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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
210/359

異端地獄



 海だ。憤怒地獄で見た炎の海とは違う。青く透き通った海原が穏やかに波打っている。

 空も青く澄み渡っていた。水平線の彼方に広がる雲は、ともすれば見た者を憂鬱にさせるほど白い。太陽と良く似た星が真上に輝き、暖かな光を下界に降り注いでいた。近くからうみねこの鳴き声が聞こえる。浅瀬に群れた白い鳥たちはしきりに海面へクチバシを突っ込んで小魚を捕まえていた。

 魔界の第六階層・異端地獄は、温潤な気候に浴した水の世界だった。


 ベリアルとの死闘を経てこの世界にやってきた樹流徒は、目の前に横たわる明媚(めいび)な情景を少しのあいだ黙って眺めていた。「魔界には現世にも負けない美しい景色が沢山ある」とは、少し前に樹流徒自身が口にした言葉である。貪欲地獄で灰猫グリマルキンが見せてくれたタンポポの綿毛。それから憤怒地獄で出会った悪魔クロセルが見せてくれた流星群。どちらも壮観だったが、この世界の景色もそれらとはまた違った趣のある美しさを持っていた。

 真っ白な砂浜の上に佇んで、樹流徒は辺りを行き交う悪魔たちの存在も気にとめず、無限に広がる空と海をただジッと見つめる。芸術と称しても過分な賛辞にならないほど素晴らしい世界に見とれていた。


 ただ一点、残念ながら世界の景観を損ねているものがある。それは樹流徒のすぐ後ろにそびえ立っていた。

 魔界血管を内蔵するドーム型の建造物である。もう少しで雲に掛かりそうな高さと、巨体の悪魔が何体でも自由に動き回れる底面積を持った建物で、その外観を初めて目の当たりにした樹流徒はとにかく大きいとしか感想が湧いてこなかった。それだけの規模に加えて、ドームを覆う機械的な外壁が、辺りの景観を異様にしている。例えるならば合掌造りの集落の真ん中に巨大ビルが建っているようなものだ。

 

 その異物の中を通過して、樹流徒は上の階層から、この新しい世界にたどり着いたのだった。

 気候が穏やかということもあって、もし先を急ぐ身でなければ樹流徒はこの世界に何日か滞在したいくらいだった。が、そういうわけにもいかない。視界いっぱいに広がる景色を網膜に焼き付けた彼は、本来の目的のために行動を開始する。

 下層へ続く魔界血管の所在を聞くため、樹流徒は浜辺の悪魔に近付いてゆく。太陽に熱せられた浜辺は程よく暖かい。砂粒はひとつひとつが星の形をしていた。波打ち際には白、桜色、薄い水色の小さな貝殻が花びらのように散らばっている。


 樹流徒が最初に近付いた悪魔は横に長い体を持っていた。姿形は首長竜と似ている。首長竜といえば大昔に絶滅した爬虫類だ。恐竜の一種というイメージがあるが実はそうではない。

 恐竜は爬虫類から進化した生物だが、しかし爬虫類とは別物である。両者の違いは歩行の仕方にあるという。恐竜が二本足ないしは四本足で(ほぼ)直立歩行をするのに対して、ワニやトカゲなどの爬虫類は地を這うように歩く。今、樹流徒の目の前にいる悪魔もヒレに近い形状の足を砂浜に這わせていた。やはり恐竜よりも首長竜に近い姿をしている。ただ、この悪魔は首長竜と違い六つもヒレを持っている。それに長い首を持っているが、それ以上に長い尻尾を持っていた。首長竜というより“尾長竜(おながりゅう)”とでも呼んだ方がいいかもしれない。


 六本足の尾長竜は柔らかな砂の上に首を投げ出してぼんやりと海を眺めていた。日光浴でもしているのだろう。

 波打ち際でぐったりしている相手の顔まで歩み寄って、樹流徒は声を掛けた。

「すまない。ひとつ聞きたいことがあるんだが」

 海を見つめていた尾長竜の黒い瞳が樹流徒へ向けられる。

「んー? なんだい?」

 のんびりした声が返ってきた。外見に反して尾長竜は言葉が通じる相手だった。

「実は下の階層へ行きたいんだが、魔界血管の場所を知らないか?」

 手短に用件を伝えると、尾長竜は尻尾よりも少し短い首を持ち上げて、水平線の彼方を遠望する。そして頭を左右に揺らして何か思案するような仕草を見せた。魔界血管の場所を思い出そうとしているのだろうか。

 しばらくのあいだ樹流徒が黙って待っていると

「えーと……。何を聞きたいんだっけ?」

 たっぷり時間を使った挙句、尾長竜は質問内容を忘れていた。

「魔界血管の場所が知りたい。下の世界へ行くための」

「ああ、そうだった。そうだった」

 誤魔化すように笑って、尾長竜は再び水平線を眺めながら波と動きを合わせてゆらゆらと頭を揺らす。

 それが何十回と繰り返したあと、やっと「思い出した」と言った。

「魔界血管は、ここからずっと遠くにある海底神殿の中にあるよ」

「海底神殿……ということは、海中にあるのか?」

「そう、そう。ボクも昔一度だけ行ったことがあるんだよ。中に入ったコトはないけど」

「神殿がある方角は? 目印とか無いのか?」

「えーとね……」

 尾長竜はまた水平線を見つめる。そうしないと思い出せないのだろうか。

 やがて目がとろんとしてきた。この時点で樹流徒は嫌な予感がしていた。

「あ……。ごめん。何を聞きたいんだっけ? ボクの好きな食べ物? ボクは魚が大好きだよ」

 予感が的中して尾長竜はまたも質問内容を忘れていた。

「いや。もういいんだ。ありがとう」

 樹流徒はお礼を言って話を切り上げることにした。この尾長竜から全ての情報を聞きだしていたら日が暮れてしまう。


 海底神殿の詳しい場所までは分からなかったが、幸先良く貴重な情報が手に入った。

 この調子で別の悪魔にも話を聞いてみようと、樹流徒はそちらへ向かう。

 浜辺に架かった長い桟橋(さんばし)の先端に女の姿をした悪魔が佇んでいた。青みがかった長い黒髪と白いワンピースの裾をふわりと潮風になびかせている。彼女の横顔は美しく、どこか悲しげに見えた。


 樹流徒は桟橋の上を歩いて女の後ろで立ち止まった。ちょっといいか? と、声を掛けようとしたら、それよりも先に相手が振り返る。

 女は何も言わず、樹流徒の顔を見つめた。その瞳は深く澄んでおり、遠目で確認したときよりももっと悲しげな印象を受ける。

「邪魔してすまない。海を見ていたのか?」

 相手が喋る気配がないので、改めて樹流徒から声をかけた。

 女は横目を使って一度だけ海面に視線を送ってから、返事をする。

「ええ。この海は美しいから。いつまで見ていても飽きないわ」

 その気持ちは樹流徒にも分かった。浜辺に腰掛けてただ海を眺めているだけでも半日はそうしていられそうだった。

「私に何か用?」

 と女。

「ひとつ聞きたい事がある。海底神殿の場所を知らないか?」

「知らない」

 女は言下(げんか)に否定した。

 驚くほど早い回答に、逆に樹流徒のほうが少し反応が遅れてしまったが

「そうか。ありがとう。聞きたいことはそれだけだ」

 すぐに礼を言った。

 そのままその場から去ろうとすると、意外にも今度は女のほうから話を振ってくる。

「あなた、首狩りキルトね?」

 最初から気付いていたのか、彼女は樹流徒の正体を知っていた。もっとも、さほど不思議なことではない。ベリアルとの戦いでローブが焼失したたため樹流徒はいま素顔を晒している。正体に気付かれるのも無理はなかった。

 ただ、女が樹流徒の正体に気付いたのは、彼の顔を知っていたからではないらしい。

「アナタからはニンゲンの匂いがするもの。それに悪魔の血の臭いも」

「……」

「今までに一体どれだけの悪魔を殺してきたのかしら?」

 非難めいた言葉に、樹流徒の表情がにわかに険しくなる。

 女は初めて笑みを浮かべた。

「別にアナタのことを責めているわけじゃないわ。ただ、悪いことは言わない。もし自分の命が大切なら、アナタはこれ以上先へは進まないほうが賢明ね」

 と脅しめいた警告をする。

「なぜ?」

「もしアナタが魔界血管を通ろうとすれば、アナタはこの階の魔王に殺されることになる。ただの私の勘だけど」

「ここの魔王はどんな奴なんだ?」

「“ラハブ”という名前の、恐ろしくて巨大な怪物よ。海の中であの悪魔に敵う者はいないわ」

 恐ろしくて巨大な海の悪魔。龍城寺市の海岸に出現したレビヤタンみたいなものだろうか?

 だとしても納得できる。魔王の称号を有している時点で並の悪魔じゃないことは明らかだった。それについてはベルフェゴールやベリアルとの戦いを通して樹流徒は身をもって知っている。

 知っている上で、彼の答えは決まっていた。

「たとえラハブという悪魔がどれだけ強くても、俺には関係のない話だ」

 前に進むしかないのだ。

「そう。止めても無駄ならば無理には止めない。好きにするといいわ」

 どこか突き放したような言い方をして、女は身を翻した。彼女はそれ以上何も言わなかった。


 その後、樹流徒は浜辺にいる悪魔たちを相手にしばらく情報収集を続け、それほど苦労することなく魔界血管にたどり着くヒントが判明した。ある悪魔が次のような話を聞かせてくれたのである。

 ――この浜辺を離れて沖に出ると美しい珊瑚が群生しているんだ。その珊瑚は不思議なことに上空からは見えなくて、海中に潜らないと発見できない。珊瑚はずっと遠くまで延々と続いていて、それを辿ってゆけばいつか“ムウ”と呼ばれる海上都市にたどり着くはずだよ。ムウはここから海底神殿までの途中にある町だと言われている。そこへ行けば誰かが魔界血管の在り処を教えてくれるはずだ。


 結局魔界血管の場所は判明しなかったが、ムウに行けば新しい手掛かりが掴めそうだ。樹流徒はその海上都市を目指すことにした。

 ムウにたどり着くためには沖に群生しているとう珊瑚を見つけ、それを追って移動しなければいけない。上空からでは珊瑚の姿が見えないらしいので、樹流徒は空路を捨ててムウまで泳いで行くことにした。


 早速、海の中に入ってみる。水は思っていたよりも温かかったが、灼熱の世界から解放されたばかりの樹流徒には冷たくて心地よかった。ベリアル戦で負った傷に多少染みても、それが余り気にならないほどの爽快感がある。海面に触れた指先をそっと舐めてみる。海水がしょっぱいのは常識だが、ここは魔界。甘い海水があってもおかしくない。確かめてみたところ、ちゃんと塩の味がした。


 浅瀬で魚を(つい)ばんでいた鳥たちは、樹流徒が近付いてくると一斉に飛び立って、少し離れた場所に着水した。

 樹流徒は沖を目指して歩き続ける。どこかで急に水深が増した。

 海面が胸まで届いたあたりで一度岸を振り返ると、桟橋に立っていた女の姿が人差し指くらいの大きさで見える。ここから樹流徒は歩くのをやめて泳ぎ始めた。


 魔人の赤い瞳が陸上からでは見られなかった海中の幻想的な光景を映し出す。

 様々な色、模様、大きさを持った魚たちが思い思いに活動していた。ある魚は絶えず活発に動き回り、ある魚は口をパクパクしながら尾を左右に揺らして一ヶ所に留まっている。またある魚たちは群れを成して一糸乱れぬ統率の取れた動きで遊泳していた。

 海に棲むのは魚ばかりではない。全身が青く発光するタツノオトシゴ。直線的な動きで泳ぐクラゲ。それに水中をゆらゆらと漂う、アメーバが巨大化したような謎の生物。個性溢れる魔界の水棲生物たちが樹流徒の目を楽しませた。


 海底に目を落とせば美しくも危険な香りのする真っ赤な花が咲き乱れている。その明るさに誘われたのか、花の周りには小魚たちが集まっていた。

 別の場所に目を向ければ人の背丈ほどある海藻の群れが波の動きに合わせて黒い体を躍らせていた。その海藻の根元からひょっこり姿を現したのは二本足で歩く珍しいヒトデ。すぐ隣では砂が噴き出して、地中に潜っていた紫色の海老が顔を覗かせている。

 海の生命が織り成す美しくも珍奇な光景に、樹流徒は少しのあいだ本来の目的はおろか息継ぎをするのも忘れた。


 それでも呼吸が苦しくなると、否応なく我に返らざるを得ない。

 十分か、十五分か、かなり長い時間樹流徒は水中に潜っていた。さすがに魔人の体でもエラ呼吸まではできないらしい。魚ほど長く水に浸かっていることはできなかった。


 息継ぎのために海面から顔を出すと、鮮やかな青空が樹流徒を再び幻想へと誘う。樹流徒は軽く頭を振って気をしっかり持った。そう。今は海の景色を満喫している場合ではないのだ。沖のどこかにあるという珊瑚の群れを探さなければいけない。


 息継ぎをした樹流徒は再び水に潜って海底を見回す。美しい景色も珍しい生き物たちの姿も努めて意に介さず、珊瑚の群れを探す。

 生憎、海底にあるのは花と海藻と小さな岩ばかりで目当てのものは見付からなかった。発見までにかなり手こずりそうな予感がする。


 ただ、予感は所詮予感に過ぎない。当たることもあれば外れることもある。人の予感ほどアテにならないものも世の中にそうそう無かった。見渡す限りの大海原で探しものをするのは困難。そう思った矢先、樹流徒は難なく目的のものを遠方に発見したのである。


 珊瑚だ。話に聞いたとおり目の及ぶ限り遠くまで続く珊瑚の群れがそこにあった。白化した個体は一つも見当たらず全てが淡いピンク色をしている。奇跡的なまでにきっちりと一列に並んだ群れの姿は海底に道を敷いているかのようだった。

 これをずっと追っていけば海上都市ムウにたどり着ける。樹流徒は俄然やる気が湧いた。




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