯を持つ海亀が二人の横を通り過ぎて行った。前方には百を超えるマンタの群れが舞っている。樹流徒は周囲に多少の注意を払いながら海の景色を楽しむ余裕があった。


 真っ直ぐ前を向いたまま、ふとヴェパールが笑みをこぼす。

「そういえば海底神殿には面白い仕掛けがあるんですよ。あれを体験したら、きっとアナタも驚くと思います」

「そうなのか? 初耳だ」

 忘却の大樹の転送装置や、火山内部に浮かぶ床など、魔界血管とその周辺はロストテクノロジーの塊だ。海底神殿も例外では無いらしい。

「一体どんな仕掛けがあるんだ?」

「私から話を振っておいてなんですが、秘密です。神殿に着くまでの楽しみに取っておいて下さい」

「そうか……。じゃあ、そうしよう」

 ヴェパールが敢えてその情報を伏せるということは、海底神殿には忘却の大樹みたく厄介な仕掛けは存在しないと考えて良いだろう。仮に危険な罠があるならばヴェパールは教えてくれただろうし「楽しみに取っておいて下さい」などとは言わないはずだ。


 マンタの群れを通り過ぎると、無数の小魚が群れを成して水中に大きな螺旋を描いて泳いでいた。

 魚のトンネルである。海上から降り注ぐ太陽の光を反射してキラキラ輝く長いトンネルの中を樹流徒とヴェパールは静かに通り抜けた。


 すると、もっと激しい輝きが前方に現れる。水中の生物が放つ光ではない。無数の白い光の粒が海中を漂っていた。根の国で見たヒトダマよりもずっと小さい粒なのに、光は強い。

 何の光だろうと思って樹流徒が目を凝らしていると

「あれは魔力です」

 ヴェパールが声を掛けてくる。

「魔力は魔界中に満ちている不思議な力です。本来は目に見えないものなんですけど、なぜかここ一帯の魔力だけはああして見えるんですよ」

「綺麗だな。泡が光っているみたいだ」

 もしくは雪に見えた。海に降る雪。

 魔界に来て幻想的な光景に出くわすのはこれで何度目になるか分からないが、樹流徒は何度でも感動するし、何度でも見惚れた。


「なぜこの場所だけ魔力が目視できるのか、その原因は分かっていません。一般には海底神殿の影響ではないかと言われています」

 ヴェパールはどこか嬉しそうに解説を続ける。もし彼女が人間だったら、ツアーガイドが天職かもしれない。今回に限らず樹流徒が海の中で珍しい物を見つけるにつけ、ヴェパールは色々丁寧に説明してくれた。お陰で樹流徒にとって不慣れな水中の旅も、ただ危険で苦しいだけのものではなかった。

 ついでに言うならセドナを倒せたのも、海中生物の襲撃を無事にやりすごせたのも、ヴェパールの力と知識に助けられたお陰と言って良い。

「ここまでありがとう。お陰で下の階層へ行けそうだ」

 少し気が早いかもしれないが、樹流徒はヴェパールに礼を述べる。

 水色髪の人魚は控えめな笑顔で頷いた。

 一拍置いてから

「でも、まだ安心するのは早いですよ。この階層にはラハブがいますから」

 少し真面目な顔つきでそう付け足した。


 ヴェパールが危惧している魔王ラハブの件に関しては樹流徒も重々承知していた。

 この世界にやって来て間もなく、海辺の桟橋に立っていた女からも「もしアナタが魔界血管を通ろうとすれば、アナタはこの階の魔王に殺されることになる」と脅迫じみた警告を受けていた。今回も魔王との戦いは避けられないだろう。そして必ず厳しい勝負になる。


「ラハブはどれだけ強力な悪魔なんだ? どんな戦い方をする?」

 樹流徒はそれを尋ねた。前もって敵の能力が分かっていれば戦いはかなり有利になる。今のうちにラハブの情報をヴェパールに聞いておかない手は無かった。

「残念ですが、知りません」

 ヴェパールは少し語調を弱めた。

「私はラハブが戦っている姿を見たことが無いんです。それにアナタたちニンゲンが時間と共に成長するように私たち悪魔も成長します。ですから、仮に私が以前のラハブについて知っていたとしても、そのあと彼女がいつどんな風に成長し、新しい能力を身につけたか分かりません。中途半端な情報を得ると却って危険かもしれませんよ」

 ヴェパールの説明はストンと樹流徒の胸に落ちた。男子三日会わざれば刮目して見よ、という慣用句があるが、その言葉は男子(人間)だけでなく、悪魔にも当てはまるようだ。現在のラハブがどれだけ強い悪魔なのか、それは直接本人と相対しなければ分からないということである。


 そうこうしている内に、二人は光り輝く魔力が漂う水域に突入する。

 白光の中を進んでゆくと前方の地面に大きな裂け目が見えてきた。底の見えない深い海溝が樹流徒たちをジッと見上げている。

「この海溝を降りた先に神殿があります」

「深さはどれくらいある?」

「ええと……。現世の単位で言うと九千八百フィートくらいでしょうか」

「メートルに直してもらえると助かる」

「三千メートルくらいです」

「相当な深さだな」

 樹流徒は返事をしながら、以前も誰かと似た様なやり取りをした気がした。


「この体が水圧に耐えれるかどうかが問題だな」

 樹流徒は底の見えない闇を見下ろす。魔人の肉体がどれだけの水圧に耐えられるかは分かっていない。無理をすれば後遺症が残る危険性がある。最悪の場合、深海の圧力に細胞を破壊されて死に至るかもしれない。

 それについてヴェパールは割と楽観的だった。

「絶対とはいえませんけど、大丈夫じゃないでしょうか」

「なぜ?」

「キルトは倒した悪魔の能力を自分のモノにするんですよね? でしたらセドナを吸収した今のアナタならば、どれだけ深い場所にでも潜れるんじゃないかと思うんです」

「セドナは水圧に強いのか?」

「はい。私やセドナは水圧に合わせて自分の体内の圧力を自動調整する能力を備えていますから」

「なるほど……」

 陸上で暮らす人間は普段から一気圧(一平方メートルあたり約十トン)もの圧力を受けている。それでも人間の体が潰れないのは体内の圧力と外の圧力が釣り合っているからだ。恐ろしい水圧がかかる海の底で深海魚が生きていられるのも同じ理屈である。だから深海魚を陸上に連れてゆくと体内の圧力が勝ってしまい、深海魚の体は破裂してしまう。逆人間が深海に潜ると外の圧力のほうが強いため押しつぶされてしまうのである。

 その点、ヴェパールやセドナは自分の体内の圧力を自動調整して陸上と深海のどちらにも適応できる。だからセドナを吸収した樹流徒にも同じことができるはずだ……というのがヴェパールの意見だった。

「分かった。お前の言葉を信じるよ」

 樹流徒はそう答えた。どの道、海底神殿に行かなければいけない。だったら大丈夫だと信じたほうが良い。


「それでは、ここでお別れですね」

 ヴェパールはどこか名残惜しそうだった。単に樹流徒との旅が終わることを残念がっているわけではない。この場所で樹流徒と別れた瞬間から、ヴェパールは一悪魔として首狩りキルトと友好な関係ではいられなくなる。その寂しさを感じているのだろう。

「本当に助かった。ムウまでくれぐれも気をつけて帰ってくれ」

 樹流徒が改めて礼を言うと、ヴェパールは今まで一番明るい笑顔を作った。

「心配要りません。帰り道は少し遠回りして安全な道を通りますから」

「そうか」

 樹流徒は相手から視線を外す。足下で口を開く海溝を見つめた。

「じゃあ、またどこかで」

 最後にそう言って闇に飛び込む。

 もうヴェパールからの返事は無かった。


 海の底へ落ちてゆく。

 樹流徒は水深に合わせて自分の体内で変化が起こってゆくのがわかった。肺に溜まった空気が重くなり、全身のたんぱく質が海底に適応するため変質してゆく。

 三百メートル……五百メートル……どこまでも深く潜ってゆける。水圧に合わせて体内の圧力が自動調整させるセドナの能力が働いているのだ。


 どこかで水音が急激に冷たくなった。耐えられないほどの冷たさではない。

 樹流徒の眼前をリュウグウノツカイと良く似た長細い魚が背びれを揺らせて通り過ぎる。美しい鱗がルビーのように赤く輝いていた。横を見ればサシバゴカイと似た多毛類の生物や、クモヒトデ似の生物が岩壁に張り付いて移動していた。深海に変わった形状の生物が多いのは、現世と魔界で共通しているらしい。


 水深千メートル。本来ならば地上の光が全く届かない場所を、神秘的な光が照らす。

 深く潜れば潜るほど魔力の粒は光の強さと量を増した。海底神殿に近いづいている証拠だろう。

 ずっと遠くを見ると、悪魔か、魔界の生物か、二つの頭を持つ大きなタコが八本の足をいっぱいに伸ばして墨を吐き出しながら浮上していた。


 水深二千メートル。太陽の光は届かない場所なのに、辺りは地上の昼間よりも明るい。


 と、ここで不意に樹流徒の視界が不審な物体を捉えた。

 最初は深海生物かと思ったが、良く確かめるとそれは白い服だった。魔力の光に照らされて、白いワンピースが水圧を無視してひらひらと裾を揺らしているのだ。


 深海に人間が浮かんでいた。黒髪の女が、服にも負けない白い肌を水中に浮かべ、赤い瞳で樹流徒のほうをジッと見つめている。

「お前は……あのときの」

 樹流徒は驚きを禁じえなかった。目の前に現われた女は、紛れもなく海辺の桟橋で出会った、あの女だったからだ。


「来てしまったのね、首狩りキルト」

 女は当たり前のように水中で喋る。

「なぜお前がここに」

「アナタを殺すため」

 女は答える。「殺す」という言葉ほど実際口にしてチープなものはないが、女の冷たい語調で言われると背筋がぞっとする恐ろしさあった。

「私は警告したはずよ……。これ以上先へ進めばアナタはこの階層の魔王に殺されるとね」

 女からおぞましい殺気が放たれる。華奢な体からは想像もつかぬ、並みの悪魔では真似のできない迫力が樹流徒の全身をそそけ立たせる。

「まさか、お前がそうなのか(・・・・・)?」

 考えもしなかった。桟橋で出会ったあの女が、この世界の魔王だったなんて。


 女の細い体が節くれだった体型に変化し、さらに肥大化してゆく。樹流徒よりも小さかった体が、彼の五、六倍にまで膨らんだ。超巨大悪魔のレビヤタンには及ばないが、それでも相当な大きさだ。


 巨大化した女の腰から軟体動物の足を思わせる長い触手が十本飛び出した。一方、上半身の至る場所から皮膚を突き破って白く硬そうな物体が這い出てくる。それはいわば鎧だった。幾つもの円い空洞が開いた分厚い装甲が、巨大化した女の肩、胸、腕、腰の辺り、そして顔の上部を包んだ。

 鎧を纏った瞬間、女の皮膚が漆黒に染まり、卵よりも丸くなった眼球は赤から黄金へと変色し、黒髪は老化したように白く染まって水に揺れる。

 美しい女はあっという間に身の毛もよだつ化物に変貌を遂げた。


「私の名はラハブ。異端地獄の魔王。我々に近いニンゲンの子よ。この海の底で安らかに眠りなさい。永遠に」

 魔王ラハブは穏やかな声を発する。それは相手に静かな恐怖と絶望を植え付けようとするかのように、樹流徒の脳の奥に直接語りかけてきた。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ