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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
212/359

旅人たち(前編)



 海の彼方からやって来た木の小船はゆっくりと樹流徒に迫ってくる。特に何かの意図があって接近してくるわけではないようだ。船には帆も張っていないし、誰かがオールを漕いでいるわけでもない。ただ波に任せて泳いでおり、その進路に偶然樹流徒がいるだけだった。


 船上には悪魔と思しき痩せた男が立っていた。背は樹流徒よりも少し高く百八十センチくらいありそうだ。外見的な年齢は三十と言われればそう見えるし五十と言われればそのようにも見える。口の周りや顎から垂れ下がった白い髭が顔の年齢を曖昧にしていた。格好は赤いシルクハット、襟付きの赤いマント、それから赤いシャツ、赤いタイツに赤いブーツと、全身赤にまみれている。背中の後ろで折り畳まれたコウモリの羽だけが黒かった。


 赤ずくめの悪魔は船上の隅に立って手に竿を持ち、海に糸を垂らしている。どこからどう見ても釣りをしている最中だった。

 樹流徒は泳いで船体の側面に回り込む。船の長さは五メートルにも満たなかった。また、船体に使われている木材は部分的に腐朽しておりかなりの年季を感じる。

 今にも沈みそうな小船に揺られる赤ずくめ(・・・・)は、樹流徒が近付いても別段驚く様子も無い。竿を握り締め海に釣り糸を垂らし続けていた。ただ、樹流徒の存在には気付いている。赤紫色に輝く瞳が、海面から覗く魔人の顔を見た。

 その視線を釣り糸に戻してから、赤ずくめは口を開く。 

「まさかこんな何も無い海の真ん中で誰かに出会うとは思わなかったよ」

 それは紛れも無く樹流徒への言葉だった。

 樹流徒も相手と同じことを思っていた。まさか周りに海しか見えないこんな場所を、折りよく誰かが通りかかってくれるなど、全く期待していなかった。この出会いは樹流徒と赤ずくめ双方にとって意外だったのである。

「釣りの最中に悪いが話をしても良いか? 聞きたいことがある」

 海から顔だけ出したまま樹流徒は言った。

 赤ずくめは釣り糸から視線を外さずに答える。

「何を聞きたいのかは知らないけれど、とりあえずそんなところにいないで船に上がってきたらどうかな?」

 その声は若かった。しかし口調は落ち着いて大人びており、外見と同様に年齢が判別しづらい(そもそも悪魔相手に年齢を判別するのが不可能なのだが)。


 乗船の許可が下りたので、樹流徒は海から飛び出して遠慮なく船上に降り立った。

 そのあいだに赤ずくめは竿を持ち上げて、海に垂らしていた釣り糸を手元に引き寄せる。釣り糸の先にはフック状の針が付いているが、魚の餌はついていなかった。

「ついさっきまで餌は残っていたのに……。いつの間に食べられたんだろうね?」

 などと独り言を呟いて竿を足下に置く。


 船上にはほとんど足の踏み場が無かった。ただでさえ狭い床の上に、釣り道具や他の荷物が散乱している。釣竿、木製の餌入れ、それからこれは釣った魚を入れるための容器だろう、薄い金属で作られたバケツ型の器も置かれていた。器の七割は海水に満たされているが、中に魚は入っていない。まだ釣果は無いようだ。

 それ以外にもナイフと、円形のまな板らしきもの。リュックと似た大きな荷物。船を漕ぐためのオールが二本。ほかにもいつくかの物が船の端にどっかと置かれていた。それが船上の空間を圧迫している。

 かなり限定された足場の上に降り立った樹流徒は、赤ずくめと向かい合った。

「ありがとう。俺の名前は相馬」

 船に上げてもらった礼がてら自己紹介をする。

「私は“メフィストフェレス”」

 赤ずくめは目じりに細かなしわを寄せて笑みを浮かべた。

「ソーマと言ったね? 私と君とははじめまして……だよね?」

「ああ、初対面のはずだ」

 そうでなければわざわざ互いに自己紹介はしない。

「しかし不思議と君の顔をどこかで見たような気がする」

 そう言ってメフィストフェレスと名乗る悪魔は、顎髭をつまんで撫で下ろす。この赤ずくめは恐らくどこかで首狩りキルトの手配書を見て樹流徒の顔を知ったのだろう。

「多分気のせいだろう」

 と樹流徒。嘘を付くのは多少気が引けるが、ここは素知らぬ顔で答えるしかなかった。

「そうだね。きっと気のせいだ」

 メフィストフェレスはあっさりと納得した。


 初対面の挨拶が済んだところで、本題に入る。

「で、私に聞きたい事というのは何かな?」

「単刀直入に言う。ムウの場所を知らないか?」

「ほう。あの海上都市へ行きたいのか」

 その口ぶりからしてメフィストフェレスはムウの場所を知っていそうだった。

「実はムウへ移動している最中道に迷ってしまったんだ」

 と樹流徒は説明する。海で道に迷ったという表現は少しおかしいかもしれないが、海底に珊瑚の道が敷かれていたのだからあながち間違いでもなかった。

 事情を知ったメフィストフェレスはなるほどと答える。

「要するに君は迷子なのだね。私はてっきり変わり者が海水浴でもしているのかと思ったよ」

「こんな場所で海水浴なんてしない」

「だろうね。だから変わり者だと思ったのさ。しかし事情は分かった。君はムウへ行きたいんだね?」

「ああ。どちらの方角へ行けば良いか分かるか?」

「分かる。しかしそれを教える必要は無い。私が君をムウまで連れて行ってあげよう」

「お前が?」

 思わぬ提案に樹流徒はわずかに目を丸くした。

「驚くことはないさ。実は私もこれからあの町へ行くところなんだ。そのついでに君を送ってあげようというに過ぎない」

「そうなのか。お前もムウに……。奇遇だな」

 奇遇にして幸運だった。この話が本当ならば、今の状況は文字通り「渡りに船」である。

「じゃあ遠慮なく頼む。俺をムウまで連れて行ってくれないか?」

「承知した。まあ大船に乗ったつもりでいると良いよ」

 大船……か。

 樹流徒は足下を見つめる。今すぐ浸水してもおかしくない腐った木材で作られた狭い床は表面に薄い亀裂が走っていた。ムウまで道案内してくれるというのだから不満などあるはずもないが、目的地に辿り着くまで船が沈まないか幾分不安ではあった。


 話がまとまると、メフィストフェレスは先ほど床に置いた釣竿を拾い上げる。

「ところで君は釣りの経験はあるかい?」

 と樹流徒に向かって尋ねてきた。この悪魔、落ち着いた口調の割に案外口数は多いようだ。

「釣りは昔、二、三回だけ」

 幼い頃、樹流徒は祖父に手を引かれて海釣りへ連れて行ってもらったことがある。いま樹流徒が言った通り二回か三回だけなのだが、当時のことを彼は良く覚えていた。海底の石に何度も釣り針を引っ掛けたり、魚が釣れるまで帰らないと駄々をこねて祖父を困らせたのは、今となっては良い思い出だ。

 祖父が釣り人だった一方で、樹流徒の父は釣りをしない人だった。その影響も少しは手伝ってか樹流徒も今のところ釣りに強い興味を持ったことは無い。祖父が連れて行ってくれた海釣り以降竿を握った記憶も全く無かった。

「一度でも経験があるなら十分だ。君も私に付き合いたまえ」

 そう言ってメフィストフェレスは樹流徒の足下から少し離れた場所を指差す。

 そこには予備の釣竿と思しき物が二本転がっていた。どちらの竿にも違いは無い。樹流徒は片方を拾い上げた。

「餌は自分で付けられるだろう?」

 メフィストフェレスは餌入れの蓋を開ける。中にはイソメと似たミミズ系の生物が充満しており、赤っぽい体をくねらせていた。その内半分をメフィストフェレスは餌入れの蓋に移して樹流徒に手渡す。

「荷物は勝手に動かして良いから、適当な場所でやってくれたまえ」

「ああ……。分かった」

 メフィストフェレスから勧められるまま樹流徒は動く。しかし「適当な場所やってくれ」と言われても、この小さな船の片側に人が集まると重心が崩れて危険だった。下手をしたら転覆してしまう。なので樹流徒はメフィストフェレスの反対側に立った。


 場所が決まったところで、釣りの準備をする。不慣れな手付きで餌を一匹掴んだ。祖父と一緒に釣りへ行ったときは餌をつけてもらっていたので、自分で針に餌をつけるのは今回初めてだった。

 やってみると思いのほか上手くいって、餌はしっかり針に刺さって固定された。あとはそれを海に放り込むだけなのだが……その前に樹流徒はひとつ知っておきたいことがあった。

「釣りをするのはいいが、このまま船に乗っているだけでムウにたどり着けるのか?」

 そんなハズはないと思いつつ尋ねる。

 メフィストフェレスは「まさか」と笑った。

「何もせずずっと釣りをしていたらとんでもない場所に流れ着いてしまうよ。でも今はこうして波任せに進んでいれば良いのさ。自力で船を漕ぐのはもう少しあとだよ」

「良くそんなことが分かるな」

「私はこの辺りには詳しい。たとえ周りに海しか見えなくても自分が今どこにいるのか大体分かってしまうんだよ。そして潮の流れや風向きや太陽と星の位置などを頼りにムウへたどり着くのは簡単だ」

 その言い方が妙に自信ありげで、樹流徒はメフィストフェレスの言葉を信用できた。


 疑問も解消されたところで、樹流徒は今度こそ釣り針を海に投げ入れる。

 十も数えない内に背中から質問が飛んできた。

「ソーマは何故ムウへ行きたいんだい?」

「情報収集のためだ。海底神殿の場所を知りたい」

「ほう……あの海底神殿をね」

 その言葉に樹流徒は素早く反応した。思わず体ごと振り返る。

「もしかして神殿の場所を知っているのか?」

「いや。残念ながら最後に海底神殿へ行ったのは千年以上も前でね。どこにあったのかは忘れてしまったよ」

「そうか。ならば仕方ないな」

 樹流徒は納得してから

「メフィストフェレスは何が目的でムウへ行くんだ?」

 自分がされた質問を相手に返す。

「ムウに住んでいる友人に会うためだよ。この世界を去る前に顔を出しておこうと思ったのさ」

「そうなのか。でも、この世界を去るというのは? 移住でもするのか?」

「私は数年前から魔界中を渡り歩きながら詩を作っているんだよ。だからどこかひとつの世界に一年以上留まり続けることは無い。いずれ君と同じように海底神殿を通って暴力地獄へ行くつもりだ」

「じゃあ……お前は旅の詩人なんだな」

「ソーマも旅人かい?」

「ああ。魔壕を目指して旅をしている」

「ほう。あの(・・)魔壕にね。一体何をしに?」

「それは……」

 ここまで淀みなく喋っていた樹流徒の口が止まる。「ベルゼブブを討伐するため」とは言えない。「バベル計画を乗っ取るため」と言ってもメフィストフェレスには何の話か分からないだろう。

 樹流徒が返事をせずにいると

「どうやら旅の目的は聞かない方が良いようだね」

 メフィストフェレスは微笑した。


 どことなく自分の置き場を失った気分になった樹流徒は、別に魚が食いついてもいない竿をさっと持ち上げる。釣り針にはまだ餌が残っていた。

「そういえば、ムウにはいつ頃着くんだ」

 ついでに別の話題を振る。その場を取り繕うためだけに口を突いた質問だったが、考えてみると、これも前もって聞いておきたいことだった。

 メフィストフェレスは簡潔に答える。

「遅くても三後日の朝には着くよ」

「そうか……。良かった」

 三日ならば待てる。さすがに一週間や十日ともなればそういうわけにもいかなかった。あまり日数がかかるようならば、樹流徒は、メフィストフェレスからムウの方角だけ聞いて自力で目的地まで飛んで行こうと考えただろう。

「何か先を急がなければいけない理由でもあるのかい?」

「いや……。早ければ早いほど良いというだけだ。無理に急いでもらう必要は無い」

「なら良いんだけどね」

 メフィストフェレスは竿を持ち上げる。釣り針には餌も魚もついていなかった。

「この辺りの魚は賢いようだ。なかなか釣られてくれない」

 そう言って腰を曲げ、新しい餌を掴む。


「メフィストフェレスは釣りが好きなのか?」

 それとも食料調達や退屈凌ぎのために仕方なくやっているのか?

「好きだよ。こうして釣りをしながら海を眺めていると素晴らしい詩が浮かんできそうだから」

 答えている内にメフィストフェレスはもう針に餌をつけてそれを海に投げ込んでいた。その熟練された動作を見れば釣り歴が長いと分かる。

「俺は詩人じゃないけど、確かにこの海を眺めていると何か良い想像が浮かんできそうな気がする」

 樹流徒が同調すると

「ふむ。君はなかなか良い感性を持っていそうだ。気に入ったよ」

 お世辞か、本音か、メフィストフェレスは樹流徒に横顔を向けて言った。趣味の合う仲間を見つけて密かに喜んでいるような、どことなく嬉しそうな顔をしている。

 丁度そのときメフィストフェレスの竿先が素早く下がったが、メフィストフェレスが海面に視線を戻したときにはもう風で微動しているだけだった。




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