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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
215/359

海上都市ムウ



 遥か水平線の彼方に浮かぶのは目を疑うほど大きな貝殻だった。島の如き大きさである。本当に貝殻なのか? と何度も疑問を唱えたくなる大きさだが、間違いない。桜色と白が混ざった平らな貝殻が、通常では有り得ない広さの口を全開にして大海原に体を浮かべているのだ。

 その異様な物体の上に街が造られていた。貝殻の上に土を盛って地面を平らにし、さらにその上から道路や芝生が敷かれている。そうして造られた地盤の上に高低広狭さまざまな建物が密集していた。

 海上都市ムウ。樹流徒の目的地である。


「あれがムウだよ」

 水平線に浮かぶ物体を指差してメフィストフェレスが言う。

 樹流徒は反射的に頷いたが返事は出来なかった。予想外に大きく、それ以上に予想外な形をした海上都市にすっかり目を奪われていた。

「私も始めてあの町を見たときは驚いたし感動した。今の君のようにね」

 メフィストフェレスは、ムウを遠望する樹流徒の姿に在りし日の自分を重ねたらしく、少し懐かしそうに目を細めた。


 約一時間後。樹流徒たちを乗せた小船は無事ムウに寄港した。

 ムウの港は、人間が想像する港とは全く別物である。防波堤が建てられているわけでもなければ、海にブイが浮かんでいるわけでもない。灯台も無いし、ましてやコンテナやクレーンが設置されているはずもなかった。ムウの港にあるものは船を係留する鎖と桟橋のみである。

 そう聞くとムウの港というのは随分地味であるかのような印象を受けるが、実物を目の当たりにすれば二度と同じ台詞は吐けない。港に係留されている船はゆうに五十隻を超え、樹流徒たちが乗ってきたような小船から立派な帆船まで、さまざまな船が一堂に会している。その光景は圧巻の一語に尽きた。


 ムウから海に向かって渡された桟橋はかなり長大だった。さすがに憤怒地獄の炎海に架かっている橋には及ばないが、それでも数千の悪魔が同時に往来できるだけの規模はある。その大きな桟橋は東西に各一本ずつ存在し、この二ヶ所がムウの出入り口となっていた。


 樹流徒たちを乗せた小船が港に接近すると、桟橋の上で待機していたムウの住人が小型船を係留するための細い鎖を投下してきた。それを受け取った樹流徒たちは小船の前部に取り付けられたバウアイ(係船の際にロープを結ぶための輪)に鎖を通して船を固定した。

 その作業が済むと、今度は折りたたみ式の長い鉄板が桟橋から小船まで渡された。その渡り板を歩いて樹流徒たちは桟橋にたどり着いた。

「ようこそムウへ。歓迎するよ」

 獅子の頭部を持つその悪魔は愛想の良い口調で挨拶をする。それから手馴れた様子で渡り板を折りたたみながら、樹流徒にひとつ警告を与えた。

「ただしひとつ注意して欲しいことがある。ムウは景観をとても大事にしている町だ。だから屋根に乗ったり空を飛んだりする行為を固く禁じている。ただし基本的に移動手段を飛行能力に頼っている悪魔についてはその限りではない」

 要約すると「歩ける者は空を飛ぶな」ということである。ムウの中にいるあいだ樹流徒は飛行能力を使えないことになる。

「それじゃ、ゆっくり楽しんでいってくれよな」

 獅子頭の悪魔は最後にそう言うと、畳んだ鉄板を抱えて別の船の元へ駆けて行った。


 二人は桟橋の上を歩く。メフィストフェレスからもらったフードつきローブでのお陰で、行き交う悪魔たちが樹流徒の正体に気づく様子は無い。

 桟橋の先には大きな門が待ち構えていた。竜を(かたど)った石造が門の両脇に立ち顔を向かい合わせている。その間を通り過ぎると、海上都市の町並みが二人を出迎えた。


 樹流徒の目に飛び込んできたのは密集した建物だった。遠目でも確認したが、さまざまな高さと大きさを持った建築物が所狭しと軒を連ねている。レンガの建物もあれば石造の建物も木造の家もある。屋根の色は赤、黄、青など七色に分かれており目にも鮮やかだった。

 建物の大きさ、材質、色……何もかもがバラバラである。なのに全体的に見ると非常に整然としていた。その理由は二つある。一つ目はほぼすべての建物が同じ形をしていること。どの建物を見ても切妻屋根(二つの斜面で作られた最もシンプルな形の屋根)に煙突という構造で統一されている。大きさや高さや広さは違えどどの家もみな同じ形をしており、しかもきっちり同じ方角を向いているのだ。そして二つ目は道路が規則正しく敷かれていること。メフィストフェレスの解説によるとムウの町は全ての道が同じ幅なのだという。さらに曲がり角は全て直角になっておりカーブは一切存在しないらしい。この町の道路は碁盤目模様になっているのだ。規則正しく敷かれた道路に沿って同じ形の家が並んでいるから、家の大きさや材質や色に違いがあっても町並みが整然として見えるというわけである。


 神経質なまでに緻密に造られた都市だが、住人たちの雰囲気はこの上なく陽気だった。往来する悪魔たちの数は、以前樹流徒が立ち寄った鍛冶の町ヌトを凌駕している。あちこちから聞こえる笑いと語り合う声は一瞬も途切れることが無い。悪魔たちの表情に、一挙手一投足に、力強さと躍動感が満ちていた。

 その余りの活気に樹流徒は圧倒される。感動と同時に身の危険も感じた。こんな町の真ん中で正体がバレようものならば命は無いだろう。


 左手に広がる海を眺めながら、樹流徒たちは町の外周に沿って走る石畳の道を歩く。何気なく視線を送った先には、軒先で魚を売っている悪魔の姿があった。他にも酒場の呼び込みや、塩を売っている悪魔もいる。それでもこの階層・異端地獄は、上の階層に比べてずっと経済観念が薄いようで、街中からはまったく商売っ気を感じなかった。町の建物のほとんどがただの民家なのではないかと思う。


 そんな中、一際目を引くものがずっと遠く――町の中央辺りに佇んでいた。鉛筆のような形をした白塗りの高い建物だ。他の建物が全て同じ形をしているため、その建築物の存在感は際立っていた。尖った屋根の下は空洞になっており、中に黄金の鐘が吊るされている。この町のランドマークタワーだろうか。


 その白い建物を樹流徒がジッと見上げていると、隣を歩くメフィストフェレスが声を掛けてくる。

「私はこれから道を尋ねながら友人に会いにいこうと思う。一応聞くけど君はどうする?」

 と、今後の予定を樹流徒に尋ねた。

 そういえばメフィストフェレスは友人に会うためにムウを訪れたのだった。それを思い出しながら、樹流徒は相手の質問に答える。

「俺は適当な場所で情報収集をしようと思っている」

 何を置いてもまずは海底神殿の場所を知るのが第一だ。町の様子を眺めながら観光気分で歩き回りたい気持ちも多少はあるが、するにしても後回しである。

「だろうね。ではひとまずこの辺りでお別れだ」

「ムウまで送ってくれてありがとう。海底神殿の場所が分かったら報告する」

 そのようなやり取りをしながら二人は歩く。

 次の曲がり角でメフィストフェレスはすっと右に折れた。彼の姿が異形の波に紛れて消えてゆくのを横目で見ながら、樹流徒はそのまま都市の外周に沿ってまっすぐ歩く。


 ここから早速情報収集の始まりである。

 樹流徒が最初に目をつけたのは民家の玄関先で一人佇む悪魔だった。

 その悪魔は全身魚の鱗に覆われ頭や背中からヒレが生えた人間だった。海で樹流徒を襲ったダゴンとは別種の魚人である。海上都市には何とも似合う容貌の悪魔だった。

 魚人は空の一点をぼうっと見上げて手持ち無沙汰な様子だ。誰かを待っているのかもしれない。


 樹流徒は魚人に近付いて声をかける。

「少しいいか?」

「おっ? なんだ?」

 ぼうっとしていた悪魔は横から話しかけられて驚いた顔をしたが、すぐ笑顔になった。

「俺はよその階層から来た者だが、実は海底神殿に行きたいんだ。どこにあるか知らないか?」

「海底神殿? ああ、あの魔界血管がある場所か」

「知っているのか?」

 尋ねると、魚人はううんと軽く唸った。

「教えてやりたいんだけど、口で説明するのは難しいな。何しろこれといって道標みたいなものが無いからな」

 そう言ってから、低い場所で輝く太陽よりも少し左を指差す。

「大体の方向で言えば海底神殿はあっちにある。ただしここから相当離れてるぞ。船でも最低三週間はかかる」

「かなり遠いな」

「まあな。でも距離以上に厄介なのが、海上から神殿が見えないことだ」

「つまり海に潜らないと神殿を見つけられない、と?」

「ああ。だって神殿は海溝の底にあるからな」

「そうなのか」

 もしかすると魔界血管は深海にあるのかもしれない。

「神殿について教えてやれることといったらこれくらいかな」

「十分だ。ありがとう」

 樹流徒は礼を述べてその場から離れた。


 魚人の言葉通り、道標も無く海のどこかに存在する神殿の場所を口頭で伝えるのは難しい。大体の距離と方角で説明するしかないだろう。そう考えると、神殿の場所に関してこれ以上詳細な情報は手に入らないかもしれない。

 それでももう一体か二体、樹流徒は別の悪魔にも話を聞いてみることにした。話を聞けば他に何か役立つ情報が分かるかもしれないし、ついでに魚人が教えてくれた情報の真偽を確かめることもできる。


 歩きながら辺りに視線を彷徨わせると、程なくして一体の悪魔に目が留まった。

 猫の頭部と人間の胴体を持つ悪魔だ。スラリとした体の上から鎧とボロボロのマントを身につけている。いかにも冒険者風の装いをしたその猫人間は低い建物の隅に立ち壁に背を預けていた。

 樹流徒はそちらへ歩み寄る。

「少し時間いいか?」

 声をかけると、どこかりりしい顔つきをした猫人間は琥珀色の瞳で樹流徒の目をまっすぐ見た。

「何の用だ?」

 そしてニヒルな性格を思わせる冷淡な声で返事をする。ややとっつきにくそうな雰囲気の悪魔だが、話は聞いてくれそうだ。

「実は海底神殿に行きたいんだが、あちらの方角で合っているか?」

 樹流徒は魚人から教わった方角を指差す。

「大体あっている」

 と猫人間。これでほぼ間違いないだろう。魚人が教えてくれた方角に神殿はある。

 その確認を終えた樹流徒はついでに他の話も尋ねてみた。

「他の悪魔たちはどうやって神殿まで行くんだ?」

「自力で行く者もいればムウから出る船に乗って行く者もいる」

「船? この町から神殿行きの船が出ているのか?」

「そうだ。乗れば神殿の真上まで運んでもらえる。ただし船が出るのは三ヶ月に一度だけだ。次の出帆(しゅっぱん)は丁度五十日後になる」

 とてもではないがそんなに長く待っていられなかった。船を利用するのは諦めたほうが良さそうだ。

「ほかの世界と違って、この異端地獄と下の暴力地獄を行き来する者は少ない。だから神殿行きの船も三ヶ月に一度しか出ないのさ。ちょっと前までは半年に一度しか出なかったんだ」

 ニヒルな雰囲気の猫人間はそのように説明してくれた。話してみれば案外親切な悪魔だ。

「漠然とした質問で悪いが、他に何か神殿に関して知っていることがあったら教えてくれないか?」

「そうだな……」

 猫人間は長い指を顎に添えて記憶を探る仕草を見せてから、口を開く。

「他に知っていることがあるとすれば、神殿にたどり着くまでに危険な生物が出没することくらいだな」

「危険な生物というのは、海中生物のことか?」

「そうだ。やつらに襲われて命を落とす旅人が毎年必ず数名は現れる。稀に海が沈められることもある。恐ろしい話だ」

「自力で神殿を目指す場合、海の生物に襲われる危険が伴うわけか」

 この際そうした危険は仕方の無いことだった。船の出帆を待つよりは余程良い。


「そういえば、危険な生き物と言えば……」

 と、ここで猫人間は何かを思い出したように呟く。

「まだ何か知っているのか?」

「ああ。と言っても神殿とは関係無い話だが」

「構わない。聞かせてくれ」

 何の話かは見当もつかないが、聞いておいて損は無い。というより聞かないと気になった。

 樹流徒が答えると、猫人間はひとつ頷いてその話を始める。

「実は最近この町を襲っている怪物がいて、住民たちが困っているらしい」

「怪物?」

「俺はムウの住人じゃないから良くは知らないが、その化物は“ウセレム”と呼ばれているらしい。もし興味があるならば、町の反対側に回ってみろ。ウセレム被害の跡が残っているぞ」

 猫人間から聞き出せた情報は以上だった。

 今度も礼を言って樹流徒はその場を離れる。


 曖昧ながらも神殿の場所が判明した。神殿行きの船が出ているという話も聞けて良かった。最悪自力で神殿までたどり着けない場合は船の世話になるかもしれない。

 これ以上神殿に関する情報収集をする必要はないだろう。予想外に早くムウでの用事が済んでしまった樹流徒は、今一度神殿がある方角をしっかり目に焼き付ける。それが終わると、メフィストフェレスを探しがてら町の反対側に回ってみることにした。そこには最近ムウを襲っているウセレムという化け物が残した被害跡あるらしい。


 赤ずくめの格好をした悪魔の姿を求めて、樹流徒は周囲に視線をさまよわせながら歩く。

 メフィストフェレスがムウまで会いに来た友人とは一体誰なのか? それを聞き忘れたのは樹流徒のうっかりだった。友人の名前を把握しておけばメフィストフェレスを探しやすかったのだが、今更である。あの赤ずくめの悪魔を探すためには通行人から話を聞いて彼の足跡を辿るしかない。海底神殿に関する情報収集は終わったが、今度はメフィストフェレスの情報を集めながら歩く必要があった。「神殿の場所が分かったら報告する」と約束した以上、メフィストフェレスに対して何の挨拶も無しにムウを離れるのは樹流徒の性格が許さない。


 樹流徒は曲がり角を曲がる。反対側の海岸に向かって雑踏に足を踏み入れた。




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