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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
214/359

旅人たち(後編)



「多分俺を狙っている連中だ」

 樹流徒は海面を睨んだ。できれば船の上から敵を攻撃したいが、それだとメフィストフェレスを戦闘に巻き込んでしまう。ただでさえ何もしなくても沈みそうな船である。悪魔の襲撃など受けたらひとたまりもない。


 水中での戦いを苦手とする樹流徒だが、不利を承知で自ら海に飛び込んだ。すぐに周囲を見回すと、やはり船が囲まれていた。敵の数は四。全員が同じ姿を持っている。人間の胴体と魚の下半身を持った人魚だ。昼間に樹流徒を襲った一つ目人魚は女だったが、こちらの悪魔たちは全員厳つい男の顔をしている。体つきも男らしく一つ目人魚より一回り大きくて節くれだっていた。人魚というより魚人と呼んだほうがしっくりくる。


 船を包囲した四体の魚人。その内樹流徒の背後に回り込んだ一体が弾丸の如く飛び出した。水の抵抗をものともせず凄まじい勢いで体当たりをしかける。もしここが地上か空中であれば、樹流徒は難なく敵の攻撃を回避できたし、場合によっては反撃も間に合っただろう。

 水中ではそうはいかない。いかに強力な陸上生物とて、水に沈めば無力と化す。背後から敵が接近していると分かっていて、樹流徒は攻撃を回避できなかった。振り返るのが精一杯で、魚人の突進を正面からまともに受ける。水中で繰り出したとは思えないほど強烈な衝撃が心臓付近を駆け巡った。ボコボコと音を鳴らして樹流徒は口から気泡を吐き出す。体内の酸素を一気に奪われた。


 樹流徒が攻撃を受けると、追撃の好機と見たかすかさず別の魚人が動いた。樹流徒の背後から体当たりを食らわせる。

 樹流徒は背中を反らせて吹き飛んだ。そこへまた別の魚人が突っ込んできて、今度は横から体当たりを食らわせようとする。

 これ以上敵を勢いづかせるわけにはいかない。樹流徒は魔法壁を展開して横からの突進を跳ね返した。自ら壁に突っ込む格好になった魚人は姿勢を大きく崩して背中から海底に沈んでゆく。それを狙って樹流徒は腕を横になぎ払い氷の矢を六本出現させた。


 矢は水中でもさほど勢い衰えることなく直進する。一本目の矢が敵の肩をかすった。わずかに触れただけで魚人の皮膚が凍りつく。それでも絶命には至らない。魚人は素早く水中を移動して残りの矢を全て回避した。

 この攻撃で敵を仕留められなかったのは、樹流徒にとって痛手である。最後の矢が発射されたときにはもう背後から別の魚人が飛び出して樹流徒に体当たりを食らわせていた。


 さらに樹流徒の前方から別の一体が突進。樹流徒は体勢を直しながら相手をひきつけて、口内からカウンターの空気弾を放った。空気を纏った魔力の塊が魚人の額に小さな傷をつける。が、その程度で敵は怯まなかった。魚人は空気弾を受け止めた石頭を樹流徒の腹に叩きつけてくる。

 樹流徒の体がくの字に折れ、またも口から息が泡となって吐き出された。水中で樹流徒が呼吸を止めていられるのは十分から二十分程度。ただしそれは通常時に限る。戦闘で激しく動き回りかつ敵の攻撃を受ければ、すぐに息切れを起こしてしまう。


 すでに樹流徒は相当苦しかった。酸欠により唇が深い青紫色に染まってゆく。

 そんな彼の状態を正確に把握していると見えて、四体の魚人は新たな行動に出た。彼らは申し合わせたように同じタイミングで樹流徒に飛びかかる。一体は背後から樹流徒にしがみつき、一体は真下から足首を掴んで引っ張り、残り二体はそれぞれ横から腕にしがみついた。

 四体の魚人は酸欠状態の樹流徒を海底に引きずり込み溺死させようとしているようだ。その狙いに樹流徒は感づいたがどうにもならない。力づくで危機を脱しようともがいても敵は決して離れなかった。息が苦しくて体に力が入らない。


 一か八か、樹流徒は絶えそうな息と一緒に黒煙を吐き出した。敵を睡魔に誘うインキュバスの能力だ。タコが墨を吐き出すように水中に黒煙が広がって魚人たちの体に届く。

 結果は「能力の選択ミス」としか言いようがなかった。魚人たちは黒煙を浴びても平然としている。樹流徒にとって事態は好転したばかりか、黒煙と共に貴重な息を吐き出してしまったことで却って悪化した。このままではあと一分と持たずに窒息で意識が飛んでしまう。


 その頃、メフィストフェレスはバイオリンを床に置き、船の墨に立っていた。

「昔はともかく、今の私は血生臭いことは好まない。悪魔を敵に回してまでキルトに肩入れすつもりも無い。ただ、私の芸術を冒涜した者は許すわけにはいかない」

 その怒りはメフィストフェレスの演奏を中断させた魚人たちに対するものに他ならなかった。

「私の美しい時間を汚した愚か者に制裁を」

 メフィストフェレスは指を弾く。彼の体内から得体の知れない存在が音も無く抜け出した。ボロボロの黒衣を纏い巨大な鎌を装備した骸骨(がいこつ)である。

 一見して“死神”という単語を連想させる姿をしたその骸骨は、瞳の奥を青白く光らせると船の床をすり抜けて海底に潜っていった。


 死神はあっという間に樹流徒たちの元へ追いつく。そして樹流徒の背後からしがみつく魚人の、さらに背後で大鎌を振り上げた。

 ――ヒヒヒヒヒヒヒ

 死神の口から不気味な声が響く。それは水中にも関らず樹流徒の耳にもはっきりと聞こえた。


 その声でようやく死神の存在に気付いたらしい。魚人たちは一斉にぎょっとした。特に樹流徒の背後からしがみついていた魚人の表情は戦慄というほかなかった。何せ目の前で死神が鎌を頭上に掲げているのだから。その魚人が逃げ出すよりも早く死神の大鎌が振り下ろされる。鋭利な刃の先端が、振り返った魚人の胸に深々と突き刺さった。


 死神が鎌を引き抜くと、その先端には赤黒い光の粒が固まっていた。魚人の魔魂に違いない。悪魔が死神に魂を抜かれたのだ。魔魂は死神の鎌を離れて樹流徒に吸引される。

 魚人一体を葬った死神は役目を終えたと見えて、骸骨の口を開閉させてカタカタと音を鳴らすと、霧が晴れるように全身の輪郭を曖昧にしてゆく。

 その姿が完全に消えた頃には樹流徒の全身に生気が蘇っていた。酸欠で血色を失っていた顔や唇にも元の色が戻っている。息が苦しくない。水中にいるにも関らず呼吸ができるのだ。それが魚人の魔魂を吸収した影響なのは疑いようもなかった。


 魚人に組み付かれて動けない樹流徒は死神の姿が見えていなかった。突然背後から不気味な笑い声がしたと思ったら、自分の体に魔魂が集まり始めていたのである。助かったと思った反面、何が起こったのか分からず不気味だった。敵が一体減ったことだけは理解できるが、誰が魚人を始末したのか分からない。


 考えるのはあとだ。

 頭の中でそう言って、樹流徒はすぐに気持ちを切り替えた。魚人はまだ三体も残っているが、彼らは味方が一体減って明らかに戸惑い、動きが鈍っている。樹流徒にとってはまたとない好機だった。この瞬間を逃す手は無い。

 酸欠状態から回復した樹流徒の全身には力が漲っていた。それだけではなく不自然に体が軽い。水の抵抗が弱まって動き易い感じがする。恐らくこれも魚人を吸収した影響だろう。今ならば水中でも多少は素早く動けそうだった。


 樹流徒は、魚人に掴まれた腕を全力で振り払う。死神の出現に加え、息を吹き返した魔人の力はどちらも悪魔にとって想定外の事態であり、虚を突かれたに違いない。樹流徒の腕はあっさりと魚人の拘束から逃れた。間髪入れず樹流徒は爪を立てて左腕にしがみ付いている敵の喉を突き刺す。

 それを目の当たりにして右側の魚人は素早く樹流徒から離れた。真下から樹流徒の足首を引っ張っていた一体も手を放す。

 喉を貫かれた魚人は海よりも青い血を撒きながら全身を崩壊させ魔魂を放出した。それを吸収すると樹流徒の体は一層身軽になる。流石に陸上や空中と同様に動くのは無理だが、今までよりはまともに戦えるだろう。


 魚人は残り二体に減った。対する樹流徒は水中での呼吸に加えて水の抵抗を受けにくい体を手に入れた。形勢は完全に逆転していた。

 それでも魚人は戦闘を続けるつもりらしい。殺気は衰えるどころか逆に高まっている。その敵意を前にして、樹流徒は自分が有利か不利かに関わらず、寒気を覚えた。


 この戦いは俺が命を落とすか、悪魔たちを全滅させるか、決着は二つに一つしか無い。そう樹流徒は覚悟を決めた。


 ところが魚人たちは予想外の行動に出る。直前までの闘志はどこへ行ってしまったのか、彼らは急に血相を変えて身を翻す。先ほど魚人たちから逃げ出したイルカたちの狼狽ぶりを再現するように、今度は魚人たちが慌てて逃げ出した。

 敵がそのような行動に出た原因を理解できない樹流徒は、釈然としない顔で魚人の撤退を見届ける。魚人たちの姿はあっという間に小さくなって海の果てに消えてしまった。


 敵の逃亡という形で戦闘を終えた樹流徒は安堵と一抹の不安を抱えて浮上する。海から飛び出してメフィストフェレスが待つ船上に生還した。

 死神を呼び出して魚人を一体仕留めたメフィストフェレスはすでに溜飲を下げたらしく、すっかり元の落ち着きを取り戻している。

「やあ、生きてたね」

 彼は樹流徒の生還を大げさに喜びはしなかったが髭の下に笑みを浮かべた。

「ああ。命拾いをした」

 返事をしながら樹流徒は魚人が去った方角を見つめる。

「その割には浮かない顔をしているじゃないか」

「色々と不可解なことがあったんだ。実は……」

 樹流徒は水中で起きた出来事をありのまま相手に伝えた。

 それを聞いたメフィストフェレスは色々と教えてくれた。まず、樹流徒を襲った魚人は“ダゴン”と呼ばれる悪魔で、外見通りいつも水中で活動しているらしい。

 次に、水中で聞こえた不気味な声の正体はメフィストフェレスが呼び出した死神だということ。そして最後に、ダゴンたちが急に逃げ出したのには何か理由があるのでは? という憶測。恐らく何らかの危険が迫ってくるのを察知して逃げ出したのだろう、というのがメフィストフェレスの考えだった。


 説明を聞いて樹流徒は大体を納得したが、ダゴンが逃げ出した原因については不明なままで、何となくすっきりしなかった。あれだけの殺気を放っていたダゴンが迷わず逃げ出すほどの危険とは何か?

「その原因はもしかするとすぐに分かるかもしれないよ。私の予想通りダゴンが何かから逃げたのだとしたら、その何かはすぐ近くまで迫っているわけだからね」

 冗談めかした口調でメフィストフェレスの不吉な予言を唱えた。


 その予言が正しかったと証明されたのはわずか数分後。

 船に揺られていた樹流徒が何とはなしに前方を見ると、遠くの海面から巨大な岩影がひとつ飛び出していた。孤立突岩だろうか。周りに何も無い海でたった一つだけそびえる影が月光に照らされて黒い頭を闇の空に浮かび上がらせていた。


 最初、それを岩だと思って疑わなかった樹流徒だが、対象物に近付くにつれ違うと分かった。

 岩ではない。巨人である。人間の姿をした単眼の巨人が海の中を歩いているのだ。顔の真ん中で大きな瞳が黒い光を放っていた。腕や胸は肌が見えないほど毛深く、巨人の大きさゆえにまるで木々が生い茂っているように見える。腰に巻きつけた毛皮は一体何頭の獣を狩ればそれが作れるのか想像もつかないほどで、船の帆にも匹敵する広い裾を海中に浮かべていた。

「あれは“バロール”だ。しかも目が開いている状態の」

 とメフィストフェレス。

「バロール?」

「バロールは目的も無く魔界中を渡り歩く悪魔だ。つまり彼も私や君と同じ旅人というわけだね」

「こちらに攻撃を仕掛けてくる危険性は?」

 もしその危険性があるならばすぐにでも方向転換をして逃げなければいけない。

「心配ない。こちらから攻撃や挑発を仕掛けない限り、バロールは誰に対しても無害だ」

 そうメフィストフェレスは断言した。

「しかしキルト。決してあの悪魔とまともに目を合わせてはいけないよ」

 続けてそのような警告をする。

「何故?」

「バロールは七日の内たった一日だけ目を開けている悪魔なんだ。あの瞳には恐ろしい力が宿っている。バロールと目を合わせればどんな悪魔でも命は無い。たとえそれが魔王でもね」

 魔王さえも殺す瞳。その説明だけで、魔王の実力を知っている樹流徒にはバロールの瞳が如何に恐ろしいか十分すぎるほど理解できた。

「いま説明したとおり、バロールはこちらから攻撃さえしなければ何もしてこない。ただし余りジッと見たり指をさしたりすると敵対の意思ありと見なされる。それからバロールの近くで戦闘行為をした場合も彼に対する無礼と見なされ攻撃を受ける場合がある。気をつけたまえ」

 まるで猛獣と遭遇してしまった場合の対処法を聞いているようだった。

 ただ、お陰でひとつ謎が解けた気がした。ダゴンが逃げ出した理由である。もしかするとダゴンが戦闘を中断したのはバロールの接近に気付いたからなのかもしれない。あのまま戦闘を続けていればバロールが通りかかったときに敵と見なされる危険性がある。それをダゴンたちは恐れたのではないだろうか。

 その憶測をメフィストフェレスに話してみると

「私も同じ意見だ」

 という答えが返ってきた。


 やがて二人を乗せた小船がバロールの横を通り過ぎる。

 樹流徒は相手と直接目を合わせないように気をつけながら、バロールの横顔を見た。

 巨人は船の存在を気にも留めずまっすぐ前を見つめていた。その表情はどこか寂しげに見える。


 バロールの背中が大分遠くまで離れたところで、メフィストフェレスが口を開く。

「さあ。いよいよ船を漕ぎ始めよう。ムウに進路を取らないといけないからね」

「ああ、よろしく頼む」

「もし君が頑張って漕いでくれたら予定より早くあの町にたどり着けるかもしれないよ。是非頑張ってくれ」

 メフィストフェレスが言うと、樹流徒はすぐさま船上で寝ているオールの元へ歩み寄った。




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