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悪魔倶楽部  作者: ぴらみっど
魔界冒険編
194/359

魔界血管



 樹流徒が三度目に台座の前に立ったとき、そこにもうダンタリオンの姿は無かった。これ以上警告しても樹流徒が耳を貸さないと判断してどこかへ行ってしまったのか。「これが最後の警告」と言っていたくらいだから、恐らくそうなのだろう。

 無論、樹流徒は何もかも忘れている。ダンタリオンの存在も、その悪魔から受けた忠告も、全ての記憶を大樹の罠によって消されていた。


 自分が永久に同じ場所を歩き続けようとしていることに、樹流徒は気付かない。

 もしここが地球上であれば、たとえ大樹の力で記憶を消されたとしても時間の経過による気温の変化などで、いずれ違和感を覚えたかもしれない。その点、この貪欲地獄には三つの太陽が存在し、世界は常に昼間である。夜が訪れることはなく気温の変化も存在しないに等しい。加えて大樹内部は全体を壁に囲まれており窓のひとつもないので、その中にいる樹流徒は雲の動きすら知ることができなかった。


 そしてもう一つ……樹流徒がいつまで経っても大樹の罠から抜け出せない原因として、彼の特異体質が挙げられた。

 悪魔を吸収した樹流徒の体には疲労がない。その能力は今まで大いに彼を助けてきた。不本意ながらも魔人の肉体を手に入れたからこそ、樹流徒は魔都生誕以降の時間をほとんど不眠不休で戦い抜くことができたのだ。

 その便利な能力が、この忘却の大樹で初めて仇となっていた。いくら歩き続けても一向に体力が減らず空腹も眠気も感じない樹流徒は、自分の体調の変化から時間の経過に気付けない。半永久的に大樹の中を彷徨うことができてしまう(・・・・・・)のだ。


 何も思い出せないまま、樹流徒は何度でも台座に乗る。そして転送された先で記憶を消され何度でも戻って来る。その繰り返しをずっと続けようとしていた。「大樹の中で迷うと一生出られないかもしれない」というガーゴイル三兄弟やダンタリオンの言葉が半ば現実になろうとしているのである。このままではベルゼブブたちがバベル計画の最終段階を終え、聖界と魔界の戦争が始まるまで、樹流徒は大樹の中を徘徊することになるだろう。


 そんな絶望すら許されない状況が突として変わったのは、樹流徒が早くも五回目の記憶消去を味わった直後だった。

 今回も今回とて、樹流徒はこの場所を訪れたばかりだと信じて疑わず、台座の頂上へと続く階段を目指していた。ダンタリオンのように警告を与えてくれる悪魔はいない。もっとも、たとえ誰が警告を与えたとしても、あらゆる言葉を振り切って樹流徒は先に進んだだろう。


 その不毛な繰り返しを断ち切ったのは、樹流徒のそばを通りかかった1体の悪魔だった。

 無地のワンピースに派手なストールという、通常魔界では見かけないであろう服装に身を包んだ、若い女の姿をした悪魔である。


 サキュバスだ。詩織と共に現世を旅行した悪魔とも言い換えられる。


 偶然この場所に居合わせたのだろう。現世のファッションに身を包んだサキュバスの姿は、悪魔たちの群れの中でかなり目立っていた。実際、彼女のそばを行き過ぎる悪魔たちは好奇の視線らしきものや訝しげな顔を彼女に向けている。また、サキュバスは器用に羽を動かして地面スレスレを浮きながら移動しており、その動きも周囲の悪魔たちに比べて幾分目立っていた。


 お陰で彼女の存在に気付くことができた樹流徒は、そちらへ歩み寄る。

「待ってくれ」

 呼び止めると、通路に向かって移動していたサキュバスが振り返った。

「お前は、たしかあのときの悪魔じゃないか?」

「え?」

 サキュバスは少々間の抜けた声を発した。それから顔を前に突き出して、フードの下に隠れた樹流徒の顔をじっと覗き込む。目を丸くして、ああっと大声を出した。いきなり叫ぶものだから周りの悪魔が一斉に振り返る。


「アンタもしかして首狩りキルトじゃない? ていうかシオリと一緒にいたニンゲンだよね」

 サキュバスは樹流徒を指差して、首狩りの名を呼ぶ。

 心臓に悪い行為だった。樹流徒は急いで手を伸ばし、サキュバスの口を塞ぐ。

 サキュバスの眉が吊り上がった。塞がれた口はもごもごと何かを唱える。「こら! 何すんのよ」とでも言っているのだろう。

「ここで俺の正体が知られると危険なんだ」

 事情を説明してから樹流徒は手を下ろす。

「ああ、そういやアンタ凄い賞金掛けられてるもんね」

 得心がいったらしくサキュバスは声のボリュームを絞った。


「それにしても久しぶりだな……ええと」

 樹流徒はまだ相手の名前を知らない。

「そっか。アンタにはまだ名前教えてなかったね。アタシ、サキュバス」

「樹流徒だ」

 一応名乗り返した。

 サキュバスは腰を曲げて、フードの奥に隠れた樹流徒の顔をもう一度覗き込む。

「なんかさー。アンタ前に会ったときより随分雰囲気変わってない? いめちぇん(・・・・・)とかいうヤツ?」

「そういうわけじゃないが……説明すると少し長くなる」

「ふうん。じゃあ聞かない。そんなに興味ないし」

 本当に無関心そうに言って、サキュバスはライトブラウンの髪をさっと掻き上げた。

「お前は俺から逃げないのか?」

 首狩りと知れば大半の悪魔が逃げ出すか、賞金目当てで襲い掛かってくるものだと思っていた。

「まあね。別にアンタのこと恐いとは思わないモン」

 それが当然のようにサキュバスは言う。何気なく口から出た台詞なのだろうが、樹流徒には嬉しい言葉だった。


「ところでアンタ、なんで魔界にいるの? 賞金首のクセにこんなトコうろつくなんて……度胸試しのつもりなの? それともバカなの?」

 このサキュバスと言う悪魔は良くも悪くも歯に衣着せぬ発言をする。

魔壕(まごう)に行きたい。あの大樹に魔界血管があると聞いて来たんだ」

 でなければここまで悪魔が密集している場所に自ら飛び込んだりはしなかった。


「ふーん。それじゃアンタ、大樹の罠を突破方法知ってるんだね。なんだ、けっこーやるじゃん」

「いや。それは知らない」

 樹流徒は首を左右に振る。

 それを見て、サキュバスは眉根を寄せた。

「うわ、あっきれた。アンタひょっとして、すでにこの中で迷ってるんじゃないの?」

「どういう意味だ?」

「教えなーい。アタシ、別にアンタに味方してあげる理由ないもんね」

 もっともだ、と樹流徒は納得する。正直この場所で正体をバラされないだけでも有り難いとすら感じた。

 そんな、ある種諦めの良い樹流徒の態度が相手の心境を変えたのだろうか。サキュバスは唇に人差し指を添えて何か思案するような仕草を見せる。

「あ。でも、アンタってば何で魔壕に行きたいの? あそこに行って何するつもり? ソレ教えてくれたらちょっとだけヒントあげてもいいよ」

 などと言って、取引を持ちかけた。

「なら話す」

 急な提案だが、渡りに船だった。迷い無く樹流徒は取引に応じる。サキュバスがベルゼブブの一味とも思えないし、洗いざらい話しても問題無いだろう。背に腹は代えられないという言葉もある。


 二人は台座から離れて、やや人通り(厳密には「悪魔通り」とでも言うべきだろうか)の少ない場所に移動する。それから樹流徒は今までの経緯を大まかに説明した。

 詩織が天使に連れ去られたという(くだり)を話し始めたところで、サキュバスは急に表情を強張らせた。そのあと樹流徒が話し終わるまでずっと眉間にシワを寄せていた。

「じゃあ、アンタはシオリを助けるために魔壕へ行くんだ?」

 事情を知ったサキュバスはやや興奮気味に問う。

 樹流徒が無言で首肯すると

「だったらアタシ、魔界血管までアンタを案内してあげるよ」

 言って、樹流徒の腕を引っ張った。今すぐにでも下の階層へ行こうという勢いだ。

「それは有り難いが、何故案内してくれる気になったんだ? もしかして伊佐木さんのため?」

 引っ張られるまま歩きながら、樹流徒が尋ねた。

 サキュバスはその場でぴたりと停止して、振り返る。

「だって……シオリは友達だもん」

「友達?」

「うん。初めてできたニンゲンの友達。だから助けるのは当たり前でしょ?」

「そうか……」

 この言葉を伊佐木さんに教えてあげたら喜ぶだろう。などと樹流徒が想像していると

「ホラ、さっさと行こうよ」

 サキュバスは再び樹流徒の腕を強く引っ張って、転送装置に向かって動き出した。


 長くて幅の広い階段を上る。前を進む悪魔たちの背中を次々追い越して、二人は台座の頂上にたどり着いた。

「この台座に乗ると大樹内部のどこかに飛ばされちゃうんだよ」

「つまり転送装置なんだな」

 そんなことはすでに知っていたはずだが、樹流徒は大樹の力によって完全に忘れている。


 台座に乗った二人の足元から緑色の光が浮かび上がった。そのあいだも、サキュバスは樹流徒の手をしっかり掴んで放さない。

「こうやってブツリ的にくっついてれば同じ場所に転送されるよ。でも離れると別々の場所に飛んじゃうから気をつけてね」

「ああ……。だから、こうして手を繋ぐ必要があるのか」

 理解するよりも早いか、目の前が真っ白になった。


 転送された先は、最初の巨大空間とは比べものにならないほど狭い部屋だった。それでも十分に大きく、天井は遥か高い場所にある。

 部屋の中央には台座があった。ほかにこれといって目新しい物は無さそうだ。


 迷いなく樹流徒は台座へ向かう。一歩踏み出すと、サキュバスにローブを掴んで引っ張られた。

「ちょっと待って。あの台座に乗っちゃ駄目だよ」

「でも、ほかには何もないぞ」

 樹流徒は辺りを見回す。改めて確認しても部屋の中央以外に転送装置らしきものは見当たらなかった。台座どころかスイッチの一つも存在しない。壁と床があるのみだ。

「それが罠なんだってば。ちょっと待ってて」

 言うと、サキュバスは部屋の隅まで移動する。そして一見何も無い壁面に掌を重ねた。

 すると、それに反応して壁面に埋め込まれた回路が明るい輝きを放つ。


 光が収まると、サキュバスの手が触れた壁が機械的な音と共にスライドした。奥に細い道が現れる。

「こんなところに隠し通路があったのか」

「分かった? もし間違った台座に乗ると、最初の場所に戻されちゃう上に記憶を消去されちゃうんだよ。だから、一度罠に引っかかるといつまでも大樹の中を彷徨うことになるんだからね」

「じゃあ、俺はすでに何度もこの大樹の中で迷っていたのかも知れないな」

「だーかーらー、さっきそう言ったじゃん」

 サキュバスは両手を腰に当てて軽く頬を膨らませた。


 二人は隠し通路を進む。その奥には、台座だけで床面積全てを占領した小部屋があった。天井は変わらず高い。

「この台座に乗ると、まだどこかへらんだむ(・・・・)に飛ばされるよ。そうやって何度か転送を繰り返せばその内に魔界血管に辿り着けるからね」

「自力で辿り着くのはまず無理だったな……」

 偶然この場所でサキュバスに合えた幸運に、樹流徒は少なからず感謝した。詩織に対しても礼を言わなければいけない。彼女とサキュバスが友達になっていたからこそ、こうして大樹の中を案内してもらえるのだから。


 サキュバスの案内で転送を繰り返していると、その内に今までとは明らかに様子が違う場所に出た。

「あっ。到着したよ」

 サキュバスが声を弾ませる。


 大樹入り口の通路よりも広い道が、ずっと遠くまで直進していた。そこを数百の悪魔たちが行進している。彼らが向かう先には、町をひと呑みにできそうなほど巨大な“輪”が宙に浮かんでいた。何かの装置だろうか。金属質な体を持ち、大樹内部と同様機械的な雰囲気を放つ巨大なリングだ。

 リングは時計回りにゆっくり回転している。その動きに逆行して輪の内側では血の如き赤黒い光が反時計回りに渦巻いていた。


「あれが魔界血管だよ」

 サキュバスは道の果てに浮かぶリングを指差す。

 彼女が指し示すものを目で追うまでもなく、樹流徒の視線は前方で輝く巨大な光の渦に吸い込まれた。

「想像以上の大きさだ。あの光を通り抜ければ下の階層に行けるのか」

 今、樹流徒がいる貪欲地獄は魔界の第四階層。第八階層の魔壕に辿り着くまでには長い道のりが残されているが、これでようやく目的地に一歩近づける。


「それにしても、血管というよりは太陽に見えるな」

 樹流徒の目にはそう映った。魔界血管などと呼ばれるくらいなので管状の通路を漠然とイメージしていたのだが、輪の形をしているとは思わなかった。

「先に進んでみれば分かるってば。早く行こうよ」

 サキュバスは樹流徒の後ろに回って、彼の背中を押す。

 今度もその力に歯向かわず、樹流徒は2、3歩前に進んだ。

「待て、サキュバス」

 が、立ち止まる。

 出し抜けに後ろから地響きのような音が聞こえたためだった。


 振り返ってみると、樹流徒たちめがけて猛然と駆けてくる影があった。

 巨人だ。巨木の如き肉体を持った人型の悪魔が、道行く者たちを蹴散らしながら駆けてくる。


 巨人は全身の肌がやや緑がかっており、厚手のボロ布で作られたハーフパンツのようなものを穿いていた。そして鬼の形相という隠喩がぴったりな顔つきをしている。

「覚悟しろ、ニンゲンめ」

 などと咆哮して、拳を振り上げながら二人に迫った。


 樹流徒はサキュバスを突き飛ばし、自分は後ろに飛んだ。

 振り下ろされた巨人の拳が、二人の立っていた場所に叩きつけられる。硬くて重い音が大樹の内壁に反響した。重機の鉄球を高い場所から地面に落とせばこのような音がするのかもしれない。


「ちょっと! 危ないじゃん」

「サキュバスか……」

 巨人の悪魔はサキュバスを一瞥しただけで、すぐに血走った瞳を樹流徒に向ける。

「オマエ、ニンゲンだな?」

「……」

 樹流徒は答えない。答えられない。

「服で姿を隠してもオレの嗅覚は誤魔化せない。オマエからはニンゲンの臭いがする」

 人間の手首よりも太い巨人の指が、樹流徒に突きつけられる。

 周囲の悪魔たちは足を止めて、一体何事かと遠巻きに様子を窺い始めた。

「見世物ではないぞ。さっさと散れ」

 巨人がすごむと、野次馬たちは一斉にわっと逃げ出す。


「ニンゲンの子よ。今すぐ魔界を去れ。オマエたちの存在は魔界の森やほかの自然を(けが)す」

 強い危機感のようなものが込められた言葉が、樹流徒の頭上から降った。

 人間嫌いのベルフェゴールから向けられた敵意に近いものを、樹流徒は感じる。どうやらこの巨人は、賞金目当てで襲い掛かってきたわけではなさそうだ。

「自然を穢すとはどういう意味だ?」

「そのままの意味だ。オマエたちニンゲンは息を吸うかの如く平気で星を破壊する。魔界に災いをもたらす存在だ。二つの世界が繋がったと知ったときから、オレはニンゲンが魔界にやって来ることを危惧していた」

「俺は魔界の自然を壊しに来たわけじゃない。そして現世に引き返すつもりも、お前と戦うつもりも無い」

 答えると、巨人の形相がただの鬼から猛り狂う悪鬼へと変わった。

「ニンゲンの言葉など、信じるものか」

 これ以上は問答無用だと腕を振り上げる。


 岩よりも硬い拳が床に叩きつけられた。

 樹流徒は横に転がって回避する。巨大竜ガルグユと戦った経験が生きたのか、それとも魔王との戦いを経た影響か、眼前の巨人に負ける気がしなかった。今の一撃を見ただけで、相手の実力を大体察したのである。普通に戦えば、まず間違いなく勝てる相手だと分かった。


 巨人がすっと息を吸い込んで腹を膨らませる。その挙動は十中八九何かを吐き出すための予備動作だった。

 予測通り、巨人の大きな口から炎が放たれる。

 樹流徒は魔法壁で遮断したあと

「お前は誰だ?」

 落ち着いて相手の素性を尋ねた。

「ニンゲンなどに名乗る名前はない」

 と巨人。

「ソイツ“フンババ”だよ!」

 代わりにサキュバスが答えた。

 フンババと呼ばれた巨人は今にも火が飛び出しそうな目でサキュバスを睥睨(へいげい)する。

「サキュバス。オマエは何故、ニンゲンなどと一緒に行動している?」

「アンタなんかにカンケーないでしょー」

「まあいい。ニンゲンは始末するだけだ」

 フンババが拳を振り下ろす。

 樹流徒には当たらない。空を切った一撃はまたも床を叩いた。


「やめてよバカ。そんな風に暴れたら大樹が壊れちゃうでしょ」

「うるさい」

 フンババが思い切り足を上げて、サキュバスを踏み潰そうとする。

 そちらに攻撃が行くとは予想しておらず樹流徒は一瞬焦ったが、幸いサキュバスは素早い身のこなしで後ろに跳んで難を逃れた。

 フンババの足が空気を押し潰して地面を踏む。床がミシミシと鳴いて揺れた。

 丁度そのときこの空間に転送されてきた悪魔たちが悲鳴を上げ、逃げ惑う。


「キルト何とかして。このままじゃホントに大樹が壊れちゃうよ」

 これまでになくサキュバスが落ち着かない。

 頼まれるまでもなく、樹流徒はそうするつもりだった。


 フンババが紫色の煙を吐き出す。毒息だろうか。それが宙に拡散するよりも早く樹流徒は高々と宙を舞う。攻撃を避けるついでにフンババの頭上を飛び越えた。

 巨人の目と口がいっぱいに開かれて驚きの形相を露わにする。その表情が解けるよりも早く、樹流徒は背後からフンババの首にしがみついた。

「勝負はついた。これ以上暴れるな」

 指先から伸びた長い爪をフンババの首筋に当てる。

「黙れ」

 激しく身悶えするようにフンババが上半身を暴れさせた。

 樹流徒は振り落とされたが綺麗に着地を決める。次の刹那フンババが振り下ろしてきた足を、地面を転がって回避した。


 素早く立ち上がった樹流徒は前方に手をかざす。眼前の空間がぐにゃりと歪んで暗黒の空洞が生まれた。闇の奥から数十本にも及ぶ植物の(つる)が一斉に飛び出し、フンババの元へ迫る。

 フンババは見かけの割に身軽な動きで横に飛んだ。それを蔓が自らの意思を持った生き物のように追跡する。蔓はフンババの全身を絡め取り、いとも容易く身動きを封じた。魔王ベルフェゴールの能力だけあって強力だ。


 蔓に縛られたフンババは必死の形相でもがくが脱出できない。混乱しているせいか、炎で蔓を焼くという選択肢は思い浮かばないらしく、何が何でも力尽くで脱出しようと無闇に暴れている。

 その隙に樹流徒は跳躍してフンババの肩に乗った。もう一度敵の首に爪を当てる。軽く擦ると、巨人の首から青い血が滲んだ。

「待て!」

 今度こそ殺されると思ったのだろう、フンババが叫んだ。

「オレの負けだ。だから……命は見逃せ」

 これまでの態度を一変させ、命乞いをする。

 あれだけ敵意を剥き出しにていたフンババが、素直に負けを認めたのは意外だったが、樹流徒にとっては好都合な展開だった。


 樹流徒は爪を振り下し、巨人を拘束している蔓を切断する。

 自由の身となったフンババは悔しそうな顔をしたが、すっかり大人しくなった。

「ニンゲン。オマエは一体何をしにこの魔界へやって来た?」

 と、覇気の無い声で尋ねる。

「友達を助けるためだよ。コイツ、ニンゲンだし賞金首だけどそんな悪いヤツじゃないと思う」

 サキュバスが代わりに答えるついでに樹流徒を擁護した。

「分かった……。その言葉、信じておこう」

 最後にそう言い残すと、フンババは振り返り、重い足音を鳴らしながら去っていった。


 辺りはすぐに元の平穏さを取り戻す。フンババが他の悪魔を追い払ってくれたのが幸いだった。戦闘が終わっても周囲の悪魔たちは樹流徒の正体に気付かない様子である。


 魔界血管を目前に思わぬ奇襲を受けたが、もう邪魔者はいない。

 二人は巨大なリングの前に立った。その中で渦巻く赤黒い光が、樹流徒を次の世界へと誘う。

「どう? 間近で見るととってもキレイでしょ?」

 サキュバスがどこか得意げに言う。

 樹流徒は「そうだな」と相槌を打ってから

「忘却の大樹もそうだが、この魔界血管も誰が作ったのか分からないのか?」

「うん。元々この世界にあったものだからね」

「不思議な話だな」

 悪魔は知らず知らずの内に魔空間の能力を操れるようになっていた、という話をだいぶ前に聞いたことがある。その件といい、今回の件といい、どうも悪魔や魔界には、悪魔自身すら知らない秘密が隠されているようだ。


 とはいえ樹流徒の目的には関係の話である。今は魔界血管を作ったのが誰か分からなくてもいい。得体の知れない技術を利用してでも魔壕に近づくことが一番大切だった。


「さて。アタシがついてってあげるのはここまで。あとは自力で何とかしてよねー」

 さっぱりした態度のサキュバスは、別れの挨拶もさっぱりしていた。

「これからお前はどこへ行くんだ?」

「アタシの棲み処(すみか)に帰るんだよ。この階層にあるからね」

「そうか」

 樹流徒はひとつ頷いた。間を置かず「じゃあ……。ここまでありがとう」と言って足を前に進める。

「あのさ。さっきも言ったけど、シオリは友達なの。だから絶対助け出してあげてよね」

 光の渦に飲み込まれる瞬間背後から聞こえた声に、樹流徒は片手を上げて答えた。




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