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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
223/359

魔界探偵ソーマ(後編)



 樹流徒は椅子から立ち上がり、自分から一番近くにある扉に歩み寄る。四つ並んでいる内、一番左の扉だ。

 ウトゥックが明らかに慌てた様子で駆け出した。彼は樹流徒とドアの間に割り込むと、両腕をいっぱいに広げて道を塞ぐ。

「困るよソーマ。私はまだ君の条件を飲んだわけじゃないんだよ」

「ならば俺を毒殺しようとした罪を償ってもらう」

 ここぞとばかりに樹流徒は殺気を放って凄んだ。勿論、仮にウトゥックが犯人だとしても命まで奪うつもりは無い。しかしこの場面は部屋の中を調べるために強烈な脅しをかけておく必要があった。ハッタリをかましておかなければいけないのだ。


 ウトゥックは選択を迫られる。樹流徒に宿の中を調べさせるか。それとも樹流徒と戦うか。

 もし樹流徒と戦えば、ウトゥックの敗北は確定的だった。勝ち目があるのならばウトゥックは今すぐ樹流徒を攻撃しているはずである。実質、ウトゥックに選択肢など無かった。

「分かった。好きにすればいい。ただし君一人で(・・・・)宿の中を調べるだけだよ。そしたら私を許すと約束してくれ」

 半ばやけになったようにウトゥックは言う。苦渋の決断だったと分かる。潰れそうなほど握り締められた両の拳が彼の感情を雄弁に物語っていた。


 ウトゥックの許可が下りたため(正確には下ろさせたのだが)、樹流徒は遠慮なく×印の紙が張られた扉を開ける。

 するとその一室には足の踏み場も無いほど大量の酒樽が積まれていた。あと少しで天井まで届く高さまで積まれたその酒樽の数は最低五十以上はある。

 酒樽の隙間から覗き込むようにして部屋の奥を調べてみると、壁のどこにも窓が見当たらなかった。外から部屋の様子が見えないようになっている。何かを隠すにはうってつけの場所と言えた。


「この酒樽は何だ? もしかしてムウの住人がウセレムに捧げた供物じゃないのか?」

 樹流徒が指摘すると、のっぺらぼうの顔が勢い良く左右に振れた。

「違う。この酒は全て最初から私が保有していたものだ。ずっと前からこの部屋にあったものなんだ」

「ならば町の悪魔たちにこの部屋を見てもらってもいいか?」

「冗談じゃない。いくら町の住人でも私個人の部屋を勝手に検閲する資格なんてないよ。私の部屋を調べても良いのは君一人だけだ。さっきそう約束したじゃないか」

 とても苦しい言い逃れに聞こえた。ほぼ間違いなく、この酒樽はウセレムを利用してムウの住人たちから奪ったものである。ウトゥックが何らかの形で事件に関わっていることはもう疑いようもなかった。

 それでもウトゥックにはこれしか助かる方法が無いのである。樹流徒に宿屋の調査権を与え、かつ苦しい言い逃れでも何でもこの場を凌ぎきる。シラを切り通すしかないのだ。

 ウトゥックはもう恐怖や緊張を隠そうとはしなかった。大げさなくらい指先が震えている。


 一方、樹流徒はウトゥックの苦しい言い逃れを完全に否定する証拠が欲しかった。酒樽が積まれた部屋の隣は厨房である。そこはもう入ったので素通りして、フロントの前も通過して、次の部屋の扉を開けた。


 その部屋にも、入り口の扉を除いて窓や戸といったものは一切ついていなかった。外からでは部屋の中が見えないようになっている。

 床には大量の硬貨と色とりどりの宝石が積み上げられていた。これもムウの住人相手に荒稼ぎしたものだろう。

「この硬貨や宝石も全部お前の物だと主張するつもりか?」

「ああ。そうだとも。私の部屋にあるんだ。全部私のものに決まっている。そうじゃないという証拠はあるのかい?」

 ウトゥックは少し冷静さを取り戻した様子で言う。案外このまま逃げ切れるのではないか、と考え始めたのかもしえない。

 それでも樹流徒はこの財宝の山にこそ、決定的な証拠が埋もれていると信じていた。この部屋に“アレ”さえあれば、ウトゥックは決して言い逃れできなくなる。


 樹流徒は宝の山をかき分けて、目的のものを探した。ウトゥックは拳を強く握り締めたまま樹流徒の背中をじっと見つめている。互いの緊張に空気がぴんと張り詰めた。


 さほど苦戦することなく、樹流徒はそれを見つけた。ウトゥックの嘘を全て打ち砕く最強の証拠品である。それを手に樹流徒は部屋を出た。

「ウトゥック。これは何だ?」

 すぐさま手に掴んでいるものをウトゥックに突きつけた。


 それは一風変わった宝石だった。とある悪魔の形をしたダイヤ像である。

「あのねえ。何度も同じ事を言わせないで欲しいな。それも私の私物だよ。シ・ブ・ツ」

 ウトゥックは一層やけになった感じで強気な態度に出る。

 ただ、この悪魔がいくら態度を変えても、上手い言い訳を並べても、意味はなかった。

「駄目だウトゥック。もうその言い訳は通じない」

「え……」

「このダイヤ像は、あるムウの住人が自分の姿に彫ってもらった、この世にたった一つしかない特注品だ」

「……」

「そして先日、ウセレムに飲み込まれてしまった物でもある」

「嘘だ。そんなものが……」

 ウトゥックは信じられないといったような声を発する。だが、一万年も前からムウに住んでいるウトゥックも兎頭の存在は知しっているはずだ。樹流徒の言葉が嘘ではないと分かっている。


 兎頭のダイヤ像はウトゥックを挑発するかのようにニヤニヤ笑っていた。よもやこんなモノが事件解決の決め手になるなんて樹流徒は思っていなかったし、それはウトゥックも同様だろう。ダイヤ像だけでも捨てなかったウトゥックの、痛恨のミスである。


 これで犯人に逃げ道は無い。

「ウセレムと対峙したとき、体内から殺気を感じた。あれはお前が放った殺気だったんだな? お前は体内からウセレムを操っていたんだ」

「……」

「昨晩俺が仮眠をしている間にお前は宿をこっそり抜け出してウセレムの元へ行った。そしてウセレムを体内から操ってムウの住人を脅し、町を破壊し、そして俺と戦った。しかしウセレムの力を借りても俺を殺せないと考えたお前は、作戦を変更して俺を毒殺しようと考えた。だからウセレムはいきなり帰ってしまったんだ」

「……」

「ウセレムが去ったあと、俺はカイムたちと話をして、さらにアモンを追っていた。その間にお前は急いで宿屋へ戻り毒入りスープの用意をした。俺が宿に戻ってきたときには何食わぬ顔でフロントに待機し、あたかも自分が今までずっと部屋で寝ていたかのように振舞った」

「……」

「仮にこの推理に間違いがあったとしても、このダイヤ像がある限り、お前が供物を隠していたという結論だけは覆らない」

「……」

「ウトゥック。ウセレム騒動の犯人はお前だ」

 推理を突きつけると、ウセレムはがっくりとうなだれて震える溜め息を吐いた。


 数秒して、のっぺらぼうの顔がゆっくり持ち上がる。そのときにはもうウトゥックの体から震えが消えていた。

「あ~あ……。もう誤魔化してもしょうがねェな。そうだよ。ほとんど全部オマエの言う通りさ」

 ウトゥックが今までの態度を一変させた。いや。変わったというより戻ったのだろう。きっとこちらが本来の彼なのである。

「まったく、オマエのせいでオレ様(・・・)の計画が全部台無しだ。あと少しすればこの宿に秘密の地下室が完成して、そこに供物を隠すはずだったのに。それまでの辛抱だったのによォ……」

 本性を露わにしたウトゥックは言葉遣いどころか一人称まで変わっていた。それでいて外面上の様子は一ミリも変化がないことが余計にこの悪魔の不気味さを増してる。


「何故、こんな真似をした? 昨日、お前はこの町が好きだと言っていたな? あの言葉は嘘だったのか?」

 樹流徒が厳しい口調で問い詰めると、ウトゥックはやれやれと言わんばかりに深いため息をつく。

「いいや。あれは本音さ。ムウは平和で居心地の良い町だからな。好きにきまってるだろ」

「だったらどうして……」

「けど、長年この町に住んでる内、段々と退屈になってきてよォ。何か面白れェ事件でも起きねーかなって思ってたンだよ」

「だから自分自身で事件を起こしたというのか?」

「そうだよ。でもオレ様は悪く無い。むしろ良いことをしたんだ」

「良いこと?」

「ああ。ただ平和な毎日に飽き飽きしているヤツは、オレ以外にも大勢いたはずだ。連中だって内心じゃ騒動が起こって喜んでたはずだぜ? そんな連中をオレ様は楽しませてやったんだ。良いことじゃないか。供物はその報酬。町の連中がオレ様に払う当然の対価なんだよ」

 滔々(とうとう)と語られるウトゥックの身勝手な理屈に、樹流徒は表情を曇らせた。

「ウセレムのことはどう思っていた? ウセレムを利用して何も感じなかったのか?」

「いいや。アイツには感謝しているよ。少しは悪いとも思っている。オレ様のために死んでもらったんだからな」

「死?」

 樹流徒は耳を疑った。ウセレムは既に死んでいるというのか?

「今更隠してもしょうがないから教えてやるよ。オレ様は死者に寄生し操る能力を持つ。残念ながら生きたヤツは操れないんだ。だからウセレムには死んでもらった」

「……」

「ついでに言うとオマエの推理には一つだけ間違いがある。さっき俺が退却したのは、ウセレムの力じゃオマエを殺せないと思ったからじゃない。ウセレムを操るのが限界だったからだ。大きな生物の死体ほど操るのが大変なんでね」

「お前は、どうやってウセレムを殺したんだ?」

「ああ、そんなの簡単さ。ヤツの大好物であるジェレムにたっぷり毒物を仕込み、与えてやったんだよ。お前にやったスープにも同じ毒が入ってるぜ。ウセレムのヤツ、喜んで食べてたなぁ。ヤツはオレ様たちムウの住人が大好きだったからな。毒が入ってるなんて疑いもしなかっただろ」

「……」

「ちなみにウセレムにくれてやった毒入りジェレムはアモンのヤツから入手した。オレ様はヤツがジェレムを密漁していることを前から知っていたからな。鳥の死体に寄生して、アモンが背負っていたジェレム入りの袋を奪ってやったのさ」

「アモンの袋を盗んだのもお前だったのか」

「ウセレムにもアモンにも本当に気の毒なことをしたと思ってるよ。でも、オレ様が町の連中を楽しませてやったことに比べりゃ安い対価だろ?」

 樹流徒の胸に沸々と怒りが込み上げてくる。あの少女の寂しげな横顔や悲痛な叫びを思い出すと、やりきれなかった。彼女の悲しみも、安い対価だというのか?

「自分が犯人だと名乗り出ろ。そして二度とウセレムの死体を利用するな」

 樹流徒は自首を勧める。

 ウトゥックは頭を傾けてふんと笑った。

「いいや。その必要は無いね」

「なに?」

「だってそうだろ? 真犯人は今オレ様の目の前にいるんだぜ?」

「どういう意味だ?」

「いいか? 今から数時間後、ムウの片隅でこれまでウセレムに捧げられてきた供物の一部が見付かる。自殺した犯人の死体と一緒にな。それで事件は解決だ。最高だろ?」

 この悪魔、どうやら樹流徒を殺して自殺に見せかけ、あまつさえウセレム騒動の罪を押し付けるつもりらしい。

「そういうワケだから早々に死ねよ!」 

 ウトゥックが拳を振りかざして樹流徒に襲い掛かる。


 ただ、このときウトゥックは興奮の余り完全に失念していたのだろう。相手がウセレムを利用しても倒せなかったほどの実力者だということを。


 魔王に比べればスローモーションにも等しいスピードでウトゥックが突っ込んでくる。

 樹流徒は完全に相手の動きを見切っていた。ウトゥックの一撃をかわし、強烈な拳を敵の腹に叩き込む。それだけで既に決着はついていたが、たった一撃で終わらせてはウトゥックが言うところの「対価」に見合わなかった。一連の騒動に恐怖し傷ついた者たちへの対価として釣り合わない。


 腹に一撃受けて前のめりになったウトゥックの体を樹流徒は蹴り上げる。悪魔の体が勢いよく垂直に跳ねて天井を突き破り、二階の天井スレスレまで舞った。そのまま真っ直ぐ一階に戻ってくる。

 樹流徒は後ろを振り返って脚腰に力を溜めていた。ウトゥックが一階に落下してきたのにタイミングを合わせて体を捻り、ウトゥックの背中に回し蹴りを見舞う。

 悪魔の体はボールのように跳ねて壁を突き破り外に飛び出した。あくまで樹流徒は手加減している。この犯人に本当の裁きを与えるべきなのは自分ではないからだ。



 早朝。嵐は早くも過ぎ去り胸が軽く締め付けられるような美しい青空が広がっていた。

 そんな天気に似合わず、町は騒々しい。真っ赤な屋根の宿屋にムウの住人たちが押しかけていた。

 その中心には捕縛されたウトゥックの姿があった。殺気立ったムウの住人たちに取り囲まれて睥睨(へいげい)されている彼の表情は、やはり外側からでは分からない。

 少し離れた場所では無事ダイヤ像を取り返した兎頭悪魔が小躍りをしていた。彼のお陰でウトゥックの言い逃れを完封できたのだから、感謝すべきかもしれなかった。


 騒々しい光景を、樹流徒はかなり遠巻きに眺めていた。

 昨夜ウトゥックを倒したあと、樹流徒は宿屋に保管されていた供物を外へ運び出した。嵐の夜だったが、宿屋の前に現れた異様な光景に通行人が気付いて騒ぎ出し、ムウの住人たちが集まり始めるまで驚くほど早かった。


 あとは放っておけば勝手に事件は解決する。樹流徒はカイムにだけ全ての成り行きを話し、ウトゥックの処置は町の住人たちに任せることにした。

 真相を知ったカイムはウセレムの死と犯人の正体に驚いていたが、樹流徒の話を信じてすぐに全てを受け入れた。

「ウトゥックが海のどこかに隠したウセレムの死体は何があっても見つけ出す。つーかウトゥックに吐かせる。たとえどんな手段を使ってもな」

 そう語るカイムはつぶらな瞳をしているにもかからわらず少し邪悪に見えた。


 余談だが、ウトゥックの部屋の一室には供物だけでなく、様々な動物や魚の死体が保管してあった。中には大きな鳥の死骸もあり、それは恐らくウトゥックがアモンから聖魚ジェレムを奪うために使ったものだった。魚の死骸もウセレムの死体を隠した場所までウトゥックが泳いでいくために使われたものと思われる。

 また、宿屋の主人であるウトゥックは、客に料理や酒を振舞うために普段から毎日のように沢山の食材と、酒樽を買っていたという。そのため彼が毎日少しずつ供物を宿の中に運び込んでも、誰も彼を怪しまなかったらしい。ウトゥックの計画は用意周到に進められていた。


 これで樹流徒がムウでやり残したことは何も無い。

 彼はこのまま誰にも会わず、静かにこの海上都市を離れようと考えていた。


 ところが樹流徒の背後から声をかける者があった。

「やあ。ごきげんよう」

 聞き覚えのある声である。たしか深夜にも同じようなことがあった。そう思いながら樹流徒が振り返ると、背後に立っていたのはやはりメフィストフェレスだった。


 今回は彼一人だけではない。アモンと、あの水色髪の少女も一緒である。

 カイムから全てを聞いたのか、それとも聞くまでもなくおおよその見当はついたのか、彼らは今回の事件を解決したのが誰なのかを知っていた。

「今回はお手柄だったね名探偵君」

 などとメフィストフェレスが樹流徒をおだてる。

「探偵なんかじゃない。成り行きで運良く犯人が分かっただけだ」

 樹流徒はちらと指輪を見つめた。この指輪をグザファンの店で購入していなかったら犯人は分からなかったし、それ以前に毒殺されていたかもしれない。想像すると、樹流徒は数時間前に感じた寒気を今でも思い出せた。

「そんなに謙遜する必要はないさ。君が犯人をつきとめたことには変わりない」

 メフィストフェレスが言うと、隣に立つアモンが一歩前に出る。

「おかげでボクの疑いも晴れたよ。ホントにありがとう」

 今日も今日とてトロンと眠たそうな半開きの目が、樹流徒に熱い視線を送っていた。

「あのね。ボク、今までジェレムを密漁していたことを、あとで町の皆にちゃんと話すよ。罰として煙突掃除しなきゃいけないのは大変だけどね。やっぱりジェレムを食べた回数分だけやらなきゃいけないのかな? あれ? でも今まで何匹くらい食べたっけ?」

 アモンは一人で言って一人で指折り数え始める。


 アモンがどうして密漁の件を自白するつもりになったのか? 樹流徒が少しだけ不思議に思っていると、その答えはメフィストフェレスが教えてくれた。

「いま、ウトゥックが町の皆に睨まれているだろう? それを目の当たりにしてアモンは恐くなってしまったのさ。もし自分が密漁をしていたことがバレたら同じ目に合うかもしれないってね。だから自ら罪を告白して、少しでも皆に許してもらおうと思ったらしい。臆病なアモンらしい考えだが、私は彼のそういうところが気に入っているよ」

「だから余りボクを褒めるなよ~。絶賛だな。大絶賛だな」

 決して大絶賛ではないのだが、相変わらずアモンは照れている。


「旅人さん……」

 するといままでジッと黙っていた水色髪の少女が樹流徒のすぐ傍まで歩み寄る。

「ウセレムの件は……その。残念だったな」

 樹流徒は慎重に言葉を選びながら喋った。死者は戻ってこない。ウセレムを失った少女の心境は、彼女と同じく親友を失った経験のある樹流徒としては察するに余りあった。

「私は大丈夫です。それよりウセレムを解放してくれてありがとう。これでやっとあの子も海に還れます」

「ああ、そうだな」

 相槌を打ちながら、樹流徒はふと、そうだ、と思って、自分の手に輝く指輪を外した。

「この指輪のお陰でウセレムの仇を討てた。お守りとしてお前が持っているといい」

 ウトゥックの毒入りスープを見破った不思議な指輪。まだ死体が見付かっていないウセレムの代わりにと思って、樹流徒は少女に手渡した。

 少女は無言で指輪を受け取ると、それを胸の前で静かに握り締め、そっと瞳を閉じた。


 短い沈黙のあと、少女は瞼を開き、水気を帯びた瞳で樹流徒を見上げる。

「そういえば、まだ名前を言っていませんでしたね。私の名前は“ヴェパール”といいます。アナタは?」

「俺は相馬……」

 樹流徒は少し迷ったが、このあとすぐにムウを出るのだから構わないと思って

「樹流徒」

 正直に名乗った。今、この少女に対して嘘をつくのはどうしても抵抗があった。


 樹流徒の名を知った水色髪の悪魔ヴェパールは、目を少しだけ大きくして驚きを露わにする。

 それから少し複雑そうな笑みを浮かべ

「そうですか……。アナタがあの首狩りキルト……」

 と、呟いた。

 一方、今までずっと垂れ下がっていた目を全開にしたのがアモンである。

「え? え? キルトって、まさかあの? ねえ? あの?」

 震える指先で、フードの奥に隠れた魔人の顔を差す。

「運が良かったじゃないかアモン。高額賞金首のニンゲンと出会える機会なんて、金輪際無いかもしれないよ」

 メフィストフェレスが言うと

「うん。そうだよね~。得しちゃったな」

 それでアモンは納得してしまったらしく、大きな欠伸をした。最後の最後まで樹流徒を脱力させる悪魔だった。


「じゃあ。そろそろ俺は行くよ」

 樹流徒は別れの挨拶を告げる。

「君がこれから何をしに行くのかは分からない。けど、楽しみにしているよ。君の旅の目的は、不思議と私にも関係あるような気がしているんだ。ただの予感だけれどね」

 メフィストフェレスはどこか意味ありげな笑みを浮かべた。

 もしこの悪魔がバベル計画について知ったら、どんな反応をするだろうか? 不意に樹流徒はそのようなことを思った。


「う~ん。町の皆に何て言って謝ればいいかな~? “ゴメンね~”“ゴメンナサイ”“ワリーワリー”。それとも“細かいこと気にすんじゃねえよ”かな? どれが一番イイかな~?」

 アモンは既にこのあとの自分のことで頭がいっぱいだ。

「キルトはこれからどこへ行くんですか?」

 ヴェパールが問う。

「海底神殿。俺はどうしても魔壕に行かなければいけない」

「そうですか、でしたら……」

 少女は樹流徒から受け取った指輪を人差し指にはめて

「私がアナタを海底神殿の近くまで案内します」

 と、申し出た。

 彼女の口からそのような台詞が出るとは思っていなかったので、樹流徒は一瞬返答に窮した。

「お前が? いいのか?」

「はい。私とウセレム、二人分のお礼をアナタにさせてください」

 ヴェパールはそう言って少しだけ明るい笑顔を見せた。


 メフィストフェレスとアモンの凸凹コンビとはここでお別れである。

「それじゃあ、また」

 最後の挨拶を交わして、樹流徒はヴェパールと共に太陽が輝くほうへ向かって歩き出した。


 間もなく二人は海岸にたどり着き、ヴェパールは水辺で立ち止まる。

 彼女の先に船は一隻も見当たらなかった。海底神殿近くまで船で移動すると樹流徒は勝手に想像していたのだが、どうやら違うらしい。

「それじゃあ行きましょう。準備はいいですか?」

 とヴェパール。

「ああ。よろしく頼む」

 樹流徒が答えると、少女はひとつ頷き、前方めがけて遠く高く跳躍した。

 ヴェパールの体は空中でくるりと弧を描くと下半身のシルエットを変形させて人魚の姿になった。

 もしかするとこれがヴェパールの本当の姿なのかもしれない。


 人魚になったヴェパールは海に飛び込む。それを追って樹流徒も岸から跳躍した。

 海に飛び込むと、ヴェパールが身軽な動きで樹流徒の正面に回り込む。

「海底神殿に着くまでかなりの日数がかかります。もし途中で疲れたら言ってくださいね」

 不思議なことに彼女の声は水中でもかなりはっきりと樹流徒の耳に届いた。少しぼやけて聞こえるが、陸上で喋っているのとほとんど変わらない。

「では、出発します」

 ヴェパールの先導で、樹流徒は海底神殿に向かって旅立った。


 一方、樹流徒と別れたメフィストフェレスとアモンは連れ立ってムウの中を歩いていた。


 ――そういや、昨日ウセレムを追い払ったあの悪魔、何者だったんだろうな?

 ――さあ。噂によればソーマって名前らしいけど。

 往来の悪魔がそのような話をしている。


「ねえ。ねえ。どうやって謝ったら町の皆に許してもらえるかな?」

 アモンはまだそれを考えていた。

「どんな風にでも良いから早く謝ってしまいたまえ。たとえ君が失言や失態を犯しても、私がすぐに訂正するから心配要らない。そもそもジェレムを密漁するくらい、ウトゥックがやったことに比べればずっと軽い罪だろう。町の皆も大して怒りはしないさ」

 と、メフィストフェレス。


 そのようなやりとりをしながら歩いていた彼らだが、曲がり角に差し掛かったとき、メフィストフェレスの足が急にぴたりと止まった。

「あれ? どうしたの?」

「済まない。急に用事を思い出してしまってね。一旦ここで別れよう。君は先に帰っていてくれ。町の皆に謝罪するときは必ず行動を共にするから」

「ふうん。わかったよ~」

 間延びした語尾で了承して、アモンは特に相手を追及したりはしなかった。


 アモンと離れて単独行動を開始したメフィストフェレスは、人通りの少ない道路に入ったところで、今度は急に家と家の隙間に滑り込む。人間一人がやっと通れるか通れないかくらいの幅しかないそのスペースで立ち止まり。

「さっきからずっと私のあとをつけているようだが、何か用かい?」

 と、誰かに向かって言った。


 呼び声に反応して、家の陰に隠れていた者が一名、すっと姿を現す。

 その悪魔は強いウェーブがかかった紫色の髪を腰の辺りまで垂らしていた。仮面とマントで素性を隠しているが、メフィストフェレスと同じ通路に入ると、すぐに変装を溶く。仮面の下から現われたのは青白い肌の若い女の顔だった。唇は髪よりも黒ずんだ紫色に染まっている。


 それは紛れも無くリリスだった。リリスといえば、かつてイブ・ジェセルのメンバーであるベルの体を乗っ取り、スパイ活動を行なっていた悪魔である。

「ほう。これは思わぬ客人だ」

 意外を口にしながらもメフィストフェレスは落ち着いている。

「探したぞメフィストフェレス。キルトが邪魔で迂闊にオマエに近づけなかったが、ようやくこうして会えた」

 リリスは口角を持ち上げた。

「それはそれは……。わざわざ魔壕から会いに来てくれたのかい? 遠路はるばるご苦労だったね」

「これしきの移動距離は苦労の内に入らない。ただ、ベルゼブブを欺きながら行動するのは予想以上に骨が折れたがな」

 その言葉に、メフィストフェレスの眉がかすかに動いた。

「ベルゼブブを欺く? それはどういう意味だ?」

「そのままの意味として受け取ってくれれば良い。私はベルゼブブに嘘をついて魔壕を抜け出してきた。今はキルトの捜索及び監視という名目で単独行動を許されているが、しかし本当の目的は別にあるのさ」

「話が見えないね。君がそれなりの危険を冒してまで私に会いにきたことだけは分かったけれど」

「……」

「リリス。回りくどい会話は止めよう。単刀直入に答えたまえ。私に何の用だ?」

「私たちの仲間になれメフィストフェレス。ベルゼブブとバベル計画を利用するためにな」

 リリスは紫色が沈着した唇の両端をさっきよりも緩やかに持ち上げた。




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