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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
211/359

一つ目人魚



 珊瑚の道を追いかける旅が始まった。樹流徒はしきりに視線を動かし、改めて海中の幻想的な雰囲気を楽しむ。周囲の警戒も兼ねられるので一石二鳥だった。呼吸が苦しくなると息継ぎをして、またすぐ海に潜る。その繰り返しを目的地が見えるまで続けるのである。

 海上都市ムウで魔界血管に関する情報が得られれば良いが、という希望を抱きつつ、それとは別にムウがどのような町なのか、樹流徒は今から少し楽しみにしていた。水をかく手足にも力が入る。


 五回目の息継ぎをしてから数分後。黙々と泳ぎ続ける樹流徒の背中をそっと追い抜く者があった。青い毛皮に包まれた、狐と良く似た形態の生き物だ。魔界の狐は水に潜るらしい。現世の狐も水面から顔を出して泳ぎはするが、恐らく潜水はしない。

 音も気配も悟らせず樹流徒の眼下を通り過ぎて行った青い狐は、もがくように四肢を暴れさせ、かなりのスピードで海底を進んでゆく。珊瑚の道を辿って移動しているところを見ると、この獣も樹流徒と同じくムウを目指しているのかもしれない。


 樹流徒を追い抜く者がある一方、彼とすれ違う者もあった。青いキツネの後姿が見えなくなって間もなく、樹流徒の前方から全身白い毛に覆われた丸い生物が現われる。体の大きさは人間の顔二つ分くらい。大きな綿菓子がひとりでに動いているかのようだった。良く見れば毛の奥で小豆よりも小さな両目が真っ赤に輝いている。

 この珍妙な生物は体内で生み出した空気を体のあちこちから吐き出すことで推進力を得ているらしかった。その推進力を利用して海底を転がり、珊瑚に沿って樹流徒が進んできた道を逆行してゆく。上の階層――あの灼熱の憤怒地獄を目指しているのだろうか。

 樹流徒と同じ道を往来する悪魔たち。彼らの存在が、珊瑚を辿った先にムウが存在するという情報に信憑性を与えていた。


 前を行く悪魔の背中を追い越し、後ろから来る悪魔に追い越され、誰かとすれ違い。それが何度か繰り返された頃には、樹流徒は自分が思っていたよりもずっと岸から離れていた。

 水は到底足がつかないほど深くなっている。息継ぎのために海から顔を出したついでにふと岸を振り返ってみると、あの巨大ドームがダンゴムシ程度の大きさにしか見えなかった。あとニ、三回息継ぎをした頃には後ろを振り返っても何も見えないだろう。


 周囲の景色にも変化が起こり始めている。タイ、アジ、カツオ、マグロと思しき今まで見かけなかった魚たちの姿を確認できた。鮫と思しき生物の影も遠くを横切った気がする。

 現世に棲息していない生物の姿もあった。浜辺で出会った尾長竜の同種。体中に沢山目がついた毒々しい色のタコ。ほかにも海底に近付いた魚を捕食する妖しい花や、紫色の毒々しい煙を吐き出す貝など。

 樹流徒は個性的な海中生物に興味を惹かれ、しかし彼らの中にはこちらへ攻撃を仕掛けてくる危険な生物が混ざっているかも知れないと多少は警戒していた。悪魔だけに気をつけれていれば良いとは限らないのである。無差別に襲い掛かってくる自然界の捕食者にも注意を払う必要があった。


 思えば樹流徒は水中での戦闘はまだ未経験だった。水中戦闘が陸上や空中での戦いとはまるで勝手が違うことは、深く考えるまでもなく想像できる。水の抵抗で体の動きは鈍るし、息が続かないから長時間の戦闘は無理。それに水中では使用できない能力、弱体化してしまう能力もあるだろう。例えば火炎弾を放っても敵に届く前に水で消滅してしまうかもしれない。

 そう考えると、水中戦が得意な悪魔に襲われたら苦戦は免れない気がする。この世界に限って、樹流徒の最大の敵は悪魔ではなく地形かもしれなかった。


 ただ、樹流徒の危惧や警戒とは裏腹に、しばらくは安全な海中の旅が続いた。襲い掛かってくる悪魔はおらず、海中生物たちが牙を剥いてくるという場面にも遭遇しない。もしかすると案外このまますんなりと目的地に着いてしまうのでは、と樹流徒が微かな期待を抱くほど全く何事も起こらなかった。


 息継ぎのために海から顔を出して再び背後を振り返ってみると、もう周りには海しか見えなかった。珊瑚の道という道標が無ければ(たちま)ち方向が分からなくなってしまうだろう。


 もしかすると敵はこの瞬間を密かに待ち構えていたのかもしれなかった。

 息継ぎを終えて海に潜った樹流徒の体を突然強い揺れが襲う。直前まで穏やかだった海が何の前触れも無く荒れ出したのである。それまで笑顔だった者が突然怒り出したような、不自然な水流の変化だった。妙だと気付いたときにはもう樹流徒は荒れ狂う水の流れに全身の自由を奪われていた。


 水中では足を踏ん張れず、体のバランスが保てない。樹流徒は必死に手足を動かして浮上し、何とか水面から顔を出した。しかしすぐに波が顔にかかって体が沈む。何かに足を掴まれているのかと錯覚するほど強い力で体が海底に引っ張られる。


 普通なら混乱する場面だった。しかし水中でも多少長く息を止めていられることが樹流徒を冷静にさせた。

 海底に引きずり込まれた樹流徒は、激しい水流に抵抗しながら注意深く辺りを見回す。近くにいる魚たちも水の流れに逆らえず全員が一方向に流されていた。かたや樹流徒からある程度離れた魚たちは何事もなく自由に泳ぎまわっている。

 この現象を目の当たりにして、樹流徒は自分の周りにだけ水の渦が発生していることにようやく気付いた。


 原因は何だ? 樹流徒は引き続き周囲の様子を探る。

 魔界の自然現象に偶然巻き込まれてしまったのか? それとも敵の攻撃を受けているのか?

 どうやら後者だった。樹流徒の瞳が渦の向こう側に浮かぶ異形の影を捉える。その詳細をはっきりと確認することは出来なかったが、人間の上半身と魚の下半身を持った女――人魚に見えた。


 樹流徒の目は正確だった。渦の外にいるのは確かに人魚の姿をした悪魔だったのである。

 ただし童話などに出てくる美しい人魚とは違う。紫色の髪は水中でもはっきりわかるほどごわごわしており、目は片方が潰れ、もう片方は今にも破裂しそうなほど膨れ上がり真っ赤に輝いている。

 一つ目の人魚は背筋も凍りつきそうな笑みで樹流徒をジッと見つめていた。そこに秘められた思いはただの悪戯心(いたずらごころ)か、それとも激しい敵意か。水中で感覚が鈍っているのかもしれない、樹流徒は相手が放つ殺気を感じ取れなかった。


 陸上と空中での戦いならば魔王級の悪魔とも互角に渡り合える樹流徒だが、水中ではやはり勝手が違う。足場が無い上に羽も使えないのでは、強さを増し続ける水の流れに逆らえない。海面から顔を出すのも容易ではなく、呼吸がままならなかった。体は激しく揺さぶられ自分が上を向いているのか下を向いているのかさえわからなくなる。激しい水流に翻弄された。魔法壁を張って水を遮断すればそのあいだに呼吸はできそうだが、渦から逃れる手段にはならない。魔法壁もろとも樹流徒の体が流されるだけである。


 人魚は攻撃を仕掛けてこない。それとも樹流徒が渦の中にいる間は仕掛けられないのか。激しい水流の外側でただジッと獲物の動きを観察している。


 水の渦は樹流徒の体を捕えたままどこかに向かって高速で移動する。

 流されて、流されて……樹流徒は珊瑚の道から引き離された。それが人魚の狙いだったとも考えられる。樹流徒をどこかへ連れ去り、右も左も分からない海の中で迷わせようという魂胆だ。


 ようやく渦の力が弱まったのは、相当長い時間が経過した後だった。

 なす術も無く水に操られていた樹流徒は、体のコントロールを取り戻すなり急いで海から飛び出し上空に逃れた。魔法壁のお陰で呼吸が確保できたから溺死せずに済んだが、その方法に気付けなかったら今頃は海の藻屑となっていただろう。


 人心地つく暇もなく樹流徒は眼下を睨む。海面で円を描いていた渦は急激に弱く、そして小さくなっていた。放っておけば勝手に消滅しそうである。それでも渦の発生源と思しき一つ目人魚がまだ近くにいるかもしれない。危険とは思いつつ、樹流徒は思い切って海に戻った。


 水中に飛び込むなり素早く周囲を見回すと、敵の姿はどこにも見当たらなかった。

 他の危険が襲ってくる気配も無く、警戒を解いた樹流徒は海面から顔を出す。一つ目人魚の素性であったり、彼女がこちらに攻撃を仕掛けてきた目的はかなり気になるが、ひとまず一難去って全身の緊張がほぐれた。


 とはいえ、命拾いしたことに喜んでばかりもいられない。

 困ったことになった。樹流徒は今、自分がどこにいるのかさっぱり分からない。大分流されてしまったので、海底を覗いても珊瑚の道があるはずはなかった。美しい魚たちがあっちへ行ったりこっちへ来たりして、まるで樹流徒を惑わせるような動きをしている。魚はいても悪魔の姿は無かった。これでは誰かに道を尋ねることすら叶わない。

 世界は青一色。真上には太陽が輝いているけれど、それを除けば空も青。海も青。全部青。他には何も無かった。

 再び空を飛んで三百六十度を遠望しても陸地はおろか小さな岩ひとつ見当たらない。太陽の光を反射してキラキラ光る海が見えるだけだった。それは絶景とも呼べる美しい光景だったが、樹流徒個人にとっては“絶望的な景色”の略で“絶景”と言いたくなる光景でもあった。


 背中の羽を閉じて樹流徒は水中に落下する。海底に沈んだ体は泡と一緒に浮上して、海面で仰向けになった。

 参った、と心で呟きながら、樹流徒は空の一点を見つめる。完全な迷子になってしまった。これからどちらへ向かった良いのか分からない。海上都市はおろか、最初の浜辺に戻ることすら叶わないこの状況に、焦りを通り越して笑いすらこみ上げてきそうだった。


 じっと青空を見ていると段々と心が穏やかになり呼吸が深くなってくる。樹流徒は頭を働かせ始めた。

 さて、これからどうする? ここから移動しなければいけないことは決まっているが、どちらへ向かえばいい? 勘のみを頼りに適当な方角へ進むか。太陽の傾きを観察して大体の方角を把握してから動くか。それとも……


 結論が出ない内、樹流徒は顔を上げた。青一色の世界にひとつだけ黒い点が見える。海上に何かが浮かんでいるのだ。それは樹流徒が思考をしているあいだに大分近くまで迫っていた。

 通りすがりの悪魔か? それとも敵?

 期待感と危機感を一緒に膨らませながら樹流徒は目を凝らす。


 間もなく、こちらに近付いてくる影の輪郭がはっきりしてきた。

 それはボートだった。木製の船が一隻、その小さな船体を波間に揺らしている。




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